「体内年齢59歳」健康診断すべて正常値の75歳の私は、ヨガとの出会いで身体の正直さに愛しさを覚え
コロナ禍で外出を控えた結果、運動不足となり、体がなまっていると感じている方も多いのでは。一方、医学博士で鍼灸師の劉勇先生によれば、加齢とともに筋肉量は下降の一途をたどり、20代に比べて60代は30%、80代は50%も減少するそう。
筋力が衰えれば疲れやすくなり、転倒のリスクも高まるため、長生きするには運動習慣がやはり大切です。15年前にヨガ講師の資格を取った75歳の椋ゆきのさんは、健康診断で体内年齢が15歳も若いと診断されたそうでーー
できることは自力でやろう
75歳になる少し前のことです。大型量販店近くの広場で、「体内年齢を測定します」というキャンペーンが行われていました。私はよっしゃ、と思い、体重計のような測定器に。
「59歳」と出ました。女性スタッフたちは口々に「すごいですねえ」と言い、「なにか運動などをしていますか」と聞いてきます。「ヨガと歩くこと」と答えると、「ヨガですか。道理で姿勢がよく、すらっとしてらっしゃる」とちょっと職業的な口調。なにかに勧誘されたら大変、と思った私は「あと、できることはなるべく自力でやっています。文明の利器とか使わないで」と予防線を張りつつ、足取り軽くその場を離れました。
5年ほど離島に住んでいたこともあり、真っ黒に日焼けしたツケがいまも残っていて、私の顔はしわくちゃです。反省しても、ときすでに遅し。お肌や髪の手入れに気を使ったことはありませんが、それでも実年齢より若く見られるのは、おそらく夜目遠目笠の内。シルエットは若く見える、ということなのでしょう。でも、若いと言われて悪い気はしません。
実際、できることは自力でやろう、と意識しだしたのは60代半ばのことでした。東日本大震災が起きたころ、ボランティア活動などの自分にできることを頑張ったところ、心身ともにぐったりしたのです。
帯状疱疹にもなり、しばらくだらだら過ごしてみたら楽ちんで、そのまま自分を甘やかしそうになりました。でも「ダメだ、かっこ悪い」と思い直した。最終的に、自分の美意識が許さなかったのだと思います。
背中が緩んでいれば、こらっと立て直し
私はいまでも、掃除機はたまにしか使わず、茶を撒いたりして、箒をかけます。毎日ではないけれど、昔ながらに四つん這いでの雑巾がけもします。
一時は洗濯機を使用せず、たらい派でした。大きめの汚れものは、バスタブで足踏み洗い。が、こちらは正直続かなかった。大きめで厚手のものは絞れないのです。いまは小物は手洗い、大物は洗濯機におまかせ、と落ち着きました。
風呂の残り湯をバケツで汲んで洗濯機に注ぐ。これはずっと続けています。バスタブから洗濯機までたった5、6歩ですが、洗濯機を満たすには5、6回行ったり来たりしますから、なかなかの力仕事です。
電車やバスでは、疲れているときや荷物が重いとき、長時間乗るとき以外はなるべく座らない、と決めており、座るときは背後にもたれず、背中を伸ばすようにしています。背中をつけたとしても、背筋と腹筋の力は抜きません。
これまで、坂の多い町に住んできました。いま住んでいる町もくねくねとどこに続くかわからない細い坂道、階段道が縦横にあります。私は坂が好きなので、「未知坂探検」と称して坂道をとにかく道なりに行き、思わぬところに出たら歓声を上げたり、わくわくしながら上ったり下りたりしています。
電車やバスは一駅前で降りて歩くように心がけ、散歩をするときは、背中はまっすぐに伸びているか、肩が前に出ていないか、踵からしっかりと地面を踏んでいるか、膝は伸びているか、自分の身体を意識します。
町中ではお店のガラス窓に映る自分を見て、背中が緩んでいると、こらっと立て直す。……ここまで書くと、まるで自意識過剰なナルシストのようですね。
身体の正直さが愛おしい
身体を意識するようになったのは、40年前にヨガに出合ったのがきっかけです。
わが家に泊まりにきた2人の友人が、朝起きたらおかしな体操のような動きを始めたので、「なにそれ」と聞くと「ヨガ」と言いました。興味を持ち、近所の公民館で開かれる教室に通いましたが、結局子育てと仕事が忙しくなり、1年も続きませんでした。
再開したのは、それから15年ほどしてから。離島で知り合った先生にヨガを習い、のめり込んでいきました。一度は母と同居するために実家に戻りましたが、母を看取ったあと、60歳でヨガ講師の資格も取りました。やればやるだけ変化が表れる。身体の正直さは愛おしいものです。
コロナ禍でヨガ講師の仕事がパタッとなくなり、時間があり余ったこの1年数ヵ月。いままで避けてきた難しいポーズにも挑戦しました。4、5年前はすんなりできていたポーズが難しくなっていたりしますが、身体と対話しながら、自分を再発見できるのは楽しくて仕方ありません。
2年前、久しぶりに健康診断を受けてみたところ、すべてが正常値でした。おかげさまで常用する薬もなければ、定期的に通う病院もありません。
それがよいことか正直わかりませんが、若いころからさほど体形も変わらず、体中痛いところも凝っているところもなく、足腰も丈夫、快食快眠快便、体内年齢を測定してもらえば15歳も若いというのが、いまの私です。
その理由を辿ると、自力での生活を心がけ、せっせと歩き、ヨガを行ずる自分の姿があります。
因果関係はわかりませんし、もうひとりの私がいて、正反対の生活をしていたら果たしてどうなっていたのかもわからないので、迂闊に誰かに勧めはしない。でも心がけてきたのは、常に「もうひとりの自分が、自分を見ている」という暮らしでした。
そしてその暮らしを楽しいと思い続けてきた結果、いまの健康を得られたのであれば、それらはおまけというか、これまでの人生のご褒美としていただけたのだろう、と思うのです。