あなたは薬を処方されて安心するタイプですか? それとも薬を敬遠するタイプ? もし安心するタイプならば気をつけて。多剤・大量処方は体をむしばみます。(編集部・鳴澤大)
「おばあちゃんの原宿」こと、東京都豊島区の巣鴨地蔵通り商店街には、流行のパンツ「赤パン」が店頭に並び、今日も元気なお年寄りが闊歩(かっぽ)していた。病気とは無縁なのだろうか?
「薬の世話にはならないよ。悪くなればお迎えが来た証拠。潔くなきゃね」
そう言って、70歳のおじいちゃんは元気に笑う。ただ、そんな猛者は少数派か。豊島区に住む75歳のおばあちゃんは、
「私は腰の痛み止めだけ。母が健在なんですけど、5~6種類の薬を飲んでますよ。知り合いが通う病院は『薬がまだ家にある』と説明しても、どんどん出すそうです」
多くのお年寄りが薬の世話になっているようだが、なぜ医師は飲みきれないほどの処方をするのか。製薬業界関係者は言う。
「薬を出さない医師に対しては、患者の風当たりが強いんです。とくに高齢者。『患者受け』狙いの処方です」
背景の一つには、お年寄りたちの「口コミ圧力」があるようだ。悪い噂が広がると、病院も困るのだろう。
一方、同じような風邪や胃腸炎でも、病院によって処方の量や種類が違うという経験もあるだろう。総合病院に勤務経験のある開業医は打ち明ける。
「患者が大病院に殺到しすぎるんです。早く納得して帰ってもらうため、仕方なく患者に薬を出しているような状況です」
患者が薬を求めている光景が浮かぶ。
●薄くなる薬価差益
医師には薬を処方するメリットがあるのだろうか。20年ほど前までは、確かにメリットがあったようだ。
ある開業医は言う。
「昔は薬を出すほど儲かりました。父も医者ですが、当時は薬を5箱買うと、もう1箱がおまけで付いてきた。製薬会社からの接待といえば、飲み食い、ゴルフ、キャバクラですね」
製薬会社の社員も、医師への接待営業を懐かしむ。
「他社の営業ですが、昔は大学病院の勤務医が開業すると、薬を採用してもらいたくて、中に薬を満載した車をプレゼントした、なんて話も聞きました」
医師は薬を出すと、国が定めた薬価をもとに薬代を計算し、医療保険に請求する。薬の仕入れ価格は薬価よりも安いので、儲けが生じる。いわゆる「薬価差益」で、かつては病院の大きな収入源になっていた。
しかし、これが「薬漬け」につながるという指摘があり、不透明な薬価差益の実態に批判が集まった。
それを背景に、1990年ごろから病院は診療、調剤は薬局という役割分担によって医療の質を向上させようと、国は「医薬分業」を推進。経営が別の薬局で調剤する「院外処方」が増え、今ではおよそ7割を「院外」が占めている。
差益自体も薄くなっている。国は薬価基準を、おおむね2年に1度改定する。膨らむ医療費を抑制するため、マイナス改定がほとんど。薬を多く出せば儲かる構図は崩れ、金銭的なメリットから過剰な処方をするインセンティブは薄れている。
●薬減らし歩けるように
患者が薬を暗に求める実態がある一方、医師の側にも問題があるようだ。都内のある医師は声をひそめて言う。
「血圧と違い、心は数値化できません。過剰な処方は精神系の疾患に多いんです」
ある日、「新横浜フォレストクリニック」(横浜市港北区)に、認知症の男性Aさん(79)が家族と訪れた。直前まで総合病院に通っていたが、ふらつきがひどくなって歩けなくなり、車いす生活になったという。
Aさんは6種類の薬を併用していた。薬の多剤処方が原因と考えたクリニックは、まず3種類を減らした。すると、3日後に歩き始め、2週間後にはふつうに歩けるようになった。中坂義邦院長は、こう指摘する。
「薬を増やして悪化する『パニック処方』の結果です。薬には依存性もあるから、減らすのが難しい。病気を治すための薬が、多剤、大量の処方によって逆に患者を苦しめています」
精神系の薬の処方のあり方は、働き盛りの世代も無縁ではない。2000年前後から製薬会社などが「うつは心の風邪」という啓発キャンペーンを繰り広げた結果、「心療内科などを受診するハードルが下がった」(日本医科大学特任教授の海原純子医師)のだ。ここ2、3年は、とくに外来受診する会社員が多いという。
それにしても、どうして患者を苦しめるほどの多剤処方が起きるのか。「吉井クリニック」(大阪府吹田市)の吉井友季子院長は、こう説明する。
「多剤処方された患者さんの薬の内容をみると、診察のたびに違う症状を訴えた結果、種類が増えたようです」
「こころと身体の痛み」の治療を専門とする「カワバタクリニック」(同)の川端一永院長の見方も同じだ。
「(原因不明の体調不良を訴える)不定愁訴が増えています。明確な症状ではないグレーな症状だけに、医師によって診断がばらつくのです」
