あなたの健康はお金で買えますか・・・? ■日本の名医・いい病院
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【日本の名医】大阪の糖尿病患者から絶大な支持 “テーラーメードの治療”にこだわり★ふくだ内科クリニック(大阪市淀川区)院長福田正博さん(56)

先週に続き、糖尿病治療の第一人者を紹介する。前回は東京の医師だったが、今回は大阪の糖尿病患者から絶大な支持を得る糖尿病専門医だ。

 新大阪駅から徒歩2分のビジネスビルにある「ふくだ内科クリニック」は、糖尿病治療に専門特化した診療所。院長の福田正博医師は、糖尿病治療の世界で知名度の高い内科医。

 「医療には大きく2つのタイプがある。1つは溺れている人=患者を医療者が救う“ライフセイバー型”で、多くの外科系の診療科がこれにあたる。

一方で、“コーチング型”と呼ばれるタイプがあり、川を泳いでいる人=患者に『この先は流れが急だから気を付けて、もっとキックしよう』などと医療者が励まし指示を出していくタイプ。糖尿病診療はまさにこれで、私の性に合っているんです」

 前回も触れたが、近年は自己注射タイプのインスリンを糖尿病の早期段階から使用することで膵臓(すいぞう)を休ませて、合併症を予防することが可能になってきた。

しかし、患者側にある「インスリンは最後の手段」などの誤解から、難色を示すケースも少なくない。

 「そんな時には、まず患者の話に耳を傾ける。その上で丁寧に説明をすれば、納得の上で治療に入れる。最近は24時間効果が持続し、低血糖に陥るリスクの低いインスリン注射薬も開発され、治療に選択の幅が広がった。

医者側から治療を押し付ける時代ではありませんよ」

 糖尿病に画一化した治療はなじまないという福田医師は、“テーラーメードの治療”にこだわる。

 「病気を見るのではなく、病気の背景にある原因を見なければ、効果的な治療はできません。その人を糖尿病に導いた生活習慣を医師が理解して、それに則した治療を組み立てていく。そこが専門医のウデの見せどころですよ(笑)」

 温厚な笑顔と語り口の中に、ほんの一瞬、専門医としての“自信”を垣間見ることができた。

 ■ふくだ・まさひろ 1956年、大阪市生まれ。82年、滋賀医科大学卒業。
大阪大学第四内科入局。88年から2年間、米ハーバード大学留学。96年から現職。日本糖尿病学会専門医。大阪府内科医会会長。近畿大学医学部非常勤講師。医学博士。趣味はオーディオ、パソコン、世界遺産めぐり。

【日本の名医】糖尿病治療の名医 インスリン早期投与の安全性を発信★邦大学医療センター大森病院(東京都大田区)教授 弘世貴久さん(52)

東邦大学医療センター大森病院の糖尿病・代謝・内分泌科教授を務める弘世貴久医師は、糖尿病治療の世界で全国的な知名度を持つ内科医。最初は大学で研究に没頭していたが、市中病院に移って糖尿病患者のあまりの多さに驚き、その治療にのめり込んでいった。

 当時、血糖をコントロールするためのインスリン投与は、病気がかなり進行してから、入院して徹底した管理下で行うのが一般的だった。しかし、臨床の最前線で弘世医師はそこに疑問を持つ。

 「血糖コントロールは、将来の合併症予防が目的。なのに、当時は合併症が出たり、それが近づいてから治療を始めるのが実情だった。もっと早い段階で血糖コントロールをすべきと考えて、早期での外来インスリン導入の重要性を唱えたんです」

 当初は異端視されたが、日本の糖尿病治療の第一人者である順天堂大学の河盛隆造教授に請われて上京。研究と臨床で積み重ねた理論をまとめ、早期インスリン投与の効果と安全性を世界に向けて発信していく。

 「国内の患者数を考えれば、糖尿病専門医だけを相手にしても仕方がない。多くの開業医にこの治療法を知ってもらい、実践してもらう必要がある」と、医師向けの啓蒙(けいもう)活動に尽力。

結果、早期インスリン投与の普及が飛躍的に進んでいった。

 インスリン投与は患者自身が腹部に打つので、怖がる患者もいる。そんな時、弘世医師は患者の前で自分の腹部に“空打ち”をしてみせる。

 「今の注射針は髪の毛ほどの細さなので痛くない。でも、どんなに口でいうよりもお医者さんが自分の体に打って見せたほうが安心感が違うでしょう」と笑う。

 NHK、朝の人気ドラマだった「梅ちゃん先生」の舞台・大森で、人情に篤い関西弁の先生の診療が始まっている。地域の糖尿病患者には大きな朗報だ。 

 ■弘世貴久(ひろせ・たかひさ) 1960年、神戸市生まれ。
85年、大阪医科大を卒業し、大阪大学第三内科入局。92年から米国立衛生研究所留学。95年より阪大助手、97年、西宮市立中央病院、2004年、順天堂大学医学部代謝内分泌科講師、07年、同准教授を経て、12年より現職。医学博士。趣味は「2人の息子と行く昆虫採集」。

「やぶ医者」は、名医だった!「やぶ医者大賞」を受賞した花戸貴司医師

[ちちんぷいぷい - 毎日放送] 2016年12月26日放送の「Today's VOICE ニュースな人」のコーナーで、「やぶ医者大賞」を受賞した花戸貴司医師が紹介されました。

「やぶ医者大賞」は兵庫県養父市が主催していて、やぶ医者の語源が「養父(やぶ)の名医」との説にちなんで2014年に創設されました。市内外を問わず、過疎地やへき地の医療に尽力した医師を顕彰するもので、今年で3回目となります。

「病気」を診るのではなく「人」を見る

花戸医師は滋賀県東近江市の山間部、三重県との県境に近いところにある永源寺地区で診療されています。この地区は過疎化高齢化が進み、65歳以上が占める割合を表す高齢化率が33.7%と、全国平均の26.7%を上回っています。集落によっては80%以上のところもあるとのことです。

赴任した頃は「診療所の医療レベルを上げたい」との熱い思いをお持ちでしたが、地域の患者さんと接している日々の中で、高度な医療をみんなが望んでいるわけではないことに気がついて、患者さんの声に耳を傾けて地域の人々に寄り添う診療をされています。

今では、地元の薬剤師や介護士の方とともに、行政と医療・福祉関係者との連絡会「チーム永源寺」を結成し、地域の医療を行政に伝えて政策に反映するようにと活動しています。

永源寺地区の10年前の高齢化率が今の全国平均と変わらないことから、「日本の10年先をいっている地域」と考えて、今やっていることが10年後の日本で役立つモデルになればとおっしゃっていました。(ライター:けあるひの)

心臓外科の名医 かつての“3K職場”での経験がいまも生きる

重症の患者や痛みに長年苦しんでいる人を救う外科医。自身の技術を上達させ、患者の負担が少ない低侵襲の手術を実践する名医に、週刊朝日MOOK「『名医』の最新治療」で迫った。その中から、小倉記念病院副院長であり、心臓血管外科主任部長の羽生道弥医師(57)を紹介する。

■どんなに難しい患者でも絶対に諦めない

 ひと口に心臓病と言っても、心筋梗塞、弁膜症、大動脈瘤(りゅう)とさまざまある。心臓病の手術数が全国トップレベルの小倉記念病院(福岡県北九州市)。心臓血管外科主任部長として腕を振るっているのが羽生医師だ。出血の少ない正確な手技は、同じ心臓外科医からも一目置かれている。

 ただ本人は謙虚で少しも偉ぶるところがない。今回の取材を申し込んだときも、「私でいいんですか?」と控えめだった。

「他の著名な心臓外科医と比べて派手さはないし、口下手なので……」

 2017年で医師32年目を迎える。年間の執刀数は約300例、通算では4千例を超え、日本のトップ心臓外科医の一人だ。だが意外にも、大学の医学部生のときは「小児外科」志望だった。

「乳幼児の生命力の強さに惹かれました。大人と違って『どこが痛い』と言えなくても原因を探りあて、治してあげたいと思ったんです」

 ところが大学6回生のとき、研修先の京都大学病院で考えが変わる。小児外科と同じ病棟内に心臓血管外科があり、重症患者にチームワークで挑む先輩たちを見て、「心臓は生命により深く関わる分野。自分も力になりたい」との気持ちが強くなった。

 1986年、医学部を卒業して心臓血管外科医に。病院の手術室で先輩から技術を学び、手術後は病院に泊まり込んで患者の容体を細かくチェックする毎日だった。

「当時の心臓血管外科は“3K職場”でしたよ(笑)。でも泊まり込んで、術後の患者さんの様子を細かく診られたことは大きな経験でした。当時の心臓手術は術後の合併症が多かったのですが、どんな状態が続くと合併症が現れるのか。それを未然に防ぐには、どんな手を打てばよいのか。いろいろ学ぶことができました。命もかなり救いましたよ。経験は今も生かされています」

 続いて移った土谷総合病院(広島市)では成人に加えて、新生児や小児の心臓手術を数多く担当した。ここでも麻酔科医と泊まり込み、手術と術後のケアを繰り返し学んだ。

■日本を代表する3人の医師から学ぶ

 その羽生医師には“3人の恩師”がいるという。はじめの京都大学病院では伴敏彦教授(当時)、土谷総合病院では望月高明医師、小倉記念病院では岡林均医師の指導を受けた。いずれも日本を代表する心臓血管外科医だ。

「3人の先生からは技術や治療方針の立てかたはもちろん、『絶対に諦めない』という姿勢を学びました。他では手術を断られた重症の患者さんも、思いをくみ取り、何とか手術できないかと必死に策を考える。手術中に容体が急変しても、『必ず立て直す』と諦めない。その姿勢と、ここぞというときの『引き出しの中身』を間近で学べたことは大きかったです」

 今働いている小倉記念病院には、九州全域や広島県、遠くは関東からも患者が集まる。16年春、弓部大動脈瘤の患者が来院した。かつて別の病院で手術を受けた際に冠動脈につないだバイパス(内胸動脈)2本が、弓部大動脈瘤に巻き込まれていて、しかも瘤が胸骨に密着しているという深刻な状態。普通に手術をすれば瘤が大破裂することは必至だった。

 しかし羽生医師は絶対に諦めないという姿勢で、大動脈弁狭窄(きょうさく)症の治療に用いる「経カテーテル術(TAVI)」も取り入れ、弓部大動脈を人工血管に置き換える手術を行った。時間はかかったものの無事に成功し、患者は元気さを取り戻した。

 そんな羽生医師の得意な手術の一つが、人工心肺装置を使わずに行う「心拍動下冠動脈バイパス手術(オフポンプ)」だ。狭心症で心臓の冠動脈の血流が悪くなった場合、別の血管を迂回路(バイパス)としてつなぎ、血流を回復させる。

 90年代までは心臓の動きをいったん止め、代わりに人工心肺装置で全身に血液を送りながらのバイパス手術(オンポンプ)が大半だった。しかし患者の負担が大きいこともあり、今では人工心肺装置を使わず、心臓を動かしたまま血管をつなぐオフポンプ手術が主流になっている。

 ただそのぶん、執刀医には高い技術が要求される。冠動脈は直径1.5~2ミリほどで、手術時の心臓は動いたまま。その状況下で、迂回路となる血管を素早くつないでいく。しかも通常は3~4カ所の冠動脈にバイパスをすることが多い。

「手術では出血させないことが重要です。出血すると処置が必要で、時間もかかってしまう。迂回路となる血管をつなぐときは、心臓の拍動に合わせて一発で決める。バイパス手術の基本は『確実に着実に』です」

 同手術は全身麻酔で行われることもあり、患者への負担はカテーテル治療より大きい。ただし1回で数カ所まとめて手術して、問題を解決する。術後、胸痛や息切れなどのつらい症状は消え、多くは見違えるように元気になる。

「7年前に狭心症でカテーテル治療を繰り返していた若い患者さんがいました。3カ月ごとに会社を休んで入院、検査に治療。職場ではかなり肩身が狭かったようです。内科医の勧めもあって、冠動脈バイパス手術をしました。2週間入院しましたが、その後は再発することなく元気に仕事に打ち込まれています。こうした再発率の低さもバイパス手術の大きなメリットです」

■万全の準備をして最高の状態で臨む

 06年に小倉記念病院の心臓血管外科主任部長になってから10年が経つ。もう熟練の域に達していると思われる羽生医師だが、「まだまだです。それに完成したと思ったら医療の進歩はありません」とあくまで探究心を忘れない。連日、重症例の心臓手術に取り組み、24時間365日態勢で緊急患者も受け入れる。

 手術が終わり、翌朝に合併症もなくホッとしていたら、次の患者が来るという繰り返しだ。

「通常の手術では準備万端整えて、最良のコンディションで臨むようにしています。患者さんもいい状態にして、麻酔科医や看護師、臨床工学士のスタッフも最高の実力を発揮する。手術時は一つひとつ確認作業を怠らない。鉄道の運転士が細かく指さしして、安全確認をしながら列車を動かすように、手術でも何百という確認作業があります。それを一つずつクリアしながら進めていく。一方、緊急の患者さんが搬送されてきたときは、王道が通じないことも多い。『どんな方法だったらうまくいくのか?』を即座に考え、決断し、チームで実行していきます。今後も最高の治療を提供していきたいですね」

小倉記念病院 副院長 心臓血管外科主任部長 羽生道弥
1986年、京都大学医学部卒。同大学病院、土谷総合病院を経て、2001年から小倉記念病院。06年に主任部長、13年副院長。
<実績> 合計手術数 約4000例(冠動脈バイパス手術2000例、心臓弁膜症の手術2300例、胸部大動脈瘤の手術600例など。合併手術のため重複あり)

•【日本の名医】高橋由伸も現役時代に治療を受け完全復活!“神の手”を持つ整形外科医とは

重症の患者や痛みに長年苦しんでいる人を救う外科医。自身の技術を上達させ、患者の負担が少ない低侵襲の手術を実践する名医に、週刊朝日MOOK「『名医』の最新治療」で迫った。その中から、出沢明PEDクリニック院長で、帝京大学溝口病院客員教授でもある、出沢明医師(64)を紹介する。

■虫の目と鳥の目で、手術する

「この綿みたいなのが、ヘルニアの原因の髄核です。鉗子でつまんで、取り出していきます」

 2016年10月上旬、東京・二子玉川駅前にある出沢明PEDクリニック。広さ8畳ほどの手術室には、心地よいクラシック音楽がかかっている。この日手術を受けるのは長野県から来た男性(70代)だ。長年患っていた腰椎椎間板ヘルニア(以下ヘルニア)が悪化し、歩行が困難になった。

