世界経済が新型コロナウイルスの猛威から回復する中で表面化した資源高。その構造を読み解くと、日本がこれまで想定していなかった“新型”インフレへの「扉」が開いた可能性がある。(マーケット・リスク・アドバイザリー代表 新村直弘)
資源価格とエネルギー価格の
同時上昇が日本に大打撃
今市場で懸念されているインフレは、鉱物資源を中心に発生すると同時にエネルギー価格も上昇する新たな展開が考えられる。しかも、この“新型”インフレは中長期的に継続し、日本に大打撃を与える可能性がある。
その未曽有のインフレを引き起こす要素となるキーワードは三つだ。「中国・インドの人口増加」、「米中対立」、そして「脱炭素」である。順を追って説明しよう。
脱炭素は商品の需給バランスを歪め
価格上昇をもたらす
まずは「中国・インドの人口増加」だ。世界1位、2位の人口を誇る中国とインドは、総人口に占める生産年齢人口(15~64歳)の割合が増え続ける「人口ボーナス期」に入っている。
人口ボーナス期では、近代化を目的としたインフラ投資が加速することが多い。高速道路や新幹線などを整備し、日本が高度経済成長を果たしたのも人口ボーナス期だった。人口ボーナス期の中国とインドでは、鉱物資源の需要が増加する公算が大きい。これは、資源価格の上昇に直結するだろう。
インフレを引き起こす次のキーワードが、「米中対立」だ。米国のトランプ前大統領に続き、バイデン大統領も中国に対する厳しい姿勢を崩していない。つまり米政権が共和党だろうと民主党だろうと、米中対立は続いていく見通しだ。
米中対立が続けば、米中経済のデカップリング(分断)により、親米・親中経済圏がそれぞれ構築される可能性がある。言い換えれば、ある企業が親米・親中経済圏でそれぞれビジネスを展開する場合、米国と中国の基準に合わせたサプライチェーンの構築を求められるかもしれないのだ。
かねて予想していた通り、村田製作所の中島規巨社長は、メディアでのインタビューで、親米・親中経済圏でそれぞれサプライチェーンを整備する意向を示している。
村田製作所のように、他の企業でも米国と中国で「二重」の設備投資が必要になる可能性は低くない。こうした動きは需要増加につながり、資源価格の上昇を招くだろう。
そして大きな問題を引き起こしかねないのが、最後のキーワード「脱炭素」だ。
脱炭素とは、経済合理性がなくとも環境負荷が低ければ、これまでエネルギーとして用いてこなかった商品を強制的に活用することともいえる。そうした商品は従来の用途とは別にエネルギーとしての需要が立ち上がるため、需給バランスを著しくゆがめ得る。
その代表的な資源は、電気自動車(EV)のバッテリーに用いるニッケルやコバルト、リチウムだ。そのほかバイオ燃料に使うパーム油や大豆油、石炭火力発電所で燃料として混ぜられるアンモニアなどが挙げられる。これらの商品は、脱炭素で需要が増加すると見込まれ、価格上昇が予想される。
とはいえ脱炭素が進んだとしても、化学製品などの原料としての原油や石炭について、一定程度の需要は残るとみられる。ただし、石油輸出国機構(OPEC)に加盟しない国では、脱炭素のあおりを受けて積極的な上流投資が手控えられるだろう。
これにより、OPECのシェアが上昇し、原油価格のコントロールが容易になることが考えられる。原油の販売量が減少するとなれば、競争相手がいなくなったOPECは原油価格を引き上げるだろう。
また資源国では、すでに「資源ナショナリズム」のような動きが強まっている。世界最大の銅生産国チリでは、銅鉱山のロイヤリティー・フィー(権益)の引き上げが検討され、コバルトの世界最大生産国コンゴ民主共和国でも、中国企業が関与していた鉱山権益に関する契約を見直す方針を示した。インドネシアはEVに使用する資源の輸出を制限する意向を表明している。
まとめると、脱炭素をきっかけに資源の生産者側の“支配力”が増す可能性がある。そうなれば価格の絶対水準は上昇し、かつ生産者側の思惑によって価格が乱高下しやすくなる。さらに異常気象の発生によっても価格は乱高下する。
コストプッシュ型のインフレは
全業種に影響を及ぼす