そもそも医師たちは医学部で「教科書にない『さじ加減』こそ重要」と教えられ、かなりの裁量が認められてきたことが背景にある──という医療関係者もいる。
●最新科学に基づく医療
多剤処方すると、薬の「飲み合わせ」の問題が生じる。薬の開発においても、それは考慮される点だが、製薬関係者によると、臨床試験(治験)で3種類以上の飲み合わせを調べた薬は、ほとんどないのが実情という。
処方量も大人向けと子ども向けは分かれているが、50代と80代でどのように量を変えればいいのか、明確な基準がない。体内で薬を代謝・排泄する能力は、高齢になるほど落ちる。同じ年齢でも老化の状態は人によって異なる。過剰な処方は患者にとって害になるが、錠剤だと量の細やかな調整は難しい。
多剤処方や過剰処方は、「お薬手帳」で防ぐことができそうだが、これも効果は薄いようだ。院内処方を続ける「五本木クリニック」(東京都目黒区)の桑満おさむ院長は言う。
「意義が理解されていません。薬歴管理もせずにシールを発行し、保険点数稼ぎをする薬局もあります。健康保険証カードに薬歴情報を出入力できる仕組みにすれば効果的なのですが……」
最寄りの「かかりつけ医」であれば、薬歴を管理してくれそうだが、最近はその存在感が薄れている。「名医紹介本」やインターネットによる治療実績情報の検索の結果、総合病院や「名医」に患者が集中するようになったからだ。
一方、海外に目を向けると、こうした診断や処方のばらつきを正す動きが進んでいる。信頼できる科学的根拠(エビデンス)に基づく医療「EBM(Evidencebased Medicine)」だ。
ハーバード大学公衆衛生大学院で医療マネジメント・医療政策を学び、現在も米国の病院で医療の安全と患者の参加について研究する一原直昭医師によると、米国では医療のばらつきに伴う有害事象に早くから関心が高まっていたという。そこで、病気の発生や治療効果を数量的に調べる方法(臨床疫学)や、検査や治療の判断を確率論で考える学問(決断分析)が発展。それらを背景に91年ごろ、EBMが体系化されたという。
90年前後には、ジョンズ・ホプキンス大学などの研究グループが医療の有害事象について調査。99年に医療の安全性に関する報告書が発表された。そのタイトルは「人は誰でも間違える」だ。こうした研究をベースに、どのようなプロセス、ルールで行われた臨床試験ならば信頼性があるのか判断する方法が、米国では確立していった。
●医師のさじ加減狭める
日本でも、処方のばらつきに伴う有害事象の調査は行われている。京都大学などの研究グループが04年、都市部の三つの中核病院の患者3459人を調べたところ、薬剤投与による有害事象が726人に1010件も認められた。このうち14人は死亡し、命にかかわる被害が46人、消化管出血や発熱、血圧低下など重度の被害は272人に上った。うち141件は医師や薬剤師のミスだったという。
こうした実態調査や米国で医療を学んだ研究者らを通じて、EBMは国内にも広がってきた。一原医師はEBMの意義について、こう解説する。
「患者の年齢や性別、既往症も含め、これらの最新の試験結果や論文を活用し、医師による“さじ加減”の範囲を狭めようとするものです」
実は、性別や既往症などを入力したり、照らし合わせたりして標準的な治療や処方を導き出す「診断アルゴリズム」というものがある。各疾患の学会などが提唱している治療のガイドラインだ。ネットで簡単に調べられ、これを使ってEBMを実践する医師も増えているという。
EBMが医療現場に浸透し始めたのを機に、製薬会社の営業手法も変わってきている。ある医師は言う。
「以前は有名な医師の採用事例などを宣伝に利用するイメージ戦略でした。いまは最も信頼できる『エビデンス』をマーケティングに活用しています」
この動きと足並みをそろえるように、製薬会社による接待攻勢も、なりを潜めるようになったようだ。
もっとも、EBMには異論もある。それは次のようなものだ。
「EBMは統計学的な確率論。行き過ぎれば、医師はみな『金太郎アメ』になる」(開業医)
「単に言葉が出てきただけ。昔からEBMは実践している」(別の開業医)
「金融自由化と一緒。米国が仕込んだ医療ビジネスの方便」(製薬社員)
こうした見方に対し、一原医師は、こう話す。
「科学に完全はありません。EBMを活用しつつ、最後は“さじ加減”ではないでしょうか」
「キャップスクリニック代官山T・SITE」(東京都渋谷区)の白岡亮平院長が今後のカギとみるのは、医師と患者それぞれへの「教育」だ。
「患者には小さな頃から医療を学ぶ時間を設け、医師も医学に限らず、診療報酬制度や運営財源も学ぶ。両面からやることで、より良い医療の標準的な姿が見えてくるはずです」