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【日本の名医】新宿血管外科クリニック院長の阿部吉伸さん 最新レーザー治療で


脚の静脈の“弁”が機能不全に陥り、血液が鬱滞したり逆流したりして「瘤(こぶ)状」に浮き上がって見える下肢静脈瘤(りゅう)。見た目の凸凹はもちろん気になるが、むくみやだるさといった症状も出る。

放置すると皮膚が固くなるなどの皮膚病変を引き起こし、最後には壊死(えし)に至ることもある恐ろしい病気だ。

 この下肢静脈瘤に、最新の医療技術で立ち向かうのが、新宿血管外科クリニック院長の阿部吉伸医師だ。

 医学部を卒業後、心臓血管外科で実績を重ねる中、「脚のむくみ」を訴える患者が多くいることから、下肢静脈瘤に興味を持つようになった。

 「当時の日本では、ストリッピング術と言って脚の表面を切開して手術する方法しかありませんでしたが、アメリカでは皮膚を切らずにキレイに治せるレーザー治療が普及し始めていたんです。

何とかこの最新の技術を患者さんに提供できないかと考えて」、開業を決意。どうせやるなら日本で一番人の集まるところで-と、新宿駅西口から徒歩3分の場所にクリニックを設立した。

 健康保険の適用されるタイプと、自由診療の2種類のレーザー装置をそろえ、患者の要望や症状に合わせた治療法が選択できるシステムを敷く。

特に自由診療で使われるヤグレーザーという装置は、従来のレーザーで起きやすかった内出血などの合併症が少ないため、単に「痛くない」だけでなく、仕上がりの美しさを求める患者に選ばれることが多いという。

 「比較的女性に多い疾患ですが、男性でも警察官や飲食店など“立ち仕事”の人に多く見られます。

三大症状は、脚の疲れ、むくみ、こむら返り。簡単な検査で診断できるので、気になる人は検査だけでも受けに来てほしい」と、阿部医師は呼びかける。 

■阿部吉伸(あべ・よしのぶ) 1965年、富山県生まれ。90年、富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)卒業。94年、同大学院修了。その間パリ第12大学アンリーモンドール病院心臓外科留学。国立金沢病院血管病センター静脈病科を経て2012年、新宿血管外科クリニックを開設し院長。医学博士。趣味は「家族サービス」。

【日本の名医】湘南東部総合病院病院長の市田隆文さん 肝移植に関する高度な知識と技術


日本を代表する肝臓専門医が、“湘南”で診療を開始した。

今年の4月から神奈川県茅ケ崎市にある湘南東部総合病院の病院長を務める市田隆文医師は、1993年に信州大学で行われた国内初となる成人間の生体肝移植をコーディネートし、術前術後のフォローを担当した内科医として高い知名度を持つ。

 医師家系の三代目。特に父の市田文弘新潟大学名誉教授は、同じ肝臓内科医であり、「飲酒を休む日」を意味する「休肝日」という言葉を作ったことでも知られている。

 まさにサラブレッドの血統を持つ市田隆文医師。2000例を超える国内有数のウイルス肝炎治療実績と、肝移植に関する高度な知識と技術を生かし、現在の病院でも臨床の最前線で指揮を執る。

特に移植後のフォローアップには専門性の高い判断力が求められることから、市田医師の診療を求めて全国から患者がやって来る。

 「免疫抑制剤のチェックや投薬量の調節が難しい。これを誤ると腎不全や糖尿病の危険性が高まるので」と語るように、肝臓専門医ならではの微妙な“さじ加減”に目を光らせる。

 医療経営者としての志の高さも忘れない。

 「ここに赴任した以上、少なくとも肝臓疾患についてはこの病院で治療を完結させられる体制を構築したい。湘南に暮らす人が、治療のために東京まで行かなくても済むようにすることが、当面の目標です」

 肝臓疾患治療の権威でありながら、物腰はどこまでも柔らか。話しているだけで温かい人柄が伝わって来る。自身もワインをたしなむことから「酒飲みの気持ちが分かるんですよ」と、患者目線での診療姿勢を崩さない。

 新薬の開発も相次ぎ、日進月歩の変化を見せる肝炎治療の牽引役が茅ヶ崎にいることを、まずは覚えておきたい。 (長田昭二)

 ■市田隆文(いちだ・たかふみ) 1949年富山県生まれ。75年新潟大学医学部卒業。
その後富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)、新潟大学医学部第三内科に所属。その間ベルギー・ブリュッセル自由大学、米・ネイラーダナ癌研究所、同ピッツバーグ大学移植研究所留学。順天堂大学医学部附属静岡病院消化器内科教授を経て、2014年より現職。日本脳死移植適応評価委員会委員長、ウイルス肝炎財団理事等を兼務。医学博士。趣味はワイン、登山、ゴルフ。

その「目の霞み」、その「頭痛」!! 原因は「眼精疲労」かも? 


パソコンやスマホなどを長時間使用したり、コンタクトレンズを使用している人にとって、目の疲れというのは深刻な問題です。

特に目を休めても霞みがかった感じが取れないと感じるようであれば、眼精疲労になってしまっている可能性がとても高くなってきます。

ここでは、眼精疲労ついて簡単に解説します。

◆眼精疲労から起こる頭痛
眼精疲労はその名の通り目の疲れです。ではなぜ目が疲れてしまうのかというと、長時間同じ場所を見続けることによって目の周辺の筋肉が凝り固まってしまうからです。

眼精疲労は単に目が疲れているというだけでなく、そこから様々な症状を併発していきます。その代表的なものが頭痛です。

なぜ目の疲れが頭痛にまで発展していくのかというと、それは視神経をずっと集中させていることによると言われています。神経が常に緊張状態にあるということが影響して頭痛という症状に結びついていくのです。

しかもこうした症状は仕事でパソコンを使い始めると出てくるというように、仕事の効率を著しく下げてしまうことにもつながります。

◆眼精疲労を緩和させるには?
眼精疲労の原因である凝り固まった筋肉をほぐしてあげるということが大切になってきます。凝り固まった筋肉のほぐし方は体の他の部分と同じです。つまり、ストレッチをして固まった部分を伸ばしてあげるのです。

目の場合には、眼球を動かしたり強く目を閉じたりすることが有効です。

また、目を温めたり冷やしたりするのも効果的です。どちらも目の周辺の血管を収縮させたり弛緩させたりすることができますので、眼精疲労の緩和につながります。

ただし、目が充血していたり炎症を起こしているという場合には、温めると逆効果になってしまうこともありますので注意をしなければいけません。

もちろん目の疲れの元になっている作業を早めにきりあげたり、きちんと休憩をはさみながら作業を行うということも重要です。

◆日常で気を付けること
眼精疲労はなってしまってからではなかなか改善が難しいものです。それは日常的に行っていることが原因となって引き起こされていることだからです。

そのため、まずはパソコンやスマホの使い方を見なおすというところが必要になってきます。

例えば1時間作業をしたら10分間は必ず休憩をはさむようにする、移動中などにスマホをいじるのをやめる、といったことがあげられます。

こうしたことを心がけつつ、目の疲れを治すための方法を実践していくようにすると良いでしょう。

妊娠中は虫歯・歯周病になりやすくなる?


妊娠すると虫歯や歯周病になりやすくなります。日ごろから口腔ケアを心がけて、もし虫歯ができてしまったら出産までにきちんと治療しましょう。

■妊娠中は虫歯になりやすくなるワケ

 妊娠中は体にさまざまな変化があらわれますが、唾液が粘っこく、酸性に変化するのもそのひとつ。虫歯菌が出す酸を中和する働きが弱まり、口の中が浄化されにくくなります。

さらに、つわりで食事の回数が不規則になったり、気持ち悪くてしっかり歯磨きができなくなったりと、口の中の環境は不衛生になりがちです。そのため虫歯や歯周病が進行しやすいのです。

 歯肉炎にかかると、歯磨きをするだけで出血しやすくなります。出血するからと怖がって磨かない方がいますが、これはプラークが歯肉と歯との間に溜まって炎症を起こしているので、出血しても磨かないと歯肉炎は良くなりません。

 治療をするにしても、おなかが大きくなる妊娠後期では、長時間仰向けでいる治療の姿勢が苦しくなります。出産時に歯痛があると、うまくいきむこともできなくなります。

虫歯治療は安産のためにも大切なのです。出産してからだと、赤ちゃんのお世話もあって定期的に歯医者さんへ通うのは難しくなるので、虫歯がある場合はできるだけ安定期のうちに済ませておきましょう。

■妊娠中の歯を守るのが口腔ケア

 昔は「子どもを1人産むと、歯が1本なくなる」とか「お腹の子にカルシウムをとられる」などと言われていました。

歯はカルシウムでできていますが、骨のように、血中カルシウム濃度を保つために血液中に溶け出したり、取り込まれたりすることはありません。1度歯になってしまったカルシウムは一生そのままです。

ですから、妊娠自体が歯を溶かすことはありませんが、妊娠中の口腔ケアは気をつける必要があります。

 たとえ虫歯がなくても、妊娠中に定期的に歯科健診は受けておきましょう。必要があれば歯石除去などのケアを受けたり、正しいブラッシング方法なども教えてもらうとよいでしょう。

■食生活を見直す事も大切

 虫歯になるおもな原因である、食生活を見直すことも大切です。虫歯菌や歯周病薗が栄養にするのは、口の中に残った食べ物のカスの糖分です。お菓子などの問食を控えるだけでも虫歯を防ぐ効果があります。

また、食事もやわらかいメニューよりは、繊維質の多い固めの料理のほうが、食ベカスが歯につきにくく、虫歯になりにくいといえます。

 食事にだらだらと時問をかけるのもよくありません。つわりのときは仕方ありませんが、なるべく食事は決まった時間にすませ、食後には歯磨きを。歯磨きがつらいときにはせめて食後にうがいをしましょう。

■虫歯・歯周病を防ぐために気をつけるべきこと5つ

1.間食に甘いものは控える
2.おかずは繊維質の固いものを
3.食事にだらだらと時間をかけない
4.食後には歯磨きかうがいを
5.歯磨きはつわりがひどくない時問帯を選んでする

日本人の死亡率第1位のがん 医師から患者への告知のルールはあるのか


長年、日本人の死因の第1位を占めている「がん」。医学の進歩が目覚ましい昨今でも、2人に1人は「がん」にかかり、3人に1人は「がん」で亡くなっています。もしも自分自身が、または身近な存在が「がん」になったら、あなたはどうしますか?