 ヘルニアとは背骨を形成する腰椎と腰椎の間にある組織(髄核)が飛び出し、神経を圧迫する病気。日本人の約120万人がヘルニアと言われている。出沢医師は自ら開発した特別な内視鏡を使い、手際よく痛みの原因である髄核を取っていく。

「少しだけチクッとしますよ」

 部分麻酔のため患者と会話もできる。この日の手術はわずか1時間で終了した。

「もう大丈夫です。2、3時間もすれば歩けるし、明日には退院できるはずです」

 医師の言葉に、信じられないという表情の男性。ベッドから丁重にお礼を述べた。

 この出沢医師の手術は「PED法(経皮的内視鏡下椎間板ヘルニア摘出術)」と呼ばれる。患者の負担の少ない超低侵襲治療で、2003年に出沢医師が日本で初めて取り入れた。

「ヘルニアの手術方法はいくつかあり、背中側を3~4センチ切って、神経の束を器具でよけながら髄核を取るのが一般的です。また2センチほどの切り口から内視鏡を入れて手術する方法もあります。いずれも全身麻酔下で行われ、1週間~10日ほどの入院が必要です。患者さんからは『もっと早く復帰したい』との声が多くあり、医療機器メーカーにアイデアを出しながらPEDを完成させました」

■手術後2時間で歩くことも可能に

 PED法ではまず患者に部分麻酔をかけ、先端に超小型カメラがついた直径8ミリほどの管を背中に入れる。モニターに映し出される映像で患部の状態を確認しながら、管に鉗子を入れる。鉗子を右手で動かし、神経を圧迫している髄核にたどり着いたら、慎重に取り出していく。

 管の先端からは生理食塩水が出るため、視界不良が起こりにくい。また局所麻酔なので患者と会話ができ、神経症状の有無を確認しながら進められる。

 手術はおおむね1時間~1時間半で終わる。個人差はあるが、術後2~3時間で歩くことができ、翌日には退院できる。日帰り手術も可能で、保険も適用される。ヘルニアで車椅子を利用していた人が、1週間後にはゴルフを再開したというケースも珍しくない。

 読売巨人軍の高橋由伸監督が現役だった09年、ヘルニアに苦しみ、出沢医師のPED手術を受けた。翌年、見事に復活を果たし、打席に立ち続けた。

「サッカーJリーグの選手もみえます。トップアスリートは手術で日常生活ができるようになるだけではだめで、95%以上回復させなければいけない。だから余計に緊張します。術後のリハビリを経て、復帰されたときは感慨深いです」
 PEDは術後の再発率が低いのも大きな特徴だ。ヘルニアは手術後、5~10%は再発すると言われている。椎間板には再生する力がなく、手術をした痕はふさがらない。穴が開いている状態なので、いずれ髄核が再び飛び出してくる。しかしPEDなら、穴は8ミリほどと小さいので、再発率も当然低い。「3%ほど」(出沢医師)だという。

 手術は多いときで1日4件。これまでの手術数は2600例を超えた。

「PEDの超小型カメラはまるで虫の目です。体内の様子が大きくアップで映しだされる。一方、その映像を元に病態全体をイメージし、手術を進めていきます。患者さんを俯瞰(ふかん)している感じなので、こちらは鳥の目といえるでしょう。手術では両方の目を駆使しています。全神経を集中させているので、終わった後はぐったりです(苦笑)」

 従来のヘルニア治療に画期的な進歩をもたらしたPED。難点は高度な技術を要することだ。ミリ単位の手先の動きが要求されるため、できる医師は全国でも約25人と少ない。出沢医師は専門の学会を発足させて勉強会を開くなど、技術の伝達にも力を入れている。

■脊柱管狭窄症も1時間で治す

 その一方、PEDの応用や適応拡大にも余念がない。PEDと同じ内視鏡と特別なドリルを組み合わせ、腰部脊柱管狭窄症の手術も近年は進めている。

 背骨には神経(脊髄)が通る脊柱管というトンネルがあり、骨の圧力や椎間板の突出などで脊柱管が狭くなるのが脊柱管狭窄症だ。手術では圧迫している骨などを削り、狭くなった脊柱管を広げていく。

 出沢医師はPEDで使う内視鏡の管に、1分間で8万回転する細いドリルを入れて骨を削り取っていく方法を編み出した。これは「PEL(経皮的椎弓切除術)」と呼ばれ、世界最小の侵襲手術として注目されている。こちらも傷口は小さく、手術は1時間~1時間半で終わる。患者のほとんどが数時間後には歩くことができるという。

「整形外科の疾患は命に直結するわけではないですが、QOL(生活の質)やADL(日常生活動作)が大きく低下します。旅行やスポーツが趣味だった人が、寝たきりになることも少なくありません。ただし、整形外科の疾患は手術で完治するものがほとんど。負担の少ない手術法で、一人でも多くの人を治し、楽しみを増やしてあげたいです」 

 そんな出沢医師の健康法は水泳だ。もともとはジョギングが趣味でフルマラソンも6回完走しているが、11年に首が痛くなり水泳に切り替えた。

「毎夜、自宅近くのプールで1時間ほど泳いでいます。全身の筋肉がバランスよく鍛えられ、血流も良くなるので体調はずっといいですね。あとはストレッチです。朝起きたときに『波止場のポーズ』をやっています。ふくらはぎがしっかり伸び、腰痛予防にもなります。オススメです」そう笑顔で話す出沢医師。目標は80歳まで整形外科医を続けることだ。

出沢明PEDクリニック院長 帝京大学溝口病院客員教授 出沢明医師 1980年、千葉大学医学部卒。横浜東病院整形外科医長、帝京大学溝口病院整形外科教授、副院長補佐などを経て、2014年にPEDクリニック開業
<実績> 合計手術数 約2600例(椎間板ヘルニア1800例、腰部脊柱管狭窄症800例)

【日本の名医】生活習慣病の初期治療に実績!医師のネットワーク作りに注力★厚生連クリニック院長佐藤秀昭さん(64)

JA東京厚生連が運営する医療機関が東京・立川市にある。JR立川駅南口から徒歩2分。「厚生連クリニック」の院長を務めるのが、今回紹介する佐藤秀昭医師だ。

 山形県酒田市の開業医の次男として生まれた。

 「子供の頃は、よく父のカバン持ちで往診に付いて行っていました。そのせいか、かなり早い段階で『将来は医師』と決めてましたね」と笑う。

 「全身を診る」のと「家族も見る」ことが目的で医師になったので、迷うことなく内科を専攻。循環器疾患や糖尿病など、生活習慣病の初期治療を中心に実績を重ねていく。

 現在は、JAの組合員や地域で契約する企業の職員らを対象とした健診事業を柱に、自身が得意とするプライマリケア(初期診療)に特化した医療を展開する。

 「高血圧にしても糖尿病にしても、早期で症状が出ることはありません。

しかし、早期できちんと対処しておけば、その後に控える重篤な状態を回避することが可能。将来にリスクのある人を確実に洗い出し、必要な医療を提供していくのが私の役目。名医でも何でもないんですよ」

 そう謙遜するが、“最初に診る医師”の技量が、その後に受ける医療の質を大きく左右するのは紛れもない事実だ。

 そんな佐藤医師が、今、最も力を入れているのが、ネットワーク作りだ。

 「ここで病気が見つかった患者さんを、それぞれの分野で最も信頼できる名医に紹介したいので」と、多忙の中を各地で開催される学会に出かけて行き、「これは!」と思う医師に声をかけ、自身のクリニックに招聘したり、

医療連携での関係づくりにつなげていく。結果として「名医が認めた名医」によるネットワークができあがっていく。

 患者の知らないところで、こうした努力を怠らない医師がいることを、医療消費者として知っておくことが重要なのだ。

 ■佐藤秀昭(さとう・ひであき) 1948年山形県酒田市生まれ。
77年杏林大学医学部を卒業後、同大第二内科入局。埼玉社会保険病院、杏林大学高齢医学教室、同総合診療科、国家公務員共済組合連合会立川病院などを経て、2008年より現職。人間ドック健診専門医、日本医師会認定産業医他。医学博士。趣味はスキー。

【日本の名医】「皮膚疾患治療」で豊富な経験と知識 “美”へのこだわりも★虎の門病院皮膚科医師(東京都港区)大原國章さん(64)

命に関わらなくても、深刻な悩みを招く病気は多い。例えば「あざ」。目立つ部位にできた色の濃いあざは、女性でなくても気になるものだ。

 この「あざ」に代表される慢性皮膚疾患治療の世界で知られるのが、東京都港区の虎の門病院皮膚科の大原國章医師。

 「あざの他にも、皮膚のがんのように、内科的治療で効果の期待できない皮膚疾患治療が専門。“病気治療”が目的ですが、仕上がりの美しさを無視することはできません」と大原医師。

 “美”へのこだわりは強い。

 例えば、あざの治療ではレーザー治療が主流だが、これも術者のこだわりで、仕上がりはかなり違ってくるという。

 「ピンポイントでレーザーを照射する作業の繰り返しだが、照射部に隙間ができても、逆に重なり過ぎてもキレイにはならない。根気のいる仕事なんですよ」と苦笑い。

 そんなレーザー治療に、近年動きがあった。新しい局所麻酔薬が臨床導入されたのだ。

 レーザー照射の瞬間、「輪ゴムで弾いたような」痛みを伴う。これを小さくて数十回、広範囲に及ぶあざなら1000回以上も繰り返すので、当然痛みも増大。従来は注射で局部麻酔をすることもあったが、この注射がまた痛い。「注射のための麻酔薬」があるほどだ。

 そこに昨年、リドカイン・プロピトカイン配合薬というクリーム製剤が承認され、安全かつ効率的に治療時の痛みを取り除けるようになった。

 「日本で承認されるまでは、海外から個人輸入するところもあったようですが、品質面での不安は大きい。

そのため当院では、以前からこれと同じクリームを病院の薬剤部で調合していました。今回、国産の薬剤が承認されたことで、この領域の治療技術向上にも弾みがつく」と大原医師。

 40年にわたって日本人の皮膚を診てきた大原医師。豊富な経験と知識が、治療技術の向上をアシストする。その先には、誰もが望む「快適な医療」がある。 (長田昭二)

 ■大原國章(おおはら・くにあき) 1948年、京都市生まれ。
73年、東京大学医学部を卒業し、同大皮膚科に入局。84年まで東大医学部附属病院、その後、虎の門病院に勤務。皮膚科部長・副院長を経て昨年、退職。現在は非常勤医師として同院で週2回診療に当たる。趣味はカメラと美術鑑賞。

【日本の名医】安全性高い肌の再生医療を 患者自身の細胞を培養、注入★RDクリニック大阪院長 野洌義則さん(41)

大阪の中心、地下鉄御堂筋線・心斎橋駅から徒歩2分のビジネスビルにこの春オープンした「RDクリニック大阪」。肌の再生医療に専門特化した医療機関だ。

 ここで行われる治療は、患者自身の肌から細胞を取り出し、増殖・培養したものを患者の皮膚に注入するという内容。自然な形で皮膚を再生し、若返らせる治療法だ。美容整形とは異なり、患者自身の細胞を使うため、安全性の高いアンチエイジングが実現するという。

 院長を務める野洌(やす)義則医師は、最近まで生まれ故郷の滋賀県内で、地域医療の最前線でプライマリケア医として活躍していた異色の医師だ。

 「病気を選べない“何でも屋”のような存在でした」と笑う。だが今、取り組んでいる再生医療は、かけ離れた世界からの転身。きっかけは、自身が口の周囲にヘルペスを発症したことだった。

 「それ以前から皮膚や美容に興味はありましたが、自分が顔に皮膚疾患を経験して、真剣に考えるようになりました。

皮膚のことを勉強するに従い、多くの場合、肌の悩みの背景に臓器の病気やメンタルの問題などが存在することを知り、自分の経験を生かせるのではないかと思うようになったんです」

 まだ歴史が浅い肌の再生医療。だからこそ医学的根拠に基づくガイドラインが必要だと野洌医師は訴える。

 「医学の世界では、10年、20年でスタンダードが変わっていく。この肌の再生医療も、10年後にはアンチエイジングのスタンダードになっている可能性は十分感じます」

 口調は穏やかだが、夢の実現への思いは熱い。肌の再生医療という新しい医療技術を大阪に根付かせるための、野洌医師の挑戦が始まった。 (長田昭二)

 ■野洌義則(やす・よしのり) 1973年、滋賀県生まれ。
97年、自治医科大学卒業。滋賀医科大学第一内科(循環器・呼吸器内科)に入局し、同大附属病院や滋賀県内の公立総合病院に勤務。その後、竜王町国民健康保険診療所に勤務し、地域医療と在宅医療に従事。今月より現職。趣味は将棋観戦と音楽鑑賞。

【日本の名医】「肝臓に内視鏡」普及へ尽力 世界屈指の技術に日本全国から患者★岩手医科大学外科教授 若林剛さん(56)

食道、胃、大腸などの消化器系はもちろん、乳腺や前立腺など、人間の体のあらゆる臓器の手術で腹腔鏡や胸腔鏡といった「内視鏡」が用いられるようになった。

従来のように皮膚を大きく切開することなくできることから低侵襲治療(ダメージの小さい治療)の代表として位置づけられているが、実は肝臓の手術では、この内視鏡手術の普及が遅れていた。

 血管の塊のような臓器である肝臓を、腹腔鏡で手術などできるわけがない-というのが理由だが、その常識を覆し、自ら執刀する手術のほぼすべて、病院としても8割という高いシェアで腹腔鏡下肝切除術を実施しているのが、岩手医大外科教授の若林剛医師だ。

 「世界初の腹腔鏡下肝切除が行われたのが1991年で、私の第一例が95年。以来20年間、技術向上と安全性の確立に没頭してきました」

 そう語る若林医師が、古巣・慶大から現在の岩手医大に移ったのは2005年。これをきっかけに岩手医大は腹腔鏡下肝切除のメッカとして、日本はもちろん全世界の肝臓外科医に知られる存在となった。

 「肝臓は場所的に開腹手術では見えにくい箇所が多く、そんなところに重要血管が走っていたりする。逆に腹腔鏡を使ったほうが安全性は高まる。

しかも、気腹圧といって腹腔内の二酸化炭素濃度を高めることで出血量を劇的に少なくできることも明らかになった。当然、入院期間も短くなるので、この手術を選ばない理由はないのです」