これまで述べた「中国・インドの人口増加」「米中対立」「脱炭素」による資源価格の上昇は、日本にコストプッシュ型のインフレを引き起こす可能性が高い。日本は国内で消費する、あるいは加工して輸出する商品の原材料を輸入に頼っている。そのため、コストプッシュ型のインフレは日本経済に大きなダメージを与えかねない。
特に海外市況の影響を受けやすい原油や石炭を用いる業種は、コスト負担が重くなる。また輸入品を加工して販売する二次市場、三次市場が存在するため、いずれにせよ資源価格の上昇によるインパクトは大きい。
例えば原油からナフサをつくり、さらにエチレンやベンゼンといった石油化学基礎製品を製造し、さらに加工して誘導品を生産、その後、様々な産業に用いられるといった具合である。発電のために用いられるLNGや石炭も、発電した先に電力市場という市場が存在している。
では具体的にどういった業種が影響を受けるか。弊社でエネルギーがコストに占める比率を業種ごとに試算したところ、下図の通り、資源価格の影響を受けない業種はないと言っても過言ではないことが分かった。特に電気やガスは製造業・非製造業を問わず用いられているため、全業種に影響が及ぶといってよい。
これまで日本企業は資源価格の上昇リスクに対して、相見積もりを取って価格を削ったり、設計を変えて使用数量を減らしたりしてコストを抑えてきた。企業の原料・燃料調達コストは「数量×価格」で決定されるため、数量を小さくすることで全体のコストを抑制するというわけだ。
しかしこの手法が有効なのは、価格水準がさほど動かない場合に限られる。例えば、数量を10%削減しても価格が20%増加すれば、全体のコストは8%増加してしまう。そのため今後はこうした数量のマネジメントを行うと同時に、価格の変動リスクについてもマネジメントする必要が出てくる。
商品市場の代表銘柄である原油や銅の価格変動性は、すでに高まっている。欧米では先物や金融商品を用いて価格変動のリスクヘッジをしている企業も多いが、数量削減に加えてこうしたツールを使うことも選択肢の一つだ。ただ、実際に行う場合は、事前にリスク量の測定や体制づくりを行う必要がある。実際に価格が上昇した後では打てる手が限られるからだ。
資源価格の上昇は
私たちの家計をじわじわと痛める
企業が自社で価格変動リスクを制御できたとしても、リスクから100%解放されるわけではない。最終的にはコスト上昇分が、最終消費者に転嫁されることが予想される。つまり、値上げである。資源価格の上昇が、ボディーブローのようにじわじわと私たちの家計を痛めるだろう。
消費者が最も直接的に影響を受けるのが、原油や天然ガスの価格上昇に伴う電気やガソリンなどエネルギー価格の上昇だ。
脱炭素に伴う資源高で“副作用”も考えられる。EVのバッテリーの原材料であるニッケル、コバルトなどの価格が上昇すれば、EVが消費者にとってさらに「高根の花」になることもあり得る。
脱炭素の動きが継続すれば、企業側は脱炭素に向けた設備投資が必要になる。脱炭素に関するコストは、最終的に消費者へ転嫁されることになるだろう。政府が温室効果ガス削減を抑制する目的で、炭素税を導入した場合は国民負担になる可能性も有り得る。原油価格が上昇することで化学製品の価格が上昇し、それペットボトル、弁当のトレイ、洗剤や洋服に用いる合成繊維の価格上昇にもつながることが想定される。
また、発電燃料として用いられるアンモニアが従来の市場の需給を逼迫させて化学肥料の価格を押し上げた場合、家畜の餌となる穀物類の価格上昇にも飛び火し、肉類の価格への影響も無視できない。
このほか再生可能エネルギーの発電燃料として活用される大豆油やパーム油などは、もともと食用に使うため、油脂類の価格が上昇することもあり得る。
脱炭素による副作用が引き金となり、インフレが現実のものとなった場合、国民負担は増加するだろう。その時、「脱炭素はここまで国民が負担をしてまで行うことなのか」という声が上がる可能性がある。しかし、脱炭素の動きが全くなくなることは考えにくい。
日本はこの20年近くデフレに悩まされてきた。しかし、今後は誰も経験したことのないインフレを迎えるかもしれない。企業も消費者も「高い水準で資源価格が乱高下する世の中」を想定し、事前に対策を練っておく必要がある。