子どもがいない夫婦の場合、故人の父母が既に亡くなっていれば、相続人は配偶者と故人のきょうだいになります]子どものいないご夫婦の相続は、注意が必要です。法定相続人の考え方を思い出してください。配偶者は必ず相続人になり、第一順位が子、子がいない場合は……。
そうです。第二順位の法定相続人は親ですが、第二順位がいない場合は、第三順位の兄弟姉妹です。配偶者は夫の兄弟姉妹と遺産分割協議をする必要があるのです。
夫の預金をおろすのにも夫のきょうだいとの協議が必要 夫を亡くして相談にいらしたE子さん(50歳)にはお子さんがいませんでした。夫の父母はすでに他界しており、相続人はE子さんと夫のきょうだいでした。
「夫が亡くなったので、銀行に手続きに行ったら、夫のきょうだいと財産の分け方について決めてもらわないと、預金が動かせないと言われました。
夫のきょうだいは九州に住んでいて、顔を合わせたのも数えるくらいしかないんです。義兄と義姉に頼まなくても預金を下ろす方法はありませんか?」
E子さんはすっかり困っていらっしゃいます。が、残念ながら義理のきょうだいに黙って口座を動かすことはできません。
ちなみに、不動産の名義変更だって、他の相続人の同意なしにはできません。
この話だけ聞くと「え!? そんなことってあるの?」と思われるかもしれませんが、本当にあることなのです。
銀行としては、誰がもらうかはっきりしていない口座をうっかり動かしてしまった結果、後から他の相続人に「なんであいつに金を渡したんだ!」なんて怒鳴り込まれでもしたら困ってしまいますよね。
ですから基本的には、誰がその預金を相続するのか決まってからでないと預金を動かすことは認められないわけです。遺産分割が決まらない場合でも、相続人全員の同意を得ることで口座を動かすことができる可能性もあります。ただし、あくまでも相続人全員の同意があった上でのこと。「他の相続人にはナイショで」ということはできないのです。
令和2年の民法改正で、一定額以内であれば遺産分割協議前でも、他の相続人の同意なしで預金をおろせる「預貯金の払い戻し制度」が創設されましたが、金融機関ごとの残高のうち、おろせるのはその相続人の法定相続分の1/3まで(最大150万円)とされていて、すべての預金を下ろすことはできません。
それにしても、酷な話ですよね。私も結婚後、長らく子どもがいなかったので経験がありますが、子どものいないご家庭というのは、往々にして実家との付き合いが疎遠になりがちです。「子はかすがい」とはよく言いますが、「孫は実家とのかすがい」なのです。しかも、ご相談者のE子さんの夫のように、実家が遠方にある場合はなおさらです。
そんな状態で、夫の財産について、疎遠な義理の兄弟姉妹と話をしなくてはならないなんて、想像もしたくない状況だと思いませんか?
きょうだいたちは「自分たちももらう権利がある」と主張 結局 、E子さんは、九州の義兄と義姉に電話をして銀行の手続きのお願いをしたのですが、ここでまたE子さんにとって驚きの展開が待っていました。
「弟の財産は、きょうだいである自分たちにももらう権利があるんだから、ちゃんと遺産分けをしてほしい」と言われてしまったのです。
確かに法律的には、相続人が配偶者と故人のきょうだいの場合、法定相続分は配偶者が4分の3、きょうだいが4分の1になるため、夫の残した財産(マンション3000万円、預金1000万円の計4000万円)の4分の 1(1000万円)は兄弟姉妹に法定相続分として認められています。
ただ、さすがに義兄や義姉も、専業主婦で残されたE子さんを不憫に思う気持ちがあったのでしょう。法定相続分通りきっちりもらうという話にはならなかったそうです。現預金のうち300万円ずつ(計600万円)を相続して、他はすべてE子さんが相続するということで、話がつきました。
ちなみに、E子さんの夫は現役の会社員でしたので、退職金(1000万円)が出ました。退職金は受取人をE子さんに指定してあったといいます。
また、E子さんを受取人にしていた生命保険(2000万円)もあるとのこと。
退職金や生命保険金は民法上は相続財産とはならず、受取人固有の財産に位置づけられます。(ただし、相続税法上は相続財産とみなされ、相続税の対象になります。)
ですから、これらは無事E子さんが全額受け取ることができました。
余談ですが、実はこの生命保険は、もともとはご主人が結婚前に加入していた古い契約だったそうです。
当時は、受取人を「法定相続人」と指定していたそうで、亡くなる少し前にたまたま保険を見直す機会があり、受取人を「E子さん」に変えたところだったといいます。
もし、この保険金の受取人を「法定相続人」のままにしていたら、2000万円の保険金も、義兄姉と分けなければいけなかったわけです……。
皆さんも、保険金の受取人が誰になっているか確認しておいたほうがいいかもしれません。
この話を聞いて、皆さんどう思いますか? E子さんは、マンションは何とか確保できました。このマンションもローンが残っていましたが、団体信用生命保険に加入していたため、ご主人が亡くなるとローンがなくなる仕組みになっていました。
そして、これから生きていくための現預金は、義兄姉が相続した分を差し引き、退職金と生命保険を合わせて3400万円。E子さんは現在50歳ですから、平均余命(女性)は38.49年です(厚生労働省 令和1年調べ)。
3400万円で約38年間を過ごさなければならないなんて……。年金があったとしても心もとないですよね。せめて夫が残した財産がすべて相続できていれば……。
きょうだいにはない遺留分 遺言書で全財産を配偶者に残せる だいたい、夫の財産は、E子さんと力を合わせて築き上げたものです。それをめったに顔を合わせたこともない人たちに渡さなければいけないなんて……。
もしも夫が遺言書を残してくれていれば、夫の財産はすべてE子さんが相続することができました。兄弟姉妹には遺留分がありませんので、夫が「全財産をE子さんに相続させる」という遺言書を残してくれてさえいれ、財産はすべてE子さんのものになったのです。
その場合はもちろん、銀行の手続きや不動産の登記もE子さん1人で行うことができます。
仮に相続人がE子さんと義理の父母だった場合、「全財産をE子さんに」という遺書が残っていたとしても、父母には遺留分があります。父母の遺留分は、法定相続分の3分の1の2分の1で、全体の6分の1です。
義理の父母が「遺留分を渡してほしい」と言ってきたときに備えて、ご主人の生命保険などで遺留分相当額を用意しておくと安心です。とはいえ、ご主人の遺言書が残されていたら「我が子の遺志に従おう」と思ってもらえる可能性も高いのではないかと思います。
遺言書は相続対策としてとても有効なツールですが、特に子どものいないご夫婦は、愛する伴侶のためにも是非残しておいていただきたいと思います。
(記事は2021年5月1日現在の情報に基づきます)
板倉京(税理士)プロフィール 成城大学卒業後、保険会社・コンサルティング会社、税理士法人等を経て、2005年に板倉京税理士事務所を開業。女性税理士の組織(株)ウーマン・タックス及び資産コンサルティングの株式会社WTパートナーズの代表も務める。
人はだれしもいつか死ぬ。それは避けられない現実。では、人間は死んだらどうなるのか? まさに諸説あるテーマであり、おそらく人類が知性を持った時から、ずっと考えられてきた問題であろう。 死の世界は、宗教が担っていることもあるので、世界の宗教による死後の世界について述べてみよう。 日本仏教では死後、浄土へ行くという考えや、「地獄」から「天」まで6つの行き先(六道)があり、死ぬ度に六道のどこかで何かに生まれ変わるなど、宗派によって違いがあるようだ。 キリスト教では、死後にキリストの復活を待ち、復活後に最後の審判を受け、天国か地獄に行く。あるいは、死んだらすぐに天国か地獄に行く。煉獄という天国と地獄の中間のような所に行き、魂の浄化後天国に行くなどなど。 イスラム教、現世は仮の世界、死は来世への通過点。終末の日まで墓の中で眠り、終末の日に審判を受け、緑園(楽園)か地獄行きかが決まる。 など、宗教・宗派によって様々な考え方があるようだ。また臨死体験をして、現世に戻ってきたという人もいる。臨死体験の研究は結構あり、そこにはいくつかの共通点がある。 ・幽体離脱(自分を見下ろしている) ・トンネルもしくは暗闇を通り抜け光の世界へ向かう ・亡くなった人、神やキリスト、天使などとの会話 ・幸福感。現世に戻ってから死が怖くなくなる ・ときに自分の肉体に戻る決断をするなどなど またそれぞれの民族・宗教観・文化などが反映され、日本人の場合、お花畑、亡くなった親しい人と会う人は多くいるが、神やキリスト、仏などと会うという例は少ないらしい。 そのため、脳科学的にただの幻覚という人もいる一方、生まれて一度も光を感じたことがないはずの全盲の人が、幽体離脱で自分の姿を見たり、他者と会ったりするという視覚体験をした人も多いというから不思議だ。 さて、死後の世界を信じるか信じないかは、あなた次第。 プロフィール おぐらおさむ 作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、社会問題全般に関心が高く、歴史、時代劇、宗教、食文化などをテーマに執筆をしている。2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。空手五段。
後閑愛実&ゆき味「看取りのチカラ」 大切な人を看取(みと)るとき、人は何を思い、看取りは、残された人々にどんなチカラを与えてくれるのか。後悔しない看取りについて、現役の病院看護師、後閑愛実さんが、ゆき味(み)さん作画の漫画と文章でつづります。 意識精神障害 高齢の患者に起きやすく 死が近づいてくると、つじつまの合わないことを言ったり、何を話しているかわからないことを言ったり、興奮して落ち着かなくなったりすることがあります。 「痛みのせいや薬のせいで、おかしくなってしまった」と思われる家族もいらっしゃると思いますが、酸素が少なくなり肝臓や腎臓の働きも悪くなって有害な物質が排せつされず、脳が十分に働かなくなっているせいです。このような状態を「せん妄」と言います。 せん妄は一種の意識精神障害で、末期の患者さんに限らず、高齢の患者さんによくみられます。手術の後に起きることもよく知られています。 がん患者を対象にした研究では70%以上がせん妄を経験するとされており、そのほかの病気でも非常に多くの患者さんにみられます。 つじつまの合わないことを言ったり、落ち着きなく手や足を動かしたりする過活動の症状もあれば、うとうとしていたり、ぼんやりしているように見える(よく聞くと周りには見えていない何かを見ていることもある)低活動の症状もあります。これらは一日中あるわけではなく、朝は普段通りだったのが、夕方になってくると症状が強まるといったような日内変動が見られます。 また、せん妄は急激に体力が低下したときなど、変化が起きたときに発生頻度が高くなります。体力が衰えて一人で動けないのに、せん妄のために自分でそれを認識できず、動こうとしてベッドから転落してしまうこともあります。 病院でも、たまに夜間の巡視時に、ベッドから落っこちている患者さんがいて、びっくりすることがあります。こちらが動けないと思っていても、ベッドから転落することがあるので、なるべくけがをさせないようにベッドを低床にするなどの対応をしています。また、本人のつらさを和らげるために、ウトウトさせる薬を使うこともあります。 初めてせん妄を目の当たりにすると、びっくりしてショックなことも多いものです。困ったことがあったら、遠慮なく医療者に相談をしましょう。 そばにいて耳を傾け 否定もせず、適度に受け流して「@ 終末期のせん妄の原因は、治療できないものが多いのですが、死亡直前であってもせん妄の症状の悪化を防ぐ対処方法はあります。 便秘や尿閉、発熱などの不快な症状で、せん妄が悪化することがあります。たとえ食べていなかったとしても、宿便はたまります。いつ、どのくらい出ているかを確認することが必要です。 ちょくちょくトイレに行っているのに、実は量が出ていないということもあります。排せつのことは恥ずかしいとは思いますが、穏やかに過ごすためにも医療者に相談していただけたらと思います。 患者さんの混乱やせん妄状態を見た家族が、自分自身も落ち着かない、眠れない、集中できない、めまいがするという症状のために、日常生活に支障をきたすことがあります。 患者さん本人以外(家族)のことであっても、患者さんのかかりつけ医や看護師などに相談していただいて構いません。看取りはチームでするものです。一人で頑張らずに、周りを頼っていただけたらと思います。 つじつまが合わないように思えて、本当にあった昔のことや、今気がかりなことを伝えている場合もあります。また口の渇きやトイレに行きたいことを伝えようとしていることもあるので、結果何を言っているのかよくわからなかったとしても、何を伝えようとしているのか想像しながら本人の話を聴くようにしましょう。 ただし、周りの人がすべてに真剣に向き合っていると、どんどんつらくなってしまいます。言うことは聞くし、否定もしないけれども、適度に受け流すくらいの姿勢で付き合うのがいいと思います。 静かに足をマッサージされたり、家族の声が聞こえたりするだけで、本人は安心することも多いです。何もできなくても、ただそばにいるだけで、家族はとても尊い存在です。 <今回のポイント> ・おかしなことを言ったとしても、否定せずに話を聞こう。適度に受け流すことも大事 ・せん妄は誰もが通りうる道で、おかしなことではない。 参考文献 「死亡直前と看取りのエビデンス」(森田達也 白土明美著 医学書院 2015) 「看取りの技術」(平方眞著 日経BP社 2015) 原案・執筆 後閑 愛実(ごかん・めぐみ) 看護師 群馬パース看護短期大学卒業後、2003年より看護師として病院に勤務。1000人以上の患者と関わる中で、様々な患者を看取(みと)る。看取ってきた患者から学んだことを生かし、看護師をしながら、13年から看取りの際のコミュニケーション方法について、研修や講演を通して伝えている。著書に「後悔しない死の迎え方」(ダイヤモンド社)。「月刊ナーシング」の連載「まんがでわかるはじめての看取りケア」の原作執筆担当(20年3月終了)。 作画 ゆき味(ゆきみ) マルチクリエーター 2017年、多摩美術大学卒業後、フリーの作家として、立体造形・映像作品・グラフィックデザイン・漫画制作を中心に活動。漫画やイラストの制作、MV制作、オリジナルキャラクターグッズ、広告やパッケージのデザインなど、幅広い制作を手がける。「まんがでわかるはじめての看取りケア」作画担当。NPO法人さかうえのプロモーション動画「加部安の時計~天明の祈り~」制作、編集担当。19年、YouTubeに「ゆき味アートチャンネル」を開設。
高齢になると体が疲れやすくなったり、足腰が思うように動かなくなったりすることで、引きこもりになりやすいとされている。高齢者の引きこもりは、孤独死などの社会問題の要因にもなるものだ。この高齢者の引きこもりに、歯の健康もかかわっているというのだ。 □歯の健康が、高齢者の引きこもりの原因の1つに 東北大学で、歯の健康と高齢者の引きこもりの関連についての研究が行われ、結果は次のようになった。 ・歯が20本以上ある高齢者は、週に1度も外出しない引きこもりの割合が4.4% ・歯が19本以下で入れ歯を使用している高齢者では、引きこもりの割合が8.8% ・歯が19本以下で入れ歯を使用していない高齢者では、引きこもりの割合が9.7% 研究結果から、歯の健康状態が悪いと、食事や人と会うのが億劫になり、引きこもりの原因になっていると指摘している(※1)。 □高齢者が維持したい歯の数 厚生労働省と日本歯科医師会が掲げる指標に「80歳で20本の歯を残す」という8020(ハチマルニイマル)運動がある。 人間の歯は、親知らずを除くと上下合わせて28本あり、20本という数は7割に相当するものだ。これは咀嚼機能を維持するためのラインとされており、20本を下回ると硬い物を食べるのが難しくなるという。 さらに歯の数が半分の14本以下になれば、ごはんなど軟らかい物を食べるのも難しくなるそうだ。実際に歯の数が20本未満では、やせている人が多くなり、栄養摂取への影響も懸念されている(※2)。 □高齢者の歯のケアのポイント 高齢になるまで長年使い続けた歯や歯肉はすり減っているので、汚れがたまりやすくなる。歯のメンテナンスをきちんと行うには、やはり毎日の歯磨きが大切だ。 歯磨きの途中で、歯肉から出血することもあり、歯磨きやめてしまう人もいるだろう。日本歯科大学の名誉教授である鴨井久一氏は、歯磨き時の出血は、炎症によって細菌に侵された血液であるため、出血しても歯磨きを中断することはないと指摘している。もちろん出血の量が多いならば、なにか他の病気が潜んでいる可能性もあるので、専門医を受診しなければならない(※3)。 高齢者の歯の健康を維持することは、生活の質を高めることにつながるものだ。筆者も、毎晩歯磨きをせずに寝床につく老親に、しっかり歯磨きをするように助言しようと思う。