◆国立がんセンター施設を中心に 告知率は75.1%に上昇

世界では、オランダ、フィンランド、オーストラリア、アメリカ、デンマークなどは、以前からがん告知率の高い国として知られています。

日本でも、「インフォームド・コンセント(説明と同意)」や「カルテの開示」などを重視する考えのもと、がんの告知率が年々上がってきています。国立がんセンター病院では、すべてのがん患者に対し「がん告知」を行っているそうです。

病院が医療従事者に配布している「告知マニュアル」には、告知を行う際の基本的な心構えのほか、告知をされた患者の精神面の反応や問題点に着目し、考慮するよう呼びかけています。
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◆患者の精神的負担や家族に配慮した がん「告知マニュアル」

がんの告知によるメリットとして考えられるのが「ただ生きるのではなく、自身で残りの生涯を悔いなく終えることができる」こと。デメリットとしては、患者の精神的負担が医師の予想以上に大きく、その後の治療に影響を及ぼしてしまいかねないということです。では、家族への対応はどのようになっているのでしょうか? 

国立がんセンター病院の「告知マニュアル」によれば「本人に告知する」「家族には先に知らせない」というのを原則としています。ときに患者よりも家族が動揺することがあり、家族には患者といっしょに説明を聞いてもらうようにすることが大切。

「家族は患者ではないから、少々のことは言っても大丈夫と安易に決めつけず、必要があれば家族に対する支援も行っていく」と記されています。
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◆がん告知は本人のために? それとも家族のために?

都内の病院で看護師を務める佐々木さん(仮名)が担当した、ある女子高生の患者の話です。都立高校3年生の秋、彼女は胃の不快感と連日続く嘔吐に悩まされていました。

医師の診断は、スキルス性胃がん、余命3か月という残酷な診断でした。母親は本人への告知を拒否したものの、残された時間を悔いなく過ごさせてあげたいと、早目の成人式をと振袖を用意したり、小学校時代の旧友を病室に招いたり、連日「特別な日々」を娘に用意。

そんな母親の行動を不審に思った娘が、自身のがんについて知ったのは亡くなる3日前だったそうです。

彼女が最後に残した言葉は「本当のことを知っていたかった、もっとやりたいことがあったのに」。日本人の死因第1位のがん。医療従事者も、告知を受ける患者とその家族も「がん告知」については慎重に、今後も考えていく必要がありそうです。

【1分で判明!病気チェック】かかる確率1/100、精神疾患の本丸「統合失調症」


生涯にかかる確率は、男女差なく約100人に1人。いまだ原因は解明されてなく、精神疾患の本丸といえる病気だ。本来、20歳前後の青年期の発症が典型的だが、近年は30歳以降の初発が増えてきて珍しくなくなっている。

 特有の症状として、幻覚・幻聴や被害妄想などの「陽性症状」が目立つ。が、実際、中核となるのは口数が減り元気がなくなり引きこもりがちになる「陰性症状」だ。

 表は自己チェックの目安だが、この病気の自覚は難しい。当人が項目内容を訴えたり、周囲からみて「ブツブツ独り言をいう」「周囲に怯えている」「作業の低下」「不登校・欠勤」などのサインに気づいたら、とにかく受診させることが重要。

 「幻聴や被害妄想に支配されると、死にたくなくても『死ね』と聴こえれば自殺行為をせざるを得ない。また、自分を守るため『加害者である』と思い込んだ相手に危害を加えてしまうことがある」とクリニック西川・西川嘉伸院長(精神科専門医)は警告する。

 発症から数年内であれば治療効果は高く、それだけ社会復帰も早い。治療のポイントは抗精神病薬をしっかり飲み続けること。症状は数カ月で消えてよくなるが、服用を途中でやめると再発率が高い。

 治療はじっくり気長に、家族や職場の理解とあたたかく見守るサポートが大切だ。

 ★「統合失調症」チェックリスト

 (1)姿がないのに自分に話しかけてくる声が聴こえる

 (2)誰かに監視、盗聴、盗撮、尾行されている

 (3)考えていることが声になって聴こえたり、他人に漏れ伝わってしまう

 (4)自分の言動が他の力に操作されている

 (5)考えがまとまらない

 (6)すごく不安で憂うつだ

 (7)やらなければ、と思うが行動できない

 (8)周りの人が自分を陥れようとする

 (9)眠れない、寝てもすぐに目が覚める

 (10)食欲がない

 3つ以上該当なら精神科専門医への受診が必要=「クリニック西川」(東京・大塚)の西川嘉伸院長作成

【日本の名医】“過活動膀胱”の分野で高い知名度!★日本大学医学部附属板橋病院(東京都板橋区)泌尿器科学系主任教授 高橋悟さん(50


最近、目にすることの増えた「過活動膀胱(ぼうこう)」という病名。頻尿と尿意切迫感を伴う特徴的症状を示す病態で、10年前に国際学会で病名が与えられた新しい症候群だ。

 日大医学部泌尿器科主任教授の高橋悟医師は、泌尿器科領域のがん治療での高い実績と並行して、この過活動膀胱の分野で高い知名度を持っている。

 ざっくばらんで気さくな高橋医師。「泌尿器科の前に脳神経外科にいたので、当時のボスに『神経は得意だろう』って言われて排尿障害を勧められたんです。上司には逆らわない性格なんですよ」と笑って話すが、決して簡単な分野ではない。

 「基本的には投薬が中心ですが、ケースによっては電気刺激療法や骨盤底体操などを併用することで効果が増すこともあり、その見極めが重要。また、投薬にしても何通りかのアプローチがあるので、最近では患者に合わせた治療法が選べるようになりました」

 しかし問題なのが、患者が恥ずかしがって受診しないことと、泌尿器科医以外の医師に、こうした最新情報を持っている人が少ないことだ。

 「医師向けの啓蒙活動は急務ですが、患者さんが正しい知識を持つことで医療側を動かすこともできる。国内に810万人も患者がいる病気。恥ずかしがらずに、気軽に医師に相談してほしい」と呼びかける。

 患者と医師の目がこの病気に向けば、おしっこで困る人の数は激減する。高橋医師の地道な啓蒙活動が花開く時期は近い。

 ■たかはし・さとる 1961年群馬県前橋市生まれ。85年群馬大学医学部卒業。同大脳神経外科、東京大学医学部泌尿器科、米メイヨークリニック、東大泌尿器科助教授を経て2005年より現職。日本泌尿器科学会理事・指導医、日本泌尿器内視鏡学会幹事他。医学博士。趣味は山登り、渓流釣り、仏像鑑賞。

【日本の名医】西新宿整形外科クリニック院長飛田健治さん 身長伸ばしてコンプレックス克服 子供は思春期始まる10歳前に相談


 地下鉄丸ノ内線「西新宿駅」から徒歩3分。今年7月にオープンしたばかりの西新宿整形外科クリニックは、「低身長」を対象とした骨延長治療を診療の柱に据える、全国でも珍しい医療機関だ。

 院長の飛田健治医師は、自身が学生時代にアイスホッケー選手だったこともあり、スポーツ整形を志して整形外科に進んだが、そこで低身長に対する治療の有用性を目の当たりにし、この分野を自身の専門に据えることを決意する。

 小児の低身長にはホルモン治療が行われるが、飛田医師はこう語る。

 「子供が『自分は背が低い』と意識する10歳頃から、性ホルモンの分泌が始まる。つまり“思春期”に入るわけですが、その前の時期で治療を始めるほうが効果的。

通常、両親はもっと早い3歳あたりで低身長に気付くことが多い。できれば思春期が始まる10歳より前に一度相談してほしい」

 成人の低身長には、外科的手術による治療が行われる。膝に直径15ミリの穴を開け、そこから脛骨の内部にチタン製の釘(くぎ)を挿入。同時に脛骨に「切れ目」を入れておく。

“釘”は足を一定の角度まで捻(ひね)ると0・5-1ミリ延びる仕組みになっている。これに合わせて骨の切断面では骨組織が新生され、結果として身長が伸びることになる。

 「ISKD法と呼ばれるこの手技は、脚の外側に装具を付ける必要がありません。手術当日から歩行可能なので、生活の質を下げることなく骨延長が可能です」(同医師)

 自由診療で片脚300万円近くかかる高額治療だが、身長が低いことに対するコンプレックスをなくすだけでなく、身長制限のある職業をめざす人からも高いニーズがあるという。

 まずは身長を伸ばす治療法があり、それを専門に行う医療機関が新宿にあるということを知っておきたい。 

■飛田健治(とびた・けんじ) 1972年栃木県生まれ。
99年東京医科大学を卒業後、東京大学医学部整形外科に入局。同大附属病院、東京都立広尾病院、同府中病院(現・多摩総合医療センター)、国保旭中央病院、焼津市立病院等勤務を経て、2014年7月に西新宿整形外科クリニックを開業し院長。日本整形外科学会認定医・認定スポーツ医。医学博士。趣味はテニス。

【日本の名医】独自の技術で内視鏡の第一人者に! 手術の難度を工夫で下げる★NTT東日本関東病院・内視鏡部部長 大圃研さん(39)