 現在、若林医師らは、肝がんなどの肝切除だけでなく、肝移植でドナーから肝臓を摘出する際にも、患者の希望があれば自由診療となるものの腹腔鏡手術を実施している。

 「私の外科医としての残りの人生を、この術式を日本全国の病院で、当たり前のように受けられるよう普及させることにあてる覚悟はあります」と語る若林医師。

 この術式で世界のトップ3に入る技術を求めて、今日も日本中から盛岡へ患者がやってくる。 (長田昭二)

■若林剛(わかばやし・ごう) 1957年、東京都生まれ。
82年、慶應義塾大学医学部卒業。88年より米・ハーバードメディカルスクール留学。91年に帰国後、川崎市立川崎病院勤務。93年、慶大外科学教室助手。講師を経て2005年、岩手医科大学第一外科教授。06年、学内再編により現職。医学博士。趣味はスキー。

【日本の名医】「切断やむなし」でも温存例多数 “足をトータルで診る”下北沢病院副院長・長崎和仁さん

 前回に続いて「足の血管」の専門家を紹介する。

 東京都世田谷区にある下北沢病院は、全国でも珍しい「足の病気」と「糖尿病」に専門特化した医療施設。ここの副院長を務める長崎和仁医師は、末梢(まっしょう)血管の治療を専門とする外科医だ。

 外科医になった当初は消化器外科で研修し、特に肝臓移植では血管吻合を行っていた。この時、血管吻合を数多く担当する中、徐々に血管という器官の重要性と、医師にとっての刺激性に取りつかれる。以降、閉塞(へいそく)性動脈硬化症など「足の末梢血管」の手術で腕を磨いていく。

 「足の痛みは、血管のトラブルだけでは説明がつかないことも少なくない。血管外科だけでなく、形成外科や整形外科、糖尿病内科などと領域が重なることも多く、“足をトータルで診る施設”の必要性を感じていた時に、この病院の計画が持ち上がった。足を診たい医師の集合体なので、やりがいがあり、専門性の高い医療ができている自負はあります」と胸を張る。

 足の血管の外科治療は、バイパス手術はもちろん、カテーテルを使った血管内治療も外科医が担当する。「足のカテーテル治療」の初期から携わってきた長崎医師にとってこの病院は、その知識と技術をフルに生かせる最高の舞台といえる。

 壊疽(えそ)が進んで他院では「切断やむなし」と診断された患者の足が、長崎医師の治療によって、機能を残して温存できた例は数多い。

 「足の病気を専門に行うわれわれの存在を、患者だけでなく“多くの医師”に知ってもらいたい。それにより、切らなくて済む足を残す可能性を高めることに繋がるはず」

 日本では、足の病気に関するデータが少なく、それがこの分野の医師が増えない一因にもなっている。日本有数の「足の病院」で、長崎医師の手により、貴重なデータが集積されていく。 (長田昭二)

 ■長崎和仁(ながさき・かずひと) 1970年、埼玉県生まれ。96年、慶應義塾大学医学部卒業。同大外科に入局後、東京医療センター、足利赤十字病院、浜松赤十字病院、さいたま市立病院に勤務。その間スタンフォード大学に2年間留学。2015年より現職。趣味は。サッカー観戦(浦和レッズのファン)とスキー。

【日本の名医】足の機能を回復させる血管外科治療 二次救急医療機関として地域に貢献 東京都保健医療公社大久保病院 外科部長・菅野範英さん

新宿・歌舞伎町。西武新宿駅のすぐそばにある公益財団法人東京都保健医療公社大久保病院は、長く「都立大久保病院」として親しまれてきた基幹病院。2012年に現在の名称に生まれ変わった後も、304の病床を持ち、二次救急医療機関として地域医療に貢献している。

 外科部長を務める菅野範英医師の専門は「血管外科」。といっても、冠動脈バイパス手術のような循環器系の血管ではなく、バスキュラーアクセス(人工透析の血管の出入り口)のトラブルや、閉塞(へいそく)性動脈硬化症から生じる足の壊疽(えそ)に対する血管バイパス手術などを得意とする。

 「生活習慣病、特に動脈硬化が進行していると血管が石灰化していることもある。そんなケースでの手術には、やはり経験が生きてきます」と菅野医師。

 心臓血管の手術と違って、足の手術は対象とする血管が長く、心臓の手術とは異なるノウハウが必要となる。

 「壊疽になりかかっていても、あるいはすでに壊疽が始まっていても、手術によって足の機能を維持、回復させることは可能」

 そう自信を見せる菅野医師の元には、近隣の医療機関からの紹介はもちろん、患者自身が噂を聞きつけて受診することも珍しくない。

 消化器外科出身の菅野医師は、大学の医局時代は、がんに浸潤された血管を切ってつなぐ手術で腕を磨いていた。その技術は今も高く評価され、国内有数のがん治療専門病院で行われるがんの手術で、血行再建術のサポートに駆り出されている。

 「大久保病院は、診療科間の壁がない点が最大の売りかも」と笑う菅野医師。医局の、医師の間の「風通しのよさ」は療養環境を高め、患者にとっての大きなメリットに直結する。

 環境と技術に秀でた血管外科治療が、日本最大の歓楽街で繰り広げられているのだ。 (長田昭二)

 ■菅野範英(すがの・のりひで) 1961年、北海道小樽市生まれ。86年、東京医科歯科大学医学部を卒業し、同大第一外科(当時)に入局。同大医学部附属病院、日産厚生会玉川病院、土浦協同病院勤務などを経て、2011年より現職。日本外科学会認定指導医・専門医、日本心臓血管外科学会認定機構修練指導医・専門医、日本脈管学会専門医。医学博士。趣味はウエートトレーニング、水泳。

家族が認知症になったら…考えたことある?

もしも自分の両親、夫の両親が認知症になったら…… と考えたこと、ありますか?みなさんもそう遠くない未来に、誰かを介護・看護する可能性は少なくありません。

■「面倒をみること」の意味 「どんなふうになっても、自分たちで面倒みますか?」と不安げにかたるトピ主さん。自分の家族がもしも認知症になってしまったら、自分は一体どうすればいいのかと悩んでいます。

トピには実際に病気をわずらっている家族がいる人からも意見が寄せられています。 『きれいごといってられなくなるよ。祖母が認知症になったんだけど、誰が誰だかわからなくなるし攻撃的になることもある。

ずっと一緒にいると本当にこっちがまいっちゃう。施設にいれたりヘルパーさんにきてもらうと「見捨てた」「手抜き」だのいう人もいるけど、自分がその立場じゃないからいえるんだろな。

家族が家族じゃなくなるんだよ。おばあちゃんってよんでもあなたどこの子?って……。

両親だったらもっとショックだと思う。』 『義理の父が認知症。預けたくない気持ちはわかるけど、認知症とつきあっていくには上手くデイサービスやショートステイを利用し、場合によっては施設のことも考えないと共倒れになってしまうこともあるとケアマネさんにアドバイスもらった。

大好きな義父だから、施設にはいることになって家族のことを忘れてしまっても、ちょこちょこ会いにいこうと思ってる。』 『私の両祖母、旦那の祖父が認知症。

まわりも自分も大変なのをみてるから、親は子どもに迷惑かけたくないといってるよ。本当に壮絶です。娘のことだって「知らない人がいる!お前誰だ!」ってなる。』

■今からできることってある? 介護や看護の問題なんてまだまだ先のこと、と考えていてはすでに遅いかもしれません。いつなにが起きるかわからない危機感をもって、できることから始めてみましょう。

『できるなら施設にお願いしたほうがいいと思う。認知症の介護なんて大変すぎて家庭まで崩壊しかねないから。』 『実親は施設にいれてと話している(貯金は大丈夫)。義親はお金がないからどうするんだろう?

でも、少子高齢化で施設やホームが足りない地域もあるから、料金が高い施設じゃないとはいれなそう。』 『私もそれが理想だけど、いざそうなったとき、タイミングよくそういう施設にいれてもらえるように、今から施設に寄付金とかしておかなきゃって思ってる。あとお金も貯めておかないと施設も続かないよね。

』 『私は預ける。普段から親とはそういう話してるし、親自身、ホームにはいる為に貯金してるよ。

まだ50代ですが。』 義理や人情を抜きにして、一度現実的に考えることが双方にとって大切かもしれません。大事な家族だからこそ、お互いにとってよい選択をする、意見を伝え合っておく。そうすることで安心できる点もあるはずです。

【日本の名医】安全性高い肌の再生医療を 患者自身の細胞を培養、注入★RDクリニック大阪院長 野洌義則さん(41)

大阪の中心、地下鉄御堂筋線・心斎橋駅から徒歩2分のビジネスビルにこの春オープンした「RDクリニック大阪」。肌の再生医療に専門特化した医療機関だ。

 ここで行われる治療は、患者自身の肌から細胞を取り出し、増殖・培養したものを患者の皮膚に注入するという内容。

自然な形で皮膚を再生し、若返らせる治療法だ。美容整形とは異なり、患者自身の細胞を使うため、安全性の高いアンチエイジングが実現するという。

 院長を務める野洌(やす)義則医師は、最近まで生まれ故郷の滋賀県内で、地域医療の最前線でプライマリケア医として活躍していた異色の医師だ。

 「病気を選べない“何でも屋”のような存在でした」と笑う。だが今、取り組んでいる再生医療は、かけ離れた世界からの転身。きっかけは、自身が口の周囲にヘルペスを発症したことだった。

 「それ以前から皮膚や美容に興味はありましたが、自分が顔に皮膚疾患を経験して、真剣に考えるようになりました。

皮膚のことを勉強するに従い、多くの場合、肌の悩みの背景に臓器の病気やメンタルの問題などが存在することを知り、自分の経験を生かせるのではないかと思うようになったんです」

 まだ歴史が浅い肌の再生医療。だからこそ医学的根拠に基づくガイドラインが必要だと野洌医師は訴える。

 「医学の世界では、10年、20年でスタンダードが変わっていく。この肌の再生医療も、10年後にはアンチエイジングのスタンダードになっている可能性は十分感じます」

 口調は穏やかだが、夢の実現への思いは熱い。肌の再生医療という新しい医療技術を大阪に根付かせるための、野洌医師の挑戦が始まった。 (長田昭二)

 ■野洌義則(やす・よしのり) 1973年、滋賀県生まれ。
97年、自治医科大学卒業。滋賀医科大学第一内科(循環器・呼吸器内科)に入局し、同大附属病院や滋賀県内の公立総合病院に勤務。その後、竜王町国民健康保険診療所に勤務し、地域医療と在宅医療に従事。今月より現職。趣味は将棋観戦と音楽鑑賞。

【日本の病院の実力】虎の門病院脳神経外科 患者への適正治療判断 診療科の垣根越え連携

突然死に繋がる、くも膜下出血では、およそ8割は、血管にコブが生じる脳動脈瘤(りゅう)の破裂が原因といわれる。

 近年、画像診断の発展により、小さな未破裂脳動脈瘤が見つかるケースも増えた。しかし、未破裂脳動脈瘤を持つ人の全てが、くも膜下出血になるわけではない。

治療の可否に加え、治療法にも、細い管のカテーテルによる脳動脈瘤コイル塞栓(そくせん)術か、頭を開いてコブをクリップで止める開頭クリッピング術かなど、選択肢がある。

 そんな脳動脈瘤をはじめとする「血管障害」に対し、脳神経血管内治療部とタッグを組み、成果を上げているのが虎の門病院脳神経外科。脳卒中センターの一翼も担い、神経内科とも連携しながら、脳卒中などの救急救命治療にも力を入れている。

 「救急も、日々の診療も、専門医の総合力を生かせるのが強みです。未破裂脳動脈瘤の治療では、患者さんは無症状のことが多い。

治療によって合併症を起こさないようにするのが、私たちの務め。自分の得意とする治療を患者さんに勧めるのではなく、客観的に見て、どの治療が適正かをチーム医療によって判断できます。その上で、得意分野の力が発揮できるため、スタッフのモチベーションも高い」

 こう話す同科の原貴行部長(44)は、脳神経外科治療のエキスパート。開頭クリッピング術や血管バイパス術、さらに、動脈硬化で首の頚(けい)動脈が狭まった状態を解消する頚動脈内膜剥離(はくり)術も得意としている。

 頚動脈が動脈硬化で狭まると、血栓が生じて脳梗塞に直結するため、無症状の段階での治療は予防効果が高い。ただし、手術だけでなくカテーテルによる治療法もある。手術か、カテーテル治療か、その選択も、チームワークが生かされる。 

 「患者さんの全身状態が、カテーテル治療でのリスクが高いこともあれば、手術のための全身麻酔によるダメージが大きいこともある。だからこそ、チーム力は不可欠。

診療科の垣根を越えた連携によって、患者さんにベストな治療を選択することができるのです」

 一方で、原部長は難症例の脳動脈瘤や脳腫瘍にも立ち向かう。母校の東大研修医時代から、技術に磨きをかけてきた。2010年、虎の門病院に着任してからも、その姿勢に変わりはない。脳神経のダメージを極力低減すべく、

神経の状態をモニタリングしながら行う手術も、ハイレベルな腕を持つ検査技師の協力を得て、さらなる技術向上を実現している。

 「他院で手術が無理といわれた症例も、基本的には断らないのがポリシー。絶対に引きません。前進あるのみ。スタッフのモチベーションが高いので、技術の継承にも力を入れているところです」と原部長。

 チームワークと技術レベルの向上で、難症例の克服にも挑み続けている。 

<データ>2013年実績
・手術総数298件
・開頭腫瘍摘出術63件
・開頭クリッピング術51件
・頚動脈内膜剥離術36件
・病院病床数889床
〔住所〕〒105-8470 東京都港区虎ノ門2の2の2 
(電)03・3588・1111

【日本の名医】海外で医療貢献の道切り開く 異色の小児外科医★NPO法人ジャパンハート代表 吉岡秀人さん(48)

今回は異色の医師を紹介する。NPO法人「ジャパンハート」の代表を務める吉岡秀人医師。専門は小児外科医。

 ジャパンハートとは、ミャンマーやカンボジアなどで医療貢献に携わる医師や看護師を派遣することを目的に、設立された団体。現在は日本国内の医療過疎地や、先の震災の被災地に開設した診療所などにも、医療スタッフを派遣している。

 その団体の代表を務める吉岡医師は、初めから海外での援助活動目的に医師になった。

 「情報のない当時、途上国での援助活動といえば、井戸を掘ることか医療貢献くらいしか思い浮かばなかった。どっちも得意じゃないけれど、井戸を掘るよりは医療のほうがまだ自分にできそうだと思って…」