できるだけ確実で簡単で費用もかからない方法で遺言書を残したい――。法務局における遺言書保管制度を使うと遺言書の改変などを防げますし、相続人にも通知できて遺言書の検認も不要となります。必要書類を含む正しい知識を弁護士が説明します。 1.法務局での遺言書保管制度とは 法務局における自筆証書遺言に係る遺言書の保管制度(以下では「遺言書保管制度」と言います)は、遺言者が自筆で作る遺言(専門用語では「自筆証書遺言」と言います)を法務局に預け、画像データ化して保管する制度です。 単に法務局において遺言を保管するだけではありません。遺言者が亡くなったタイミングで相続人らに遺言についてお知らせの手紙を送られたり、検認手続が不要になったりするなど、自筆証書遺言を用いて円滑に相続手続を進めるうえで便利な役割も果たしてくれます。 2.遺言書保管制度のメリット 自筆証書遺言は、公正証書遺言を含む他の方法と比べると気軽に書くことができ、遺言作成のコストもかからないため、取り組みやすい遺言の方式です。その一方で、民法の定める形式ルールに違反すると遺言そのものが無効になってしまうなど大きなデメリットがあるため、作成時に注意が必要です。 他にも、遺言の偽造や書き換えが簡単にできること、せっかく作った遺言が相続人に発見されなかったり、紛失してしまったりすることなどデメリットがあります。ただし、遺言書保管制度を利用することで、自筆証書遺言のデメリットを軽減したり、解消したりすることができます。 まずは、遺言の形式ルールについて説明します。 遺言書の保管を法務局に申請する際、法務局の窓口において、法務局の職員から遺言の外形的な確認を受けます。この確認のなかで、遺言の形式ルールが守られているかチェックを受けることができます。仮に形式ルール違反があった場合、窓口で間違いを指摘してもらうことができますから、遺言を訂正したうえで保管することができます。前述のとおり形式ルールに違反すると遺言が無効になってしまう可能性があるため、この点を確認してもらえることにより安心して自筆証書遺言を作ることができます。 また、遺言を法務局に保管してもらうことで遺言の偽造や書き換えは困難になり、自筆証書遺言の弱点のカバーになります。せっかく作った遺言が相続人に発見してもらえないというデメリットについても、遺言書保管制度を利用することで解消することができます。 法務局が遺言者の死亡を確認した場合、遺言書が法務局で保管されていることを申請時に指定した相続人等に通知します(「死亡時の通知」と言われています)。その通知により、遺言の存在を明らかにすることができますから、遺言が忘れ去られてしまうという事態を避けることもできます。 手続き面のメリットとして、遺言書保管制度を利用している自筆証書遺言は、家庭裁判所の検認手続きを受ける必要がありません。 3.遺言書保管制度の利用方法 遺言書保管制度を利用するためには、自分で遺言を作成したうえで遺言書の保管を法務局に申請する必要があります。ご自身の住所地や本籍地、所有する不動産の所在地を管轄する法務局のなかから遺言書保管所を選ぶことができます。申請を行うためにネット予約や電話連絡などにより、事前の予約が必要となります。予約日までに、遺言書の他に申請書を準備する必要があります。 申請書の様式や記載例は法務省のホームページ(http://www.moj.go.jp/MINJI/minji03_00051.html)に掲載されています。このHPには推奨される遺言用紙のテンプレートなども準備されており、遺言書保管制度を利用して自筆証書遺言を作成することを思い立ったときは、優先的に確認することをおすすめします。 申請の予約日は、自筆証書遺言や申請書など必要書類を準備し、法務局の窓口で法務局の職員から確認を受けることとなります。法務局の担当窓口では、申請書の書き方等についても電話での質問に応じてくれます。 ただし、遺言の内容に関するアドバイスや法的事項に関する相談は一切応じてもらえません。遺言内容に関する相談は、事前に専門家に依頼をする必要があります。 さらにもう一点、注意点があります。この法務局での申請手続きは、必ず遺言者本人が手続する必要があります。体調が悪く自ら法務局まで移動することが難しかったとしても、自分の代わりに子どもや専門家に手続きをお願いすることはできません。 4.遺言書保管制度と公正証書遺言の違い 公正証書遺言は、公証役場にて公証人と証人2名の立ち合いのもとで作成する遺言であり、自筆証書遺言のデメリットを解消できる遺言の方式です。作成した遺言は公証役場で長期間保存され、偽造や書き換えのリスクはなく、紛失する可能性もほとんどありません。 遺言書保管制度であっても同じ効果を期待できますが、公正証書遺言はさらにメリットがあります。遺言作成時の意思確認を公証人と証人が行うことで、将来の遺言無効の紛争を予防することができる点です。遺言者の意思能力が争点になった場合、自筆証書遺言では本人が単独で遺言を作成するため、作成時の状況について証拠を準備することが難しくなります。 一方、公正証書遺言では、遺言作成時に少なくとも3名の第三者が遺言作成の意思や内容の正確性を確認したうえで作成するため、本人の意思能力の有無に疑義が生じにくく、公証人や証人からの証言を証拠として準備することもできます。また、公正証書遺言の場合、公証役場に出張作成を依頼できるため、自宅や入院先の病院で作成することができます(前述のとおり、遺言書保管制度では出張や代理での申請受付を行っていません)。 公正証書遺言のメリットは魅力的ですが、遺言作成時に生じるコストは高くなります。公証役場への手数料を支払ううえ、公証人と遺言案を打ち合わせしたり、戸籍を集めたり、財産を裏付ける資料を取り寄せるなどの準備も必要になるためです。こういった準備を専門家に任せることは可能ですが、その場合は専門家への報酬がコストになります。費用面のデメリットを許容できるようであれば、公正証書遺言を作成することが最も安心できる相続対策になります。 5.相続人が遺言書の内容を確認する方法 遺言書保管制度を利用した場合、遺言者は遺言の内容を閲覧して確認することができます。相続人は、遺言者が死亡するまで、遺言の内容を閲覧することなどはできません。相続人が死亡したあとは、最寄り法務局に閲覧を請求することができます。遺言書はデータで保管されているため、全国どこの法務局でも確認ができます。 この際、遺言保管申請時と同様に法務局に対して予約が必要になるほか、申請書を提出したり、法定相続情報一覧図または被相続人の戸籍などの資料の収集をしたりするなどの準備が必要となります。この閲覧請求を行うことによって、相続人ら全員に遺言が保管されていることが通知されることになります。 6.まとめ 遺言書保管制度は、公正証書遺言と比べてコストも少なく、自筆証書遺言のデメリットを解消することができます。今後、遺言の内容を変更する可能性があるなど公正証書遺言をただちに作成することに躊躇している方やコストをなるべく抑えたいと考えている方は遺言書保管制度の利用を検討してはいかがでしょうか。 (記事は2021年5月1日時点の情報に基づいています) 弁護士・田中 康敦プロフィール 2014年に税理士法人山田&パートナーズ入所後、2015年弁護士法人Y&P法律事務所に入所。民事信託・家族信託に関するサポート、遺言及び信託を用いた相続の紛争化予防、相続紛争、不動産紛争を中心的に対応。
遺産をめぐるトラブルを回避するためには、遺言書はとても重要なものだ。しかし、家族のことを考えて残した遺言書が思わぬ火種になることもある。都内在住の男性の死後、妻と2人の子が「評価額3000万円の自宅」と「預貯金3000万円」を相続した。もめることがないよう、生前に遺言書を作成して「自宅は妻が相続し、預貯金は1500万円ずつ2人の子供が相続する」と明記していたのだが……。男性の長男が明かす。
「実は、父には先妻との間に子供がいたんです。幼い時に生き別れた実子は、父の死と、自分が法定相続人であることを親戚に聞いて初めて知り、私たちに法定相続分として1000万円を要求してきました」
しかし、亡父の遺言書には先妻の子の相続分については何も記されておらず、当初、長男らは取り合おうとはしなかった。
「そのうちに、『遺産をよこせ』『父の公正証書遺言に書いていないんだから、分ける必要はない』などと言い争いになり、母も『絶対に渡さない』と感情的になって埒が明かなくなった。結局、専門家に相談することになった」(同前)
税理士の山本宏氏はこう指摘する。
「このケースでは、公正証書遺言は法的に有効ではありますが、結果的に先妻の子供の『遺留分』を侵害したことになってしまいます。そのため男性の2人の子供は、権利を主張する先妻の子に『遺留分』として法定相続分の半分の500万円を、250万円ずつ出すことになりました」
準備を怠ったり、必要な情報を開示しないと、妻と子供たちが引き裂かれかねない。
※週刊ポスト2021年6月18・25日号
年齢を重ねたら子供に面倒を見てもらえるだろう、定年退職しても自宅では妻と一緒だから安心だろう、町内会や通院先で新たな友人ができたから寂しくないだろう──長い人生を生き抜くうえで、「共に過ごす人」が大切だと考えている人は少なくない。
【図解】2040年には65才以上の「女性は約4人に1人」「男性は約5人に1人」がひとり暮らしになる見込み
しかし、本当にそうだろうか。定年後世代への取材を重ねると、むしろ「人との縁」が不幸の元凶となっているケースが目立つ。それはつまり、トラブルの種となる人間関係をいかに上手く“整理”していくかが重要になるということだ。
◆孤独な死は不幸じゃない
育ててもらった恩に報いるため、子が年老いた親の世話をするという“美談”は、過去のものとなりつつある。「子にとって、親の存在はもはや『リスク』になっています」。そう説明するのは、『もう親を捨てるしかない』(幻冬舎新書)などの著書がある宗教学者・島田裕巳氏だ。
「家族のなかに高齢者を抱える状況は昔からありました。しかし、日本人は昔と比べて遥かに“長生き”になった。戦後すぐの時代は平均寿命が男女ともに50代前半だったのが、いまは男性が80歳超、女性は85歳を超えています。医療や介護にかかる費用や時間など、家族が抱え込む負担は非常に大きくなる。年老いた親は家族にとっての不安要素になってしまった」
家族や友人に囲まれて、穏やかに息を引き取る――多くの人はそれを幸せな最期と考えているかもしれないが、その“理想”を捨て去ることが大切だと、島田氏は説く。「単身の高齢者がひとりで亡くなる孤独死、無縁死が注目されていますが、果たしてこれは不幸な死に方でしょうか? そもそも、ほとんどの人が死ぬ時はひとりです。病院で亡くなるにしても、夜中に容態が悪化すれば、看護師にも気づかれないことがある。
死んだ後は、意識がなくなるのですから、ひとりで寂しいと感じることもありません。核家族が増え、単身世帯が増えています。家族の構成員が減る以上、自分の晩年に誰かを頼らずに死んでいくことを考えなくてはなりません」
「『うちの家系は心臓が強いから大丈夫!』なんて根拠のないことを言う人に限って、心不全によって突然死するケースは多いのです」 そう話すのは、『心臓を使わない健康法』(マガジンハウス)などの著書をもち、血管の名医として知られる池谷敏郎先生。いま「隠れ心不全」が急増していることに警鐘を鳴らす。 心不全とは、心臓が血液を送り出したり収縮したりする“ポンプ”の働きが低下して、全身の臓器に必要な血液量を送ることができなくなった状態のこと。 今月、佐賀大学医学部循環器内科が心不全に関する研究結果を発表した。30〜60代の20%が軽度の心不全か、その予備軍、つまり隠れ心不全だったという。2140人を対象に、心不全を判断する指標になるホルモン「NT-proBNP」の血中量を調べた結果、心不全が疑われるホルモン量が検出された人が多く見つかった。 “高齢者に多い”と思われていた心不全が、若い世代にも一定のリスクがあることがわかった。隠れ心不全については、池谷先生も注目しているというのだ。 「近年、糖尿病やその予備軍である隠れ高血糖の患者さんが増えています。糖尿病と心不全は関連性が強く、血糖値の約2カ月間の平均値を表すヘモグロビンA1Cが1%増えると、心不全のリスクが15%増加するといわれています。太り気味、メタボの人は血糖値が高い場合が多いので、要注意です」 急死の原因になる、心筋梗塞や虚血性心疾患、心筋症など急性心不全がある一方で、症状が“じわじわ”と現れる慢性的な心不全も多い。その場合、日常生活では症状がはっきりと現れないので、「太ったから」「年のせい」と見過ごされがちなのだとか。 「日本人の死亡の原因は、がんに次ぐ2位が心疾患です。心臓というのは、少々無理をしてでも頑張り続ける臓器なので、意外と気がつかない。隠れ心不全を放置すると、突然死につながります。 スポーツをしたり体を動かしつづけてきた元気な人でも、ある日ポックリということは、ありえないことではないのです」 早期発見するのが何より大事。そこで、池谷先生が教えてくれた“隠れ心不全”リストを今すぐチェック! □夜間のトイレが増えた □ベッドに入るとせきが出る □全身にむくみがある □みんなと歩いていると自分だけ遅れる □坂を上がると苦しい □息切れしやすい □倦怠感がある □手足の先が冷たい □胸が苦しい、痛いときがある □冷や汗が出る これらのチェックリストに1つでも思い当たることがあれば黄色信号! 2つ以上なら“隠れ心不全”の可能性大! とくに池谷先生が初めに指摘したように、肥満やメタボと、心不全を起こしやすい人に当てはまるならなおのこと。 ただし、貧血やぜんそく、腎機能が低下しているときや甲状腺系の病気、そしてたばこを吸う人なら、肺の炎症COPD(慢性閉塞性肺疾患)などが似た症状なので、混同されることも。気になるようなら迷わず検診を受けてみて。 「心不全は死亡の原因になるだけでなく、生活の質がぐっと下がってしまいます。階段を上がるのも買い物に行くのも大変。味が濃いものが食べられない、寝つきが悪くなるなど、さびしい生活になりがちなんです。そのためにも、隠れ心不全を放置しないことが大切です」 チェックリストで当てはまるものがなくても、心臓に負担をかけない体づくりが大事だと池谷先生。 「まず塩分と糖分の取りすぎに注意してください。心臓や血液など体のあちこちに負担をかけます。太りすぎにも要注意。栄養バランスを考えた適量の食事が基本です」
死なないようになれたなら。 「死」という問題を解決しようと取り組んでいる人々がいます。彼ら、彼女らが成功した暁には、900歳になった僕がふとこの文章を読みなおし、いかに人生の初めの100年間を無駄にしたかを懐かしく思い出すかもしれません、と米GizmodoのDaniel Kolitz記者は書いています。 しかし、いつか解決されたとしても、それまでに何万、何億もの人々が亡くなることに変わりはありません。病気で亡くなる人もいれば、不慮の事故で亡くなる人もいるでしょう。なかには俗に言う「老衰」によって亡くなる人もいます。 縁側でひなたぼっこをしているうちに、いつの間にか息を引き取っていたーーこんなふうに、「老衰で亡くなる 」のは他の死に方と比べてずいぶん穏やかなイメージがあります。 でも本当のところ、老いて死ぬってどういう意味なんでしょうか? あらゆる疑問に専門家が答えてくれる「Giz Asks 」シリーズ。今回は、「老衰で亡くなる」とはどういう意味なのか、4名に聞いてみました。
体が摩耗し、病気が体の営みを妨げ、死に至る Elizabeth Dzeng(カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部助教) 「老衰で亡くなる」とは私たちのまわりでよく使われている表現です。ところが、実際「老衰」で死ぬ人はひとりもいません。必ず先行している病、または新しい病がほかにあって、それが死因となります。死亡診断書に「老衰」と書かれることはまずないでしょう。このように、死因は別にあって、なにかの感染症、心臓発作やがんなどの基礎疾患による心不全のほうが可能性が高いのです。 たとえば肺に血栓が生じたら、脳と体に十分な酸素を送れない状態となり、結果的に心不全を引き起こしますね。この場合、その人がまだ若かろうが年老いていようが関係ありません。病気や、病気が引き起こした諸症状が体の営みを妨げたために死に至るのです。
しかし、同じ病気でも高齢者には異なる症状をもたらすこともあります。年を重ねるごとに私たちの体は摩耗し、損傷していきます。ですから、若い頃と同じようには病と闘えなくなってくるのです。もちろん心臓発作や肺血栓塞栓症で若い人も同じように病死することはありえますし、実際に起こることではあります。ただ、高齢者だと病気に対する体の反応が異なってくるのです。 次に肺炎 を例にとってみましょう。老年の患者の場合、感染時に通常見られる初期症状が見られないことがあります。 もしその患者が糖尿病 を患っている場合は高血糖の症状が出ることもありますし、もし認知症 だったら心理状態が不安定になったり、普段できていたことが突然できなくなってしまうこともあります。老年の患者にこのような症状が出ても、その原因となっている病理を直ちに突き止めることは困難です。
巷には「眠りながら死にたい」と願う人がいますが、これは特定の病理に限定できない現象です。眠りながら息を引き取った人は、たまたま起きている間ではなく寝ている間にがんや感染症の症状が悪化しただけかもしれません。 もうひとつ大切なことは、末期がんや鬱血性心不全などの極めて深刻な病状を抱えている人たちは、より「自然な死」を選び取ることもあります。病院で積極的な治療を受けるよりは、緩和ケアを選んで苦しみを和らげる道を選ぶこともあります。
ひどく苦しみながら死ぬ、それが自然な死 Jessica Humphreys(カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部助教。専門は緩和ケア) よく「歳をとったら寝ながら死にたい」という人がいます。でも人はすべて同じ死に方をします。心臓が止まるのです。それが最後。 死亡診断書を書く時に死因を記入しなければなりませんが、心肺停止が起こった前には肺血栓が起こり、それより前にはがんが診断されていた、というふうに巻き戻していきます。私が受け持った生徒たちには、このように必ず死因の前の原因はなんだったのか?その前はなんだったのか?と問うように促しています。 緩和ケアを専門とする医者として、私が担当する患者さんはみな重篤な病を抱え、多くは死に近づいています。私の仕事はまず患者さんに死に至るプロセスについて説明したうえで、そのプロセスを生き抜くお手伝いをすること。
「自然」という言葉は穏やかさを感じさせます。死のプロセスが「自然」であれば、それが起こっていることを意識する必要も、考える必要もなくなります。しかし、現実には死のプロセスがこのように「自然」に運ぶことは滅多にないと言っていいでしょう。病歴を持たない健康体である人が、ある晩眠りについて突然の心臓発作に見舞われる。こんなことが起こるのは非常にまれです。(しかも、「寝ながら死ぬ」というフレーズがよく使われているのにもかかわらず、実際寝ながら死亡したのか、それとも死亡した当時は起きていたのかは、その人を直接間近で診ていなかった限りは非常に判断しづらいのです。) アメリカでの「自然な死」の典型は以下のようなものです。誰かに何かしら健康上の問題が発覚し、その問題を改善しようと治療します。