東京・五反田にあるNTT東日本関東病院。ここの内視鏡部長を務める大圃(おおはた)研医師は、39歳ながらも、すでに日本を代表する内視鏡医として内外に知られる存在だ。

 大学の医局に入る意味を見いだせず、当時としては珍しく卒業後すぐに臨床の第一線に立つべく民間病院へ。当時、黎明期だった内視鏡治療技術を“ほぼ独学”で身に付けた経緯を振り返り、「成り上がりですよ」と笑う。

 「僕たちの仕事の評価は“努力”ではなく“成果”。うまくいかなくても頑張ったからしようがない-ではだめで、結果を出さなければ患者さんに満足してもらえません」

 他で3時間かかる内視鏡手術が、大圃医師の手にかかると30分で終わることもある。

 「野球で外野手がダイビングキャッチをするのはファインプレーではない。守っていた位置が悪いからそうせざるを得ないだけでしょう。本当の名選手は打球を予測して守るから、常に正面で捕れる。一見、簡単そうに見える、それが名人。内視鏡だって同じですよ」

 難しいとされる手術も、工夫をすれば難度は下げられる。「こうしろ」と言われたわけではない、独学だからこそ自身で見い出すことができた技術を学びに、全国から内視鏡治療を志す医師が集まってくる。

 「昔の医者は『技術は見て盗め』と言いましたが、僕は惜しみなく伝えます。それに値するだけの努力をしているならば。ただし、絶対に失敗させない、という覚悟を持って指導をしています」

 仕事を離れた時でも、内視鏡のことが頭を離れることはないという。

 「好きなんでしょうね。飽きませんから。好きだから仕事を嫌だと思ったことはない。子供にゲームを与えたら、一日中でも一年中でもやるのと同じ。内視鏡がある時代に生まれてよかったです(笑)」

 内視鏡がある時代に、大圃医師がいる日本に暮らすわれわれは、もっと幸せだ。 

 ■おおはた・けん 1974年、茨城県生まれ。98年、日本大学医学部卒業。JR東日本附属病院勤務を経て、2007年からNTT東日本関東病院消化器内科。13年から内視鏡部部長。趣味は水泳。

【日本の名医】皮膚がん治療の第一人者 患者の満足度気遣う「低侵襲手術」★がん名医編(1)東京医科大病院(新宿区)皮膚科主任教授 坪井良治さん(58)


東京・西新宿にある東京医科大学病院。ここで皮膚科主任教授と病院長を兼務する坪井良治医師。日本における皮膚がん治療の第一人者だ。

 「ひと口に皮膚がんといっても種類が多く、それぞれに進み方も治療法も異なる。日本では症例数が少ないがんもあるので、診断法や治療法の確立が難しい分野です」

 坪井医師が言うように、皮膚がんには一般的なものだけでも7種類ある。メラノーマ(悪性黒色腫)、有棘(ゆうきょく)細胞がん、基底細胞がん、パジェット病(ページェット病)、血管肉腫、日光角化症、ボーエン病だ。

 このうち最後の2つのように早期がんで進み方の遅いがんがある一方で、血管肉腫やメラノーマのように予後の悪い病気もある。いきおい診断が重要視されるのだが、皮膚科の中でも「がん」に特化した診療を行っている病院は意外に少ない。その意味で東京医大病院は、都内でも貴重な存在となっている。

 「皮膚がんは化学療法が効きにくいと言われていますが、一部には抗がん剤が効くがんもある。また、放射線治療の一種の“電子線”を手術と組み合わせることで効果を発揮することもある。そのがんに最も効果的な治療を選び、実践できるかが勝負」

 その見極めには、数多くの皮膚がんを見てきた経験が生かされる。

 もう一つ、坪井医師がこだわるのが「低侵襲手術」。皮膚という“見える部分”にできる病気だけに「治せばいい」という考えでは患者満足度は上がらない。最小の範囲で確実に切除し、加えて「美しい仕上がり」を徹底的に追求する姿勢が、患者の高い支持を得る。

 「診断技術の向上で、早期の皮膚がんが見つかるようになってきた。とはいえ、中には一刻を争うがんもある。不安に思ったら早めの受診を」と呼びかける坪井医師。

 皮膚がん治療の名医が西新宿にいることを、まずは記憶に留めておきたい。 

 ■坪井良治(つぼい・りょうじ) 1954年、広島県生まれ。80年、防衛医科大学卒業。87年順天堂大学大学院修了。同年から2年間、米ニューヨーク大学医学部研究員。その後、順大講師、助教授を経て2002年から現職。12年から東京医大病院病院長を兼務。医学博士。趣味はダイビング。

飲みながら食べると「酒がまずい」と思う人の誤解 お酒は「チビリチビリ」と飲むのがオススメ


お酒を「健康においしく」飲む方法とは(写真:玄武/PIXTA)
お酒を「健康においしく」飲む方法とは(写真:玄武/PIXTA)© 東洋経済オンライン
「食べながら飲むと酒がまずくなる」――。
そう思っている人は多いのではないでしょうか。医師の志賀貢氏は、「食べながら飲んでほしい」と言います。健康においしく飲む方法を『86歳の酒好き医師が教える最強の飲み方・最高の食べ方』より一部抜粋し再構成のうえ、お届けします。
前回:『長生きする地域の人の「酒の飲み方」意外な共通点

満腹で酒を飲んではいけない

食べながら飲むか、飲みながら食べるか──と酒好きに問えば、「むろん飲むのが先、食べるのは後だよ」という人がほとんどかもしれません。しかし、私は、医者の立場から、「食べながら飲んでほしい」と思っています。

【図表】40歳で人生の83%が「終わっている」という衝撃

お酒を飲む時には、銘柄、種類にまで気を配るのに、何を食べるかとなると、いいかげんになる人が多いものです。

また、飲んでから食べるのか、飲みながら食べるのか──こういったことを真剣に考える人も少ないようです。むろんお酒の飲み方には好みもあるし、胃袋の状態、財布の中身、それに、いっしょに飲む相手が女性か男性かによっても違ってきます。

「食べてから飲むと酔わないから、食事をしてから宴会に出ることが多い」というサラリーマンもいます。もし、会社の忘年会に誘われて、失敗が許されない場合であれば、これもひとつの考え方だと思います。

確かに、満腹の時に飲むと、アルコールの吸収が遅くなるために酔いが回りにくく、アルコールの血中濃度も低くなったように感じられます。しかし、食べものとともに腸に残っているアルコールがたえず少しずつ吸収されるので、血液中のアルコールの濃度が長時間持続されて消えません。

つまり、相当量を飲んでも血中濃度が高まらないので酔いにくいと思いがちですが、それは決していいことではありません。かなりいい気持ちになった頃には、飲みすぎているからです。

吸収が遅れても、飲んだアルコールは必ずすべて吸収されることを忘れてはいけません。

ともすると、「きのうは、飲む前にたっぷり食べたから気持ちよく酔えたのに、朝起きたら頭がガンガンするよ。きのうくらいの程度じゃ、二日酔いするわけないのになあ」といったボヤキにつながってしまうでしょう。

したがって、食後の酒は、原則として避けるべきだと私は考えています。第1に、うまくない。第2に、二日酔いの原因になるからです。

食べながら飲むこと──これがいちばん理想的なのです。

食べることは、栄養のバランスをとることにもつながります。昔から「大酒飲みは、肝硬変になる」と言われていました。聞いたことがある人も多いでしょう。しかし、必ずしも、お酒が肝硬変を引き起こすとは限りません。

むしろその原因は、タンパク質、ビタミンなどの不足をまねく粗食にあるとする考え方が有力です。

酒好きはとかく食べ物をとらない傾向にありますが、これが怖いのです。

酒の肴は、お酒をおいしく飲むために必要なだけではなく、肝臓と体を守り、栄養バランスを保つために必要だと忘れないようにしたいものです。

飲み方の極意はチビリチビリ

お酒はチビリチビリ飲むのがもっともよいとされています。なぜでしょうか。

肝臓のアルコール処理能力は、体重10キロあたり1時間1グラムぐらいのものです。だから「駆けつけ3杯」「遅れ3杯」などというのは、愚の骨頂です。早く酔いたいというならこれもいいのかもしれませんが、肝臓のことを考えたら最悪の飲み方ということになります。

飲んべえだと自認する人のセリフは、おおよそ決まっています。

「肴をあまりとりすぎると酒がまずくなるんだよ。酒さえあれば、何もいらないくらいだ」

こういう人たちが好むものといえば、お新香、塩辛といった類のものばかり。これで一杯というのがたえられないという人が多いのですが、これは血中の塩分量を増し、渇きを誘い、さらに飲む量をふやすだけ。

第一、酒量ばかりがふえて、肴のことを忘れてしまいます。泣いているのは肝臓です。アルコール分だけでは、急激に吸収されて、肝臓を直撃するからです。

これでは、肝臓の処理能力がたちまち臨界に達し、必要以上の負担がかかります。

「わかってはいるんだけど、どうしても肴はねえ……」という方には、酌をする相手をそばにおいて飲むことをおすすめします。笑わせてもよし、悩みを聞いてあげるのもよし、色恋の話でもいいでしょう。

話しながらの一杯は飲むスピードが落ちるので、ゆっくりとアルコールを吸収できます。反対に肴も食べず、酌も受けず、ただひたすら杯を重ねることだけはやめてください。

若い人に多い傾向ですが、食事はインスタントラーメン、飲む時の肴はポテトチップスだけ。こういった生活は、栄養不良とビタミン不足を呼ぶおそれがあります。たくあんやお新香の類、いわゆる低栄養での一杯は、ビタミンB1不足から脚気様症候群を助長する危険もあるのです。