 そう考え医学部に進学。卒業後は民間病院で小児救急を中心に一通りの診療科を経験。28歳の時に満を持してミャンマーに渡った。

 明らかに医療水準の異なる環境での診療を、日本のそれと比較しても意味がない-。そう感じた吉岡医師は、特に“困った”“つらい”という思いを持つことはなかったという。

 「医療技術の進んだ日本では、治すことは当たり前。いかにダメージを小さく治せるかがテーマですが、ミャンマーの医療は、命が救えるか否か-という究極的な問題。そんな状況に身を置いていると、“日本だったら”とか“あの設備があれば”といったことはどうでもよくなるんです」

 自身が切り開いた海外での医療貢献の道に、多くの医師や看護師が付いてきた。今はそうした仲間たちを、最も必要としているところへ、最も効率的に派遣するマネジメントに軸足を置く。

 日本では外来に出る機会はなくなったが、ミャンマーでは今も毎月手術をしている。

 「そうすることで自分の無力さを再認識できる。この仕事の最大の敵は“おごり”。定期的な自己修正は必要ですよ」

 そう言って笑顔を見せると、多くの子供や患者の待つミャンマー・ヤンゴンへ再び飛び立った。 (長田昭二)

■吉岡秀人(よしおか・ひでと) 1965年大阪府吹田市生まれ。大分大学医学部卒業。大阪、神奈川などの救急病院に勤務後、ミャンマーで医療活動に従事。97年に帰国し、川崎医科大学小児科講師などを経て、2003年、再びミャンマーへ。04年、国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立し代表。最新著書に「1歩を踏み出す50のコトバ」(すばる舎リンケージ刊、1365円)。

【日本の名医】前立腺肥大治療は個別性を重視 日帰り手術から切らない投薬まで★松下泌尿器科医院院長 松下全巳さん(60)

兵庫県東部、ちょうど瀬戸内海と日本海の中央に位置する「丹波市」は2004年、6つの町が合併して誕生した新しい市。その中の旧柏原(かいばら)町の市街地にある松下泌尿器科医院は、今年開業20周年を迎えるクリニックだ。

 院長の松下全巳医師は、前立腺がんや前立腺肥大症の手術を得意とする泌尿器科医。開業後もしばらくは後方支援病院の手術室で介助、指導をしていたほか、今も西日本では非常に珍しい「前立腺肥大症の日帰り手術」を実践するなど、全国的な知名度を持っている。

 「前立腺肥大症という病気は、人の顔と同じで十人十色。それだけに個別性を重視した診断と治療の組み立てが重要になり、そこが泌尿器科医としての腕の見せどころでもあるんです」

 手術が得意だからといって、何でも切ればいいというものではない。症状とデータを精査し、投薬治療でコントロールが可能と判断すれば、早い段階で長期的な治療方針を示すことで、治療に対する患者の積極性を高めるという。

 「近年、この領域ではいい薬も増えています。多くの場合α-1ブロッカーという尿道の緊張を和らげる薬を第一選択として使い、その効果を見ながらさまざまな薬を組み合わせていく。

そのためには、患者の訴えに耳を傾ける必要があり、決してパターン化された医療では対応できません」

 最新の情報を吸収するため、忙しい診療の合間を縫って学会には欠かさず出席する。医家向けの講演会の講師も数多く務め、そうした場面で生まれるネットワークを、医療連携という形で患者に還元していく。

 「まだまだ医療の質の底上げをしないと」

 先進的な地域医療をめざす松下医師の挑戦は続く。 

 ■松下全巳(まつした・まさみ) 1953年、神戸市生まれ。81年、神戸大学医学部卒業。同大泌尿器科教室に入局し、関西労災病院、西脇市立病院、兵庫県立柏原病院などに勤務。94年、松下泌尿器科医院を開業し理事長兼院長。趣味は旅行と写真。

【日本の名医】「白い奥歯」で爽やか笑顔を セラミックより安価な歯冠を臨床導入★大谷歯科クリニック院長 大谷一紀さん(40)

大学時代はアメリカンフットボールの選手。大学病院で研鑽(けんさん)を積んだのち、現在、上野(下谷)と青山のクリニックを行き来して、歯科診療の最前線で活躍する。

4代続いた歯科医師家系の長男として、最先端の歯科医療の研究と臨床応用に余念がない。

 「忙しいサラリーマンの患者さんも多いので、少ない回数でより良い治療を実践したかった。歯科医がほんの少し工夫するだけで、それは可能ですから」

 そう言って笑う口元からのぞく歯は、当然のことながら真っ白。

 大谷一紀院長が現在、取り組んでいるのが、新しい形態の「奥歯のかぶせ物」の臨床導入だ。

 従来、奥歯の虫歯治療で“かぶせ物”の必要が生じた時は、健康保険が適用されるのは金属のクラウン、つまり銀歯か金歯。白いセラミックの歯を入れるとなると、保険外で10万円程度の出費を覚悟しなければならなかった。

 「その中間に位置するかぶせ物が欲しかったんです」と語る大谷院長。

自身が開発に携わって出来上がったのが「ダイレクトクラウン」と呼ばれるセラミックとレジン(樹脂)のハイブリッド素材を使った“白いクラウン”。柔らかい素材をその場で形成し、LEDライトを当てることで硬化させる。従来の補綴(ほてつ)と違って、一度の治療で完結するのが最大のメリットだ。

 「4年前に研修で渡米した時に初めて見ました。価格はセラミックの5分の1程度なので、患者さんの経済的負担は小さくて済む。自由診療の敷居を低くする技術だと思います」

 価格は医療機関ごとに多少の差はあるが、大谷医師のクリニックでは、1本2万8000円。これで笑った時に口元に見える銀歯の輝きを気にしなくて済むなら、決して高くはない。

 「銀歯からダイレクトクラウンへの交換を希望する人は多い。50代男性で、上下左右8本をまとめてこれに代えた人もいます」(大谷院長)

 人前でさわやかな笑顔を見せられるか否かで、ビジネスの成果は大きく左右される。大谷院長の挑戦は、日本のビジネスマンにとって人ごとではないのだ。 

 ■大谷一紀(おおたに・かずのり) 1973年、東京都生まれ。
97年、日本大学歯学部卒業。同大歯科補綴学第III講座入局。2000年より大谷歯科クリニックに勤務。11年より理事長。現在、東京都港区の青山ホワイテリアデンタルクリニック副院長を兼務。日本歯科補綴学会専門医、エステティック・エクスプローラーズ会長、日本顎咬合学会認定医。歯学博士。趣味は渓流釣りと自転車。

【日本の名医】肝臓がん治療ナノナイフで挑む 血管、神経傷つけず細胞だけを殺す★東京医科大学・消化器内科主任教授 森安史典さん(63)

そこに病気が発生しても、なかなか症状を現わすことがないことから「沈黙の臓器」の異名を持つ肝臓。病気の発見、治療の双方において、難度の高い臓器の一つだ。

 東京医科大学消化器内科主任教授を務める森安史典医師は、この肝臓疾患の診断と治療の双方で数多くの功績をあげ、今も最先端の医療技術の導入と普及に力を入れる消化器内科医だ。

 「見つけにくい病気を早期で発見し、治療までトータルで診ることができるのが肝臓治療医の醍醐(だいご)味」と語る森安医師。日本で初めての肝臓造影超音波検査に携わるなど、肝臓病治療の第一人者として高い知名度を誇る。

 そんな森安医師が今、手がけている最先端の治療技術がある。「ナノナイフ(IRE)」と呼ばれる低侵襲のがん治療法だ。

 「従来はラジオ波焼灼(しょうしゃく)術という治療法が一般的でした。がん組織に電極を2本刺し、その間にラジオ波を流すことで、がんを焼く治療法ですが、IREはそれを高度に進化させたもの」と森安医師。その仕組みはこうだ。

 がん組織に3-4本の電極を刺し、この間で3000ボルトの高電圧を流すことで、がん細胞に1ナノメートル(10万分の1ミリメートル)の穴を開け、これによってがん細胞を死滅させる治療法。従来のように「焼く」わけではないので、血管や神経にはダメージが及ばない。細胞だけを殺していく。

 すでに欧米では導入されているが、日本では森安医師らの東京医大のチームが第1号。今年2月、先進医療を視野に入れた臨床試験をスタートさせている。

 「肝臓だけでなく、将来的には膵(すい)がんなどにも適用範囲が広がる可能性がある」と語る森安医師。

 「未来の肝がん治療」への取り組みが今、西新宿で始まっている。 

 ■森安史典(もりやす・ふみのり) 1950年、広島県生まれ。75年、京都大学医学部卒業。倉敷中央病院、天理よろづ相談所病院、京大医学部附属病院に勤務を経て、87年、米国エール大学で共同研究。96年、京大助教授。2000年より現職。肝臓学会肝臓専門医試験委員、同生涯教育委員、科学研究費委員会専門委員他。医学博士。趣味はゴルフ。

心臓外科の名医 かつての“3K職場”での経験がいまも生きる

重症の患者や痛みに長年苦しんでいる人を救う外科医。自身の技術を上達させ、患者の負担が少ない低侵襲の手術を実践する名医に、週刊朝日MOOK「『名医』の最新治療」で迫った。その中から、小倉記念病院副院長であり、心臓血管外科主任部長の羽生道弥医師(57)を紹介する。

■どんなに難しい患者でも絶対に諦めない

 ひと口に心臓病と言っても、心筋梗塞、弁膜症、大動脈瘤(りゅう)とさまざまある。心臓病の手術数が全国トップレベルの小倉記念病院(福岡県北九州市)。心臓血管外科主任部長として腕を振るっているのが羽生医師だ。出血の少ない正確な手技は、同じ心臓外科医からも一目置かれている。

 ただ本人は謙虚で少しも偉ぶるところがない。今回の取材を申し込んだときも、「私でいいんですか?」と控えめだった。

「他の著名な心臓外科医と比べて派手さはないし、口下手なので……」

 2017年で医師32年目を迎える。年間の執刀数は約300例、通算では4千例を超え、日本のトップ心臓外科医の一人だ。だが意外にも、大学の医学部生のときは「小児外科」志望だった。

「乳幼児の生命力の強さに惹かれました。大人と違って『どこが痛い』と言えなくても原因を探りあて、治してあげたいと思ったんです」

 ところが大学6回生のとき、研修先の京都大学病院で考えが変わる。小児外科と同じ病棟内に心臓血管外科があり、重症患者にチームワークで挑む先輩たちを見て、「心臓は生命により深く関わる分野。自分も力になりたい」との気持ちが強くなった。

 1986年、医学部を卒業して心臓血管外科医に。病院の手術室で先輩から技術を学び、手術後は病院に泊まり込んで患者の容体を細かくチェックする毎日だった。

「当時の心臓血管外科は“3K職場”でしたよ(笑)。でも泊まり込んで、術後の患者さんの様子を細かく診られたことは大きな経験でした。当時の心臓手術は術後の合併症が多かったのですが、どんな状態が続くと合併症が現れるのか。それを未然に防ぐには、どんな手を打てばよいのか。いろいろ学ぶことができました。命もかなり救いましたよ。経験は今も生かされています」

 続いて移った土谷総合病院(広島市)では成人に加えて、新生児や小児の心臓手術を数多く担当した。ここでも麻酔科医と泊まり込み、手術と術後のケアを繰り返し学んだ。

■日本を代表する3人の医師から学ぶ

 その羽生医師には“3人の恩師”がいるという。はじめの京都大学病院では伴敏彦教授(当時)、土谷総合病院では望月高明医師、小倉記念病院では岡林均医師の指導を受けた。いずれも日本を代表する心臓血管外科医だ。

「3人の先生からは技術や治療方針の立てかたはもちろん、『絶対に諦めない』という姿勢を学びました。他では手術を断られた重症の患者さんも、思いをくみ取り、何とか手術できないかと必死に策を考える。手術中に容体が急変しても、『必ず立て直す』と諦めない。その姿勢と、ここぞというときの『引き出しの中身』を間近で学べたことは大きかったです」

 今働いている小倉記念病院には、九州全域や広島県、遠くは関東からも患者が集まる。16年春、弓部大動脈瘤の患者が来院した。かつて別の病院で手術を受けた際に冠動脈につないだバイパス(内胸動脈)2本が、弓部大動脈瘤に巻き込まれていて、しかも瘤が胸骨に密着しているという深刻な状態。普通に手術をすれば瘤が大破裂することは必至だった。

 しかし羽生医師は絶対に諦めないという姿勢で、大動脈弁狭窄(きょうさく)症の治療に用いる「経カテーテル術(TAVI)」も取り入れ、弓部大動脈を人工血管に置き換える手術を行った。時間はかかったものの無事に成功し、患者は元気さを取り戻した。

 そんな羽生医師の得意な手術の一つが、人工心肺装置を使わずに行う「心拍動下冠動脈バイパス手術(オフポンプ)」だ。狭心症で心臓の冠動脈の血流が悪くなった場合、別の血管を迂回路(バイパス)としてつなぎ、血流を回復させる。

 90年代までは心臓の動きをいったん止め、代わりに人工心肺装置で全身に血液を送りながらのバイパス手術(オンポンプ)が大半だった。しかし患者の負担が大きいこともあり、今では人工心肺装置を使わず、心臓を動かしたまま血管をつなぐオフポンプ手術が主流になっている。

 ただそのぶん、執刀医には高い技術が要求される。冠動脈は直径1.5~2ミリほどで、手術時の心臓は動いたまま。その状況下で、迂回路となる血管を素早くつないでいく。しかも通常は3~4カ所の冠動脈にバイパスをすることが多い。

「手術では出血させないことが重要です。出血すると処置が必要で、時間もかかってしまう。迂回路となる血管をつなぐときは、心臓の拍動に合わせて一発で決める。バイパス手術の基本は『確実に着実に』です」

 同手術は全身麻酔で行われることもあり、患者への負担はカテーテル治療より大きい。ただし1回で数カ所まとめて手術して、問題を解決する。術後、胸痛や息切れなどのつらい症状は消え、多くは見違えるように元気になる。

「7年前に狭心症でカテーテル治療を繰り返していた若い患者さんがいました。3カ月ごとに会社を休んで入院、検査に治療。職場ではかなり肩身が狭かったようです。内科医の勧めもあって、冠動脈バイパス手術をしました。2週間入院しましたが、その後は再発することなく元気に仕事に打ち込まれています。こうした再発率の低さもバイパス手術の大きなメリットです」

■万全の準備をして最高の状態で臨む

 06年に小倉記念病院の心臓血管外科主任部長になってから10年が経つ。もう熟練の域に達していると思われる羽生医師だが、「まだまだです。それに完成したと思ったら医療の進歩はありません」とあくまで探究心を忘れない。連日、重症例の心臓手術に取り組み、24時間365日態勢で緊急患者も受け入れる。