苦しみをできるだけ緩和し、命を繋ぎとめようとする治療も虚しく、やがて負け戦へと転じます。そこで方向転換がなされ、いかに最期までの時間を最良に過ごせるかを最重視するようになるのです。 ひとつだけ補足を。私はウガンダとインドでの仕事が多いのですが、そこで感じたのは「自然な死」は世界のほとんどの国においては非常に苦しいもので、極端な痛みを伴うものだということです。世界のほとんどの地域ではオピオイドのような強力な鎮痛薬が手に入らないのです。ある意味、人間にとって「自然に」死ぬということは、ひどく苦しみながら死んでいくことです。ですから、私たちはその苦しみをできるだけ取り除くことを目指して努力していかなければならないのです。
「リスク」が増していく David Casarett(デューク大学医科大学院教授、緩和ケア部門主任。著書に『Shocked: Adventures in Bringing Back the Recently Dead』ほか多数) 老衰で死にたい?…それは無理だ。 絵に描いたような美しい見解だし、社会通念として「老衰で死ぬ」というのはポピュラーで、多くの人が望んでいる。私の患者さんの多くがそれを目指してもいる。まるでダウンヒルスキーの選手がスラロームを描くように、命を脅かす病理をひとつ、またひとつと鮮やかにかわしていって、心不全、前立腺がん、肺炎 、果ては新型コロナウイルス…と次々に回避していく。すべては最終的に「老衰」によって安らかに死ねると望んでのことだ。
しかし、老衰で死ぬのは実際ありえない。歳をとるごとに心臓の鼓動がゆっくりになっていき、最後の夜遅くについにピクリとも動かなくなる…なんてことはない。老化すると、がんや認知症 などの病気にかかるリスクが増していき、そのうちのどれかが命取りになりかねない。しかし、老衰そのものが死を招いたわけではない。 私の祖母は103歳で天寿をまっとうした。加齢とともに体が弱くなりはしたが、最期まで頭のキレは健在で、本を一日一冊読み通すほどだった。私が書いた小説を最後まで読んでくれたほど、ピンシャンしていた。 そんな祖母は老衰で死んだわけではなかった。高齢化と虚弱性により腰部骨折のリスクが増して、実際骨折してしまった。高リスクな手術は非常に良好な状態で切り抜けたものの、最後は発作により鬼籍に入った。
心理的にも身体的にもずば抜けて健康だったのは事実で、非常に高齢で亡くなったわけだけど、祖母は老衰で亡くなったわけではない。彼女の死因となったのは、たまたま立て続けに起こった不運な出来事の連鎖であり、高齢な彼女の体がよりリスクにさらされてしまっただけだ。 ここで興味深い問いに行き着く。あなたなら、どんな死因を望むだろうか?コレステロール値を敏感にチェックしているあなたなら心臓発作には至らないだろうし、生野菜をバリバリ食べているあなただったら結腸がんは患わないかもしれない。タバコを敬遠しているのならおそらく肺気腫にはならないだろうけど、ではなにが死因となるだろう?なにが残るのだろうか?(私の恩師であるJoanne Lynn医師が20年前にこの質問を提起してくれたことに感謝している。
個人的な結論にはまだ至っていない。) 現代社会が私たちに向かって投げつけてくるあらゆる命取りな病をかわしたところで、最後に残るのはなんだろう?その問いに対してのひとつの答えは、私の祖母だろう。彼女は正しく生きた。健康的な生活習慣を維持し、激しい感情の起伏にとらわれず常に穏やかでおおらかな気性を保ち続けていた。彼女の生き方はすべて正しかったのに、正しい生き方はある程度までしか効力がない。最終的には人生が主導権を握り、転落させたり、心臓発作を起こしたり、肺炎をこじらせたりして死を招く。 もうひとつだけ付け加えておこう。老衰で死ぬことはないと言ったが、老齢で死ぬことはもちろんよくあることだ。この違いはよくよく頭に入れておくべきだ。 高齢まで生きる人の多くは死ぬ間際まで精神上、身体上の機能を維持し続ける。そして多くは──もしかしたらほとんどは──寝ながら突然の死に見舞われる。
もちろん、もしあなたがまだ20歳代だったとしたら、このような最期を遂げたくはないだろう。あまりにも突然すぎて、準備する暇もないのだから。 でももしあなたがこの地球に生を授かってから1世紀がゆうに経っているとしたら、そして以前にもヒヤッとする臨死体験がひとつかふたつあって、すでにお別れの心構えができていたのなら、眠りながら死ぬというのは多分すごくいいことなんじゃないかと思う。 それこそが天寿をまっとうした人と、しなかった人との最大の違いなんじゃないかな。90歳代以上の年齢まで生きた人は、死を恐れていない。なぜなら、やることはすべてやり尽くし、言うべきことはすべて言い尽くしているから。もう何年も前から心の準備ができていたのかもしれない。 緩和ケアのスペシャリストとして言えることは、高齢であればあるほど最期にじたばたせず、アグレッシブな治療を望んだり長く苦しい化学療法を望むことが少なくなる。死を受け入れて、すうっと亡くなられる。「老衰で死ぬ」ということになにか意味があるとしたら、それは死を受け入れて別れを告げる覚悟ができているってことなんじゃないだろうか。
「一定の速度」で体の機能が失われていく Allen Andrade(マウントサイナイ医科大学高齢者医療・緩和医療助教) アメリカ疾病管理予防センターは医師たちに「老衰で死ぬ」や「自然死」などの表現を使わないことを推奨しています。これらの言葉は医療コミュニティーにとってあまり価値がない、というのがその理由です。 かつては死ぬ前に起こった一連の事柄から死因を特定できなかったり、他殺・自殺などの自然ではない死に方が疑われていなかったり、リソースが限られていたために検察医、または検死官が死因を特定するための捜査を行なえなかった場合などに広義で使われていた言葉でした。 しかし、これらの言葉は今でも一般大衆にはポピュラーです。死が予期せぬもの、またはトラウマを伴うものではなかったという印象を与え、また死因にまつわる話しにくいことを遠ざけるからでしょう。
これは、私たち全員がなるべく長い間「若くて元気」でいたいと願い、重病にかかって長い間苦しむことを避けたいと思っているからです。誕生と同じく、死は人生の警鐘事象(sentinel event)であり、極めて激しく感情をゆさぶる故に多くの人が避けたいテーマなのです。 興味深いことに、多くの人は死そのものを遅れているのではなく、死に至るまでのプロセスを恐れます。人工呼吸器などの生命維持装置に頼らず死を迎える人々は、多くが同じ死に方を経験します。死に方の違いを分けているのは、体がどれほどはやく機能停止するか。数週間から数ヶ月に及ぶ人もいれば、数日間から数週間、数時間から数日間、そして数分から数時間かけて死んでいく人もいます。 数週間から数ヶ月の時間枠がある人は、一定の速度で体の機能を失っていき、座りっぱなしや寝たきりになってまわりの人に身の回りの世話をしてもらいます。
数日間から数週間ある人は、次第に集中力を失っていき、周囲でなにが起こっているのかを意識しなくなり、飲食に対する興味が薄れていきます。数時間から数日間で亡くなる人は周囲でなにが起こっているのは分からず、次第に嚥下が困難になり、呼吸が荒くなってまるで全力疾走したかのような疲労状態となります。そして数分から数時間の間に亡くなる人はすでに意識がなく、不規則な呼吸をします。 まとめると、死は自然なプロセスであり、おおかた安らかです。死にゆくプロセスの時間の長さと死に至る原因によっては、死ぬ間際に呼吸の乱れ、痛み、せん妄などの症状を経験しますが、医師の介入により痛みを緩和したり、安らぎを高めて死ぬまでの時間をなるべくクオリティーの高いものにすることはできます。
■女性と男性の平均寿命には7歳もの差が! WHOの世界保健統計によると、日本人の寿命は男女平均で84歳と世界第1位。女性は87歳で同じく第1位ですが、男性は80歳で第5位となっており、両者に7歳ものちがいがあります。 全世界的に、女性の方が男性よりも長寿となっていることを考えると、男女の体のちがいが寿命に関係している可能性があります。 以下に、男女の寿命のちがいの原因として指摘されているいくつかの要因をあげてみました。 ■男と女の体の仕組みから、寿命の差をひもとく 1 男女のホルモンのちがい 女性ホルモンは血圧を下げ、悪玉コレステロールであるLDLコレステロールの血中濃度を下げる作用などから、高血圧や動脈硬化を防ぐ方向に働きます。 現に、日本人の死因の上位を占める心疾患や脳血管疾患で亡くなる方は女性のほうが少なく、女性の寿命を延ばす一因となっていそうです。 一方、男性では、血中男性ホルモン濃度が高いと心筋梗塞の発症率が低くなるという研究報告もありますが、女性ホルモンほど、はっきりとした動脈硬化抑制作用は報告されていません。 2 基礎代謝量のちがい 一般的には、女性よりも男性のほうが筋肉質で、基礎代謝量が高くなっています。 基礎代謝量を上げると生産するエネルギーが増えるため、その副産物である活性酸素も増え、細胞レベルで障害を起こし、病気のもとになるため、寿命が短くなると言われています。 3 社会環境的な要因 男性は仕事を定年退職した後は家にこもりがちなのに対し、女性はいくつになっても地域の集まりや旅行、趣味などに行動的な方が多く、気分転換をうまくすることでストレスの管理が上手なのかもしれません。 また、女性のほうが、健康に関する関心が高く、健康管理に気を使っているという説もあります。 ■まとめ 以上にあげたいくつかの要因がからみあって、女性の寿命が男性の寿命が長くなっていることが考えられます。性別に限らず、ただ長く生きるのではなく、健康で幸せに年を重ねていきたいものです。 (37歳女性内科医/Doctors Me)
■昔の病気ではない「結核」 「結核」と言うと「昔の病気」のように感じられるかもしれませんが、いまでも身近な病気です。ハリセンボンの箕輪はるかさんや男性モデルのJOYさんが結核で入院したというニュースを記憶している方も多いでしょう。 「昔の病気」と考えられているがゆえに診断が遅れてしまうということが増えています。抗生物質で治療可能ですが、発見が遅れると命にかかわることもあるので注意が必要です。 若くして「結核」で命を落とした偉人たちから、結核を考えていきましょう。 ■「子規」の名は結核を患ったため……正岡子規 結核を患ったために正岡「升(のぼる)」から「子規」と号したとされています。「子規」とは「ホトトギス」のこと。この鳥は「のどから血が出るまで鳴き続ける」といわれることから、「血を吐きながら歌を詠み続ける」自分自身をなぞらえたようです。 俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼしました。俳諧の新たな史的考察によって俳句革新を志し、次いで「歌よみに与ふる書」を発表、短歌革新にのり出し、高浜虚子らの「ホトトギス」刊行を支援しています。 晩年は結核が脊椎骨に感染し脊椎カリエスを発症、化膿して骨組織が壊れてしまっていたため歩行困難となりました。およそ7年間の闘病生活の末、34歳で死去。 ■栄養失調が結核を進行させた?……樋口一葉 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学びました。父親の事業の失敗により十七歳で家庭を支えなければならなくなり、小説を書いて糊口をしのぐ生活でした。貧乏に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表し、文壇から絶賛。わずか1年半でこれらの作品を世に送り出しました。 「赤貧洗うがごとし」であったにもかかわらず気位が高く、困った人には姉御肌であったとされています。そのため、借金生活を余儀なくさせられていたようです。生活苦による栄養失調が結核を進行させたと考えられています。24歳で死去。 ■キツツキのように痩せていた!? ……石川啄木 若くして「明星」に詩を発表し、与謝野鉄幹に師事。口語体3行書きの形式で生活を短歌に詠んでいます。「かなしみ」を歌わせると天才的で、多くの若者の心をとらえました。代表作に、評論「時代閉塞の現状」、歌集「一握の砂」「悲しき玩具」、小説「雲は天才である」などがあります。 「啄木」とは「キツツキ」のこと。上京後、栄養失調となり帰省。療養中にキツツキが樹を叩く音を聞いて勇気づけられ、キツツキを意味する「啄木」と雅号。キツツキのように痩せていたことに対する自虐の命名ともいわれています。 啄木はあまりに自分勝手で破天荒な生活を送っており、借金を踏み倒す名人でもあったという一面もあったようです。啄木だけでなく、周囲の母や妻も結核で亡くなっています。26歳で死去。 ■早すぎた天才作曲家の死……滝廉太郎 日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人。今の東京芸術大学音楽部で、極めて優秀な成績を修めたため、卒業と同時に母校に教員に採用され、ドイツへの留学を命ぜられました。 しかし、半年もしない間に結核を発病したため帰国。23歳という若さでそのまま帰らぬ人となりました。代表作に「荒城の月」「箱根八里」「お正月」「雪やこんこん」「鳩ぽっぽ」、ほかに歌曲「四季」などがあります。 ■反動での粗食が病状を悪化……宮沢賢治 詩人・童話作家。花巻で農業指導者として活躍のかたわら創作。自然と農民生活で育まれた独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残しました。代表作に、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「注文の多い料理店」、詩集「春と修羅」があります。 賢治の生家は裕福な質屋であり、「周囲の貧しい人たちから絞りとった利益によって恵まれた生活をしてきたのではないか」という思いに苦しめられていたようです。反動での質素な生活や過労がもとで結核が進行。37歳で死去。 ■結核の悪化でやむなく戦線を離脱……高杉晋作 江戸時代後期の長州藩の志士。幕末期に尊攘・倒幕運動の中心人物として活躍しました。奇兵隊を組織したことで知られています。 長州征伐に来た幕府の軍隊を負かした後、藩の海軍総督に就任するも、激職のオーバーワークにより持病の結核が悪化。喀血がしばしばおこり、体調不良でやむなく戦線を離脱せざるをえなくなりました。療養生活に入るものの病状は改善せず、27歳で死去。 その他の結核を患っていた偉人としては、沖田総司や竹久夢二、堀辰雄、新美南吉などがいます。 ■「2週間以上続く咳」には検査・診察を 結核は、医療が発達し生活水準も高い先進国では患者数の少ない病気です。日本は、韓国や中国などのアジア諸国に比べると低いものの、アメリカやドイツなどの先進国と比較すると、結核にかかる人の比率(罹患率)は4倍ちかくもあります。 日本は人口10万人当たりの患者数が16.1人(平成25年)と高く、いまだに「中蔓延国」に分類されています。他の先進国のように、人口10万人当たりの患者数が10人以下の「低蔓延国」になるには10年以上かかるとされています。 「まさか結核とは……」、多くの患者さんが口にする言葉です。現在でも結核にかかる患者さんは決して少なくはありません。「2週間以上長引く咳や痰」「長引く微熱」「長引く倦怠感」のような症状が続いた場合は、近くの医療機関に相談してみるといいでしょう。
先日亡くなられた愛川欽也さん、最期は病院ではなく自宅で迎えられたことも話題になりましたね。 「在宅死」や延命治療を拒否する「平穏死」は2005年から増加傾向にあるようですが、この増加の背景にはなにがあるのか、医師に解説していただきました。 ■ 自宅 or 病院、あなたはどちらを選ぶ? 厚生労働省によれば、1976年に病院での死亡者の割合が48.3%となり、自宅での死亡者の割合(46.3%)を逆転してから、「在宅死」は減少の一途をたどってきました。 しかし、2005年に12.2%まで下がってからは徐々に上昇し、13年には12.9%にまで増加しました。週刊誌で特集を組まれるなど、世間的に関心が高まったのも背景にあるとみられています。 病院で死ぬというと、体に管を入れられて(スパゲティー症候群)管理され、あんな死に方は絶対したくない、またさせたくない、そんなイメージで受けとめられがちです。そうでなくても、病院や医師の管理下にあって患者本人や家族には自由やプライバシーはほとんどありません。 しかし、そんな病院不信がありながらも、病院にいけば安心するという病院信仰もまた根強く、病院死が全体の80%というのが現状です。 ですが、最期は自宅で迎えたいという「在宅死」や延命治療は拒否する「平穏死」など、自分の最期を選び取ろうとする人が増えているも事実です。 ■ 在宅死のメリットは最後まで自分らしく過ごせること 在宅死を望む方とそのご家族には以下のメリットがあります。 1. 本人が主人公で、自由とプライバシーを持って生を全うできる 2. 看取った家族に心残りがない 3. 社会的な経済効率が良くなる(福祉の仕事の増加が雇用を推進する) 4. 介護や死を通して、ふれあう人達が成長する ですが周囲の協力なくしては困難でもあり、近隣の方や在宅ホスピスなどのチームの支えが必要で、以下のような課題もクリアしなければいけません。 1. 自分の意志を明確にして、周囲に知らせる必要がある 2. 家族や地域の人たちが本人の意思を理解し尊重しようとする 3. ホームヘルパーと看護婦と医師との連携が必要である。 ■ 医師からのアドバイス 今回の愛川欽也さんのケースは、愛川さんは肺がんと診断を受けた後、たっての希望で在宅治療を選んだとされています。 自宅に介護用ベッドなどを運び込み、妻のうつみ宮土理(71)さんが息を引き取るまで看病したということですので、「在宅死」のモデルケースといえるでしょう。 これから近い未来には「在宅一人死」なんてケースも出てくるかもしれません。「孤独死」とは違い、周りの方たちがサポートに入った状態での在宅死です。多種多様化していく最期の時。あなたならどのような最期を選びますか?