お酒にはカロリーがありますが、栄養はほとんどありません。肴を十分に食べ、話しながらゆっくりと飲む──これが理想的な飲み方なのです。

お酒をガブ飲み、肴は要らぬ、酌をする人などいないほうがいい──こういう飲み方では、アルコールが肝臓の細胞を直撃、タンパク質、ビタミン、ミネラルの不足によって肝臓に障害をもたらすようになります。

ここではまず、タンパク質を中心に考えてみましょう。

体の中で一大化学工場とも言われている肝臓をスムーズに動かすためには、“工場で製品を作り出すための原料”をたっぷりと送り込んでやることが大切です。その原料がアミノ酸をたくさん含んだタンパク質というわけです。

アルコールの高カロリーだけを肝臓に与え続けると、肝臓で分解しきれない余分なアルコールが脂肪に変化し、肝臓にたまります。脂肪肝などの引き金になってしまうのです。

高タンパクおつまみ5選

アルコールは、肝臓の中で、アセトアルデヒド、酢酸、そして最後には炭酸ガスと水に分解されますが、アミノ酸やタンパク質には、アルコール分解を促進する働きがあります。

こうしたことから、タンパク質を多く含んだ食べ物を肴にしながら飲むと、肝臓でアルコールがどんどん分解されて体外に出されるわけですから、体によい結果をもたらします。

飲んべえは、まったく飲まない人よりも、さらに多くのタンパク質を体が必要としていることを忘れてはいけません。

タンパク質を多く含む肴をいくつかあげてみましょう。

〈牛刺し〉──たっぷりとタンパク質を含有。舌ざわりもよく、肴として打ってつけです。

〈すき焼き〉──多くの飲み仲間が集まったら、これに限ります。

〈湯豆腐、冷奴〉──植物性タンパク質として優秀。価格がさほど高くないのも魅力的です。

〈レバー〉──レバーにはビタミンB12が多く含まれています。赤血球の成長を助け、あらゆる病気を防ぐ抗毒素の製造に必要な葉酸も含んでいます。なお、葉酸に富んだ食べ物としては、ナッツ、麦芽、緑の葉の多い野菜。なお、レバーの効用については、次の章でたっぷりと解説します。

〈やきとり〉──安上がりなタンパク源の筆頭。鶏ではなく、豚でもOKです。鶏のナンコツは、ミネラルの補給にも役立ちます。

このように高タンパクの食べ物をおつまみとしてお酒を飲むことが、肝臓を守ることにつながります。肝臓が悪くなったら、大好きなお酒をつつしまなければならないことになる。このことを肝に銘じておくのが酒好きの常識だと知っておきましょう。

よい病院と医師の見分け方 患者の立場でのチェックポイント


いい病院の条件© マネーポストWEB 提供 いい病院の条件

 病気になったときに、頼りになるのが病院。だが、かかる病院、診療する医師によって、治療内容だけでなく、治療費にも大きな差が生まれることがある。はたして、どうすれば安心して命を預けられる病院と医師を見分けられるのか。みつばち大阪クリニック院長の橋本惠さんは外見からも、いい医師がいる病院はある程度見分けられると主張する。

「スタッフの間に和気藹々とした雰囲気があることは重要。1人の患者さんを囲み、どういう治療がいいか忌憚なく話すためには、普段からの人間関係の構築が必要です。医師個人についていえば、医局人事や自己研鑽でいろいろな職場を経験してきた人の方が多くの知見を目にする機会があり、治療の幅の広まりが期待できます。病院が公表する手術数も参考にしていい。ただし、“成功率”をホームページに掲載する病院には落とし穴が。難しい症例を敬遠する傾向にあります」

 受付や事務員などスタッフ同士のコミュニケーションが取れているか、目を向けてみよう。いざ診察室に入ったらまず確認すべきは“時間”だ。湘南鎌倉総合病院・院長代行の小林修三さんが説明する。

「患者にどれだけ時間をかけているかは1つのチェックポイントです。初診の場合であれば15~30分は欲しいところ。混んでいるときに相談を持ちかけたとしても邪険にせず “今日は難しいけれど来週なら時間を取るから”など代案を出してくれる医師も、その後の治療で親身になってくれる可能性が高い」

 施設の様子にも注目しよう。医療サービスアドバイザーでコンサルタントの武田哲男さんはこう話す。

「絵を飾り植物などを置いてある医療機関はいい病院である傾向があり、そのうえ季節ごとに替えたり、手入れするだけの余裕があることがわかる。スタッフに心のゆとりがあるからこそ、医療も行き届くのです」

 最近は必須となった「コロナ対策」の内容もひとつの指標となる。

「発熱者とそれ以外の人の動線や窓口を分けたり換気をしっかりしたりするなど、コロナ対策をどのくらい丁寧にしているかもその病院が信用に足るかの物差しになります。たとえ大病院でなく、古い施設であっても努力が垣間見えるところはいい病院だといえるでしょう」(橋本さん)

 これらに加え、新しい評価基準として覚えておきたいのが「JCI認証」だ。

「アメリカで創設された医療分野の第三者評価機関が審査するもので、1200項目からなるチェックを受けて合格しなければならない厳しい基準です。災害時だけでなくすべての面における安全性が担保されているか、質の向上に取り組んでいるかなど病院にある程度の余裕がなければ取得は難しい。

 実際、その調査対象は医師や看護師だけでなく清掃スタッフなど広範囲に及びます。有名医師がいるとか、テレビによく出る病院という基準で選ぶより、JCI認証を取得しているかどうかをホームページなどでチェックする方が簡単だし、取得していればいい病院である確率が高い」(小林さん)

 もしいま通っている病院がこれらのチェックポイントに当てはまらないのであれば、病院を移ることも検討したい。その際、医師への対応は慎重に。

「時間帯が合わなくなった、親の介護で実家の近くのクリニックに通うことになった、など波風が立たない理由を作るのも手です。転院に関しては“嘘も方便”。医師に気持ちよく紹介状を書いてもらうことに注力した方がいいでしょう」(橋本さん)

 いざ医師と対峙するときには、良好なコミュニケーションを取ることを意識したい。

「医師も人間です。たとえば急にノートを出して『騙されるもんか』というポーズをとられたり、延々と自分の話だけを語られたりすれば、さすがに身構えます。まずは挨拶をして、信頼関係を作ることが大切です」(小林さん)

 病気や治療について、知識をつけておくことも重要だ。医療ジャーナリストの増田美加さんは言う。

「”何もわかりません””お任せします”ではなく“自分はこう思うが先生のご意見は”などと具体的に尋ねましょう。医師も患者の希望がわかるので、それに沿った治療を進めてもらいやすい」

 岩澤さんも多くの取材経験から知識をつける大切さを痛感している。

「多くのがんサバイバーに取材しましたが、全員に共通していたのが、自分の病状について医師と同じくらい勉強し、知識を持っていたことでした。正しい情報を得るためには取捨選択が必要です。特にインターネットの情報は玉石混交。見極める目を持ってほしい。たとえばがん治療に関して信頼できるのは国立がん研究センターによる『がん情報サービス』、虫歯治療なら『日本歯科保存学会』のガイドラインなどがおすすめです」

 目の前の医師を名医にするかどうかは、あなた次第ともいえるのだ。

※女性セブン2021年12月9日号

【日本の名医】3カ国語武器に在留外国人初期診療の受け皿 上海で勤務経験も 西麻布インターナショナルクリニック院長・三上哲さん


旅行や出張で海外に出かけたとき、少しでも体調が悪くなると「どうやって医者にかかればいいのだろう」と不安になるものだ。同じことは日本に来ている外国人にも言える。そこで、在留外国人に少しでも快適な医療環境の提供を-との思いから開設されたのが、西麻布インターナショナルクリニック(東京都港区)。院長の三上哲医師はその設立意図をこう語る。

 「上海のクリニックに勤務していた時に、日本を含む海外からの渡航者が受ける医療水準の低さを見て衝撃を受けたのです。振り返って日本にいる在留外国人はどうか-と考えた時、その受け皿の必要性を強く感じて開業に踏み切りました」

 日本語と英語、それに上海で習得した中国語を武器に、在留外国人の初期診療を積極的に受け入れる。クチコミでその存在が伝わり、現在は受診者の4割を外国人が占めるまでになる。

 一方で、日本人患者を対象とした地域医療の充実にも力を入れる。一般内科、小児科、泌尿器科を中心に、救命救急センターで培った技術と知識をフルに活かした質の高いプライマリケア(初期診療)も特色の一つだ。

 「患者さんの訴えから、それが緊急性のある症状なのか否かを判別し、正しく理解してもらうことに重きを置いています」

 新型コロナウイルスの感染拡大の初期には、発熱患者の受入れに制限をかける医療機関が多かったが、三上医師はいち早く発熱外来を開設。ここでも救急外来での経験が遺憾なく発揮された形だ。

 外来診療と並行して在宅医療にも対応。まさに「赤ちゃんからお年寄りまで」に「外国人」を加えた、きわめて間口の広い医療を展開する三上医師。新しい形の都市型医療の在り方を、鮮明に提示し続ける。 (長田昭二)

 ■三上哲(みかみ・あきら) 西麻布インターナショナルクリニック院長。1984年、京都市生まれ。宮崎大学医学部卒業後、順天堂大学医学部附属順天堂医院で研修。その後聖路加国際病院救命救急センター救命救急センターでチーフレジデント、エデュケーショナルチーフを歴任。2017年から現職。日本救急医学会、日本集中治療医学会、日本抗加齢医学会の各専門医。日本旅行医学会認定医。趣味はサーフィン。

【日本の名医】肥満治療チームで支える 東邦大学医療センター佐倉病院糖尿病・内分泌・代謝センター 龍野一郎教授


京成電鉄ユーカリが丘駅からバスで7-8分。緑豊かな丘陵に立つ東邦大学医療センター佐倉病院(千葉県佐倉市)は、病床数451。高度医療と地域医療に力を入れる中核病院だ。