 手術が終わり、翌朝に合併症もなくホッとしていたら、次の患者が来るという繰り返しだ。

「通常の手術では準備万端整えて、最良のコンディションで臨むようにしています。患者さんもいい状態にして、麻酔科医や看護師、臨床工学士のスタッフも最高の実力を発揮する。手術時は一つひとつ確認作業を怠らない。鉄道の運転士が細かく指さしして、安全確認をしながら列車を動かすように、手術でも何百という確認作業があります。それを一つずつクリアしながら進めていく。一方、緊急の患者さんが搬送されてきたときは、王道が通じないことも多い。『どんな方法だったらうまくいくのか?』を即座に考え、決断し、チームで実行していきます。今後も最高の治療を提供していきたいですね」

小倉記念病院 副院長 心臓血管外科主任部長 羽生道弥
1986年、京都大学医学部卒。同大学病院、土谷総合病院を経て、2001年から小倉記念病院。06年に主任部長、13年副院長。
<実績> 合計手術数 約4000例(冠動脈バイパス手術2000例、心臓弁膜症の手術2300例、胸部大動脈瘤の手術600例など。合併手術のため重複あり)

【日本の病院の実力】インターフェロン療法に実績!C型肝炎の新薬開発も★国立国際医療研究センター国府台病院

国内でC型肝炎ウイルスの感染者数は約200万人。このうち年間約3~4万人が肝がんで死亡している。米国では感染者が400万人だが、肝がん患者は約1万人と日本より少ない。ウイルスに感染してから肝がんに至るまで、およそ30年を要するため、国によってタイムラグがあるのだ。

 日本は1920年代からと、世界で一番早い時期にC型肝炎ウイルスが国内に広がっている。その結果、肝がんを発症する人が他国に比べて多い。ただし、89年に米国でC型肝炎ウイルスが特定された後、感染予防と感染した人への新たな治療法の研究が進められている。

 そして、日本では国による肝炎総合対策も立てられた。予防法をはじめ、早期発見と適切な治療を行うための情報提供や、医療従事者に対する研修、最新の治療法の研究などさまざまな内容となっている。

 その柱として2008年10月に開設されたのが、国立国際医療研究センター国府台病院「肝炎・免疫研究センター」だ。世界的にも最先端の研究を行い、ナショナルセンターとしての役割も担っている。新研究棟も完成し、今月1日には開所式が行われた。

 「92年には1割の患者さんしか治らなかったC型肝炎は、05年時点でインターフェロン療法により、約5割の人は治るようになりました。今では、薬の効く人とそうでない人を事前に調べる診断法があり、より治療を適切に行えるようになっています」

 こう話す肝炎・免疫研究センターの溝上雅史センター長(64)は長年、肝炎の診断、治療、研究に取り組んでいる。遺伝子の違いによって、インターフェロン療法の効果に違いがあることを共同研究で特定し、治療前に測定する方法も確立した。

 溝上センター長は、08年に名古屋市立大学から赴任して以来、センターの設立に尽力する一方で最先端の研究も行っている。

 「遺伝子型を事前に測定すると、その型によって8~9割の人には治療が有効になります。そして、型が合わない人には、効果のない治療を行わないことで、副作用を回避することができるのです」

 さらに、従来のインターフェロン療法で効果を得られない人のために、新たな薬の開発にも力を入れている。治験も多数実施。日本に遅れてC型肝炎ウイルスが広がっている世界各国も、最新治療の先頭を走る日本の医療に注目している。

 「新たな診断法や新たな治療法の開発により、4~5年後にはC型肝炎はほぼ治る時代になるでしょう。そして、より副作用の少ない治療法も確立するでしょう。患者さんが安心して診断と治療が受けられるように、さまざまな角度から臨床に役立つ研究を進めていきたいと思っています」

 その取り組みは、新研究棟が開所したことで弾みがつくだろう。

<データ>実績
・C型肝炎患者数 500人
・インターフェロン治療人数 50人
・新しい薬の治験数 30人
・病院病床数 577床(現在の受け入れ可能は353床)
〔住所〕〒272-8516千葉県市川市国府台1の7の1
(電)047・372・3501

ノーと言わない天才外科医 「どこかに突破口がある」外科医で、米コロンビア大教授の加藤友朗氏

【転機 話しましょう】

外科医で、米コロンビア大教授の加藤友朗さん(49)は、他の病院で治療不可能と診断された末期症状の患者の命を数多く救ってきました。「どこかに突破口があるのではないか」。あきらめず、粘り強く考えることで、新たな道が開けることも多いといいます。(平沢裕子)

 ■「ノー」と言わない

 主に肝臓や小腸の移植医として、子供から大人まで1千件以上の移植手術をこなしてきた。米国では「切除不可能とされたがんでも取る外科医」としても知られ、末期がん患者の手術も手がける。

 「どんな症例の患者さんがきても最初から『ノー』と言わない。一から洗い直し、何かできないか考える。もちろん成功しない例もたくさんあるが、ノーと言わずにやってきたことが、今の仕事につながっている」

 ノーと言わない姿勢を身につけたのは、医師になって2年目の研修医時代。敗血症で多臓器不全寸前の患者を救うため、徹底的にカルテを洗い直し、その患者に使用していない抗生物質があることに気付いた体験がきっかけだ。

著書『「NO」から始めない生き方』(集英社)で、このときの体験を「結果として患者さんを救えたことは『枠をはみ出して考える』『あきらめずに粘る』という医師としての僕の基本姿勢をつくったと思う」とつづっている。

 海外で働くことは子供のころからのあこがれだった。夢を実現するため国内での研修を終え、渡米。米マイアミ大学で研修医として勤務するが、いざ臨床に携わると、患者や指導医の話す英語がほとんど理解できず「要注意研修医」のレッテルを貼られる。

言葉ができないために本来の研修医以外の仕事も押しつけられ、指導医の1人からはことあるごとにいびられた。ただ、患者と看護師からの評判はよかった。

 「他の医師が電話ですませるようなことでも、僕は必ず患者さんの元へ行って対応した。電話だと言っていることが分からなかったためだが、それが逆に患者さんの信頼につながった。

僕をクビにする話が持ち上がっていたが、看護師が『言葉はだめだけどまじめに仕事をする』とかばってくれ、なんとかクビがつながった」

 状況が変わったのは、“天敵”ともいえる指導医が執刀医を務める肝臓移植手術がきっかけだ。外科医として5年目で、本来なら執刀医の次の第1助手となるべき立場だったが、第3助手として手術に入った。

第2助手は2年目の研修医。手術の成否は助手に左右されることも多いが、第2助手は経験不足もあり患者の出血にうまく対応できなかった。

「このままでは患者さんの命にかかわる」。見かねて代わると状況が好転、手術は無事成功した。この日を境に指導医の態度はがらりと変わった。

 これ以降、すべてのことがうまくいくようになる。ミーティングで治療方針を検討する際も、以前は「何を言ってるんだ」と軽くあしらわれたのが、話を聞いてもらえるようになった。

 ■世界初の手術

 決定的な転機となったのは今から5年前。この病院で、世界初の難手術に成功したことだ。患者は63歳の米国人女性で、内臓の筋肉にがんの一種の「平滑筋肉腫」を発症。大動脈を巻き込む形で大きながんがあり、他の病院から手術不可能と診断されていた。 

通常は開いた腹部からがんだけを取り出すが、この方法ではがんを取ると残された臓器に血液がいかなくなり、臓器が壊死する可能性があった。

そこで、胃や肝臓、小腸など6臓器を体外に取り出し、がんを切除した後に体内に戻すことにした。過去に手掛けた多臓器移植を応用した手法だが、それまで世界中でだれもやったことがなかった。

 手術後、CNNやニューヨーク・タイムズなど全米の主要メディアが「日本人天才ドクター、世紀の大手術に成功」などと報じ、全米から問い合わせが殺到した。

 「移植技術の応用と聞くと『なあんだ』と思うかもしれないが、当時はだれも考えなかった。医者の世界はこの症状ならこの手当てと治療のエビデンス(根拠)をたたき込まれ、発想が小さくなりがちだ。

研修医時代の体験で常識を疑うクセがついていたのと、あきらめずに解決を探る姿勢が身についていたことで、新しい分野を開拓することができた」

 8年前から南米、ベネズエラの移植医療も手伝っている。移植手術を受けさえすれば、途端に健康になれる人は世界中にたくさんいる。世界をまたにかけた忙しい日はまだまだ続きそうだ。

 ■加藤友朗(かとう・ともあき) コロンビア大学医学部外科学教授。
昭和38年、東京都生まれ。62年に東京大学薬学部卒業後、大阪大学医学部学士入学。平成3年卒業。臨床研修終了後に渡米、マイアミ大学移植外科勤務。米国で脳死ドナーからの肝臓および小腸の移植手術を多数手がける。12~14年に阪大付属病院勤務、生体肝移植にも携わる。著書に『移植病棟24時』(集英社)など。

 --大学は最初、薬学部ですね

 「中高生のころ、生物の授業でDNAを解明したワトソンとクリックの話を聞いて分子生物学に興味をもちました。

子供のころから医者になりたいと漠然と思っていたものの、当時は分子生物学の研究者の方に魅力を感じて、それなら東大の薬学部がいいと薦められて。医学部の受験は大変という思いもありました。

でも、大学で実験を始めたら、自分が目指していたものとは違うと気づいた。結局、卒業後に学士入学制度のあった阪大医学部を受験し直しました」

 --日本で研修医2年目に米国の医師資格試験に合格します。試験は難しくなかったですか

 「内容は日本の医師国家試験と変わらないが、問題は英語で答えられるかどうか。僕はたまたま運転免許を失効して教習所通いをしなければならなくなり、病院の医局に寝泊まりしていました。夜間はすることがなく、試験勉強ができた。免許の失効がなければ勉強しなかっただろうから、試験に合格しなかったと思う。人間万事塞翁が馬です」

【日本の名医】心肺停止の救命率向上に挑戦 慶應義塾大学病院救急科 助教林田敬さん

 JR総武線信濃町駅の目の前にそびえる慶應義塾大学病院。日本を代表する大学病院の一つだ。ここの救急科(ER)勤務の林田敬医師は、「救急」という医療分野をアカデミックに捉え、基礎研究と臨床の両面から追求する若手医師。

 「医師になりたての頃、救急で運ばれてきた心肺停止の妊婦を担当したのですが、母子ともに命を救うことができなかった。この時の悔しさから自問自答を繰り返すようになり、根本から勉強しようと考えたんです」

 その思いに突き動かされるように上京。現在の教室に入ると、忙しい臨床と並行して、自らに課したテーマ「心肺停止の学術的解明」に向けた研究に取り組んでいる。

 「現在でも心肺停止状態から社会復帰を果たせるのは10%以下と言われ、非常に高い壁であることは事実です。しかし、突破口がないわけでもない」

 そう語るように、あるアプローチで、この生死のふちからの生還の確率が、高まる可能性があるというのだ。

 「水素ガスを使う方法です。水素ガスは分子量が小さく、アルミニウム以外の物質は透過します。

しかも、心肺停止の原因となっている活性酸素のうち、最も悪玉とされる成分のみを除去する作用があるので、非常に効果的な作用が期待できるのです」

 現在、慶大では、林田医師を中心としたチームで、心肺停止蘇生(そせい)後の患者に水素ガスの吸入を行う臨床試験が進行中。

これが成功すれば、救急医学を志した自身の目的が達せられるだけでなく、世界中の医療消費者に大きなメリットをもたらすことになる。

 その研究をさらに進化させるため、林田医師は今秋から米国・ハーバード大学に留学する。夢の実現に向けて、新たな挑戦が始まる。 

 ■林田敬(はやしだ・けい) 1977年、福岡県生まれ。
2002年、鹿児島大学医学部卒業後、同大麻酔科・集中治療科入局。06年、慶應義塾大学救急科入局。同大学病院、済生会横浜市東部病院などに勤務。日本救急医学会専門医、日本麻酔科学会麻酔科専門医、日本集中治療学会集中治療専門医。趣味は「子供と遊ぶこと」。

【日本の名医】可能な限り話を聞く“オーダーメード診療” 前立腺肥大症を楽に★しもがき泌尿器科クリニック理事長兼院長 下垣博義さん(51)

大阪駅からJR線で一駅。塚本駅前のアーケードを抜けたところにある「しもがき泌尿器科クリニック」は、6年前にオープンした泌尿器科専門の診療所。

理事長兼院長の下垣博義医師は、長く高機能病院で内視鏡などを使った低侵襲手術を行ってきた泌尿器科医だ。

 「このクリニックの患者さんで多いのは、前立腺肥大症や性感染症、女性の過活動ぼうこうも3割程度います」と下垣医師。とりわけ前立腺肥大症については勤務医時代から力を入れて診てきただけに、開業してからも多くの患者が集まってくる。

 「前立腺肥大症はがんと違って良性疾患なので、症状をなくし、患者が楽になるにはどうすればいいのか-を追求することが何より求められます」

 そう語り、可能な限り患者の話を聞いて、その患者にとって最良と思われる治療方針を立てていく姿勢を堅持する。

 「まずα-1ブロッカーという、尿道の圧迫を緩めて排尿の勢いを改善する薬を使います。その上で、症状の落ち着き方を見ながら、患者個別の状況に応じた対応を考えていく。ある意味“オーダーメードの医療”ということになります」

 前立腺肥大症で訪れる人は60-70歳代が中心。夜間頻尿など日常生活で感じる支障が大きくなってから来院するケースが多いが、前立腺肥大症の背景には糖尿病や高血圧、脂質代謝異常症などの生活習慣病が関連していることも多く、甘く見ると取り返しのつかないことにもなりかねない。

 「開業してからは内科系を中心に泌尿器科以外の診療科の勉強会などにも出るようになりました」と向学心旺盛な下垣医師。

 「街の頼れる泌尿器科医」として、活躍の場が広がっている。 

■下垣博義(しもがき・ひろよし) 1962年、大阪府池田市生まれ。
88年、神戸大学医学部卒業。同大附属病院、原泌尿器科病院、神鋼病院、兵庫県立尼崎病院、関西労災病院などに勤務後、2009年、「しもがき泌尿器科クリニック」を開設し理事長兼院長に就任。日本泌尿器科学会専門医、日本内視鏡外科学会認定医、日本性感染症学会認定医。趣味はダイエット(食事コントロール)と、ジムで汗を流すこと。