仕事で、恋愛で、人間関係で。人生、落ち込むことは多い。問題はそこからどう立ち直り、やる気を出すかということだ。若くしてがんにおかされた山下弘子さん(22)の場合は、こういう方法で前向きになる。 2012年、大学1年の秋。胸の痛みに襲われて病院を受診すると、山下さんの肝臓に巨大ながんが見つかった。 わずか19歳で「余命半年」という宣告。手術で重さ2キロもの腫瘍を摘出した後も、転移や再発、手術を繰り返しながら治療を続けている。それでも、自称「楽観的でポジティブ」な山下さんは明るくてよく笑い、“死の影”は見えない。 落ち込むことはないのだろうか。 「本気で死を感じて絶望したことは、この2年半で4、5回しかありません。最近だと半年前。検査の結果があまり良くなくて、友人との旅行中に大泣きしました。こんなに幸せな時間を二度と体験できなくなるのは嫌だと思ったんです。 落ち込んでいる時は、周りの言葉は耳に入ってこない。なぜなら、自分で落ち込むことを選んでいるからです。でも、ふと立ち止まる瞬間がある。私の場合は、3時間ぐらい泣き続けた後、やっと冷静になれます。 そのときに母が作ってくれる朝食だったり、友人からのメールだったり、周りにある幸せを感じられるようになるんです」 薬の副作用で急激に髪の毛が抜けたときには、悩んでいても仕方ないと、ウィッグを楽しむ方向に転換。そしてナタリー・ポートマンやエマ・ワトソンなど海外有名セレブのかっこいいベリーショートやスキンヘッドの画像を見て、テンションを上げた。 「でも鏡を見るとやっぱり見慣れた自分の顔。100%は立ち直れなかった。 その時に、高校時代の先生が、自身が丸刈りにした写真をフェイスブックでシェアしてくれたんです。写真がすごくいい笑顔で、堂々としていればいいんだと思えるようになりました」 立ち直るきっかけはいつも違う。それでも、自分なりのタイミングがわかれば積極的に幸せなポイントを探すことができる。そのコツに気づいたのは、何度も取材で聞かれて振り返ってみたからでもある。 いまでは、落ち込んだときも頭の片隅で「あ、落ち込んでいるな」と思えて、冷静になった時には全力で幸せを探す。自分の気持ちの変化を少し引いたところから意識してみると、コントロールする糸口が見つかるのだという。
「孤独死」と聞くと、どんな反応をしますか? たいていは拒否、拒絶、「いやだ」、「絶対したくない」……といった反応でしょう。だけど、冷静に考えてみれば、一人暮らしであれば誰でも孤独死する可能性はあるのです。いうなれば、孤独死はありふれたリスクです。ありふれたリスクに対しては「いやだ」、「絶対したくない」と逃げ回るより、リスクの実態を冷静に認識して、合理的な対応を考えておく方が賢いとは思いませんか? それに孤独死はリスクだけではありません。少しばかりはプラス面もあるのです。「孤独死のプラス面? まさか!」と思われますか? まあ、最後まで読んでください。 孤独死のマイナス面 ともあれ、プラス面は最後の楽しみに取っておいて、まずマイナス面を検討しましょう。ほんとうのところ、孤独死の何が困るのでしょうか? 「死ぬことそのものがいやだ」という話は持ち出さないでください。それは「孤独死」というテーマをはみ出す大きすぎる問題です。 「一人で死ぬのはさみしい」……かもしれませんが、考えてみれば病院のベッドで,意識のない状態で点滴やチューブを付けられた中、心電図の波形によって認知される死も、さみしいと言えばさみしいです。あるいは、まだ自分が死ぬ前から相続争いを起こし始めている親族に囲まれて死ぬのは、さみしさを通り越してつらい、くらいでしょう。 では孤独死の究極の問題は何なのでしょうか? わたしがいろんな人の意見やメディアで報じられる情報に基づいて判断するには、孤独死の究極の問題は、「自分の死後、すぐに発見されず何日も、何週間も、場合によっては何カ月も遺骸が放置されること」です。そう思いませんか? 遺骸が何日も何週間も放置され、腐敗し、液状になって畳や床にしみこんでいく。当然、強烈な臭いが発生します。ハエが卵を産み付け、孵化してウジ虫になり、それが成虫となって大量のハエが発生する。死んでしまえば何も分からず何も感じないとはいえ、そんな中に自分の遺骸が放置されるのを想像するのはゾッとするでしょう。さらに言えば、死んでいく本人だけでなく、近隣住民に係わる公衆衛生上の問題でもあります。賃貸住宅であれば、家主にも大きな迷惑と負担をかけます。 これこそが、孤独死の究極の問題なのです。 孤独死の究極の問題の解決策とは? しかし、この究極の問題には対応策があるのです。自分が死んだら、その日のうちか遅くとも翌日くらいに発見される手立てを講じておけば良いのです。 たとえば、「見守りサービス」を利用するのもいいと思います。魔法瓶や電気メーターをセンサーにして、その使用状況がふだんと違っている場合に居住者の異状を疑い、親族や後見人あるいは福祉事務所など、あらかじめ指定された連絡先に情報提供されるというというものです。 そんなハイテクではなくても、宅配弁当や乳製品、新聞などを毎日宅配してもらうサービスもこの目的に使えるのです。 あるいは、一人暮らしの知り合いどうし何人かで、メールやLINEで毎朝「おはよう」メッセージを送りあう約束をしておいてもいいでしょう。メッセージが来ないと、その人に何か起こったかもと判断するのです。こんな対策を講じておけば、孤独死の究極の問題に対応できます。そしてこの問題に対応できれば、そのほかの問題は孤独死に限らずたいていの死に共通する問題ですから、ことさら孤独死を恐れなくてもいいのです。 . 孤独死にもある、プラス面とは? 厚生労働省が毎年行なっている「国民生活基礎調査」によれば、一人所帯は年々増え続け、現在では日本人の9人に1人は一人暮らしです。これは若い人から老人まで合計した全国平均ですから、東京などの大都市圏の高齢者に限れば、65歳以上の3分の1、75歳以上ならほぼ半分が一人暮らしです。一人暮らしの果てに死ねば、それは孤独死。当たり前のことですね。誰の身にも降りかかる可能性のある運命を、ことさらマイナスイメージで語って不安をあおるのは、愚かなことです。むしろ、そこに秘められたプラス面を見つけ出し、その良さを十分に受け入れられるよう、孤独死と向き合って心の準備をしておく方が、賢い態度だと思いませんか? というわけで、最後に孤独死のプラス面を紹介します。 たとえば、誰も悲しませずに済みます。人間、ある程度の年齢になれば、親兄弟、親戚、友人、知人の死に立ち会います。悲しいものですね。死は、死んでいく者よりも残される者にとってこそ悲しい。でも、誰にも知られずひっそり死ねば、誰も悲しませずに済むのです。それは、人生の最後に立派な功徳を積むことになる、と思いませんか? あるいは、突然の葬式で多くの人の仕事や用事の邪魔をせずに済みます。前々から分かっている結婚式と違って、葬式は突然で、時として関係者の生活スケジュールを混乱させます。孤独死なら、生者が死者のために煩わされるというナンセンスを未然に防げます。一人で死ぬのだから、残された者の将来が心配で死んでも死にきれない、ということもありません。心安らかに死ねます。 自分の死後の評判を気にする必要もありません。死んだらすぐに忘れられてしまうのです。誰もその人の悪口を言う人はいません。気楽なものです。つまり、孤独死とは、誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられず、ひっそりと生き、誰の心にも波風を立てず、悲しみを引き起こさず、ちょうど寿命の尽きた樹木が静かに朽ち果てるように、世間の片隅で静かに心安らかに死ぬ。そんな生き方であり、死に方です。歴史をひもとけば,古代ギリシアやローマ(たとえばエピクロス派)、あるいは昔のインド(ブッダとその弟子たち)、そして中国(老子や荘子)の多くの哲人・聖者が理想としたのも、こんな生き方、死に方だったでしょう。 いかがですか? 孤独死にも少しは良いこともあると思えませんか? (心療内科医・松田ゆたか)
医師から突然の余命宣告を受けた時、あなたなら限られた時間で何をしますか? 大切な人たちと過ごす、大好物なものを出来るだけ食べる、思い出の場所を訪れる……。人それぞれ、思い思いの過ごし方があると思います。それらと並行して、遺される方のために、何をすべきか考えてみましょう。 ●何よりも遺言書を作ること まず、もしあなたに多少なりとも財産がある場合、死後の相続に備えて遺言書を作成しておいてはいかがでしょうか。「いやいや、自分には大した価値のある財産なんて無いし、息子や娘たちも仲がいいからそんなことで揉める心配は無いよ。」と思われる方もいらっしゃることでしょう。 でも、現実は意外とそうでもないかもしれません。僕も仕事柄、遺産の揉め事に関与することが有りますが、多くの方が「遺産のことでこんなに揉めるとは思わなかった。」という感想を漏らされます。1年以上、揉め事が終わらないケースも有り得ます。 遺言書さえ作成しておけば、お子さん方にそういった手間をかけることはおよそ無くなります。特に、作成に際し、弁護士等の専門家に関与させれば、ケースに応じて遺言者のニーズにこたえてくれることと思います。是非ご検討ください。 近年、『エンディングノート』という死後のことに備えてご自身の希望などを書き残しておくためのノートも販売されています。そこに書き込んだことが法的拘束力を有するものではありませんが、こういったものを活用することで、ご遺族らの負担を解消する方法もあります。 ●借金がある場合は相続破棄を 借金などの債務が多い方については、ご遺族(相続人)に自分の死後に相続放棄の手続きを取るようにお伝えしておくことも大事なことでしょう。配偶者など、あなたの債務状況等に詳しい方がいればそこまで心配はいらないかもしれませんが、肉親とはいえ、借金など自分の債務に関することはなかなか話しづらい部分もあると思います。 もし、これを放っておくと、相続人が知らぬ間に相続を承認してしまい、あなたの債務を負ってしまう危険性があります。また、第一順位の相続人(通常はあなたからみてお子様)が相続放棄をした場合、次順位の相続人にお鉢が回ってくることになります。相続放棄をしたことは公開されませんので、仮にお子さんが相続放棄をした場合には、次に相続人となる方、さらにその先の方についても注意喚起をしておいてあげるのが親切だと思います。 ●生命保険の受取人を知っていますか? 最後に、少し目先を変えたお話をします。生命保険に加入されている方も大勢いらっしゃると思います。あなたの生命保険について、死後に保険金の受取人となっている方を把握されていますか? ご自身で手続された方なら当然分かっているとは思いますが、お父さん方の中には奥さんに任せっきりでよく分かっていない方も、もしかしたらおられるのではないでしょうか。家庭内にトラブルなどが無ければ特に大きな問題にはならないとは思いますが、生命保険金は得てして大きな金額になりがちです。きちんと確認しておいて、適切な方に受け取らせるように確認しておいた方が良いと思います。 この記事を書いてみて、僕自身、余命宣告を受けたらどうするだろうなと考えてみました。そんな日が来ないに越したことはないのですが、遺される人のためを思って行動するということって、とても大きな愛だなあと思いました。 *著者:弁護士 河野晃 (水田法律相談所。兵庫県姫路市にて活動しております。弁護士生活5年目を迎えた若手(のつもり)弁護士です。弁護士というと敷居が高いと思われがちな職種ですが、お気軽にご相談していただけるような存在になりたいと思っています)
俳優・今井雅之さんが大腸がんで亡くなりました。今井さんががんと診断されたとき、「余命3日」という宣告を受けたと言われています。「余命○か月」という言葉はよく耳にしますが、どのような基準で判断されるのでしょうか? ◆余命宣告は正確ではない? 余命宣告は、病気の治癒のための治療を行うことが難しくなった時になされます。文字通り、「その人があとどれくらい生きることができるのか」を意味しますが、基本的に、宣告通りに亡くなることはあまりありません。 今井雅之さんも、余命3日と言われたのは昨年の11月の時点ですから、実際には宣告を受けてから約半年間は存命だったことになります。 . ◆余命はどのようにして決まるのか 余命は「生存期間」の中央値を取っています。生存期間とは、その病気集団において、50%の患者が亡くなるまでの期間のことです。つまり、同じ病気の100人の患者がいた場合は、50人目が亡くなった時点がその病気の生存期間中央値(=患者の余命)となるのです。 半分の患者が亡くなるまでの期間であり、全患者の平均値ではありません。 当然ながら、その病気の生存期間中央値(余命)が1年だとしても、3年、5年と生きる人が一定数いるのです。末期のがんの患者でも、すべてが5年以内に亡くなるわけではありません。 . ◆余命3日とはどういう状態か では、今井さんが宣告された「余命3日」とはどういう状態なのでしょうか? もはや食べ物を受け付けないとか、呼吸困難になっている、血液データから内臓の機能が極端に低下している、 意識がもうろうとしている──などの末期的な状態に陥れば、余命が数日であることは、医師の経験から予想できます。今井さんの場合も、そうした危機的な徴候が見られたのだと考えられます。 . ◆余命を宣告する意義 しかし、余命はあくまでもデータや経験に基づく予測値であって、実際にその人がいつ亡くなるのかは医師でもわかりません。生存率は、がんの進行具合によってかなりバラツキがあります。 選択される治療法や病気の進行具合、個人差によって、その患者の実際の余命は大きく違ってくるのです。 ならば、なぜそんなあやふやな情報をわざわざ宣告するのかと言えば、あとどれくらい生きられるかのおおよその目安を、本人や周囲の人に知ってもらうという意味合いが大きいと考えられます。 これから何十年も生きるのではなく、数か月後には亡くなってしまう可能性が高いことを意識して過ごすことは、残された時間をより有意義に使うという意味で必要なことだと言えるでしょう。 ◆本人への余命宣告 1990年頃までは、がんは本人には告知しないことが多かったのですが、最近は本人に告げるのが一般化しつつあります。本人が受け入れられないような場合は、家族の意向で本人には隠しておくこともありますが、本人にはっきりと病名と余命を告げるケースが増えています。 現場では、実際の予測よりも余命を短めに宣告する医師が多いようです。これは、宣告された期間よりも長生きすると本人や周囲が前向きになれるからです。 . ◆宣告の問題点 余命を告げることには問題点もあります。治癒するつもりで頑張っていた人が、余命を宣告されて生きる気力を失ってしまう可能性もあるからです。余命宣告したことで、それがどの程度影響するのかがわからないことも多いのです。 一方で、余命を宣告されずに病気と闘い続けて、次第に闘うことが難しくなり、死を悟った時にはもう動くこともできず、思い残したことがたくさんある、というケースも考えられます。 残された時間を使って、ギリギリまで病気と闘うか、それとも人生の「まとめ」に入るかは人それぞれですが、それを考えるうえでは、余命宣告は重要だと言えるでしょう。 執筆:南部洋子(看護師) 監修:岡本良平医師(東京医科歯科大学名誉教授)
先ごろ、オスロ大学がノルウェーのシニア男性5,700人以上を対象に行った調査の報告が、「イギリス・スポーツ医学」誌に発表されました。 その結果、ある習慣を持っている人は、それをしない人より5年長生きするそうです。これは、喫煙者と非喫煙者の差に匹敵します。 その習慣とは、週に3時間運動すること。 「運動が体にいいのは当たり前」と思われるかもしれませんが、この調査は11年間続けられ、運動の時間や頻度も細かく研究しているところが興味深いのです。 ◆軽い運動でも、何歳から始めても効果あり 一番重要なのは、高齢者でも週3時間の運動を継続することです。 68~77歳で、週に1時間以下の軽い運動を行っている人では、特に変化は見られませんでした。 一方、週に6日、30分の運動を行う人は、運動しない人に比べて、調査期間中に亡くなることが4割少なかったそうです。これまで運動していなかった人が始める場合、心強いポイントもふたつあります。 継続して行えば、運動の激しさは関係ないということ。さらに何歳で始めてもいいということです。レポートによれば、平均73歳で始めた人たちにも効果があったそうです。 研究の著者たちは、この結果を踏まえ、高齢者に運動を勧めるキャンペーンを行うべきだと結論しています。 ◆日本のシニアの運動習慣は イギリス政府では公式に、65歳以上の人に週150分の運動を勧めています。 ところが英国心臓財団の調査では、適度な運動を行っていない成人は、ドイツでは26%なのに対し、イギリスでは44%だそうです。 日本の国民栄養調査では、「1回30分以上、週に2回以上、1年以上」運動を継続している人を「運動習慣あり」としています。 平成20年の調査では、運動習慣のある人は60代で男女共約4割、70代では男性の4割、女性の3割。 時間に余裕ができることもあって50代以下に比べて増えていますが、寿命を延ばせるほど運動している人はそのうちどのくらいでしょうか。 ◆政策はあれど、アピール不足 厚生労働省が進めている「健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)」では、高齢者に対しても軽い物なら毎日、下肢や体幹部の筋力トレーニングなら1週間に2回程度といった継続的な運動の目標を定めています。 今回の調査結果と比べるとまだ時間も足りませんが、残念なのは、子供や成人向けにもそれぞれ定められている目標が、あまり広く知られていないのではないかということです。 高齢化が進む日本では、シニアが健康になれば医療費や介護費用の負担も減ります。 健やかな高齢化社会に向けて、特に高齢者にとっての運動の大切さを広め、また老いも若きも日常的に運動ができる社会基盤が広く整備されてほしいものです。 参考: 『BBC』 http://www.bbc.com/news/health-32735723 『健康長寿ネット』 http://www.tyojyu.or.jp/hp/page000000400/hpg000000311.htm 『厚生労働省』 http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/b2.html <監修> 樋口二三男(医学博士)整形外科、産業医