 ここの副院長で「糖尿病・内分泌・代謝センター」の教授を務める龍野一郎医師は、糖尿病治療に加えて「高度肥満」の治療分野で全国的に知られる内科医だ。

 EPAやDHAといった「魚油」の有効性解明に黎明期から関わり、その後はアメリカにわたって神経ホルモンの研究に従事した学究肌。その経験が今、糖尿病や肥満治療に生かされている。

 「研究者としての経験は、医者が持ちがちな“思い込み”にブレーキをかけてくれる。臨床の場でも、“常識”に対する柔軟性が必要な場面は多いですからね」と笑顔で語る。

 龍野医師が得意とする肥満治療は、内科と外科、そして精神科によるチームで進められる。内科治療でも改善しない重症の肥満では外科手術を視野に入れる。

その治療の過程でメンタル面からも関わっていくことが、「減量まで」だけではなく、「減量後」を含むトータルな支援体制を構築する。

 「過食をもたらす食欲の亢進(こうしん)は本能です。人のメンタルとも強く結びつき、肥満手術をしただけ、栄養療法をしただけで、食欲の亢進は改善するわけではないのです」

 糖尿病も肥満症も、治療は長期間に及びがち。そこに焦りは禁物だが、龍野医師は言う。

 「患者と寄り添う気持ちが大事なんです。患者を叱るのではなく、ともに病気を理解し、今の状態に気付いてもらうことが大事。そして改善すれば、一緒に喜ぶのです」

 その温かな笑顔は、名医ならではの包容力。不安に満ちた患者の心に、深い安心感をもたらしてくれる。 (長田昭二)

 ■龍野一郎(たつの・いちろう) 1957年、島根県生まれ。82年、千葉大学医学部を卒業し、同大医学部第二内科入局。89年、米・チューレン大学留学。その後、千葉大講師、助教授、准教授を経て、11年より東邦大学医療センター佐倉病院糖尿病・内分泌・代謝センター教授。現在、同院副院長と栄養部長を兼務。日本内科学会認定総合内科専門医、日本内分泌学会認定内分泌代謝科指導医、日本糖尿病学会糖尿病研修指導医他。医学博士。趣味は料理。

【日本の名医】高い向上心とチームワークで心臓を守る 総合病院聖隷浜松病院心臓血管外科部長・小出昌秋さん


総合病院聖隷浜松病院は、静岡県西部を代表する民間の大規模基幹病院。ここの心臓血管外科部長を務める小出昌秋医師は、小児心臓外科手術や心臓弁膜症の領域で高い知名度を持つ心臓外科医である。

 自身が医学部の時に父が弁膜症と診断され、この病院で手術を受けた。医学生であることから特に手術室への入室を認められた小出青年は、その時に執刀した大沢幹夫医師の技術に魅了され、心臓外科を志望。大沢医師に弟子入りした。

 「大沢先生が、子供から高齢者まで幅広く診ておられたこともあり、私も小児から学ぶことにしました」(小出医師)

 昔はなかなか治らなかった小児の先天性心臓疾患も、近年は手術成績が上昇し、成人になってからも引き続き小出医師が担当する患者も少なくない。

 一方の成人の手術では、弁膜症に対するTAVI(経カテーテル的大動脈弁置換術)や、インペラ(補助循環用ポンプカテーテル)など、最新の血管内治療を県内でいち早く導入するなど、先進的な取り組みをけん引してきた。

 「こうした治療は、私一人でできるものではなく、チームが揃って高いレベルを維持して初めて成り立つもの」と語る小出医師に、チーム医療の水準を高く保つための取り組みを聞いた。

 「現状に満足しないことに尽きます。私自身がつねに上を目指し続けることで、スタッフも同じ方向を向く。この病院は、そうした風土が醸成されているのが強みです」

 手術前日には患者のデータを何度も精読し、イメージする仕上がりを絵に描いて頭に叩き込む。

 「事前の準備を怠らないことが何より重要。準備が万全なら、突発的なアクシデントにも慌てずに対応できますから」。基本順守と結束したチームワークを武器に、地域の“心臓”を守り抜く。(長田昭二)

 ■小出昌秋(こいで・まさあき) 1961年静岡県袋井市生まれ。86年、新潟大学医学部卒業。東京女子医科大学心研外科、福山循環器病院外科、千葉県こども病院心臓血管外科、米サウスカロライナ州医科大学循環器科等を経て、98年から聖隷浜松病院心臓血管外科。2002年から同部長。現在院長補佐、循環器センター長等を兼務。日本胸部外科学会指導医、日本小児循環器学会評議員他。医学博士。

【日本の名医】一般人からスポーツ選手まで…膝治療“最後の砦” 国際医療福祉大学医学部整形外科学・長島正樹さん


★国際医療福祉大学医学部整形外科学 准教授・長島正樹さん(43)

 東京タワーからほど近い東京都港区三田にある国際福祉医療大学三田病院。ここの整形外科副部長を務める長島正樹医師は、「膝の疾患」を専門にする整形外科医。

 「イチローや松井秀喜のようなトップアスリートを支える医師になりたくて医学部に進みました」と語る長島医師。夢がかなって整形外科に入局したが、実際に当時のスポーツ整形の現場に出てみると、想像していた世界とは様子が違った。

 「選手は、医者よりもトレーナーとの絆が強い。そして、時に医学的な見解よりも選手やチームの思いが尊重される。ならば、本当に選手が医療を必要としたときに役に立てる立場に徹しようと考えたんです」

 選手に帯同するスポーツドクターではなく、ケガをしたときの“最後の砦”として、裏方に徹する決意をする。

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 靭帯(じんたい)再建や人工膝関節置換術などの症例を重ね、多くの競技選手やチームドクターからの信頼を築いていく。たとえば膝の「前十字靭帯」をケガすると、手術をしても、一般的には故障前の競技レベルに戻るのは難しいとされる。

 しかし、長島医師の患者の中には、手術によってケガをする前よりも成績がよくなったプロ野球選手もいる。

 「ケガを克服して活躍する姿を見るとやっぱりうれしいし、同じケガをした人に希望を与えてくれますよね」

 診療対象はスポーツ選手に限定せず、普段は一般整形外科の膝治療に取り組む。

 「手術後の膝の角度や立った時の姿勢を頭に描いて手術計画を立てて、あとは一つ一つの手順を丁寧に進めていくだけ。患者さんが競技選手でも近所のおばあちゃんでも、やることは同じ。丁寧に、丁寧に…」

 自分の足で、歩いて退院していく姿を見ることを楽しみに、一人ひとりの患者を、人懐こい笑顔で受け入れる。(長田昭二)

 ■長島正樹(ながしま・まさき) 1975年、埼玉県生まれ。2001年、慶應義塾大学医学部を卒業し、同大医学部整形外科入局。09年、北里研究所病院整形外科・人工関節センター医長。12年、国際医療福祉大学三田病院整形外科講師。その後同科副部長を経て15年から准教授。17年から現職。日本体育協会認定スポーツ医。日本整形外科学会専門医。医学博士。趣味はワインと野球観戦(「ナガシマ」つながりで巨人ファン)。

【日本の名医】肝機能障害改善を目的に再生医療スタート 番町診療所表参道院長・山田正文さん


★番町診療所表参道(東京都渋谷区)院長・山田正文さん(60)

 急速に進化する「再生医療」の分野で、新たな展開を見せる領域がある。東京・表参道にある番町診療所表参道院長の山田正文医師がいま取り組んでいるのが、「肝機能改善を目的とした再生医療」だ。

 同クリニックでは以前から、変形性膝関節症の治療の一環として「自家幹細胞培養治療」と呼ばれる再生医療を行ってきた。この経験と技術を応用して、「肝機能障害」を改善する目的で再生医療をスタートさせることになったのだ。

 「基本的な治療の流れは“膝”と同じです。患者の腹部から少量の脂肪を採取して、そこから体性幹細胞を分離・培養して患者の体に戻すのです。膝の治療では膝の関節内に直接注入するのに対して、肝機能障害の治療では点滴で投与する点が異なるだけのこと」

 血管に入った幹細胞は全身を巡り、肝臓において機能修復に向けて働いてくれるというのだ。

 「ウイルス性肝炎やアルコール性肝炎はもちろん、近年増えているNASH(非アルコール性脂肪肝炎)などの人たちは、肝硬変や肝がんに移行させないことが大事です。そのためには、現状の肝機能を悪化させないことが重要になるわけで、そこに有用な再生医療の位置付けは大きいと感じています」

 同クリニックでは現在、厚生労働省に申請中で、認可が下りれば8月中にも治療をスタートさせたいという。

 開業当初から全国に先駆けて高性能MRIを導入したり、軽度認知障害(MCI)の簡易検査の普及に取り組んだりと、常に最先端の医療技術を取り入れてきた。

 もう一つの特色は、「きめ細かな予防医療」をテーマにした人間ドックや専門ドック。その充実にも力を注ぐ。目指す医療の進化は加速度を増している。(長田昭二)

 ■山田正文(やまだ・まさふみ) 1958年、東京都生まれ。北里大学卒業後、慶應義塾大学医学部麻酔科入局。94年、番町診療所(東京都千代田区)を開設し院長。2008年、渋谷区神宮前に移転し、クリニック名を「番町診療所表参道」に改称。慶大麻酔科非常勤講師。日本ペインクリニック学会認定専門医、日本医師会認定産業医。医学博士。

最期まで自分らしく生きる がんの緩和的放射線療法とは


先月15日に亡くなった女優・樹木希林さんの死に際をうらやましく思うシニア世代も多いはずだ。全身がんを患いながら、生活の質を下げかねない手術や治療を拒否し、最期まで女優と家庭のことを全うした。現在、がんで苦しんでいる人の中には「56年ぶりに日本で行われる東京五輪は見てから死にたい」という人も多いだろう。