【日本の名医】患者が求める心のケアを 必要に応じ漢方投薬も★吉村クリニック院長吉村英樹さん(59)

常にストレスと隣り合わせの現代人。慢性的な過労や緊張状態、さらにはその先にある鬱によって、生活を縛られている人は少なくない。

 都営地下鉄新宿線・曙橋駅前にある吉村クリニックは、ストレスからくるさまざまな精神症状に悩む人たちに高く支持される心療内科クリニックだ。

 「ストレス症状の治療は、画一的であってはならない」と話すのは院長の吉村英樹医師。特に会社での問題に端を発して症状が現れているケースは、患者が求める治療の方向性を正しく理解する必要があるという。

 「診断書を書いて休職させることは簡単ですが、当人が職場から離れることを求めていないのに無理に休ませると、逆に状況を悪化させる危険性もある」

 そう語る吉村医師は、必要に応じて漢方薬も用いた投薬で改善を図りながら、状況に応じた弾力性のある治療を模索する。

 以前は鬱や神経衰弱というと、神経の細やかな人がなる病気というイメージが強かったが、必ずしもそうではないようだ。特に最近の傾向として、優秀な人ほどストレスに負けて崩壊してしまうケースが増えているという。

 「仕事ができる人に難しい仕事が集中し、そんな人ほど断ることができない。しかも最近は上司の話を聞き流すことが苦手な人が多く、優秀な人ほど真剣に話を聞こうとして身動きが取れなくなっていく…」

 丁寧に患者の話に耳を傾け、それでいて必要以上に相手の心に割り込もうとしない、吉村医師の診療姿勢。その適度な距離感が、患者に大きな信頼感を与える。

 そんな自身のストレスは大丈夫なのだろうか。

 「人の話を聞くのが好きでこの仕事を選んだので、診療でストレスを感じることはないですね」

 飄々としたその笑顔が、心に重荷を背負う人たちに安らぎを与える。 (長田昭二)

■吉村英樹(よしむら・ひでき) 1954年、東京都生まれ。
徳島大学医学部卒業後、東京女子医科大学精神科教室に入局。98年、吉村クリニックを開業し院長に就任。精神保健指定医。医学博士。趣味は写真、音楽鑑賞、猫と遊ぶこと。

【日本の名医】韓国語を自在に操る女性歯科医 患者の希望に沿った治療を提供★二宮歯科医院(東京・中央区)平山昌子さん(32)

海外で具合が悪くなった時に、日本語で診察が受けられたら安心感は大きい。同じことは日本に来ている外国人にも言えるはず。

 日本橋小舟町にある「二宮歯科医院」で歯科診療にあたる平山昌子さんは、韓国語を自在に操る歯科医師だ。

 「韓国語は文法的にも日本語に近いので、以前から興味があったんです。1年間韓国に留学した経験を、韓国から日本に来ている人たちの歯科治療に少しでも役立てられたらうれしいですね」

 そんな平山さんを頼って通院する韓国人患者もすでにいる。潜在ニーズは小さくないはずなので、今後口コミで拡大していく可能性は大きい。

 そもそも平山さんが歯科医師をめざしたきっかけは何だったのか。

 「実は私自身が歯科治療を受けた経験が一度もないんです。そんな立場から“予防の重要性”をアピールしたかった」

 なるほど、取材中に時折、見える歯は見事に真っ白。同じ口腔(こうくう)衛生を指導されるにしても、強い説得力を伴ってくる。

 勤務先の二宮歯科医院は、睡眠時無呼吸症候群(SAS)治療の分野で知られるクリニック。平山さんも、SAS治療の専門性を高めることを目標の一つとしている。

 「歯科領域の中でもSASは新しい分野。それだけに勉強できることも多いと思って…」と、何ごとにも積極姿勢を貫く。

 日頃の診療で心がけていることは“患者の希望に沿った治療”。

 「いくつかの選択肢を挙げて、患者さんと話し合いながら、希望に一番近い治療を選んでいくように心がけています。その分、勉強しておかなければならないことも増えますが…大丈夫です(笑)」

 二宮健司院長も「確実な仕事ぶりは安心して見ていられる。コミュニケーション能力も抜群です」と高評価。

 高い専門性と向学心、そして韓国語を武器に、平山さんの挑戦は続く。

 ■平山昌子(ひらやま・まさこ) 1980年愛媛県生まれ。2004年鶴見大学歯学部卒業。同大附属病院、民間の歯科クリニックに勤務。その間に1年間、韓国に語学留学。11年5月より現職。趣味は料理と旅行。

【日本の名医】「国内初」栄養療法の専門医 鬱病、不妊、自閉症…広範囲の疾患に効果★新宿溝口クリニック院長 溝口徹さん(49)

栄養療法の専門クリニックとしてメディアでもたびたび取り上げられる新宿溝口クリニック。院長の溝口徹医師は、ペインクリニックを専門とする麻酔科医だった。

 「妻が2人目の子供を出産後に、めまいなどの不定愁訴に悩まされるようになったんです。その後も症状はひどくなるばかりで、普通に日常生活を送れない状況になってしまった…」

 そんな妻を救いたい一心で、いろいろな治療法を勉強していった。ようやくたどりついたのが、現在、自身のクリニックで行う栄養療法だった。

 「食生活を改め、鉄分やビタミンB群の摂取を始めたところ、それまでの状態がウソのようにキレイに治ってしまったんです」と語る溝口医師。その後も栄養療法の研鑽(けんさん)を積み、その知識を臨床に生かす取り組みを続けてきた。

 元はカナダの精神科医が、精神疾患に対する薬物治療に限界を感じて開発していった歴史を持つ治療法。

そのため鬱病やパニック障害の治療には非常に大きな効果を発揮する一方、がんの進行にブレーキをかけたり、不妊、子供の発達障害、自閉症、アトピー、糖尿病、メタボリックシンドロームなど広範囲な疾患にも適していることが後になって分かってきた。

 そのため溝口医師の外来を受診する患者の層もきわめて多岐にわたる。

 「栄養療法の知識のない医師の中には“代替療法の一種”として色眼鏡で見る人もいますが、特に紹介状も必要ないので、主治医には黙って受診する人も少なくない。

経過が良くなってからここに通院していることを打ち明けられて、『どんなことをしているんですか?』と主治医から質問されることもありますよ(笑)」

 どこに行っても、何をやっても効果が得られなかった人の駆け込み寺として、溝口医師の外来は今日もにぎわっている。 

■溝口徹(みぞぐち・とおる) 1964年、神奈川県生まれ。
90年、福島県立医科大学卒業。横浜市立大学附属病院、国立循環器病センターに勤務後、神奈川県藤沢市に溝口クリニック(現辻堂クリニック)を開設し院長。2003年、日本初の栄養療法専門クリニックとして新宿溝口クリニックを開設し現職。趣味は海釣り。

【日本の名医】「受診しやすいクリニック」にこだわった泌尿器科専門医 患者目線で待合室も男女別に

東急田園都市線の宮前平駅(川崎市)から徒歩2分の閑静な住宅地に建つ「K-クリニック」。院長の河上哲医師は、地元出身の泌尿器科専門医だ。

大学卒業後は神奈川県内の病院で実績を積み、やはり医師だった亡き父の診療所があったこの地で開業を決意する。

 「病院勤務の中で、“外科に行くまでの絞り込み”の重要性を考えるようになったんです。本当に入院して手術が必要なのか、あるいは薬を使って通院外来で対応するべきか-を、高い専門性で分類する役割の医療が必要だろうと…」

 河上医師が医学部を卒業した当時と今では、泌尿器科の治療も隔世の感があるという。

 「例えば、前立腺肥大症も、当時は手術が基本でした。しかし、その後、治療薬の開発が進み、いまはα1ブロッカーに代表される効果と安全性に優れた薬が臨床に導入されている。

手術の割合が大幅に低下していることからも、内科的アプローチの技術向上が進んでいることは明らかです」

 それだけに、地域に密着した泌尿器科外来を行う開業医の存在は増すのだが、そこで河上医師がこだわったのが「受診しやすいクリニック」というコンセプトだ。

 「日本人の多くは泌尿器科に対して“恥ずかしい相談をするところ”というイメージを持っています。でも決してそうではなく、中高年になれば誰もが持つ悩みであり、きちんと治療することで生活の質も改善できると知ってほしかった」

 待合室もさりげなく男女を分けた。特に「採尿」など、診療の上でも使用頻度の高いトイレは、男女が出入口で顔を合わせることのない設計だ。

 開業して8年になるが、「今も毎日が勉強です」と謙遜する。その温厚な診療姿勢が、多くの患者の支持を集める。 

■河上哲(かわかみ・さとし) 1969年、神奈川県川崎市生まれ。
93年、横浜市立大学医学部卒業。2000年、同大学院医学研究科修了。同大附属病院、横浜南共済病院、川崎市立井田病院、神奈川県立がんセンター、横浜船員保険病院などの勤務を経て、06年、K-クリニックを開設し院長。09年より、横浜市大客員准教授を兼任。医学博士。趣味はクラシック音楽鑑賞、水泳、子供と遊ぶこと。

【日本の名医】呼吸器治療で全国に先駆け 「呼吸リハビリ」にも注力★要町病院(東京・豊島区)院長 吉澤孝之さん(54)

東京メトロ有楽町線と副都心線「要町駅」を出た目の前で、1957年から診療を続ける要町病院。ここの院長を務める吉澤孝之医師は、呼吸器科領域で全国的知名度を持つ内科医だ。

 まだ睡眠時無呼吸症候群という病気があまり知られていなかった1980年代、海外の文献から情報収集に努め、その診断と治療の先駆者としてリードしてきた。

 特にその体形から発症リスクの高い相撲界では、吉澤医師によって命を救われた力士も多い。元横綱大乃国の芝田山親方などは、吉澤医師を「命の恩人」と公言するほど、という。

 一方、「禁煙治療」に対する吉澤医師の動きも早かった。

 保険診療が認められた2006年に、都内でいち早く「禁煙外来」を立ち上げ、自身のクリニックだけでなく、母校・日大病院の禁煙外来も切り盛りする忙しさ。

 「むやみにたばこを取り上げるのではなく、患者自身に禁煙する意味を理解してもらうことが重要。

ニコチンに対する依存には薬を、習慣から来る精神的な依存にはカウンセリングを効果的に取り入れることで、モチベーションを高めるよう努力しています」

 そんな吉澤医師が現在力を入れているのが「呼吸リハビリテーション」。COPD(慢性閉塞〈へいそく〉性肺疾患)や肺がんの術後など、呼吸機能が低下した人を対象としたリハビリだ。

 「一度低下した呼吸機能を取り戻すことはできません。しかし、リハビリで呼吸のコツをつかむことで、呼吸困難に陥った時などのパニックを防ぐことはできる。

これによって日常生活の行動範囲が広がるので、寝たきりの予防や、息苦しさから派生する“うつ”などの精神症状の回避にもつながる」と吉澤医師。

 28歳の時に病院創立者である父を亡くし、医療経営と臨床の経験を並行して積み重ねてきた苦労人。その柔和な笑顔と温厚な人柄を慕って、今日も関東一円から患者がやって来る。

■吉澤孝之(よしざわ・たかゆき) 1958年、東京都県出身。83年、日本大学医学部卒業。
現在、要町病院の他、サテライトの要クリニック、要第2クリニック、さらに日大医学部附属板橋病院でも診療。日大医学部臨床准教授を兼任。医学博士。趣味は骨董(こっとう=酒器)と読書。

【日本の名医】「受診しやすいクリニック」にこだわった泌尿器科専門医 患者目線で待合室も男女別に

東急田園都市線の宮前平駅(川崎市)から徒歩2分の閑静な住宅地に建つ「K-クリニック」。院長の河上哲医師は、地元出身の泌尿器科専門医だ。

大学卒業後は神奈川県内の病院で実績を積み、やはり医師だった亡き父の診療所があったこの地で開業を決意する。

 「病院勤務の中で、“外科に行くまでの絞り込み”の重要性を考えるようになったんです。本当に入院して手術が必要なのか、あるいは薬を使って通院外来で対応するべきか-を、高い専門性で分類する役割の医療が必要だろうと…」

 河上医師が医学部を卒業した当時と今では、泌尿器科の治療も隔世の感があるという。

 「例えば、前立腺肥大症も、当時は手術が基本でした。しかし、その後、治療薬の開発が進み、いまはα1ブロッカーに代表される効果と安全性に優れた薬が臨床に導入されている。

手術の割合が大幅に低下していることからも、内科的アプローチの技術向上が進んでいることは明らかです」

 それだけに、地域に密着した泌尿器科外来を行う開業医の存在は増すのだが、そこで河上医師がこだわったのが「受診しやすいクリニック」というコンセプトだ。

 「日本人の多くは泌尿器科に対して“恥ずかしい相談をするところ”というイメージを持っています。でも決してそうではなく、中高年になれば誰もが持つ悩みであり、きちんと治療することで生活の質も改善できると知ってほしかった」

 待合室もさりげなく男女を分けた。特に「採尿」など、診療の上でも使用頻度の高いトイレは、男女が出入口で顔を合わせることのない設計だ。

 開業して8年になるが、「今も毎日が勉強です」と謙遜する。その温厚な診療姿勢が、多くの患者の支持を集める。 

■河上哲(かわかみ・さとし) 1969年、神奈川県川崎市生まれ。
93年、横浜市立大学医学部卒業。2000年、同大学院医学研究科修了。同大附属病院、横浜南共済病院、川崎市立井田病院、神奈川県立がんセンター、横浜船員保険病院などの勤務を経て、06年、K-クリニックを開設し院長。09年より、横浜市大客員准教授を兼任。医学博士。趣味はクラシック音楽鑑賞、水泳、子供と遊ぶこと。

【日本の名医】甲状腺治療のエキスパート 福島の事故では検査技師の指導も

医療の世界で「専門性の高さ」が求められて久しいが、伊藤病院ほど徹底した専門性を打ち出し、実績と周囲の評価の双方において認められた存在の民間病院も少ない。

 東京・原宿の表参道に面して建つ同院は、日本中の医師に「甲状腺疾患の専門病院」として認知され、全国から患者が集まってくる。まさに甲状腺治療の総本山的存在となっている。

 院長の伊藤公一医師は三代目。祖父、父と受け継がれた病院を任されて16年になるが、その間、年間に受け入れる新患の数を3倍にまで押し上げた実力者だ。

 「専門病院だからできることを確実に行い、専門病院にしかできないことに積極的に取り組む」という伊藤医師。その姿勢は、東日本大震災の際に明確に現れた。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質による甲状腺疾患への不安が広まった際には、被災地での講演活動で甲状腺疾患についての正確な情報をアナウンス。あわせて福島の病院に勤務する検査技師を東京の自院に招き、安全かつ正確な検査手技の指導も行った。

 こうした医療界内部での側面支援は一般には知られていないが、その取り組みが行政に伝わり、厚生労働省からの表彰につながった。

 「福島の事故によって国民の目が甲状腺に向くようになった。しかし、それ以前は、特に健康な人にとって、目を向けることのない器官だったわけで、甲状腺疾患についての正しい知識を持つ人は少ない。それだけに専門病院としての役割も大きいはず」

 臨床と病院運営に加えて「正しい情報の啓蒙(けいもう)」という新たな任務を背負った伊藤医師。その動きに国内外の医療者の視線が集まっている。 

■伊藤公一(いとう・こういち) 1958年、東京都生まれ。
北里大学医学部卒業。東京女子医科大学大学院修了。米シカゴ大学留学を経て98年1月、伊藤病院院長就任。2004年、大須診療所(名古屋市)を開設。東京女子医科大学内分泌センターと筑波大学大学院外科系非常勤講師、日本医科大学外科客員教授。趣味はゴルフ、映画鑑賞、随筆執筆。

最良の主治医を見極める「患者力」、あなたは持っていますか?