人間の魂は、死んだ後にも存在するのでしょうか? 昔から、人間はこの謎に挑んできました。 人が亡くなると、ガスや水分などが蒸発する以上に体重が減るという報告は19世紀からあり、これが「魂の重さ」ではないかと考えられています。 臨死体験の報告は数多く、そこには大きな共通点があることから、脳科学的に解明しようという動きも盛んです。 ◆20年以上、謎を追う立花隆さん 昨年の9月13日、NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」という番組が放送されました。 1994年に「臨死体験」という著書があるジャーナリストの立花さんは現在、がんを患っていて、死を意識する立場からもう一度、臨死体験を取材したのです。 立花さんは、ハーバード・メディカル・スクールに在籍中に200本以上の論文を発表し、世界的にも認められた脳神経外科医のエベン・アレクサンダー博士に会いに行きました。 以前は臨死体験を否定していた博士は、54歳のときに7日間こん睡状態に陥ったときに鮮明な臨死体験をして、2012年に「プルーフ・オブ・ヘヴン」という本を書きました。 ◆脳科学的には見えないものが見える アレクサンダー博士が自分の昏睡中の7日間の脳の状態を調べたところ、「言語」や「認識」を司る大脳皮質が機能していなかったことが判明しました。この状態では、幻覚を見ることもできなかったのです。 そこで、自分が見たものは死後の世界だと考えました。 向こうの世界で会った女性が、生まれてから一度も顔を見ることもなく亡くなっていた実の妹だとわかり、博士の確信は強まりました。 ◆死後の世界にお国柄はある? 「魂が体から抜け出し、上から自分の体を見下ろしていた」という体験は、国を問わずに報告されています。 「トンネルを抜けると、美しい花畑があり、川が流れていた。その向こうには亡くなった親しい人たちがいて、『まだこちらに来るな』といわれて、意識が戻った」というのが、日本の定番です。 アレクサンダー博士は、暗闇の上に美しい光が見えて、その世界を飛んでいたといいます。 「トンネル」「安らぎ」「亡くなっている親しい人に会う」は多くの民族で共通しています。 現世と彼岸を隔てるのは日本では「三途の川」ですが、アラブ地方では「燃える砂漠」、ポリネシアでは「荒れた海」、スコットランドでは「断崖絶壁」と、違いがあるそうです。 ◆死後の世界の一歩手前 赤川次郎さんの「夢から醒めた夢」は、死後の世界の一歩手前に行った少女を主人公にした子供向けの物語です。 母一人子一人で事故死した少女が、「もう一度お母さんに会って別れを告げたい」というので、一日だけ入れ替わるというお話です。 リアルな臨死体験ではないのですが、命の大切さを伝えてくれる作品です。劇団四季では1987年にミュージカル化して、繰り返し上演されています。機会があれば、ぜひ見ていただきたい作品です。 参考: https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2014058088SA000/ http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/131128_1.html
<ドクター森田の「健康になりなさい!」(32)> 「早起きは三文の徳」といわれますが、なんと「早起きは寿命が縮む」という真逆の結果が、イギリスのオックスフォード大学の研究で判明しました。 朝5時に起き、日課のジョギングを1時間。それから余裕をもって会社に向かい、9時前から仕事に取りかかる-。そんな早起き生活が重大な病気を引き起こし、命取りになることがあるなんて…。 同大の睡眠・概日リズム神経科学研究所名誉研究員ポール・ケリー博士によると、そもそも昔から行われていた「9時から5時まで」という就業時間が、実は人間の体内時計とまったくかみ合っていないといいます。 ケリー博士が世界中のあらゆる人たちの睡眠パターンを分析し、年齢層ごとに適した起床時間と起床後の活動開始時間をはじき出しました。それによると、個人差はあるものの、起床時間は15~30歳の青年期であれば朝9時、31~64歳の壮年期・中年期は8時、65歳以上の高年期では7時だそうです。 起床後の活動開始時間は、青年期が11時から、壮年期・中年期は10時、高年期は9時が最適だといいます。この数値から、すべての年齢層の人で6時前起床はよくないことになります。 米ハーバード大学やネバダ大学などの研究機関でも、早起きが病気のリスクを高めるのではないか、という実証研究が進められています。現時点で、メタボリック症候群や糖尿病、高血圧、さらに重い心筋梗塞や脳卒中、心不全などの循環器疾患、HPA(視床下部-脳下垂体-副腎皮質)機能不全によるうつ病などが判明しています。 早起きすると病気にかかりやすくなるのはなぜ? ケリー博士は、人間の体内時計の「ズレ」が病気の原因になるといいます。体内時計とは、「概日リズム」とも呼ばれる、生物に生まれながらに備わっている生命活動のサイクルのことです。このおかげで人間はもちろん、あらゆる生物は意識しなくても活動と休息(睡眠)を一定のリズムで繰り返すことができています。 ケリー博士は、この体内時計の周期と人間の実生活の行動周期とにズレが生じることが、体に悪影響を及ぼすのだと考えています。そしてそのズレを生む原因が、「早起き」だというのです。体内時計は体のあらゆる部位にありますが、たとえば脳の視交叉上核(しこうさじょうかく)という場所の体内時計が早起きによってズレてしまうと、脳の機能が低下します。それが集中力や記憶力、コミュニケーション能力などの減退を促すのです。 ◆森田豊(もりた・ゆたか)1963年(昭38)6月18日、東京都生まれ。秋田大医学部、東大大学院医学系研究科修了。米ハーバード大専任講師を歴任。現役医師として活躍すると同時に、テレビではコメンテーターのほか、「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)など人気番組の医療監修も数多く務める。著書は「今すぐ『それ』をやめなさい!」(すばる舎)「ダイエットはオーダーメイドしなさい!」(幻冬舎)「ねぎを首に巻くと風邪が治るか?」(角川SSC新書)など。気分転換は週2回のヨガ。
「孤独死」と聞くと、どんな反応をしますか? たいていは拒否、拒絶、「いやだ」、「絶対したくない」……といった反応でしょう。だけど、冷静に考えてみれば、一人暮らしであれば誰でも孤独死する可能性はあるのです。いうなれば、孤独死はありふれたリスクです。ありふれたリスクに対しては「いやだ」、「絶対したくない」と逃げ回るより、リスクの実態を冷静に認識して、合理的な対応を考えておく方が賢いとは思いませんか? それに孤独死はリスクだけではありません。少しばかりはプラス面もあるのです。「孤独死のプラス面? まさか!」と思われますか? まあ、最後まで読んでください。 孤独死のマイナス面 ともあれ、プラス面は最後の楽しみに取っておいて、まずマイナス面を検討しましょう。ほんとうのところ、孤独死の何が困るのでしょうか? 「死ぬことそのものがいやだ」という話は持ち出さないでください。それは「孤独死」というテーマをはみ出す大きすぎる問題です。 「一人で死ぬのはさみしい」……かもしれませんが、考えてみれば病院のベッドで,意識のない状態で点滴やチューブを付けられた中、心電図の波形によって認知される死も、さみしいと言えばさみしいです。あるいは、まだ自分が死ぬ前から相続争いを起こし始めている親族に囲まれて死ぬのは、さみしさを通り越してつらい、くらいでしょう。 では孤独死の究極の問題は何なのでしょうか? わたしがいろんな人の意見やメディアで報じられる情報に基づいて判断するには、孤独死の究極の問題は、 「自分の死後、すぐに発見されず何日も、何週間も、場合によっては何カ月も遺骸が放置されること」です。そう思いませんか? 遺骸が何日も何週間も放置され、腐敗し、液状になって畳や床にしみこんでいく。当然、強烈な臭いが発生します。ハエが卵を産み付け、孵化してウジ虫になり、それが成虫となって大量のハエが発生する。死んでしまえば何も分からず何も感じないとはいえ、そんな中に自分の遺骸が放置されるのを想像するのはゾッとするでしょう。さらに言えば、死んでいく本人だけでなく、近隣住民に係わる公衆衛生上の問題でもあります。賃貸住宅であれば、家主にも大きな迷惑と負担をかけます。 これこそが、孤独死の究極の問題なのです。 孤独死の究極の問題の解決策とは? しかし、この究極の問題には対応策があるのです。自分が死んだら、その日のうちか遅くとも翌日くらいに発見される手立てを講じておけば良いのです。 たとえば、「見守りサービス」を利用するのもいいと思います。魔法瓶や電気メーターをセンサーにして、その使用状況がふだんと違っている場合に居住者の異状を疑い、親族や後見人あるいは福祉事務所など、あらかじめ指定された連絡先に情報提供されるというというものです。 そんなハイテクではなくても、宅配弁当や乳製品、新聞などを毎日宅配してもらうサービスもこの目的に使えるのです。 あるいは、一人暮らしの知り合いどうし何人かで、メールやLINEで毎朝「おはよう」メッセージを送りあう約束をしておいてもいいでしょう。メッセージが来ないと、その人に何か起こったかもと判断するのです。 こんな対策を講じておけば、孤独死の究極の問題に対応できます。そしてこの問題に対応できれば、そのほかの問題は孤独死に限らずたいていの死に共通する問題ですから、ことさら孤独死を恐れなくてもいいのです。 . 孤独死にもある、プラス面とは? 厚生労働省が毎年行なっている「国民生活基礎調査」によれば、一人所帯は年々増え続け、現在では日本人の9人に1人は一人暮らしです。これは若い人から老人まで合計した全国平均ですから、東京などの大都市圏の高齢者に限れば、65歳以上の3分の1、75歳以上ならほぼ半分が一人暮らしです。一人暮らしの果てに死ねば、それは孤独死。当たり前のことですね。誰の身にも降りかかる可能性のある運命を、ことさらマイナスイメージで語って不安をあおるのは、愚かなことです。むしろ、そこに秘められたプラス面を見つけ出し、その良さを十分に受け入れられるよう、孤独死と向き合って心の準備をしておく方が、賢い態度だと思いませんか? というわけで、最後に孤独死のプラス面を紹介します。 たとえば、誰も悲しませずに済みます。人間、ある程度の年齢になれば、親兄弟、親戚、友人、知人の死に立ち会います。悲しいものですね。死は、死んでいく者よりも残される者にとってこそ悲しい。でも、誰にも知られずひっそり死ねば、誰も悲しませずに済むのです。それは、人生の最後に立派な功徳を積むことになる、と思いませんか? あるいは、突然の葬式で多くの人の仕事や用事の邪魔をせずに済みます。前々から分かっている結婚式と違って、葬式は突然で、時として関係者の生活スケジュールを混乱させます。孤独死なら、生者が死者のために煩わされるというナンセンスを未然に防げます。 一人で死ぬのだから、残された者の将来が心配で死んでも死にきれない、ということもありません。心安らかに死ねます。 自分の死後の評判を気にする必要もありません。死んだらすぐに忘れられてしまうのです。誰もその人の悪口を言う人はいません。気楽なものです。 つまり、孤独死とは、誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられず、ひっそりと生き、誰の心にも波風を立てず、悲しみを引き起こさず、ちょうど寿命の尽きた樹木が静かに朽ち果てるように、世間の片隅で静かに心安らかに死ぬ。そんな生き方であり、死に方です。歴史をひもとけば,古代ギリシアやローマ(たとえばエピクロス派)、あるいは昔のインド(ブッダとその弟子たち)、そして中国(老子や荘子)の多くの哲人・聖者が理想としたのも、こんな生き方、死に方だったでしょう。 いかがですか? 孤独死にも少しは良いこともあると思えませんか? (心療内科医・松田ゆたか) 【連載】不幸ではない「孤独死」から、老いと人生を考える
誰にも迷惑をかけず、ひっそりと生き、世間の片隅で静かに心安らかに死ぬ、そんな孤独死。でも今の世の中では、そんな孤独死を遂げるためには、いくつかの準備が必要です。 孤独死の準備として、リヴィング・ウィルの作成 孤独死への準備として、何より先におすすめしたいのが、不要な延命措置をお断りするリヴィング・ウィルの作成です。 病気で回復の見込みはなく、意識さえ失い、植物状態になっても、人工呼吸器や経管栄養などの延命措置によって生き長らえる、そんな状況を望む人はほとんどいません。しかし今の日本の病院では、きちんと意思表示しないと、延命治療を延々と続けられるおそれがあります。 親族がいれば、本人が意識不明になっても、代理で意思表示してくれるという期待もできますが、孤独死予備軍とも言うべき一人暮らしでは、自分で意思表示する文書をあらかじめ用意しておかないといけません。これがリヴィング・ウィルです。 孤独死というと、自分の部屋で心筋梗塞や脳梗塞で突然死というイメージもあります。この場合はリヴィング・ウィルなど要らないのですが、そんな孤独死ばかりではありません。 一人暮らしでも体の具合が悪くて病院を受診することはあるし、そこで重大な病気が発見されてすぐに入院ということもあります。外で倒れて救急車で運ばれることもあります。そういう時、きちんと意思表示しないと、自分の意志に反して延命治療を開始されるおそれもあるのです。そして、いったん始めた延命措置を中止するのはとても難しいのです。まずは望まない延命治療を「やらせないこと」これが何より大事ですから、きちんと意志を文書にしておきましょう。. では、どんな内容の文書を用意しておけばよいのでしょうか? 「日本尊厳死協会」に入会すると規定文面による「尊厳死の宣言書」が送られてきます。 もちろん、できあいの組織に頼らず、自分で作ってもいいのです。その際、次のことを絶対書いておくべきです。 ・ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置は断ること ・ただし苦痛を和らげるための適切で十分な緩和医療は拒否しないこと ・この文書は自分の意志で作成したものであること ・この文書を作成した時点で自分の判断力は健全であったこと 万が一に備えての身辺整理の仕方 さて、リヴィング・ウィルを用意したら、次は万が一に備えて、同じアパートの住人や隣近所、大家さん、友人知人たちに余計な迷惑をかけないよう、身辺整理を進めましょう。自分の死体がゴミ屋敷のように汚く雑然とした部屋に横たわっているのを想像するのは、気分の良いものではありません。後片付けをする人の迷惑も半端じゃありません。死ぬときまでに荷物を減らして、必要最低限のものだけが残された簡素な部屋にしておきましょう。「発つ鳥は跡を濁さず」と言い習わされているではありませんか。 ある程度の年齢(たとえば60歳)を越えたら、食料のように短期間のうちに消費してしまう物だけ買うようにして、家具や衣服やその他もろもろの身の回りの品は買わないで、今あるものを使い尽くす。壊れたり、すり切れたりして使えなくなったら順次捨てていく。そうして物を減らしていくのです。 . 最新流行の生き方「ミニマリズム」がいい切実な理由 必要最小限の物だけで生活するという生き方が「ミニマリズム」として最近話題になっているようですが、きれいに死ぬための準備が結果として最新流行の生き方になるとは、すばらしいことです。これは末期(まつご)の行動の美学、死に際のダンディズムだけではないのです。もっと切実な理由があります。老いを生きるための準備なのです。 年を取れば身体機能は確実に低下します。若い頃は何でもなかった階段の上り下りが難事になり、あわてると転んでケガをする。ケガで済めばいいけれど、骨折して入院したまま寝たきりにもなりかねません。転ぶのは階段だけとは限りません。床に無造作に置いた物につまずいて転ぶこともあります。さらにこんな悲劇もあります。寝室からトイレまでが遠い広い家に住んでいて、夜中にトイレに行こうとして、若い頃のようにサッサと歩けずもたもたしているうちに失禁する。これは自尊心を非常に傷つけます。 こうしたことを考えると、年を取ったら、必要最少限の物しかない小さな部屋でシンプル・ライフを心がけるべきです。 かかりつけ医を作る重要性 そんなシンプル・ライフの果てに死んだら、役所に死亡届が出されます。その際、死亡診断書か死体検案書を添付しないといけません。そして、死亡診断書や死体検案書を書けるのは、医師(例外的な場合には歯科医師も)だけです。 だから、自分のかかりつけ医を作っておきましょう。孤独死が現実味を帯びるくらいの年頃になれば、年に何回かはちょっとした体の不調は起こるものだし、慢性疾患の1つや2つもあるでしょう。受診した折に自分の健康状態や生活状況をきちんと伝えておく方がいい。そして、大家さんなど、自分の死体の第一発見者となりそうな人に、その医者の連絡先を教えておくこと。そうすれば、死亡診断書あるいは死体検案書を書いてくれるでしょう。そうでないと、警察が呼ばれ、監察医による解剖に回されることもあります。 ともかく、無事に死亡届を提出したら、役所から火葬許可証(または埋葬許可証)が交付され、火葬から葬式という段取りになります。どんな葬式を望むのか、きちんと遺言を残しておきましょう。もちろん、式の費用についても。 葬式を望まないという遺言も可能です。わたしはそうするつもりです。遺骨を残さないよう焼ききって灰だけにするゼロ葬です。遺骨がないから,納骨の手間もなく、お墓も要らない。シンプル・ライフの果ての究極のシンプル・デス。これぞ、孤独死にふさわしい遺骸の始末。 もちろん、わたしの趣味をほかの人に押しつけるつもりはありません。孤独死であっても、生前に多少の交友関係があり、友人、知人たちが葬式をしてあげようと申し出てくれるなら、その時は親切をありがたく受取ればいいでしょう。 (心療内科医・松田ゆたか) 【連載】不幸ではない「孤独死」から、老いと人生を考える
この数年、「老後破産」とか「下流老人」ということがメディアで取り上げられるようになりましたが、わたしは常々その取り上げられ方に違和感を覚えます。より正確に言えば、「老後破産しないためには何歳までに何千万の貯蓄が要る」というような論じ方に違和感を覚えます。 「なぜ、今の生活レベルを維持することを前提にして、貯蓄に励めというのだろう? なぜ、収入が減ったなりのつつましい暮らしの中での満足を得るよう気持ちを切り替えよう、とは言わないだろう?」という違和感です。 これまで2回の連載で死に方について書きました。最後に死ぬまでの生き方についても書いておきます。ここでのキーワードは、前回にも出てきた「シンプル・ライフ」に加えて「足るを知る」です。 「あれ」「これ」はほんとうに必要なものなのか? 今の60代あるいはそれ以上の世代は、高度成長前の貧しかった時代を実体験しているはずですし、あの時代、貧しければ貧しいなりに、生活の中でささやかな喜びや幸せを見つけていたはずなのに、何をそんなに恐れなければならないのでしょう? 老後の収入が今より減るとして、それは子どもの頃に返るだけのことではないでしょうか、と腹をくくればずっと気楽に生きられるのに……。この種の議論を目にすると、わたしはいつもそう思います。 一歩身を引いて、落ち着いて考えてみませんか? 「あれがほしい」、「これがほしい」と思っている「あれ」や「これ」は、ほんとうに必要なものなのでしょうか? 「あれ」がなくても、「これ」がなくても人は生きていけるのではないでしょうか? 「あれがほしい」、「これがほしい」と思う欲求は、本当の自分の自然な欲求ではなくて、マーケティングによって操られ、吹き込まれた偽りの欲望ではないのでしょうか? マーケティングの手練手管に操られ、「あれも欲しい、これも欲しい」という欲望に身を任せ、毎月何十万もの生活費が要ると信じ込んだあげくに、老後の生活資金が足りないと不安におびえるのは、冷静に振り返ると滑稽なことではないでしょうか。人はもっとシンプルに生きていけるのです。これはわたしのオリジナルな意見でも何でもありません。2000年以上も前から、エピクロスやブッダや老子、荘子といった人たちが語ってきたことです。 残されたさほど長くない年月を「好きなように生きる」知恵とは? 「禍(わざわい)の最たるは足るを知らざるなり」……。最大の不幸は「これでいい」と満足できないこと。逆から言えば、「足るを知る」、「これでいい」と満足できることが幸せの基本なのです。 そんなシンプル・ライフにあっても、日々の暮らしのいろいろな場面で、ささやかな喜びは感じられます。たとえば、あかね色に染まる夕焼け空を眺めるとき、家のそばの路地で野良猫と遊ぶとき、道路の舗装のすきまから「雑草」と十把一絡げにされる草が名も知れない可憐な花を咲かせているのに気付くとき、喫茶店やファミレスの窓から桜の花が咲いて、やがては散り、若葉が芽生え濃緑に移りゆくさまを眺めているとき、内容の深い本に出合ったとき、部屋でお茶を飲みながら聴き慣れた音楽を聴いているときなど……。 人生の幸せはこんなささやかなものの積み重ねかもしれない、「足るを知る」とはこういう心境かもしれない。こんなふうに思えるのも年を取ったからこそであるなら、老いるのも悪くはありません。 「足るを知る」とは、何もかもじっと我慢する生き方ではありません。むしろ逆に、人生に残されたさほど長くない年月を「好きなように生きる」ための知恵でもあります。 たとえば、事業の発展のため、収入を増やすために、好きでもない人とにこやかに付き合い、無理して人脈を広げる必要はないのです。付き合って楽しい人とだけ付き合えばいい。スキルアップのため、出世のため、知名度を上げるために、好きでもない仕事に打ち込む必要もないのです。心からやりがいのある仕事だけすればいいのです。 社会の反応を気にして、世間の空気を読んで、言いたいことも言わずに我慢する必要もありません。正しいと思うことは正しいと、間違っていると思うことは間違っていると、心おきなく発言していいのです。 こんなふうに好きなように生きて、そのために収入が減ったなら、減った収入の中の「足るを知る」工夫をすればいいのです。まして、孤独死を意識するほどの年齢になれば、未来への投資のために現在を犠牲にする必要はないのです。 あるいはまた、孤独死を意識するほどの年齢になってまで、健康のために好きなことを我慢する必要もありません。 人生の楽しみの中には、健康に良くないものもたくさんあります。タバコ、酒、美食などがその代表でしょうか。しかし、今さら健康に気を配る必要はないでしょう。好きなことをして寿命が1年くらい縮むか、好きなことを我慢して寿命が1年くらい伸びるか、どちらを選んでもいいのです。ましてや孤独死予備軍である一人暮らしの身であれば、「そんなこと、体に毒よ」とお節介なことを言う家族もいないのですから。 3回にわたり孤独死について、そして老後の一人暮らしについて語りました。いかがでしょう? 孤独死も少しばかりは良いものだと分かっていただけたでしょうか?……いや、人が死ぬ話だから「良い」とは言えませんね。それでも孤独死もけっして悪くはない、と思えたのではないかと思います。(心療内科医師・松田ゆたか)