そこで注目したいのががんの緩和的放射線療法だ。痛みや呼吸困難などの症状を緩和し、生活の質を維持するのを目的とした治療法だ。どんなものか? 「JCHO東京新宿メディカルセンター」(東京・飯田橋)放射線治療科の黒﨑弘正部長に聞いた。放射線治療は目的により3つに大別できる。根治的放射線治療、補助的放射線治療、緩和的放射線治療だ。治的放射線治療は、放射線治療でがんを撲滅することが目的で、早期の咽頭がんや上咽頭がん、前立腺がんは放射線治療だけで根治が可能といわれている。

 最近は、抗がん剤と組み合わせたり、免疫チェックポイント阻害剤との併用がトレンドだ。補助的放射線治療とは手術の前後に行うもので、最も有名なのは乳房温存療法後の放射線治療照射だ。かつては5週間ワンクールとされたものの、最近では3週間でもあまり変わりがないとされている。

 一方、緩和的放射線治療とはがんを治すのが目的ではなく、痛みや苦しみをとる治療法だ。骨転移での痛みの除去、脳転移によるふらつきや意識障害を取り除くことが目的になる。

「放射線治療には、がんの根治や再発・転移のリスクを軽減するために照射する以外に神経への圧迫を取り除いて症状を和らげる緩和照射があります。根治目的の照射と違って線量を下げて行われるので高齢者や体力のない人でも受けられるのがメリットです」

■骨の痛みがとれたり、顔の腫れが引く

 50代の女性は卵巣がんの手術を受けたものの、がんが肺や骨盤、肝臓に転移。抗がん剤も思ったような効果を得られず、徐々に腹膜播種による骨盤腫瘍が大きくなった。やがて尿管を圧迫して水腎症と呼ばれる状態となり、腰痛も訴えるようになったという。

「この患者さんは放射線治療をしている最中に痛みが減っていき、7カ月後のCTでは照射された骨盤の腫瘍はすっかり消えていました。また水腎症も消えていました。残念ながらその後、脳や肝臓に転移が見つかりましたが、そのたびに放射線治療を行い、がんとの共生を図っています。がんが進行していくと、貧血が進みますが、ほかの病院ではあまりない放射線治療科病棟があるので、適切な処置を施すことができます」

 おかげでこの患者は、余命宣告されて13カ月過ぎても生き続けたという。
 60代で胃がんと診断され、手術後1年を迎えた男性は抗がん剤治療後に緩和的放射線治療を行っているという。

「この患者さんは帰省で1週間ほど治療が空いた間に閉塞性黄疸という全身が黄色くなってしまう症状に襲われました。ただちに放射線治療科病棟に入院して放射線治療をしながら、消化器内科と連携して胆道にステントをつくり、黄疸を軽減させました。結局、黄疸のマーカーであるビリルビン値は入院時15だったのが、放射線治療後には正常値の1までに下がりました」

 また、他院で末期の腎臓がんと診断された会社経営者は放射線で痛みを取る治療を続けた結果、2年以上元気に過ごすことができたという。この方は温泉地で盛大に宴会を開くなど元気を取り戻しました。しかし、それで本人も家族も“治った”と勘違いしたため、会社の相続の手続きが遅れてしまったと聞きました」

 他にも、肺がんで上大静脈症候群を発症、血液が顔や上腕から心臓に戻らなくなり、パンパンに腫れたままになった患者も緩和的放射線治療で救われるケースが多いという。 「肺がんの患者さんの中によく見かける症状です。このときは上大静脈に放射線をかけることで血流が戻り、顔や腕の腫れは引きます」

 末期のがん患者の70%は強い痛みに苦しむ。とくに骨転移の場合はその苦しみは強く、モルヒネといった医療麻薬を使うと生活の質が大きく下がってしまう。最近は1回の注射で全身の痛みが取れる「メタストロン」などの疼痛治療法もある。がんと共生する方法として、緩和的放射線治療があることも覚えておくことだ。

【日本の名医】王貞治氏の主治医… 「ミスター外科医・北島政樹」が求める“優しき医療”とは?


プロ野球のスーパースター、王貞治氏の主治医としても知られる北島政樹氏は消化器外科の名医だ。「ミスター外科医」とも称されるその輝かしい経歴は、内視鏡手術をはじめ最先端医療へのチャレンジの連続でもあった。

現在も漢方薬の科学的解明に取り組むなど、新たな挑戦への熱意はとどまるところを知らない。何が北島氏を駆り立てるのか。遠く見つめる「医療の未来」を聞いた。

 --医療の革新的な技術に、いつも先陣を切ってこられました

北島 患者さんには「優しい医療」を受ける権利があります。開腹手術では体調回復は悪い。そこでもっと患者さんの負担を小さくしようと考えました。一人一人に合った侵襲(体への影響や負担)が少ない治療です。内視鏡手術なら、痛みは少なく回復も早いですからね。

 --チャレンジ精神は、どう培われるのですか

北島 慶応大学医学部の伝統の一つですが、初代医学部長の北里柴三郎先生は、慶応には基礎医学と臨床医学を融合して一家族のような医学部を創りたいと語っています。私はその言葉が非常に素晴らしいと思うのですが、その理念ですね。私自身も米国留学時に、恩師から「外科医は技術を切磋琢磨し上手になろうとするが、サイエンスに支えられた技術でないとだめだ」と言われました。

 --こうした教えを実践されたということですね

北島 そうです。慶応に戻り、医学部と理工学部の連携を率先しました。「医工連携」で誕生したのが、ロボット手術とか内視鏡手術です。驚くことに、1881年に福沢諭吉先生は、論説「医術の進歩」で、「将来、視学の器械が進歩するに従って、あたかも口の中を見るがごとく子宮、直腸、胃の裏まで見ることができる」と予見しているのです。「医術は外科より進歩するものなり」とも言われていた。私も若い人に「君たち、まさしく福沢先生は内視鏡外科のことをおっしゃっているんだぞ」と常々言ってきました。

 --昔は「外科医は大規模な切開手術ができて一人前」という雰囲気もあったと聞きますが

北島 ありましたね。私自身そういう時代に育ちました。胸やおなかを開けて、「リンパ腺を90個取ったけど、転移がなくてよかった」という時代でした。1987年にフランスのモーレ先生が初めて腹腔鏡で内視鏡下胆嚢摘出手術をしましたが、当時は私も「外科医のやることではない」と思いました。しかし、患者さんの体調回復が全然違うんですよ。「これはやらなければならない」と考え、慶応で若い医局員と始めたのです。しかし、内視鏡手術は外科医にとっては大変なんですよ。

 --技術的に難しいのですか

北島 開腹すれば触った感じが分かります。しかし内視鏡手術は画面を見ながらだから立体感がない。企業や理工学部と一緒に、堅いとか柔らかいという触覚を持った鉗子を作ったのです。その触覚を20キロも離れた場所に転送することにも成功しました。精密にすれば遠隔手術も可能ということで腹腔鏡ロボットで手術の実験もしましたね。イソップ2000というロボットは英語しか通じないんですよ。「ターン・トゥ・ザ・ライト」と言うと内視鏡がピュッと右に動くんです。

 --漢方薬の科学的解明に取り組まれていますが、漢方薬に関心を持たれたのはなぜですか

北島 1999年、生イカを食べて私自身が腸閉塞になり入院しました。その時、大建中湯という漢方薬に出合ったのです。西洋薬の効果は極端で、うまくおなかのコントロールができなかったのが、漢方では非常に穏やかな状態となったのです。

■北島政樹(きたじま・まさき) 昭和16(1941)年、神奈川県生まれ。71歳。慶応大学医学部卒。米マサチューセッツ総合病院外科フェローや杏林大学第一外科教授などを経て、1991年慶応大学医学部外科教授。同大病院長、同大医学部長などを歴任。万国外科学会会長、日本癌治療学会理事長、日本コンピュータ外科学会理事長、日本内視鏡外科学会理事長、国際消化器外科学会会長のほか、世界最高峰の医学雑誌「New England Journal of Medicine」の編集委員を務める。

【日本の名医】身近な名医院…耳鳴り、難聴で高度医療★山川耳鼻咽喉科医院院長の山川卓也さん(52)


東京メトロ銀座線・外苑前駅から徒歩1分のビルの3階に、近隣で働くサラリーマンやOL、さらには地域住民で賑わう耳鼻咽喉科医院がある。順天堂大学耳鼻咽喉科講師だった山川卓也医師が、ここにクリニックを開業して14年。今では、地域になくてはならない存在だ。

 「医者になった時は開業するつもりはなかったんですが…」と笑う山川医師。しかし、何事にも手を抜けない性格が災いし、過労とストレスから倒れてしまった。

何事にも熱中する性格は変えられない。ならば自分の責任と裁量で、やりたいことに集中できる開業医のほうがいいのでは-と考え、3年間の準備期間を経て現在のクリニックを開設した。

 「大学病院に行かなくても、ここに来れば十分な医療が受けられるクリニック」というコンセプトの下、積極的な設備投資をした結果、耳鼻科領域のあらゆる検査はもちろん、副鼻腔炎やいびき症、鼻のレーザーや中耳炎など、

日帰り可能な外科手術にも対応する高度で身近なクリニックとして存在感を増していく。

 中でも聴覚生理を専門とし、聴覚検査や補聴器の処方、難聴検査や耳鳴りの治療では遠方からも患者がやって来る。

 「耳鳴りなどは、患者の訴えに医師がどこまで耳を傾けるかで治療成果は変わってくる。私の場合、患者さんの話を聞くのが好き、というか、話を聞くことがストレス解消法なんですよ」