あなたは病気になったとき、どの医者に診てもらうだろうか。自宅、または職場の近くのクリニックや医院だろうか。それともかかりつけ医がいるだろうか。そしてどこまでその医師のことを知っているのだろうか。

医師の良し悪しは「誰に」聞けばいいのか?

「日本の医師の技術は野放しになっています。外科専門医など、個々の技能にかかわる資格には、実技試験はありません。例外的に麻酔科医だけは、実技試験を設けていますが、それ以外の分野ではほぼ筆記試験だけです。『専門医』といえども技術に信頼はまったくおけません」

こう警鐘を鳴らすのは、医師の南淵明宏氏。専門は心臓外科だが、医療機関と患者との信頼関係の大切さを日頃から説いている人物だ。日本の医療水準は世界的に見れば高い。けれどもそれは平均点であり、個々の医師の技量はマチマチであり、患者からは見えない。だからこそ患者は医師に丸投げの姿勢ではいけないと指摘する。

医師に掛かる前こそよく調べよう

医療過誤による訴訟は2004年をピークに減少したものの、2009年より微増を続けている。こうした訴訟の裏には、医師や医療機関への不信感から起こされている。南淵氏は、そういった訴訟を起こしている家族から相談を受けることもあるそうだ。訴訟を起こした遺族は、非常に熱心に亡くなった原因となった疾患や、その治療方法について調べ、「本当にその医療行為が正しかったのか」と問いかけてくるという。

遺族にとっては訴訟が解決するまで、本当に辛い日々が続く。南淵氏はそのよ
うな気持ちに共感しつつも、次のようなことをいつも思うという。
「病気や治療法、また担当医について調査するその熱意を、手術の前に発揮していただきたかったですね。そうすれば、どのような結果にも納得できたはずですから」

本当にこの医師に命を預けていいのか。私たちは治療にかかる前によく自分に問いかけるべきである。医師に丸投げしないその力を南淵氏は“患者力”と呼ぶ。
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「患者力」で一番大切なのは“感情”

では患者力を高めるにはどうすれば良いのか。南淵氏は、まず医師を見極めよと言う。医師を見極めるには、その疾患の手術数や治療実績、医師としてのキャリアを問う必要がある。最近では、病院の格付け本などもたくさん出版されている。だが勉強よりも第一に優先すべきものがあるという。それは自分の「感情」だ。

「人は感情の生き物です。患者はなぜ病院に来るのか。それは“不安”だからです。例えば、私の心臓外科に訪れる患者さんなら『心臓が今までになく脈打ってなんか苦しい、自分は死んでしまうのではないだろうか』との思いで医師に掛かるのです。医療行為の始まりは何かと言えば、“不安”。医師はその不安に対処するのが仕事なのです。それを分かっていない医師が多すぎます。私の仕事の99%は、患者の不安を取ることだと思っています。『大丈夫です、この手術なら何度も行っておりますし、何人もの患者さんが術後も元気に暮らしています』。こう伝えて患者さんに安心させることです」

あらゆる医療行為にはリスクは付きものだ。医師はその治療のリスクを説明する。だがそれは患者のためではなく、医師自らのリスクを回避する目的だ。結果、患者の不安はさらに増大する。 「もしも診てもらった医師が不安を払拭してくれない。診てもらう度に不安が増していく。また面談していてもなんか違和感を覚える。そういう言葉にできない直感でもいいのです。その感情を大切にしてください。医師と相性が悪いと思うなら別の医師に変えるべきです」

患者側からすると「違和感を覚える」、そんな程度で医師の変更を要求するのは、気が引けるかも知れない。しかしのちのち後悔しないためには、まず自分と医師の信頼関係がきちんと結べてなければならない。ここから初めて治療が始まる。

データは携帯電話のカメラで撮影してOK

「今ではセカンドオピニオンを求めるのは一般的です。医師に『他の医療機関でも意見を聞きたい』と申し出るのは気が引けるかもしれません。でしたら、検査結果、データなどをすべて携帯電話のカメラで撮らせてもらえばいいのです。レントゲン画像でも、心電図でも『ちょっと撮らせてください』と言えば大抵の医師は断りません。その写真を持ってセカンドオピニオンを聞きに行ってください」

医師の技量は経験値とほぼ同じだ。だが医師の善し悪しは必ずしもキャリア、手術数など数値で表せるものではない。 「外科医の場合、実力がないとこの世界では残れません。だから長くキャリアを積んでいる医師は頼りになります。けれども若い医師にも良さがあります。経験がないゆえに『虚心坦懐』、素直な気持ちで専門外の医師に意見を聞きます。これが年齢のいった医師となると、メンツなどを気にして他の医師に相談せず、独断で判断し何かを見逃す可能性もあります」

では信頼に値するかはどう見極めればいいのか。南淵氏はこれも簡単だという。
「その病院の事情に一番詳しいのは看護師です。看護師に『あの先生の評判はどうですか』と聞くといいでしょう。あからさまに『ダメな医師です』と応えることはありませんが、言いよどむ、言葉を濁すなどの雰囲気からその医師がどう見られているのかわかるはずです。また『看護師さんならどの先生に執刀してもらいたいですか』という聞き方もありです」
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あなたの名医は自分にしか分からない

だが相性の合う医師との出会いは容易ではない。しかも権威があるから安心というわけではない。
「医大付属病院は若い医師の養成機関という側面を持っています。国公立はお役所的な四角四面な対応になりがちです。また民間の病院は手術数を稼ぎたいために不要不急の手術を施すところもあります。どの病院にもメリットデメリットがあり、またその病院のなかでも医師の技量は玉石混交です。いい医師の出会いは、美容院探しと同じ。自分で足を運んでその目で見なければわかりません。後悔のない治療のためにも、患者さんはこの試みを怠らないでください」

良い医療を受けたいなら、患者もまた“良い患者”となる努力が必要だ。ふたつとない自身の体のことだから「患者力」を高めておいて損はない。.

南淵明宏氏
昭和大学心臓血管外科教授。奈良県立医科大学医学部医学科卒業。シドニー セント・ビンセント病院、国立シンガポール医科大学付属病院などを経て現職に。マンガ『ブラックジャックによろしく』のモデルとして知られ、ドラマ『白い巨塔』の協力医などもつとめる。2017年8月23日にオンエアされた、NHK「総 合診療医ドクターG」などテレビの出演、監修など多数。 著書、『あるがままに生きる』(永岡書店)、『患者力』(中央公論新社)などを執筆。最新刊は『医学部に来なさい!』(玄文社)が好評発売中。
公式サイト http://www.nabuchi.com

【日本の名医】精度の高い“糖尿病治療”に定評!丁寧な説明で効果アップ★聖マリアンナ医科大学病院代謝・内分泌内科・教授田中逸さん(57)

川崎市北部を代表する基幹病院の聖マリアンナ医科大学病院。ここの代謝内分泌内科部長を務める田中逸教授は、大手自動車会社に勤務した経験を持つ、異色の内科医だ。

 「生化学への興味が断ち切れず、医学の道に転身しました。糖尿病というさまざまなタイプの患者さんと接する今、その経験は大いに役立っています」と笑顔で話す。

 「人間が好き、人と話すのが好きだからこの分野を専攻した」と言うとおり、話す内容が理路整然としていて分かりやすい。難しい専門用語は極力使わず、平易な言葉に置き換えて説明するので、患者の理解度も高まる。

 進化する糖尿病治療。しかし、医療技術を成果に結び付けるには、患者自身が治療内容を理解し、納得できるように説明する必要がある。

 「例えば近年は早期インスリン治療といって、比較的早い段階の糖尿病患者にインスリンの自己注射を行うケースが出てきました。しかし、『インスリン注射は最終手段』と考え、治療に否定的な姿勢を示す患者もいる。そんな人には、インスリンは飲み薬にできないこと、まずはインスリンで血糖を正常にして膵臓を休ませることの重要性を説きます。

その上で、何よりインスリンはもともと体内で分泌されるホルモンで、インスリン注射は少なくなったホルモンを補充するだけのことであり、異物を注入するわけではないことを丁寧に説明します。その丁寧さを省いてしまうと理解は得られません」

 そう語り、糖尿病治療を「患者さんに生き方を見つめ直してもらうこと」と表現する。

 長年の実績から培われた対話術を武器に、精度の高い糖尿病治療に取り組む田中医師。その姿は、経験豊富な学校の教師の姿を想起させる。

 糖尿病治療は医師との付き合いも長くなる。田中医師の診察室に漂う信頼感と安心感が、患者の治療への意欲を優しく後押しする。 (長田昭二)

■田中逸(たなか・やすし) 1955年京都府生まれ。
名古屋工業大学を卒業後、大手自動車会社に勤務。その後、滋賀医科大学に進み86年卒業。同大第三内科、東京都済生会中央病院に勤務後、順天堂大学助教授を経て、2006年より現職。日本糖尿病学会専門医・研修指導医、日本内分泌学会専門医・研修指導医ほか。NPO法人「川崎糖尿病スクエア」理事長。

【日本の名医】「睡眠時無呼吸」治療に取り組む女性歯科医 話しやすさが信頼感に★二宮歯科医院(東京・中央区)小國遼子さん(28)

東京都中央区日本橋小舟町。東京がまだ江戸と言われたころ、ここを西堀留川が流れ、水運の物流拠点として重要な役割を果たした場所だ。

ここで4代、107年にわたって歯科診療を続けている「二宮歯科医院」で、若手実力派女性歯科医師が診療に当たっている。

 小國遼子さんは4年前に歯学部を卒業し、大学病院や民間の歯科医院で研鑽(けんさん)を積み、昨年から現在のクリニックに籍を置く。

 「人と関われる仕事に就きたかった」と語る小國さん。一般歯科の診療に当たる一方で、睡眠時無呼吸症候群の治療にも力を入れている。睡眠時にマウスピースを使って下あごを前方に出し、のどの気道を広げて呼吸をサポートする治療法だ。

 「あごを大きく出すほど気道も広がりやすくなりますが、半面それがストレスになることもある。効果と快適性を考慮して微調整するところが難しい点。でも、治療効果が出て、『ゆっくり眠れた』という言葉を聞くと、やっぱりうれしいですね」

 場所柄、サラリーマンが多く受診する。昔から歯医者さんで怖がるのは女より男-と言われるが、今も診察室に入ってからも恐怖で震えている男性患者はいるという。

 「そんな時は、治療に入る前の会話でリラックスしてもらうように心がけています。決して無理強いはせず、コミュニケーションを取りながら、安心感が持てる雰囲気づくりを心掛けています」

 これには二宮健司院長も感心しており、「もともと“話しやすい雰囲気”を持っているので、誰もが安心して相談できる。歯科医師として強力な武器ですね」と信頼を寄せる。

 そんな小國さんから読者諸氏にアドバイス。

 「治療はもちろんですが、それより大事なのが予防です。一度でも痛い目に遭った経験があれば別ですが、そうでない人は歯科健診をおろそかにしがち。長くても半年に一度は、口の中の衛生状態をチェックしに来てください」

 転ばぬ先の杖。痛くなる前の小國先生-だ。

 ■小國遼子(おぐに・りょうこ) 1984年、千葉県出身。
2010年、日本大学歯学部卒業。同大松戸歯学部で研修後、民間歯科医院に勤務。12年4月より現職。趣味は旅行。

【日本の名医】苦痛を取り除いて充実した終末期医療!★神戸アドベンチスト病院院長の山形謙二さん(65)

セブンスデー・アドベンチスト教会(SDA)というキリスト教の一派がある。アメリカ・メリーランド州に本部を置くこの教会は世界250カ国に布教拠点を置き、日本国内の信者は約1万7000人。その最大の特徴は禁酒、禁煙、そして菜食の奨励だ。

 特に菜食に関しては世界的に注目され、肉食中心の欧米型食生活と疾病の関係を調べる疫学調査では、必ずと言っていいほどSDA信徒が対照群に選ばれる。そして有意差を持って長寿や罹患率の低さを示す。

 同教団の日本法人が運営する神戸アドベンチスト病院は、神戸市北区の有馬温泉に近い新興住宅地を見下ろす高台にある。

 院長の山形謙二医師は、日本における緩和ケアの先駆者として知られる存在。アメリカで緩和ケアを学んで帰国したのが1980年のこと。

 「当時の日本で、がん告知は、ほぼ皆無。充実した終末期医療のためには、医師と患者側双方の意識を変えていくところからのスタートでした」

 その後、山形医師らの努力もあり、日本でもがんの告知が一般化。緩和ケアの必要性も認知され、並行してがん性疼痛(とうつう)をコントロールする薬剤の開発も進んだ。

 医療用麻薬の効果と安全性も高まり、「正しい知識の下で薬を使い、医療者と家族が患者に寄り添うことで、がんによる大抵の苦痛は取り除くことが可能」と山形医師は自信を見せる。

 教会の運営する病院だが、患者に信仰の制限はない。がん治療だけでなく、気軽に受診できる地域の中核病院として住民の評価は非常に高い。

 「聖書にある“安息日”にあたる土曜を休診にする代わりに、日曜は平常診療。サラリーマンには喜ばれるんですよ」と笑う山形医師。

 健康管理と疾病治療の両面において、山形医師にかかる期待は一層高まっている。(長田昭二)