<ドクター森田の「健康になりなさい!」(10)> 男性と恋愛をする時には、その男性がウソをついていないかどうかを見極める能力をもっていることが大切。医学的に検証されている、相手のウソを見抜く方法をお教えしましょう。 ◆まばたきの回数を測れ! 回数が多い人は、ウソをついている。ウソをついている人は、まばたきの回数が多い。カナダ、ウオータールー大学からの研究で平均1分間15~20回で、それ以上、まばたきする人はうそつき。 ◆鼻を触る回数を数えよう ウソをつくと、鼻の温度が上がるんですね。スペイン・グラナダ大学の研究報告(2012年)では、サーモグラフィーを用いて研究したところ「うそをついた時、鼻周辺の温度が上がる」と報告しています。 ウソをつくと、脳の「島(とう)皮質」と呼ばれる部位が活性化して、鼻の温度を高めているということです。これを「ピノキオ効果」と呼んでいます。 また、ウソと鼻の関連性について、こんな研究結果もあるんです。1999年の米国の「嗅覚・味覚研究所」などの研究によると、「ウソをつくと、鼻がふくらみ、触る回数が増える」と報告しています。 これは、「ウソが引き起こすホルモン様作用で、充血して鼻がふくらみ、むずがゆくなるため、鼻を触り罪悪感を表に出してしまう」ということだそうです。 ピノキオは、ウソをつくと、鼻が伸びますが、人はウソをつくと、鼻がふくらむのですね。 ◆森田豊(もりた・ゆたか)1963年(昭38)6月18日、東京都生まれ。秋田大医学部、東大大学院医学系研究科修了。米ハーバード大専任講師を歴任。現役医師として活躍すると同時に、テレビではコメンテーターのほか、「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)など人気番組の医療監修も数多く務める。著書は「今すぐ『それ』をやめなさい!」(すばる舎)「ダイエットはオーダーメイドしなさい!」(幻冬舎)「ねぎを首に巻くと風邪が治るか?」(角川SSC新書)など。気分転換は週2回のヨガ。
タレントの松村邦洋(50)が心肺停止の状態になったのは、2009年の東京マラソンだった。スタートから15キロ地点に差し掛かるところで急性心筋梗塞を発症、AED(自動体外式除細動器)を使った緊急処置で一命を取り留めている。 当時はでっぷりとした体格でマラソンは負荷が大きすぎると思われたが、本人は事前にトレーニングを積んでいてコンディションも悪くなかったという。 もっともマラソンは、必ずしも突然死をしやすいスポーツというわけではない。少し古いデータになるが、東京都監察医務院が1984~88年にかけてスポーツ中の突然死について調べたところ、60歳以上で最も多かったのは、死亡者44人のゲートボールだった。2位は40人のゴルフで、ランニングは18人の3位となっている。 一方で、ランニングを1としたときの相対危険率を見ると、ゲートボールは1.6で、ゴルフはなんと7.9。中高年にとっては止まってボールを打つ方が、走るよりも死亡のリスクが高いのだ。 寺田病院名誉院長で、日本循環器学会認定循環器専門医の澤井廣量氏が言う。 「スポーツ中の急死は、心室性の細動が原因であることが多いですね。心室は、大動脈に血液を送り出すところ。そこが突然、重度の不整脈などによっておかしくなり、血液を送る機能が正常に働かなくなってしまうのです。不整脈を引き起こすのは、急激なストレスによるドキドキ。ゴルフで亡くなる人が多いのは、ティーアップして構えたときやパッティングのときに“失敗するのではないか”“外したくない”とドキドキするからです。ゲートボールも、狙いを定めて打つときに緊張するもの。運動量は少なくても危険はあるのです」 ■運動量の少ないゲートボールも心臓にストレス ゴルフの場合は、寝不足や前夜の酒が残った状態でラウンドすることもめずらしくない。これも心臓にとってはストレスだ。賭けゴルフも、法律的な問題は別にして、オススメできない。 高血圧や糖尿病の持病はもちろん、尿酸値が高いこともリスクファクターといわれている。少なくとも、日頃からまったく運動をしていない人が久しぶりにゴルフをするときは、練習場でボールを打ったり、準備体操で体を動かしたりしてからティーインググラウンドに立つようにした方が賢明だ。 すでにジョギングやウオーキングをしている人は、運動中の脈拍チェックも忘れずに。 「1分間で120回以上になると危険です。100回ぐらいにとどまるようにコントロールしましょう。脈拍は15秒間ぶんを4倍して割り出します。これなら運動中でも数えやすい。安全の目安は、15秒で25回程度になります。また、冬は寒さで血管が収縮しやすいですし、夏は脱水症状で血が濃くなって梗塞を起こしやすい。季節的な要因を頭に入れて対策を考えることも重要ですね」(澤井廣量氏) 健康のためにやる運動で命を落としては元も子もない。
気持ちいい青空の下、緑豊かな芝生の上で思いきりスイング! 昔はおじさんのスポーツのように思われて一時は下火だったゴルフも、最近では若い女性人気を獲得して再び盛り上がりを見せている。読者の中にも仕事の付き合いに日頃のストレス解消にと、ゴルフに出かける事が多いという方もいることだろう。だが、実はこのゴルフが年間200人もの突然死を呼び起こす危険なスポーツだということはご存知だろうか? そのリスクは、あらゆるスポーツの中で一番高いともいわれている。 しかし、そんなに激しい運動も要さないゴルフがそんなにも危険なスポーツだというのには納得がいかない読者も多いだろう。ゴルフの突然死はなぜ起きるのか? ひとつの原因として、ゴルフをプレーする時間帯が挙げられる。ゴルフで起きる突然死の8割以上が心筋梗塞によるものといわれているが、心筋梗塞は起床後2~3時間ほどの間に起きることが多いといわれており、時間帯にして午前8~10時が最も危険な時間帯。朝から始めることの多いゴルフは、その危険な時間帯にプレーしている可能性が高いスポーツなのだ。 さらには、パットなどミスのできない状況での緊張感も要因といわれている。緊張するとアドレナリンなどのホルモンが分泌されて血圧が上昇するため、心拍数も高くなり心臓もドキドキしてくる。さらにはパットに至るまでの過程でボールを追って山を上り下りしているため、ただでさえ心拍数は上がっている。そこに緊張による心拍数の上昇が加わり、心筋梗塞につながってしまうというわけだ。事実、時間帯と緊張感の重なり合う“第1ホールのパット”が特に危険だとする報告もある。 また、夏のゴルフで起こりがちな脱水状態も大きな要因のひとつだ。日差しを遮るものが少ないゴルフ場では、汗をたくさんかくことで脱水状態に陥りやすくなる。さらに、ゴルフ場では昼食などでお酒を飲む人も多いため、アルコールの利尿作用でさらに脱水状態を深刻にしてしまう。その結果、7~8月には脳梗塞や心筋梗塞などの突然死リスクが集中するのだそうだ。 週末のゴルフが唯一の楽しみ、というあなたは、ゴルフだから…とあまり油断しない方がいいかもしれない。
50代を超えても30代に見えるドクター・南雲吉則先生が“がんの余命”について解説します。南雲先生が探求、体現する“アンチエイジング”にとっていちばん必要なものとは? * * * ぼくは乳がんの専門医なので、がんの患者さんたちと余命についてお話ししなければならないこともあるんだけど、もしみなさんがあと3日の命と言われたら、何をしたい? 「おいしいものを食べたい」、「お酒をたくさん飲んで、とことん遊びたい」とか言うんじゃないかな。 実は人間って、3日間くらいの短期間の目標を問われたときには、快楽を求めるんだ。現実から目を背けて、何もかも忘れて快楽に浸りたくなるんだよね。 では次の質問。もし、あと3か月の命だと言われたら何をしたいと思う? 「海外旅行に行きたい」、「温泉に行きたい」、「しばらく会わなかった親戚や友達とも会ってみたい」…。 人間は3か月くらいの中期の目標を求められると、非日常を追求するようになるんだ。日常から逃避して、行ったことのないところで、見たことのないものを見たいと思うんだね。 じゃあ、3番目の質問。もし、あと3年の命と言われたらどうする? 3年間も毎日暴飲暴食したら飽きちゃうよね。3年間、温泉旅行や海外旅行も続かないよね。 そういうのは、たまにあるからいいもので、長期間続けたい“真の目標”ではないんだ。 ぼくが出会った患者さんたちの中で、余命3年と言われた人のほとんどが、こう答えた。 「家族との時間を大切にしたい」、「今の仕事をこのまま続けて、やり遂げたい」。 もっときれいになりたいとか、肌のシミを消したいとかいう人はほとんどいなかったんだ。人間は3年くらいの長期の目標を聞かれると、日常に人生の目標を見いだすんだ。 命が限りないものだと思っていたときには愚痴をこぼしていた家族や仕事が、実はかけがえのないものだったことに、気づくんだね。今のこの人生のためにあなたは今、生きているんだよ。 そう考えたら、家族と一緒に過ごせることに幸せを感じるだろうし、働けることにも幸せを感じられるよね。
ロサンゼルスに住む写真家、アンドリュー・ジョージは彼の著書、『Right Before I Die 』で、死を目の前にする人々最期に語る人々を紹介しています。 若くして末期癌のサラは、病室のベッドでカメラに向かって微笑みながら、こう語ります。 「時間は重要なものです。人生は間違いなく無限ではない。先に何が起こるか分かり得ないし、危険と遭遇しなければならないかもしれない。私は『公平』というものが何なのか考えることができないのです。 公平なんて何の意味も持たない。物事は公平でも不公平でもなく、ただの事実なんです。」 死を恐れていないジョセフィーナ、「私は輪廻転生はないと思ってるの。人間は死んだら終わり。それだけよ。否定したくないけど、私は信じない。塵に変わるだけ」 ルネの最も後悔していることは、娘と絶縁状態にあり、最期に会うことができないことだと言います。 「私が彼女を拒絶してしまったんです。私たちが幸せと呼ぶものとは貢献のことなのではないでしょうか。 その瞬間与えられている現状、今持っているもの全てだと思うのです」 ジョーは筆談で、「私は自分がこの世で一番幸運な男だと思っています。家族に恵まれ、ひ孫にも会えた。これ以上のことを誰が望みますか」と。 自分の癌が進行しているとき、病気の兄と姉を看病していたサリーは、愛の中にいることは最大の幸せである、と述べています。 ジョージ氏は、このように彼らの最期の言葉と写真を集めることで、他の人への助言になるのではないかと考えています。
もし突然、自分の恋人・パートナーが難病になったら?そして「余命2年」と宣告されたらどうしますか? 1963年、イギリスの名門、ケンブリッジ大学の大学院に通う2人の男女。理論物理学を研究する男子学生スティーブンと、スペイン詩を専攻するジェーンは学内のパーティで出会い恋に落ちます。 恋に研究に、順調だったスティーブンの身の上に大きな異変が。なんと、まだ治療法も解明されず難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)にかかっていることが判明。 そして余命は2年と宣告されます。打ちひしがれるスティーブンを見て、ジェーンがとった行動は…? 宇宙論の研究で知られる理論物理学者スティーブン・ホーキング博士と元・妻のジェーンさんとの愛を描いた映画「博士と彼女のセオリー」が今週末13日より公開されます。 ◆パートナーと向き合うということ ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、余命2年と宣告を受けたスティーブンの残された時間を自分が彼を支えようと考え、ジェーンは結婚することを決意します。 その後、子どもにも恵まれ、スティーブンはジェーンの献身的な支えのもと、宇宙のブラックホールに関する画期的な研究で認められます。 余命宣告を乗り越え、生き延び続け、数々の功績を残していくスティーブン。そんなスティーブンを支えるジェーンにとっては、育ち盛りの子どもの育児、介護など、心身ともに疲弊していき、限界を迎えます。 その後、夫婦を支える第3者の存在により、物語は展開を迎えますが、この物語は決して、「難病を抱えながらも偉大な功績を残した博士とそれを支えた妻」という単純なストーリではありません。 パートナーとの恋愛関係や夫婦関係において、誰にでもおこりうる葛藤や苦悩がしっかり描かれています。 フィクションであれば、ハッピーエンドで終わることもできますが、この物語は実話を元にしています。 本作のモデルとなったホーキング博士と妻ジェーンさんの間には3人の子どもがいます。そして現在は離婚し、お互いに別の人と再婚をしています。 ◆ホーキング博士がかかったALS(筋委縮性側索硬化症)とはどんな病気? 自分の思い通りに身体を動かす筋肉を「随意筋」、随意筋を動かす神経を「運動ニューロン(神経細胞)」といいます。運動ニューロンは、いろいろな動作をする場合、脳の命令を筋肉に伝える役目をしています。 ALS(筋委縮性側索硬化症)は、運動ニューロンが侵される難病です。 筋肉までの信号が伝わらず、筋肉を動かすことができなくなり、筋肉がやせ細っていきます。運動ニューロン以外の、感覚神経や自律神経、脳の高度な機能などは、ほとんど障害されません。 また、心臓、胃や腸は不随意筋で構成され、ALSで侵されることはありません。ただし、呼吸は、自律神経と随意筋の呼吸筋との両方が関係するので、呼吸筋が次第に弱くなって呼吸困難になっていきます。 原因はよくわかっていませんが、遺伝子異常が見つかっているケースもあります。 ◆「生き方が問われる」難病ALS 2014年にはALS患者の実話をもとにしたドラマもありましたし、またはアメリカALS協会に寄付をする運動アイス・バケツ・チャレンジも話題になりました。72歳のホーキング博士にもアイスバケットチャレンジの依頼が舞い込み、3人の子どもさんが父親の代わりに氷水を頭からかぶったとのことです。 本人も多くの苦難があり、周囲の人たちも一生懸命支えている「生き方が問われる」難病でもあります。 そんな中、難病をかかえ、死と隣り合わせに生きるホーキング博士の「どんなに困難な人生でも命ある限り希望はある」という言葉は、深く心に刺さります。 日頃は忘れていまいがちな、限りある時間やパートナーとの関係。本当はどれだけ貴重なものかということを、今週末劇場で再確認してみてはいかがでしょうか。 配給:東宝東和 公式サイト「博士と彼女のセオリー」:http://hakase.link/
突然ですが、みなさんキス、してますか? マイナビニュースが既婚女性200人に対して行った調査では、夫とキスする人が64.5%。定番は「いってらっしゃい」「いってきます」のとき。 毎朝愛情を確認している人も多いとのことで、「正直面倒くさい」「習慣で」という声も一部であがっているようです。 ちなみに科学的には、キスで幸福感をもたらすエンドルフィンが増加、さらにリラックス効果のあるオキシトシンが増えるなどといわれています。 ◆キスは男性の寿命も延ばす 舌を絡ませるディープキスは顔の30以上の筋肉を使うので、表情筋を鍛える効果もあります。小顔にあこがれる人にも朗報かも。毎朝キスしている男性は、そうでない男性より5年は長生きするということです。 キスは、手軽なスキンシップ。さりげなく誘ったり、サプライズでこちらからキスをするのもオススメ。 ◆キスの癒し効果 キスによってオキシトシンやエンドルフィンが増えるだけでなく、唾液を交換することで愛情を高めるドーパミンも増加するそう。1日あたりのキスの回数という統計もあって、1位はインドの17.4回、2位はドイツの11.4回、3位がスウェーデンの8.8回です。 日本は0.5回で、調査対象の30カ国中最下位という結果になっています。気になるのは、夫婦の会話時間も短いこと。その時間なんと日本は53分で、50か国中48位。 もしかして、キスしないことがコミュニケーション不足につながっているのかも!? 参考: マイナビニュース「夫婦でキスはしますか」 http://news.mynavi.jp/news/2014/12/09/043/
女性であれば誰しも、ダイエットと美肌は常に心がけているはず。さらに働き女子ともなれば、仕事の疲れをできるだけ早く取りたいものだ。 とはいえ、なかなか仕事を休むことができない働き女子にとっては、体調管理も一苦労だろう。そんな働き女子にぴったりなのが、じつは“レモン水”である。 日本でも大人気のモデル、ミランダ・カーが産後ダイエット中に毎朝レモン水を飲み続け、ダイエットに成功したということから話題になっている。そんなレモン水は、働き女子にとって嬉しい効果がたくさんあるのだ。 そこで今回は、英語圏のライフスタイル情報サイト『Lifehack』の記事を参考に、働き女子のわがままを叶えるレモン水の効果を4つご紹介しよう。 ■1:ダイエット効果 レモン果汁には脂肪の吸収を抑制する効果があることがわかっているという。 また、含まれているクエン酸が代謝機能をアップしてくれるため、脂肪燃焼効果も期待できるのだ。とくに朝に摂ると、その日一日の消費カロリーを上げてくれるとのこと。 さらに利尿効果もあるレモン水は、血液中の老廃物や余分な水分も尿として排出してくれる。体の循環を良くすることで、内側からキレイになれるということだ。 ■2:食欲抑制 レモン水を一度飲んでみると、食欲があまり湧かないことに気付くだろう。レモンの酸味と、食物繊維がお腹に満腹感を与え、食欲をセーブしてくれるのだ。 ダイエットといえば、食べたいものを我慢してイライラする……なんてことが当たり前のように思われてきたが、そもそも食欲が湧かなければイライラも少ない。 朝だけでなく、日中でも少しお腹が減ったなと思う時には、レモン水を飲むのがオススメだ。 ■3:美肌効果 レモンといえば、ビタミンCが豊富なことで知られている。ビタミンCには吹き出物をおさえたり、たるみやシワなど、肌の老化を防いでくれる効果がある。 レモンの美肌効果はビタミンCだけではない。ぷるぷるに潤った肌に欠かせない、コラーゲンの生成を促す成分も含まれているため、肌にハリや弾力が生まれるのだ。 ローズヒップティーやアセロラなどにもビタミンCは含まれているが、肌細胞にコーラゲン生成を働きかけるこの成分は、レモンに最も多く含まれているといわれている。 ■4:免疫力アップ レモンに含まれるクエン酸には、疲労回復とともに、免疫力アップの効果がある。また、血液をサラサラにしてくれるレモンの成分は、心筋梗塞・脳梗塞などの予防にも繋がるという。 意外と知られていないが、レモンはカルシウムも多く含んでいるので、骨を強くし、骨粗しょう症の予防にも効果的なのだそうだ。 以上、今回はレモン水の効能4つをご紹介したが、いかがだっただろうか? レモン水の作り方は、コップ一杯の水か白湯に、レモン半分の果汁を絞って入れるだけ。朝一杯のコーヒーを、明日からはレモン水に代えてみよう。爽やかなレモンの香りとともに、清々しく一日を過ごせるだろう。