 温厚で物静かな語り口。しかしその説明には無駄がなく、豊かな表現力は患者の理解を深める。

 「本当は在宅医療もやりたいんです。高齢者の嚥下(えんげ)機能を改善すると、食事の質が高まり、それだけで生きる希望が湧いてくる。でも、やり始めると、また熱中してしまいそうで…」

 山川医師が楽しみながら没頭する“激務”から解放される日は、当分訪れる気配がなさそうだ。 (長田昭二)

■山川卓也(やまかわ・たくや) 1960年東京都生まれ。86年、順天堂大学医学部を卒業し、同大耳鼻咽喉科学教室入局。同講師を経て、98年、山川耳鼻咽喉科医院を開設し院長。日本耳鼻咽喉科学会代議員ほか。医学博士。趣味は「犬と遊ぶこと」。

【日本の名医】“循環器内科のジェネラリスト” 心臓治療後に手厚いリハビリ★昭和大学病院(東京・品川区)講師 木庭新治さん(49)


東急大井町線と池上線が交差する東京都品川区の旗の台。ここにある昭和大学病院の循環器内科で講師を務める木庭新治医師は、人間の最重要臓器である「心臓」に関わるさまざまな病気を診断、治療するだけでなく、生活習慣を含むフォローアップまでを受け持つ“循環器内科のジェネラリスト”。

 「実家のある場所では三代。でも詳しく調べると十数代続いた医者の家系」というサラブレッド。そんな木庭医師が“心臓”を専門に選んだのは、全身の循環に興味があったからだという。

 近年、循環器内科といえば、カテーテルを用いた血管内治療が隆盛だ。以前なら開胸手術が当たり前だったような症例も、手術をすることなく、低侵襲で命を救えるようになった。

 木庭医師もそうした治療に携わっていた。だが、この10年ほどは同じ循環器内科でも、新しい領域、心臓リハビリテーションという分野に活躍の場を広げている。

 心筋梗塞や不整脈の治療後、あるいは冠動脈バイパス手術などを受けた後に、心臓に負荷をかけながら機能回復をはかっていく訓練。ここでは単なる運動だけでなく、栄養や生活面での取り組みが重要になってくる。

 「一般の認知度は高くないですが、バイパス手術後の天皇陛下がこのリハビリを受けられたことで注目を集めました。このリハビリをするのとしないのとでは、治療後の予後が大きく違ってくることが明らかになっています。メタボや糖尿病の人などは予防的に取り入れると、心臓病の予防にもつながる内容です」

 もちろん外来では心臓病全般を診る。今後は心疾患と関連する他科の疾患、特にうつや睡眠時無呼吸症候群などとの関連についても研究したいと意欲を見せる。

 「心臓リハビリを担当するようになってから、臓器ではなく患者さんと付き合えるようになった気がするんです」と謙遜する木庭医師。その柔らかな笑顔が、治療効果に加え「深い安心感」を与えてくれる。(長田昭二)

 ■木庭新治(こば・しんじ) 1964年、神奈川県藤沢市生まれ。88年、昭和大学医学部卒業。同大循環器内科学教室入局。山梨赤十字病院、荻窪病院に勤務後、98年より現職。95年より2年間、米・テキサス州立大学ヒューストン校に留学。日本内科学会認定総合内科専門医。日本循環器学会認定循環器専門医。医学博士。趣味はスポーツ観戦と「たまにテニス」。

【日本の名医・父の教え】心臓外科医・天野篤さん 身の丈でできる仕事をきちんと


天皇陛下の心臓手術を執刀した心臓外科医として知られる天野篤さん(57)。手術成功率98%の確かな腕が世界的に評価される一方、3浪して医学部に進学し、出世街道以外の道から大学教授に上り詰めた異端の経歴が注目を集める。

 信条は「向き合った全ての命に全力を尽くす」。学歴よりも実力と人間力で患者さんの命を救ってみせる。そんな熱血医師を育てたのは父、甲子男(かしお)さんだ。

 甲子男さんは大正生まれの旧国鉄マン。終戦後の高度経済成長期には石炭やガスを扱う燃料商として働きながら、妻、よ志子さん(91)とともに3人の子供を育てた。

 感受性豊かで、歴史書などあらゆるジャンルの本を読むなど博学な一面もあった甲子男さん。旧制中学時代、戦争に動員されて大学進学は諦めたが、学歴よりも大切なことがあることを背中で教えた。

 天野さんの思い出の中に出てくる父は働き盛りの40代。顔を真っ黒にし、倉庫からガスボンベを軽トラックに積んでは「今、届けないと困る人がいるから」と、夜遅くなっても軽トラをお客さんの元に走らせた。

 「商売なのに、そこには商売っ気が全くなかった。僕は車の番をしながら、いつか父のように働けたらいいなと思ったものです」

 家族や仕事仲間を大切にし、町内会活動にも熱心に取り組んだ。子供たちに「勉強しなさい」「医者になりなさい」などと言ったことはない。そんな広い器に支えられ、天野さんはのびのび育った。

 しかし、天野さんが高校2年のとき、甲子男さんは心不全を繰り返し、心臓弁膜症と診断される。父を思う一心で天野さんは心臓外科医になった。しかし、平成2年、「この病院でならば」と熟慮した3度目の手術先で父は帰らぬ人となった。

しばらくはショックで立ち上げれなかった天野さんだが、どん底からはい上がらせてくれたのも、やはり父。「篤、私の分まで人生を生き抜くんだ。そして、人を助けるんだ」。そんな声が聞こえた気がし、父の死を絶対に無駄にしない決意をする。

 「人生で大事なのは身の丈でできる仕事をきちんとし、周囲に思いやりを持って接すること。そして、余力は周囲や社会に配ること。父が体現した教えを大切にしていきたい」

 父の死から20年以上が過ぎた今も、天野さんの心の中に父は生き続けている。

 ≪メッセ-ジ≫

 親父(おやじ)の器の広さ、包容力、慈悲深さは本当にすごいと思う。いつか僕も親父を超えたいと思っているけれど、まだまだです。

【プロフィル】天野甲子男

 あまの・かしお 大正13年、埼玉県出身。旧制粕壁中(現埼玉県立春日部高校)卒。中学時代に戦争に動員され、終戦後は旧国鉄で働く。昭和47年に心臓弁膜症を発症し、平成2年11月、66歳で死去。

【プロフィル】天野篤

 あまの・あつし 昭和30年、埼玉県出身。日本大医学部卒。亀田総合病院(千葉県鴨川市)などの民間病院に20年近く勤務。昭和大横浜市北部病院循環器病センター長・教授を経て平成14年、順天堂大学医学部教授。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)、『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版)。

【日本の名医】歯科治療に機能と審美性 上質な環境で提供★新井デンタルクリニック院長新井誠二さん(45)


東急東横線と東京メトロ日比谷線が接続する中目黒。駅から5分ほど歩いた閑静な住宅地に建つ新井デンタルクリニックは、全診察室が個室化された「隠れ家的」な、高級志向の歯科医院。

新井誠二院長は、特に、インプラントと審美治療を得意とする歯科医師だ。

 「歯学部に入った時点で、いずれ開業するつもりでした」

 そう語る通り、大学卒業後は歯学部ではなく、あえて医学部の口腔(こうくう)外科で修業を積む。

がんや糖尿病など、全身疾患と歯科領域の関連性を学ぶことで、どんな患者にも対応できる汎用(はんよう)性の高い歯科技術を身に付けようと考えたのだ。

 向上心は途切れない。臨床の歯科医師を対象とするインプラント治療のエリート養成学校に進学し、首席で卒業。そのままインストラクターとして後進の指導に当たるほどの高い技術を手にした2004年、満を持して開業する。

 「口腔外科での経験から、顎の解剖が頭にたたき込まれているんです。

例えばインプラントを埋め込む時など、神経の細かな位置を知っているので、安全かつ確実な手術ができる。この微妙な違いが、インプラントの装着感や使用感だけでなく耐用年数にも影響してくるんです」

 顔の造形や生活習慣の違いなどからトータルな治療計画をいくつか提案し、患者とディスカッションの上でゴールを目指すのが、新井院長のこだわり。その診療姿勢はクチコミで広まり、現在、初診者の7割が「患者からの紹介」だ。

 新井院長が掲げるモットーは、「機能と審美性の調和」。単に治すだけではなく、そこに重ね合わせる“美しさ”を追求することで、患者満足度を高めていく。

 最先端の臨床現場で身に付けた高度な技術を、上質な医療環境で提供する。都市型歯科診療の一つの提案がここにある。 

 ■新井誠二(あらい・せいじ) 1969年、山口県生まれ。97年奥羽大学歯学部を卒業し、福岡大学医学部歯科口腔(こうくう)外科入局。白十字病院歯科口腔外科医長、国際デンタルアカデミー診療外科部長を経て、2004年、新井デンタルクリニックを開設し院長。

日本口腔外科学会、日本口腔インプラント学会、日本口腔インプラント臨床研究会、顎咬合学会、米国歯周病学会各会員。米国デンタルインプラント学会認定医。趣味はウェイクボード。

【日本の名医】変わりゆく前立腺肥大症治療 手術一辺倒から投薬 患者のQOL考え★練馬総合病院泌尿器科科長・林暁さん(58)


がんやEDと並んで、小紙読者にとって最も身近な病気の一つ、「前立腺肥大症」。この病気の診断と治療技術の高さで知られる泌尿器科医が、東京・練馬にいる。

 練馬総合病院泌尿器科科長を務める林暁医師は、前立腺肥大症や尿路結石治療のスペシャリスト。

 昔は手術するしかなかった前立腺肥大症。林医師も数多くの手術を手掛けてきたが、最近は様相が変わってきたという。

 「前立腺の中を通る尿道を広げ、ぼうこうの収縮力を高める作用を持つα1ブロッカーという薬の登場で、手術をしなくても症状を大きく改善できるようになったんです。

他にも前立腺そのものを小さくする薬や過活動ぼうこうを抑制する薬もあるので、手術をする機会がめっきり減りました。本当は手術も得意なんですけど」と苦笑い。

 もちろん、手術の適応患者には安全性の高い手術を行う。特に患者が高齢者の場合、手術を避けてカテーテルという管を尿管に留置する手段が取られるケースが多いが、林医師は患者のQOL(生活の質)を下げないため、積極的に手術を行うという。