 ■山形謙二(やまがた・けんじ) 1946年東京都杉並区生まれ。72年東京大学理学部卒業。76年米・ロマリンダ大学医学部卒業。米・内科学専門医、同内科専門医会フェロー、同ホスピス緩和医療学専門医、日本緩和医療学会暫定指導医、日本スピリチュアルケア学会評議員、兵庫医科大学臨床教育教授。趣味はマリン

【日本の名医】高難度の耳の内視鏡手術で世界的に有名★東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉科の小島博己准教授(50)

「真珠腫」という耳鼻咽喉科領域の病気がある。耳の奥、鼓膜付近がへこんで、そのポケットに老廃物などが蓄積し、真珠に似た構成物ができていく病気だ。

 それ自体は良性疾患だが、放置して肥大化すると顔面神経や味覚を司る神経などに影響を及ぼす危険性がある。美しい病名だが、じつに厄介な病気だ。

 この真珠腫に代表される「耳」の疾患治療の世界で知られるのが東京・西新橋にある東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉科准教授の小島博己医師だ。

 「子供の頃から細かい作業が得意だったんですよ」と笑う小島医師。なるほどその手術は、まさに針の穴を通すような細かい操作の連続だ。

 小島医師自身、「今やっている作業ではなく、その二手、三手先を頭に描きながら手を動かせるか否かが、手術の出来を大きく左右する」と語るように、1ミリにも満たない範囲での繊細な作業にも関わらず、その指先の動きは滑らか。そこに「躊躇」は感じられない。

 そんな小島医師が昨年から取り組んでいるのが、「耳硬化症」という病気での内視鏡手術。耳硬化症とは、内耳を取り囲むように存在する骨のうち「アブミ骨」という人間の体で最も小さな骨が周囲の骨と癒合してしまい、聴力が低下する病気だ。

 耳の後ろ側を大きく切開して手術をするのが一般的だが、小島医師は国内で唯一、この手術で内視鏡を使い、耳の穴からアプローチする。

 「外国人と比べて日本人の耳の穴は小さく、それだけ内視鏡手術も難度が高くなるのですが、耳の後ろを大きく切開するのは、やはりスマートさに欠けるので…」

 その温和な表情や話し方からは容易に想像できない、医師として常に高みを目指そうとする姿勢の先に、効果と安全性に低侵襲を加えた耳の手術が実現する。

 ■小島博己(こじま・ひろみ) 1962年東京都生まれ。87年東京慈恵会医科大学を卒業。同大耳鼻咽喉科に入局し、同大附属病院、同柏病院、同第三病院、東京共済病院などに勤務。2006年より現職。医学博士。趣味はオーディオ。

【日本の名医】根治性にこだわる肝臓外科手術 彩の国東大宮メディカルセンター外科部長・手術部長 金達浩さん

 肝がんに対する肝切除術に、腹腔鏡が導入されていることは小欄でもたびたび紹介してきた。低侵襲(手術創が小さい)というメリットの半面、一部で医療事故が問題になるなど、その安全性に懐疑的な見方があることも事実だ。

 患者がリスクを理解した上で、なおその術式を求めたとしても、高度な技術と安全への配慮を万全にした上で初めて成り立つ低侵襲手術だけに、医療者側の治療に対する「姿勢」が何より重要になってくる。

 彩の国東大宮メディカルセンター外科部長と手術部長を兼務する金達浩医師は、まさにその「技術」と「安全への配慮」を高いレベルで兼ね備えた消化器外科医だ。日本肝胆膵外科学会の「高度技能専門医」第一期認定医12人の一人。

その技術の高さは誰もが認めるところでありながら、手術に対する謙虚さを忘れることはない。

 「腹腔鏡手術の適用例であっても、利益と危険性を説明し、不安が残るようなら開腹手術を勧めます。患者さんが後悔しない、納得できる治療をしたいので」

 金医師のこだわりはもう一つある。「根治性」だ。手術をする以上、見落とし、取り残しは絶対に避けなければならない。

 「細かいことでも省略せず、決められた手順を踏んで丁寧に進めていくことに尽きます。手術というものは、外科医にとっては毎日のことでも、患者にとっては人生で一度あるかないかの経験。それを任せてもらう以上、どんな状況でも全力を尽くす義務がありますから」

 相手の目を見て、丁寧に言葉を選んで話すその物腰から、誠実な人柄が伝わってくる。そしてそれは、命を預ける臨床の場において、何よりも「安心感」が重要であることを、再認識させてくれるのだ。 

 ■金達浩(きん・たつひろ) 1969年、東京都生まれ。94年、群馬大学医学部卒業。東京女子医科大学東医療センター、国立がん研究センター研究所、国立がん研究センター東病院などを経て、2012年に東大宮総合病院(現・彩の国東大宮メディカルセンター)外科部長兼手術部長。肝胆膵外科高度技能専門医。医学博士。趣味はダイビング。

【日本の名医】見た目損なわない「裏側矯正」注力 渋谷矯正歯科院長・東海林貴大さん

歯科矯正というと、歯の表面に取り付けられたワイヤを思い浮かべる人は多い。咬合不全から生じるさまざまな不具合の解消のために重要な治療だが、それによって一定期間、審美面が損なわれるのも事実。そこで、見た目には治療中であることが分からない「歯の裏側」からアプローチする歯科矯正に取り組む歯科医師がいる。

 東京・渋谷、宮益坂の途中にある渋谷矯正歯科は、3年前に青山から移転してきた矯正歯科専門クリニック。院長の東海林貴大(たかひろ)歯科医師は、祖父から続く歯科医家系の3代目。

歯学部卒業後は、父から「歯科の中でも最も難しい領域」と言われていた矯正歯科を専門に選び、大学病院などで実績を積んできた。中でも高度な技術を必要とする「裏側矯正」では国内屈指の症例数を誇り、ネットなどでその情報を得た患者が全国から集まってくる。

 「3Dプリンターでその人ごとの歯の模型を作り、その人にとって最も理想的な歯並びを描いていく。それを見ることで、患者さんも矯正後の自分の歯の姿が分かり、治療に積極的になれるのです」

 積極的に歯を見せて笑う欧米人と違って、「歯並び」に重要性を置かない時代が長かった日本人。しかし近年、審美性だけでなく、歯並びやかみ合わせが全身の健康状態と密接な関係を持つことが解明されるに従い、矯正歯科へのニーズは急速に高まりつつある。

 「患者満足度の高い治療を実践するのはもちろんですが、一方で技術力の高い矯正歯科を普及させていく必要を感じています」と東海林院長は言う。矯正歯科をベースにした高品質の一般歯科をめざす若い歯科医師の育成に力を入れるべく、渋谷の本院の他に今月には横浜に、今年夏をめどに池袋にもサテライトクリニックの開設を予定している。

 「日本人の歯並びを欧米人並みに美しくするのが目標です」と笑う東海林院長。その実現に向けた取り組みは、確実に前進している。 (長田昭二)

 ■東海林貴大(しょうじ・たかひろ) 1975年、神奈川県川崎市生まれ。
北海道医療大学歯学部を卒業し、同大歯科矯正科入局。札幌医科大学口腔(こうくう)外科に勤務ののち、2007年、青山通り矯正歯科を開業し院長。13年、現在地に移転し施設名を渋谷矯正歯科に変更。16年3月、横浜駅前歯科・矯正歯科を開業し同院総院長を兼務。日本矯正歯科学会認定医、日本成人矯正歯科学会認定医、日本舌側矯正歯科学会認定医他。趣味は旅行。

【日本の名医】あらゆる疾患に取り組む 地域医療の充実に力 冨塚メディカルクリニック院長・冨塚浩さん

 宇都宮市北西部の郊外に12年前にオープンした冨塚メディカルクリニック。診療所ながら19床の入院ベッドを持ち、救急にも積極的に対応する、地域に根差した医療拠点として機能している。

 院長の冨塚浩医師の専門は血液内科。自身が9歳の時に4つ下の弟を白血病で亡くしたことから、「将来は白血病患者の命を救う医者になる」と心に決め、その目標に向けて邁進(まいしん)してきた。

 「私が医師としてデビューした当時、白血病はようやく骨髄移植が始まったあたりで、まだ手の付けられない病気でした。それが治療薬の進歩で、今では治すことが当たり前の時代になった。隔世の感があります」と目を細めるが、院長としての現在は、さらに広範囲に目を向ける毎日だ。

 「大学病院では血液疾患だけを診ていればよかったけれど、ここではそうはいかない。開業医は病気を選んでいられませんから」と笑うように、あらゆる疾患、症状のプライマリケア(初期診療)に取り組む毎日。人工透析や健診に対応したMRIなどの設備も持ち、トータルな地域医療の充実に力を入れている。

 こうした姿勢の背景には、冨塚医師自身の「僻地(へきち)医療」の経験が大きく関係している。出身大学である自治医大は、卒業後に一定期間、出身県内で僻地医療に従事することが義務付けられている。そこで経験した「患者とのふれあいの大切さ」が、現在のクリニックの方向性を示しているのだ。

 「一つハッキリしていることは、僕が“人と接することが好きだ”ということ。だから過疎地や山間部の医療機関に勤めていても、患者さんと話していれば不満がなかったんです」

 当時から冨塚医師を慕う多くの患者が、今も県内全域から集まってくる。理想的な地域医療の一つの姿が、そこにある。 

 ■冨塚浩(とみづか・ひろし) 1961年、栃木県生まれ。86年、自治医科大学卒業。栗山村立湯西川診療所に勤務の後、96年、同大学院修了。栃木県医師会温泉研究所附属塩原病院内科医長、黒須病院内科部長、自治医科大学内科講師を経て99年、日光市民病院院長。2003年、菅間記念病院副院長を経て04年から現職。日本内科学会認定医・総合内科専門医、日本血液学会血液専門医他。現在、自治医科大学非常勤講師。医学博士。趣味はギターとゴルフ

【日本の名医】心臓と呼吸器に関する急患はすべて受け入れる かわぐち心臓呼吸器病院理事長・院長 竹田晋浩さん

JR京浜東北線・蕨駅と埼玉高速鉄道・鳩ケ谷駅からそれぞれバスで10分。閑静な住宅地に昨年11月にオープンしたかわぐち心臓呼吸器病院は、その名の通り「循環器」と「呼吸器」の疾患の診断と治療に特化した病床数88の専門病院だ。

 院長の竹田晋浩医師は、長年にわたって母校の日本医科大学付属病院に勤務し、集中治療部門のトップとして活躍してきたICU治療における日本の第一人者。

 「医者になって25年が過ぎたとき、ふと考えたんです。あと25年は臨床に携われるだろう。ということは、今が折り返し地点。ならば医師としての後半の人生は、自分の考える“理想の医療”の実現に挑戦してみよう-と」

 自身の専門である循環器と呼吸器に対象を絞り込み、「重篤な症状の患者を助けること」を命題とした医療機関の設立を決意する。

 医師としての後半生を賭けた船出だけに妥協はない。医師やスタッフは自分と同じ思いを持つ精鋭だけで組織した。導入した医療技術や院内設備も、療養環境を最優先した細かな設計にこだわり抜き、中規模民間病院としては他に類を見ない医療提供体制を実現している。

 高度な技術と高品質の療養空間は、オープン直後からクチコミで地域に浸透し、当初見込んでいた病床稼働率を大幅に上回る受診者を受け入れている。

 「心臓と呼吸器に関する急患はすべて受け入れます」と話す竹田医師の言葉には、長年にわたって心血を注いできた高度な重症管理と救急管理への自信がうかがえる。

 取材中も頻繁に鳴る救急搬送の連絡の一つひとつに、竹田医師は丁寧に指示を出す。緊急事態にあって、あえて穏やかに話すその口調が、常在戦場の臨床現場に冷静さをもたらす。

 県南部に誕生した世界標準の専門病院。その先頭に立つ竹田医師に掛かる地域の期待は大きい。 

 ■竹田晋浩(たけだ・しんひろ) 1960年、京都府生まれ。86年、日本医科大学卒業。92年、同大学院修了。同大医学部麻酔科入局。講師、准教授、教授を歴任。96年から1年間、スウェーデン・カロリンスカ大学に留学。2015年から現職。日本医大特任教授、徳島大学客員教授、日本呼吸療法学会副理事長、厚生労働省ECMO研究班代表他。趣味は「2人の娘(ともに英国在住)とのメールのやりとり」。

【日本の名医】睡眠中に視力回復治療 眼科領域で最先端の技術を提供★吉野眼科クリニック院長 吉野健一さん(53)

毎年暮れになるとテレビで映し出される東京・上野の“アメヤ横丁”。そのすぐ近く、上野広小路に建つビルの6階にあるのが「吉野眼科クリニック」だ。

 院長の吉野健一医師は、およそ20年前、当時の日本ではまだ認知されていなかった「ドライアイ」を米国で学び、その病態を日本に伝えたチームの一人。帰国後に開業してからも大学の研究室に籍を置き、最先端の知識と技術を臨床の場で提供し続けてきた。

 現在もドライアイの診断と治療を柱に、白内障やレーシック手術など、眼科領域の中でも特に高い専門性が求められる診療に力を入れる。

 吉野医師が今、熱心に取り組んでいるのが「オルソケラトロジー」という治療法。

 「睡眠中に専用のコンタクトレンズを装着することで、角膜のカーブを変え、視力を矯正する治療法です。アメリカで開発され、2009年に日本でも厚生労働省の認可が下りました。

海外では、特に小児の近視進行抑制効果が認められていて、日本でも今後、眼科治療の一つの柱になる可能性があります」

 レーシックや、このオルソケラトロジーもそうだが、吉野医師には先駆者ならではの悩みもあるという。

 「新しい技術が注目されると、不勉強な医師が手を出して事故を起こす。これが一番つらいところ」と苦笑いする。その苦悩があるからこそ、患者がその治療を求めて来ても、適応から外れる時には毅然と断り、その患者にとって最適の治療法を考えていく姿勢だけは絶対に崩さない。

 屈託のない笑顔で話す姿は、深い信頼感を醸成する。高い技術力だけでない、人間としての魅力が患者はもちろん、同業者の信頼をも得るのだ。 

 ■吉野健一(よしの・けんいち) 1960年、東京都生まれ。81年、日本医科大学を卒業し、慶應義塾大学眼科学教室に入局。同大関連病院に勤務後、米・マイアミ大学に留学。帰国後の95年、吉野眼科クリニックを開設し院長。現在、東京歯科大学眼科学教室ならびに日本医科大学眼科学教室講師。医学博士。趣味は硬式テニス、海釣り、マラソン。
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