日本生まれ日本育ちのシャムレッフェル・レックスさん(63)は4年前、ステージⅣの腎臓がんが見つかり、「余命半年」と宣告された。しかし、写真の通り、末期のがん患者とは到底思えないほど元気でイキイキした日々を送っている。「医師が知らない余命を延ばすがん養生生活」(三交社)をまとめたレックスさんに体験談を聞いた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ステージⅣの腎臓がんだと分かり、僕はウィキペディアで5年生存率を調べました。不思議なことに日本語では出てこなくて、英語にして初めて「4.6%」と知りました。「余命半年」というのは完全な死の宣告だと思っていたので、「4.6%は5年間生きている。そういう人は何をしたのか?」と思ったんです。 しかし、亀田総合病院(千葉・鴨川)の担当医に聞くと、「データがありません」。そこで「先生の患者さんで5年生存の人は何人いますか?」と尋ね直すと、「一人もいません」とのことでした。その時、僕は、「医師の言う通りの治療を受けたら、5年はもたない」という結論を出しました。 診断時、腎臓がんは7.5センチ。転移もあり、手術や放射線治療は適応ではなく、「すぐ抗がん剤を」と言われていました。しかし、その副作用は強烈で、わずか2週間で車イスに。副作用を止める薬も次々に処方される。 これでは、がんがよくなる前に肝機能がやられ死んでしまうと思いました。「医師の言う通りの治療だけを受けていたら……」という思いもあり、国内外からさまざまな情報を集め、実践することにしたのです。 そのひとつが断食です。ある資料によれば、栄養がなくなると、からだは生きるために自分のからだを食べる。最初は脂肪、次に筋肉組織、その後は胃腸など組織や臓器など。そんな時、がんを食べ残すわけがないと考えたのです。 断食は最初から実に快適で、体調がよくなった。断食期間を延ばすほどに、ますますよくなり、僕は断食に味をしめたのです。 その時、断食道場の先生から「抗がん剤は少量なら免疫力を刺激して好ましい反応を引き起こす」と聞きました。少量とは、「難しいが、副作用が出ない程度が目安」。 ■がん細胞が中から死滅 それまで得た情報ではすべて、抗がん剤を続けなさいか、一切やめなさいでした。でも、僕は西洋医学も東洋医学もうまく活用してがんと闘いたい。そこで、抗がん剤を副作用が出ない程度に減らすことにしたんです。 最終的に4分の1程度にしたら、副作用が出なくなった。検査では抗がん剤の効果が保たれている。本来、抗がん剤は4~5カ月で効かなくなってがんが大きくなるのに、僕の場合は2年半継続して効いています。 この4年間、得た情報でよさそうだと思ったものはすべて試してきました。3カ月間集中して試し、合っていると思えば続け、そうじゃなければ別のことを取り入れる。 今は糖質を取らず、天然のタンパク質や脂肪を多く取る「ケトン食療法」で、効果を得ています。糖質ががんのエサになるので断つのです。これが非常にいい感触で、昨年秋の段階では、CTスキャンで見た腫瘍の内部は黒くなり、がん細胞が中から死に始めている状態でした。 がんの内容は人それぞれ。僕に合うものがみんなに合うとは限らないし、逆も言えます。でも、この体験をいろんな人に伝えたい。そう思って学んで癒やせる健康ホテルを伊東に建てました。 毎月第2火曜日には「健康セミナー」、毎月第2土曜日には「がんセミナー」を行っています。「がん患者には見えない」とよく言われるんですよ。
「私は11月1日に死にます」。動画共有サイト「YouTube」に投稿した動画で、自ら死を選ぶと告白し、その通りに29歳で命を絶った米国人女性、ブリタニー・メイナードさん。彼女の行動は世界中で大きな議論を呼んだ。 メイナードさんは、今年1月に末期の悪性脳腫瘍と診断され、医師から余命半年と宣告された。治療法も無く、激しい頭痛に苦しめられるなかで、メイナードさんは「尊厳死」を決意。家族とともに、尊厳死が法律で認められているオレゴン州に引っ越した。 オレゴン州の法律では、余命6か月未満で責任能力のある末期患者が、医師から処方された薬を自分で投与することで死を選択することを認めている。メイナードさんは、予告していた11月1日に、自宅で家族に見守られる中、医師が処方した薬を服用して亡くなった。 メイナードさんの告白は、日本でも多くの議論を巻き起こした。日本でも不治の病に苦しむ人は、メイナードさんのような方法で、死を選ぶことが可能だろうか。終末医療の問題にくわしい佐々木泉顕弁護士に聞いた。 ●医師は「自殺幇助罪」になる可能性がある 「医師が積極的安楽死に関与したケースの裁判として、日本では1995年3月28日に横浜地裁が下した『東海大安楽死事件』の判決があります。この判決では、死期を早める措置である安楽死を、『積極的安楽死』と『間接的安楽死』、『消極的安楽死』の3つに分類しています。 積極的安楽死は、耐え難い苦痛を伴う疾患の患者を、その要求に基づいて死に至らしめることです。 今回、メイナードさんの事例は、医師が死ぬために薬物を処方し、それを患者が使用したというケースですから、この『積極的安楽死』にあたるケースです」 日本でも、許されるのだろうか? 「もしこれが日本だったなら、薬物を処方した医師は『自殺を助けた』として、刑法202条の自殺幇助罪に問われることになるでしょう。 さきの判決によれば、医師の責任が否定されるためには、『患者に耐え難い肉体的苦痛が存在すること』や『患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと』などが必要です。 もし、今回の事例が日本で実施されたとすれば、医師は間違いなく有罪となるでしょう」 日本では、安楽死は一切、認められないのだろうか? 「末期患者の延命治療を中止したり、または、治療をしないことで死期を早めるという『消極的安楽死』や、末期患者の苦痛を和らげる治療を行ったことによって、結果的に患者の死期を早めてしまう『間接的安楽死』については、積極的安楽死とは別だと考えられています。 なお日本では、一般に『消極的安楽死』のことを尊厳死と呼んでいます。アメリカとは言葉の定義が違います これらの消極的・間接的安楽死については、厚労省が2007年に出した終末医療についてのガイドラインでも触れられており、日本でも行われていますが、いまのところ法的な見解は統一されていませんし、法制化もされていません」 ●法制化がされていない、ということは・・・ 「したがって、安楽死・尊厳死に関与した医師は、たとえガイドライン通りに対処したとしても、刑事責任を問われる可能性が否定できません。 たとえば、2009年に最高裁判決が出た『川崎協同病院事件』の医師のように、殺人罪等の刑事責任を問われる可能性があるのが現状です」 佐々木弁護士はこのように述べていた。 簡単に結論が出る問題ではないだろうが、しっかりと議論をして、法律の整備を進めていくべき問題だと言えそうだ。 【取材協力弁護士】佐々木 泉顕(ささき・もとあき) 平成元年弁護士登録、札幌市医師会、終末期医療に関する実績全国屈指の東札幌病院ほか多数の医療機関の顧問弁護士をつとめ、終末期医療に携わる医師の法的リスクについて警鐘を鳴らしている。 事務所URL:http://www.sasaki-law.jp/
男性と女性で、平均寿命に違いがあるのをご存知でしょうか? 米 国疾病予防管理センターのレポートによると、米国で2012年に生まれた女児の予想平均寿命は81.2歳であるのに対し、男児は76.4歳と5年も平均寿命に男女差異が出ています。 日本でも、平成21年の厚生労働省調査によると、平成20年の男性平均寿命は79.59年、女性は86.44年と7歳程度も男性の方が短命です。この寿命の男女差異はどうして起こるのかみてみましょう。 ◆男性が早死する5つの理由 米国ABC社10月22日記事で、Columbia University College of Physicians and SurgeonsのLegato教授は、5つの理由を挙げています。 ・男性は、出生前の成長が女性より遅いために、色々な病気にかかりやすい。 ・リスクを処理する前頭葉の発達が、男性は、女性に比べて遅いので、不慮の事故に遭いやすい。(つまり男性は向う見ずな行動を取りやすい) ・主要な死因の一つである心臓病の発症年齢が女性の方が10年も遅い。 この発症年齢の違いは、女性ホルモンの一つであるエストロゲンの分泌が血管を柔軟かつ強くすることに対して効果がある事に起因する。 ・男性は色々なものを心に溜めこみやすい。 2010年のブリガムヤング大学の研究で、社会的なつながりを多く持っている人は、そうでない人より、死亡する可能性が低くなるとの結果がでているが、Legato教授によれば、男性は、悩みやストレスを胸の内に隠す傾向が強く、友達に話をしてストレスを解消する傾向が強い女性と比べると、短命になりがち。 ・男性は、女性より病院に行く頻度が24%も少なく、コレステロール検査を避けようとする人は女性より22%も多い。 Legato教授が語るには、男性は、何か病気に罹っている事が見つかるのが嫌なため、病院に行きたくない。そこで、解決策として、病気の可能性自体を否定しようとする傾向が強い…とのこと。 ◆こんなことも寿命に男女差が出る理由かも? この記事では、指摘されていませんが、以下も寿命の男女差異の原因と考えられています。 ・女性の方が基礎代謝量は少なく、省エネで生きていける効率が良いカラダをしている。(通常、代謝と寿命は反比例の関係) ・男性ホルモンには免疫力を抑制する作用がある。(去勢した動物は長生きするという研究結果がある) ・脳の容積は年齢が進むと小さくなるが、女性の方が萎縮は少ない。 ・特に日本では、これまで「男は働いて妻子を養う」という風潮が強かったので、結果として、過労、ストレス、食生活の乱れでの生活習慣病に罹りやすい。 . ◆長生きの秘訣は●●を見つけること!? Legato教授は、こうまとめています。 「男性は、生物学的にみても、社会学的にみても女性と比較して不利である」 まさに男性にとっては、踏んだり蹴ったりの結果なのですが、もう一つ男性にとって、Legato教授から重要なコメントがありました。 「多くの研究結果が、結婚をしている男性は、より健康で、より長生き出来る事を示している」 長く生きる能力という点では、生まれながらに生物学的&社会学的ハンディキャップを背負っている男性の皆さん、長生きしたかったら、まずは良き人生の伴侶を見つけましょう!?
二足歩行の生物でありながら、一日に何時間も椅子に座り、デスクワークに追われることの多い現代人。肩こり、腰痛、運動不足など、座りっぱなしのデメリットは以前から言われているが、最近、座り続けること自体が人間の寿命を縮める可能性が示されてしまった。 この発表をしたのは、スウェーデン・カロリンスカ医学大学のマイ・リス・ヘレニウス教授率いる研究チーム。最新の医学研究で「座って過ごす時間が短い人ほど、遺伝子のテロメアが長い」ことを発見したのだ。 テロメアとは、染色体の一番端にある特殊な構造体。DNAの分解や修復から染色体を保護し、遺伝情報の異常な融合を防ぐストッパーのような役割を果たしているため、長いほど遺伝子が劣化しにくく、体の若さが保たれる。 生まれたばかりの赤ちゃんの時が一番長く、細胞が分裂するたびに短くなっていき、ある一定の長さ以下になると細胞分裂そのものが止まってしまう。 これまでもテロメアの長さと長寿の関係は研究されてきたが、テロメアの短縮を遅らせるのに効果的な活動や、ライフスタイルについてはよくわかっていなかった。 ●運動の量よりも立つことが肝心 そこで教授の研究チームは、60代後半の肥満気味で座っていることの多い49人の被験者を、6カ月間運動するグループとしないグループに分け、血液細胞のテロメアの長さを測定。その間は、日記と歩数計によって被験者の運動レベルと「座っていた時間」も記録した。 その結果、運動を続けたグループは、体重、体脂肪、血糖値などの健康レベルを示す数値が改善したものの、エクササイズのレベルとテロメアの長さに関係性は見つからなかった。 一方、被験者が座っていた時間を基準にデータを分析すると、明らかに短い人ほどテロメアが長くなるという関係性が見られたという。もっと大規模な調査で確かめる必要はあるが、この結果は、運動時間を増やすことよりも、座っている時間を減らすことが、テロメアの長さを伸ばすことを示唆している。 現代は、適度な運動と健康との関係がすっかり認知され、いわゆる「エクササイズ」に時間を費やす人は、以前よりずっと増えているかもしれない。しかし依然として多くの人は毎日を座って過ごす。「この時代にあっては運動不足だけでなく、座りがちな生活こそ新たな健康への脅威だ」と、ヘレニウス教授は警告している。 これを聞いてうろたえたデスクワーカーもいるかと思うが、でもちょっと発想を転換してみよう。一日のうちで少しでも立つ時間を増やす工夫をすることは、新たにジョギングを始めるよりもずっと簡単なのだ。 ときにノートパソコンをカウンターに置き、立って作業してみたり、スタンドのお店でお茶や食事をしたり、読書をしてもいい。まとまった時間をつくって運動をするより、少しずつでも席を立って体を動かすほうが、座りっぱなしの生活の弊害を緩和するのに効果的だという報告もいくつかある。 「座って過ごす時間を分割することが重要。30分ごとに1~2分の休憩を取って椅子を離れるようにしてみてください」と、先の論文にも掲載されている。テロメアを伸ばして長生きをしたいなら、まずはヘレニウス先生のアドバイスを実行してみてはどうだろうか。
私たちの身の回りには常に健康にまつわる情報があふれている。 「○○は健康にいい」とか、「××は体に害だ」とか、「△△は健康に悪い」など、「本当なのか?」と疑う時間もないくらい次々と健康にまつわるコンテンツが繰り出され、踊らされている。健康欲は際限もなく膨らみ、程度を知らない。しかし、世界一の長寿国を達成した今、これ以上何を望むというのか? 武蔵国分寺公園クリニックの院長である名郷直樹氏が執筆した『「健康第一」は間違っている』(筑摩書房/刊)は、そんな問いかけからはじまり、「健康」「長生き」ということを議論の俎上に乗せ、膨大なデータを噛み砕き医療のあり方を問い直していく一冊だ。 今回、新刊JPは本書について名郷氏にインタビューを行い、本書に込めた意図をお話してもらった。その後編をお伝えする。 ■健康寿命70代前半の時代に、70代をどう生きるか ――お聞きしたいことのもう一つは、健康と不健康の「境界」についてです。この本でもテーマの一つになっていますが、どこからどこまでが健康でどこからが不健康かというその境界がどこにあるのかは悩むところだと思います。 その一つの基準となるのが、健康診断で出てくるような数値だと思うのですが、名郷さんはこの「境界」についてどのように捉えていらっしゃいますか? 名郷:この本にも書いてあるように、実は境界というものはないように思います。例えば収縮期血圧が140を超えると高血圧だと言われていますよね。でも、140というのは平均値に近い値ですから、140付近の数値になる人って非常に多いんです。 そういった状態で、140以上と以下を比べても、あまり変わらないという結果になってしまう。もちろん収縮期血圧が180というような高い数値を境目すると、結果は変わってきます。これはつまり、多くの人の場合、血圧が基準値よりも少し上回るくらいならば慌てなくてもいいということです。 140以上だから薬を飲まないといけないというわけではなく、個人の生き方として、もっといろいろな選択肢を持つべきだと思うんですね。健康診断などの基準は個人と関係なく決められるものですから、極端な数値が出てしまったときを除けば、基準値周辺のわずかな異常で、基準に振り回されるのは、血圧自体よりも不安な気持ちが逆に負担になります。 また、血圧は変動しやすいもいのですから、例えば15分安静で計測したデータと、5分安静のデータでは異なります。さらに2回測って平均をとる、もしくは2回目のデータを採用するとか、どういうシチュエーションで血圧を測るかというタイミングによっても変わってきます。 定期診断の場合、流れ作業的にだいたい1回か2回計測して終わりだと思いますが、そのようにして計測されたデータはそもそも基準を当てはめることはできないのです。ちゃんと計測するのであれば、自宅で毎日5分以上の安静で同じ時間に血圧を測るとか、そういうことが必要になります。 ――ただ、私たちが自分で健康か不健康か判断つかない以上、定期健診の基準値はある一つの大きな指標です。 名郷:おそらく、指標から外れてしまったその先に、不健康や病気になること、そして死ぬことが怖いという感情があるんですよね。お子さんや若い方、働き盛りの方は自分自身のこれからの人生であったり、家族の人生もあるわけで、そのために健康を追求するのが自然だと思います。その指標に対して一喜一憂するのは分かります。 ただ、一つ頭に入れておいてほしいのは、健康というのは年齢とともに少しずつ失われていくものです。生まれたときが一番余命は長い。体力も少しずつ衰えていきますし、年齢による死亡率も少しずつ高くなって、だいたい70歳を過ぎるころから急速に高くなり、80代でそのピークがきます。 ある病気を患っても、別の要因で亡くなることも多くなる。ならば、ある程度高齢になったらもういいじゃないか、と。 ――先ほど、高齢者に向けて書かれたというお話でしたが、自分の生き方を見直そうというメッセージが込められています。 名郷:そういう意味では高齢者だけでなく、50代や60代の方々にこそ読んでほしい本ですね。これから70代をどう生きますか? と問いかけたいんです。健康ばかりに気を使いすぎていませんか? と。もちろん若い世代の方にも読んでほしいです。自分がこれからどうなっていくのか、親世代のことについて想いを張り巡らせることもあるでしょう。 また、もう一つ重要なことがあって、これは医者側の問題なのですが、例えば高血圧になってしまったとき「血圧を下げる」ことは確かに重要です。でも、それは決して「血圧を下げればいい」というだけではありません。 本来は、脳卒中を減らすにはどうすべきか、心筋梗塞を減らすにはどうすべきかという課題の中で、高血圧が一つの要素として出てくるのですね。 糖尿や喫煙習慣、肥満など様々な要因が組み合わさっている中で脳卒中などの合併症が出てしまうものなので、本来はすごく複雑です。医者の中には「薬を出して血圧を下げればいい」とだけ思っている人もいるのは確かで、でも、薬で血圧を下げればいいというだけではありません。 ――薬を処方しない医者や薬剤師というような方々がいらっしゃいますが、薬を処方しないでいたら病気が進行してしまったというケースもあると思うんですね。 名郷:もちろんその責任は負わないといけません。ただ、そこまで厳しくする必要がないと思われるような状況で、厳しいことを言われて不安になることに対しても責任を負わなければいけないはずです。 厳しく生活管理をされて、脳卒中や心筋梗塞が減ればいいのですが、実はデータを見ると本当にそれに見合った効果があるのか…ということもあります。 薬を出す場合にも出さない場合にも医師として一人ひとりの患者と向き合い、その患者の人生に対して責任を負う覚悟が必要なんです。薬を出していれば責任をとる必要がないというのは、実は無責任というほかありません。 ――名郷さんが医者として大事にしていることはなんですか? 名郷:よく勉強し、その勉強の結果を説明し、個々の患者さんに合わせて実際に利用すること。それに尽きますね。 ――少し話は逸れますが、名郷さんが以前ツイッターで「風邪の診療に必要なのは、風邪の特効薬ではなく、風邪で休める世の中だと思う」とつぶやかれていたのを拝見して、その通りだなと。「健康になりたい!」とみんなが望むわりには、社会が健康体でいられるような環境を提供してくれないように感じています。労働も、食事も含めて。 名郷:これは本当にそうなんですよね。健康を損なうことが、社会からの排除につながるのが一番の問題です。例えばもしがんになったとしても、仕事をやめないといけなくなったり、寛解したら復帰できたりするような環境ができないといけないように思います。 ――では、最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。 名郷:生きる上で重要なことはたくさんありますが、健康が一番ではなく、重要なことの一つだと私は思っています。健康に気を使うあまり他の欲望を抑えつけすぎていては、楽しむことはできません。健康欲の支配から脱して、自分の生き方を考えてみるきっかけになれば幸いです。
◆余命宣告をされたとき、人の気持ちはどうなる? 人生のあらゆる局面で「ショックなこと」は起こります。なかでも、一番ショックなこととは、「自分の命が残り少ない」と知るときでしょう。多くの人は死を忌み、普段はなるべく考えないようにして生きています。しかし、「死」は確実に誰にでも訪れます。その死が目前に迫ったとき、私たちはどんな行動をとるのでしょうか? アメリカの精神科医師であるキューブラー・ロスは、著書『死ぬ瞬間』の中で、自らの臨床研究で余命を知った多くの患者たちが、次のような5つの心理的プロセスをたどったと伝えました。これは、後に『受容のプロセス』として呼ばれるようになりました。要約すると、次のような内容になります。 1.否認と隔離 死が近いと知ると非常に大きなショックを受け、「そんなことありえない!」「何かの間違いに決まっている」と否認する。また、孤立してコミュニケーションを避けるようになる。 2.怒り 「どうして私だけがこんな目にあわなければならないの!」「なぜあの人は元気なのに、私だけが!!」というように怒りの感情が噴出する。そして、見るもの聞くもの、あらゆるものに対して怒りを感じ、その感情を周囲にもぶつける。 3.取引 何かを条件にすることで、延命や回復の奇跡を期待する。神にすがったり、何かのよい行いをすることで奇跡を得ようとする。「もう一度だけ○○ができれば、運命を受け入れます」などと、期限を条件に願いをかけることもある。 4.抑うつ 死を避けることができないと知り、さらに病気の症状が悪化して衰弱してくると、絶望的になって非常に強く落ち込む。命とともに、築いてきたものをすべて失う喪失感が襲い、悲しみの底に沈む。 5.受容 体は衰弱しきり、感情はほとんどなくなる。誰かと話したいという気持ちもなくなり、自らの死の運命をそっと静かに受け入れ、最後のときを穏やかに過ごそうとする。迫りくる死の運命を知ると、衝撃、怒り、期待、絶望といった感情が噴き出します。しかし、最後のときにはそうした一切の激しい感情から解き放たれ、静かに自分の運命を受け入れる、とロスは説きました。 後年、こうした心理的プロセスは、「障害」の事実を知ったときにも現れると考えられるようになりました。それが、「障害受容のプロセス」と呼ばれるものです。 ◆障害の事実を知ったとき、人の気持ちはどうなる? 自分自身や家族、パートナーなどが、病気や事故の後遺症によって、または生まれつき「障害」があると知ったとき、その事実を受け入れるまでには、次のような5つの心理的プロセスをたどると考えられています。社会福祉や障害者福祉に携わる人に知られる「障害受容のプロセス」です。 分かりやすくまとめると、次のような内容になります。 1. ショック期 事実を知ってショックを受け、なすすべもなく呆然とする。 2. 否認期 「そんなわけない!」などと強く否定し、認めたくないという気持ちになる。 3. 混乱期 否認できない事実と受け止め、怒りや悲しみで心が満たされ、強く落ち込む。 4. 解決への努力期 感情的になっても何も変わらないと知り、前向きな解決に向かって努力しようとする。 5. 受容期 価値観が変わり、障害を持って生きる自分自身を前向きに捉えるようになる。 「受容のプロセス」と同じように、事実を知った後はしばらくの間、複雑な感情が激しく噴出します。しかし、その感情を十分に経験した後に、冷静になって現状を受け入れるように変遷していきます。 もちろん、すべての人が同じような心理的プロセスを経験するわけではありません。しかし、多くの当事者にこうした心境の変遷が現れると考えられています。 . ◆支える側の複雑な心情はどうしたらいいの? では、「大切な人」がこうした事実に遭遇したときには、どう接したらいいのでしょう?当事者と同じように動揺し、特に初期には、同じような心理的プロセスをたどっていくことが多いと思われます。しかし、支える側には「当事者の感情を受け止める」という重要な役割があります。そのためには、気持ちを切り替えることが大切ですが、その難行を1人で行うのは、非常に困難です。 そこでまず、支える側が自分自身の複雑な心情を受け止めてもらうことが必要になります。病院や専門機関のソーシャルワーカーなどに、自分自身の不安な気持ち、やりきれない思いをすべて打ち明けましょう。専門家なら必ず気持ちを受け止め、支えになってくれるはずです。冷静さは、感情を吐露し、その感情をまるごと受け止めてもらうことで、取り戻すことができます。 余命や障害などの事実を知ったとき、当事者が支えを期待するのは、多くの場合、やはり当事者がいちばん愛し、信頼している人でしょう。その相手をしっかり支えられるように、当事者と同じように湧いてくる複雑な感情を、まずは専門家にしっかり受け止めてもらうことから始めていきましょう。そのうえで、よりよい支援の仕方を一緒に考えていくことです。
前に述べたように、厚労省は今年度から「主治医」制度を推進する方針を明確に打ち出した。日本では保険証1枚で、どの医療機関にも自由にかかることができる。 この結果、軽症者も重症者も地域の中核になる大病院に集中する。これをなくさないと、高齢化で年々増える高齢者と医療費の増加は抑えられないと、厚労省は考えたのだ。 端的に言うと、「ちょっとした症状では、大病院の外来には来るな」ということ。さらに言えば、「主治医を自分でつくり、普段はそこで面倒見てもらえ」ということである。 この主治医制度促進のため、病床数が200床未満の病院や診療所の医師が、高血圧、糖尿病、脂質異常症、認知症のうち2つ以上の病気を抱える患者を継続して診た場合は、この4月から地域包括診療料として診療報酬を月1回あたり1503点(1万5030円)もらえることになった。 これで、町医者も患者を積極的に診るだろうというのだ。ただし、主治医の条件は厳しい。主治医のいる医療機関は、患者には24時間対応、在宅医療も行うことが義務づけられ、介護保険に関する相談などに応じるよう求められた。 しかし、このような制度ができたからといって、一般の人は「主治医」と言われてもよくわからない。近所にかかりつけの町医者がある場合、あるいは長患いをしていて専門医に通院を続けている場合をのぞき、主治医など、いきなりつくれるものではない。 しかも、こういう例もある。ある糖尿病患者は、10年にわたり専門病院に通院して、そこで担当医に診てもらっていた。ところが、不調を訴えたにもかかわらず、その担当医はなにもしてくれなかったので、大病院で検査を受けたところ、 末期の胃がんとの診断。すぐに手術を受けたが、半年で死んでしまった。遺族は「ずっと同じ医者にかかり主治医だと思っていたのに納得がいかない」と言う。 この例が示すのは、単にかかりつけだけでは、主治医とはいえないということだ。病気にかかったときに診察してくれるだけでなく、日頃から健康相談に乗ってくれたり、なにかあれば迅速に専門医を紹介してくれたりしてくれなければ、主治医とは言い難い。 つまり、高齢者は今後のことを考えると、積極的に主治医づくりをしないと、安心できないわけだ。そこで、私はまず近所の町医者に行ったら、その医者の人間性をチェックする。 そして、ある程度信頼できるとなったら、きちんと「私と私の家族の医療問題について、相談に乗ってくれますか?」と申し出ることを勧めている。この申し出に「はい」と答える医師を持つのと持たないのでは、リタイア後の人生は大きく変わる。 さらに、医者を味方につけるには、なんでもいいから褒めまくることである。服装でも身につけているものでいいから褒めることだ。医者はプライドが高いので、もっともおだてに弱い人種である。 また、付け届けも有効だが、これを奨励するのは問題があるので、詳しくは書けない。ただ、医者は贈り物が大好きだということは知っておいたほうがいい。 いずれにせよ、安心して死後へ旅立つための第一歩は、主治医をできる限り早くつくることだ。 ■富家孝(ふけたかし) 医師・ジャーナリスト。1947年大阪生まれ。1972年慈恵医大卒。著書「医者しか知らない危険な話」(文芸春秋)ほか60冊以上。
人は誰でも、いつかは必ず死ぬ。「そんなの当たり前でしょ」と頭ではわかっていても、いざ自分が死ぬことを想像すると、怖くなってしまったり、胃のあたりがキューッと締め付けられるようなストレスを感じたりしませんか? なぜ、死が怖いと思うのでしょう。「いま死んだら後悔することばかりだから」「この世から自分の存在が消えることが怖い」「死ぬような病気になるのが怖い」「“死後の世界”を想像するだけで怖い」などなど、理由はさまざまでしょうが、ではこの恐怖から逃れる方法はないのでしょうか。 『医者が教える 人が死ぬときに後悔する34のリスト』(アスコム刊)の著者・川嶋朗さんは統合医療の第一人者で、これまで5000人以上の患者さんを診てきた医師です。そんな川嶋さんは、本書のなかで、こんなことを言っています。 「人間は、いずれ死んでいきます。でもそれを意識することは、結果的に、自分の人生を豊かにすることにつながるのです」 逆説的な言い方にも聞こえますが、意味するところはこうです。 人生における生活の質や心の充実度を「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)」といいますが、川嶋さんは対となる「クオリティ・オブ・デス(QOD=死の質)」という言葉を作り、このふたつこそが、人が死への恐怖心を持たないですむためのカギであると言っています。 死を恐れるのではなく、逆に、生や死について普段から考えることで、人生でのやりたいことや、目標がはっきりしてきます。それを実現させるために日々を大切に送ることができていれば、死に直面するような時にも何の後悔もなく、実に穏やかに終幕を迎えることができる。 日頃から「いま」を大事にするように努めれば、死の恐怖からはおのずと抜け出せる、というわけです。QOLを高めることが、QODの向上にもつながるのです。 川嶋さんは、多くの患者さんと向き合うなかで「死について真剣に考えることが、結果として、いま生きていることへの感謝の気持ちにつながり、かえっていきいきと生きることができるのではないか」と考えるようになったそうです。 死への恐怖から逃れるには、まずそれについての自分の考えをめぐらせること。本書には、そのためのヒントがたくさん書かれています。「死ぬのが怖い」ならば、日ごろからそれに真正面から向き合ってみませんか?
人口統計のひとつに、「生命表(life table)」というものがあります。年齢は基本的要素の1つです。 意外かもしれませんが、皆さんがよく耳にする「平均寿命」というものは、この生命表の中で基本となる数値(関数)ではありません。100人の死亡した年齢を足して100で割った数値、というような単純なものではないからです。 なぜ人口統計の生命表から切り離されて、平均寿命という用語が独り歩きするようになってしまったのでしょうか? まず、直感的に判った気分になれる言葉だからだと思います。「平均」は小学校の算数でも習いますし、「寿命」も電池の寿命というように普通の会話でも使われ、長い方が良いものだとパッとイメージできる単語です。 要するに難しい数式や統計学的なことを知らなくても、「平均寿命」と聞いただけで誰でも理解できていると思える言葉だからでしょう。その上、国際比較が可能な数値(関数)なので、「日本の平均寿命は長い」という報道を聞くのも、何となく嬉しかったりするものかもしれません。 しかし、実際に多くの人が考えている「平均寿命」には、いくつかの誤解が見られます。単純そうな平均寿命ですが、実は数式を使わずに算出法を解説するのは、なかなか難しい複雑なものなのです。 そもそも「平均」と言っているものの、多くの人が算数などで習う平均とは、まったく意味が違います。こちらの図をご覧ください。年齢がX軸、生存数という関数をY軸とします。 年齢が増えると、自然と生存数は減っていき、右下がりの曲線となります。ある年齢で垂線を引くと、垂線の左上側と右下側に図形ができます。平均寿命というのは、この2つの図形の面積が等しくなる年齢に相当します。 生存数を表現する砂時計があるとすると、上の砂と下の砂の重さが同じとなる年齢が平均寿命ということです。この砂時計の場合、砂の落ちる速さは一定ではなく、最初は少なく、後半に急に多くなります。単純に足して割る、という平均ではないのです。 それでは次は、平均寿命についてのよくある疑問や間違いについて解説しましょう。 ■「平均寿命-自分の年齢」で大まかな余命がわかる→ウソ これはとても多い誤り。よく聞くのが、「女性の平均寿命が約85歳で、いま、私40歳だから、平均寿命まであと45年生きられるわ」といった表現です。 平均寿命は、あくまでも「発表されたその年に誕生した人」の平均余命のこと。そもそも計算すること自体が間違いなので、この考え方は正しくありません。ただし、現在アラフォーの女性の平均余命が45歳より長いのは確かです。 ■平均寿命を毎年報道するのは意味がない→ホント こちらは正論。平均寿命は、「生命表」という統計の指標のひとつ。国勢調査に基づくものを「完全生命表」と呼んでいますが、国勢調査は5年ごとに実施しています。平均寿命だけ取り上げて毎年大きく報道されるのはやや不自然な感じがします。 前回の国勢調査は平成22年の第21回国勢調査。国勢調査の間の生命表は、「簡易生命表」と呼んでいます。 ■平均寿命まで生きるのは50%?→ウソ 誤り。生きるという表現に関係したのは平均余命ではなくて生命表の中で生存数という別の指標です。上の言い方に直接関係した指標があります。ただし、日本では平均寿命まで生きる確率は50%より大きくなっています。 ■平均寿命は女性が長い→ホント こちらは正解。日本を含めて、世界的に見ても女性の方が寿命が長い傾向になるのは事実です。遺伝因子と環境因子の両方が関係していると考えられます。 しかし大事なのは平均寿命ではありません。平均寿命から介護が必要となる期間を差し引いた、自立した生活ができる期間である「健康寿命」が大切です。健康寿命は個人の生活習慣しだいで伸ばすことが可能です。
覚せい剤取締法違反の罪(所持、使用)で起訴されたASKA(本名・宮崎重明)や、ほかの危険ドラッガーたちは、薬物回復施設でどのような治療を受けているのかーー。 ■元女優が語る、芸能人がクスリに手を出す理由 欧米に比べて日本の薬物依存対策は25年遅れているといわれるが、薬物治療プログラムに長(た)けた米国から回復治療法を取り入れた施設もある。奈良、大阪、沖縄、セブ島(フィリピン)に拠点を持つ「GARDEN(ガーデン)」だ。 ここでは、アルコール依存症治療で使われている教材(リカバリー・ダイナミクス・プログラム)を応用し、12の手順で依存症からの脱出を目指す。薬物依存者を説得して治療施設に連れてくるのは大変なケースが多い。そんなときは、専門の訓練を受けたインタベンショニスト(介入士)を派遣することもできるという。 8月中旬に奈良県大和高田市の施設を訪れると、13人の入寮者が輪ゴムを使ったワークを行なっていた。 ふたりひと組で輪ゴムを引っ張り合い、どちらかが手放すまで続ける。放されたほうは当然痛い思いをするが、そこから司会者がふたりの感情を引き出し始める。 「それぞれどんな感情で引っ張っていたか?」「ゴムに対する感情は?」「相手に対する感情は?」などと質問を重ね、現実社会のどういった場面で同じ感情を体験したことがあるかまでを考えてもらう。そして、ふたりとも痛い思いをしない方法について問いかける。 そこから「正当性を主張し続けることは争いしか生まない」ことを伝え、ゴム遊びを通して、依存者に自分でも気づかない感情の動きに気づいてもらうのが狙いだ。 笑い声とともに進み、全員が最後にハグをしてワークは終わる。一見、深刻な依存症患者が集まっているようには見えない。だが、スタッフの酢谷映人さん(24歳)は、静かに自分の過去を打ち明けてくれた。 「学生時代に大麻、MDMA、覚せい剤などに手を出しました。大麻所持で留置所に入れられたのをきっかけにやめようと決心しましたが、釈放されたその日に出所祝いだと仲間に勧められたマリフアナをつい吸ってしまったのです。 そこからは売人の家に住み着き、寝る時間も惜しんで覚せい剤を使い、そのうちクスリが切れると食事もできない体になりました」 GARDENとつながったのは2年前だ。 「初めは『ヤク中が集まって何してんねん』ぐらいに思っていて、施設につながってからも覚せい剤を使っていたほどです。ですが、同じ悩みを抱える仲間が関わり続けてくれ、今では2年半クリーン(薬物を使わないこと)な状態が続いてます」 依存症は一生続く病気だ。酢谷さんも、自分の内面に問題が起きると今でも薬物を使いたい気持ちが起きる。そんなときは、リカバリープログラムで身につけた回復の道具を使うことで衝動を抑えているという。 GARDENは6月に、奈良県橿原(かしはら)市に女性専用の依存症回復施設も開設した。男女共同の施設だと共依存を生んでしまい、回復の足かせになる場合が多いためだ。 取材に訪れたときには、8人の女性依存症の入寮者が、パラダデカホン(感情の瞬間棚卸しストップ)と呼ばれるワークをしながら、依存症からの回復治療を進めていた。 GARDENの運営法人には、精神保健福祉士の資格を持つ元女優の高部知子さんがスタッフとして関わっている。高部さんは芸能人が薬物に手を染める心理をこんなふうに解説してくれた。 「芸能界は、自分が特別視されなければ生き残れない特殊な場所のためプレッシャーが大きい。周りがつくり上げた虚像が大きすぎて、実像の自分に自信が持てない人がほとんど。経済的にも余裕があるから、つい薬物に手を出しやすいのです」 薬物依存者が増える一方で、ダルクやGARDENのような回復施設は圧倒的に足りない。昨年、法制定された、刑期の一部を猶予して出所させ、早期の社会復帰を促す「一部執行猶予制度」が2年後に施行されれば、その対象となる薬物依存者の受け入れ先がもっと不足することも予想される。 さらに、依存症からの回復者が社会復帰するまでの手助けをする施設となると、ほとんどない。薬物乱用防止協会では、障害者自立支援法に基づいて、回復者にコーヒーの移動販売業務を委託している。だが、こうした就労組織は全国に3ヵ所程度しかないという。 今の日本は、薬物依存症の受け皿が小さいなかで、依存患者だけがどんどん増えていく危機的状況だ。もはや、取り締まりをしていれば薬物問題が解決する次元ではない。薬物使用による悲惨な事件をこれ以上引き起こさないためにも、早急な対策が必要な時期に来ている。