 「カテーテルを留置すると、単に行動範囲を狭めるだけでなく、感染症のリスクも高めます。高齢者だから-という理由で最初から治療目標を低くすることはしたくないので」

 過去には100歳の患者に前立腺切除術を行い、高いQOLを取り戻した実績もある。

 一方、尿路結石にも豊富な経験を武器に、音波を使って結石を砕く「体外衝撃波破砕術」と手術の二本柱で、地域医療のレベルアップに貢献している。

 高齢化を背景に、今後も泌尿器科領域の患者は一層増えていく。生活の質を落とさずに高い治療成果を得るためには、林医師のようなスペシャリストの存在が不可欠だ。 (長田昭二)

 ■林暁(はやし・さとる) 1956年、千葉県生まれ。83年、秋田大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部外科に入局し、のちに泌尿器科に転科。大田原赤十字病院、川崎市立川崎病院、慶大病院、浦和市立病院、国立埼玉病院、西窪病院、立川共済病院などを経て、2006年より現職。現在、同院結石センター長を兼務。日本泌尿器科学会専門医・指導医。趣味は海釣り。

【日本の名医】洗いすぎがアトピーの温床 正しい「ベビースキンケア」発信★亀田総合病院皮膚科 医師 池田大志さん(37)


国内有数の大規模民間病院として高い知名度を持つ千葉県鴨川市の亀田総合病院。ここの皮膚科に勤務する池田大志(ひろし)医師は、アトピー性皮膚炎の治療や赤ちゃんのスキンケアなどの分野で近年、頭角を現す若手医師。

 「初期研修後は形成外科を専攻。ただ、将来のために見聞を広めることも大事だと思い、1年だけのつもりで皮膚科に行ってみたんです。そうしたら性に合っていた(笑)」

 医学の世界では「皮膚は内臓の鑑」と言われる。表面から見えない臓器であっても、異変があればそのサインが皮膚に現れることは珍しくない。「全身状態を診たい」と考えて皮膚科に進む医師は少なくないが、池田医師もまさにそんな一人だ。

 中でも現在、特に力を入れているのが「ベビースキンケア」だ。根っからの子供好きで、最初は小児科と形成外科のどちらに進むかで悩み抜いたという池田医師。それだけに赤ちゃんの“肌の健康”に対する思いは強い。

 「赤ちゃんに限らず清潔好きな日本人は“汚れを落としたい”思いから、必要以上に洗い過ぎていることが多い。これが本来、肌が持つバリア機能をそぎ落とす結果を招いており、湿疹やかぶれ、アトピーなどの温床になっているのです」

 大人は自分で病院に行けるが、赤ちゃんはそうもいかない。しかも原因が「子を思う親の優しさ」にあるとなれば、話はややこしくなる。

 「正しいスキンケアの知識を世界中に広めていきたいんです」と熱く語る池田医師。その一環として、自身が半年間の育休を取って経験した子育て記録に、ベビースキンケアの解説を連動させた本(プロフィル参照)を出版するなど、着実に夢の実現への布石を敷いている。

 育児に奮闘する全国のママたちをファンに持つ“イクメン医師”に、熱い視線が注がれている。 

 ■池田大志(いけだ・ひろし) 1977年、兵庫県明石市生まれ。2004年、徳島大学医学部卒業。健康保険鳴門病院(現・徳島県鳴門病院)で初期研修。06年より亀田総合病院形成外科。08年より同皮膚科。著書に「男が育休を取ってわかったこと」(セブン&アイ出版)。趣味はテニス、車、サックス演奏。

血液ドロドロって具体的にどういう意味?


■血液ドロドロの定義

 皆さんは、「血液がドロドロすること」のイメージをどのように持っていますか? どうもこれが世間一般では曖昧に話されているような気がします。

 「血液がドロドロする」ということをきちんと定義してみると、以下の3つの意味で捉えることができます。

(1)赤血球がかたくなること
(2)赤血球が濃いこと(ヘモグロビンの比率が高いこと)
(3)血漿成分のあぶらが多いこと

 (1)は、血液ドロドロの代表的な考え方です。赤血球は血液の血球成分の中で一番大きなものです。そして組織に酸素を届ける重要な働きを持つため、どんな細い血管でも柔軟にくぐり抜けていくしなやかさが必要です。

このしなやかさがなくなった状態がかたい赤血球といえます。赤血球のしなやかさを表す指標に、赤血球くぐり抜け試験があり、血液ドロドロの指標の一つとして用いられています。

 また(2)については、赤血球が単位血液量あたりに占める割合を表す「ヘマトクリット」を参考にします。このヘマトクリットが1上昇すると、血液粘性が4%上昇します。この血液粘性も血液ドロドロの指標の一つとして用いられています。

 血液中に中性脂肪やコレステロールが多いことが、(3)の血液ドロドロを引き起こします。

しかし、これはイメージであって実際に血液がドロドロ、つまり血液粘性を高める作用としては、赤血球のしなやかさやヘマトクリット値と比べると、無視できるくらい小さなものです。

 つまり血液ドロドロは、赤血球のしなやかさとヘマトクリットに依存していると考えられます。ここでいうドロドロとは、血液粘性が上昇したことで、組織への血流が遅くなり、酸素運搬効率が下がってしまうことです。

当然、この状態を放っておくことは、血管にも臓器にも良くないということになります。

■血液をサラサラにするメリットとは

 血液がドロドロになると、血液の流れが滞るため高い圧力を必要とします。これが血圧の上昇、つまり高血圧となるのです。そしてドロドロ血液は、血管の壁を傷つけてしまいます。

高い圧力とこのダメージがいつしか血管の壁に動脈硬化をつくり、血管の柔らかさを失わせてしまいます。

 血液がドロドロの状態であることは良くない、だからサラサラにしなければならない。この考え方はどうやら正しいようです。血液をサラサラな状態に保つことで、動脈硬化を予防できることは正しい認識だとおもいます。

■血液をサラサラにする方法

 血液がドロドロになることは、赤血球がかたくなること、ヘマトクリットが高くなることですので、赤血球を柔らかくする方法とヘマトクリットを高くしすぎない方法を考えればよいのです。

 赤血球を柔らかくする方法としては、クエン酸や酢酸が有効とされている報告があります。とくに街で見かける健康食品やサプリメントの中では、黒酢やEPAがこれに当たると考えてください。

黒酢を摂ることで血液をサラサラにする、また、青魚(EPAが多く含まれている)を多く摂ることで心筋梗塞を予防するという報告があります。

 ヘマトクリットを高くしすぎない方法は、血を濃くしないことなので、水分をしっかり取ることや低酸素の状態にならない(喫煙や肥満)ことです。水分摂取と禁煙は、とても大切なことです。

■賢い健康人のやっていること

 体に良いとされている食品をバランスよく摂り、水分をしっかり摂って、喫煙はしない。これが健康の秘けつなのでしょう。皆さんも、血液サラサラを目指して、なにか一つでも生活改善を行ってみてはいかがでしょうか?

死亡率が低い女医の患者 その対応力は男性医師も学ぶべき


コラム【Dr.中川のみんなで越えるがんの壁】

 女性をターゲットのひとつにした東京医大の“受験差別”が問題になっています。大学側は得点操作の理由として、女性医師が結婚や出産で離職すれば、系列病院の医師が不足する恐れがあるということを挙げているようです。戦力確保を狙うなら、私は女医をそろえる方がよりよい医療を提供できると思います。

 女性医師の実力を端的に示しているのが、米ハーバード大公衆衛生大学院の研究です。研究グループは2011~14年の間に米国の急性期病院に入院した65歳以上の高齢者約130万人を分析。「入院から30日以内の死亡率」「再入院率」などの項目で比較したところ、女性は男性に比べて「30日以内の死亡率」は0.4%、「再入院率」は0.6%低いことが明らかになったのです。

 この研究が行われた背景が、重要です。実は当時の米国の医療には、性差にともなうバイアスが生じていて、病院は病院で「重症な患者は、女性には難しいだろうから、男性に担当させよう」としたり、患者は患者で「女性は不安だから、男性に診てもらいたい」といったことがありました。はたして、医師の力量は男女で違うのか。それをきちんと調べる目的で始まったのが、米ハーバード大の研究です。

 事前の予測では、「性差なし」とみられていましたが、結果は紹介した通り。女性医師の方が、男性より治療結果が上回っていたのです。

 この研究結果が見逃せないのは、男性医師と女性医師で担当している患者の重症度を同レベルにそろえていること。調査の信頼性が、きわめて高いのです。

 私の部下は、およそ3分の1が女性。放射線治療分野に特化して、男女の実力を比べた調査はありませんが、みんなとても優秀です。万が一、私が患者として放射線治療を託すなら、個人的に女医に診てほしい。正直、そう思います。

■ガイドラインの説明ならAIで十分

 では、なぜ男女の医師で治療結果が変わるのでしょうか。がんはもちろん、いろいろな病気で研究結果にもとづいたガイドラインの作成が進んでいます。どこにいても、同じ状態の患者なら、同じ治療が受けられるようにするためです。そうすると、男女で差はないはずですが、違っていました。

 その差は、患者に寄り添ったコミュニケーションを取れるかどうか。そこが大きな違いだと思います。

 たとえば、肺がん検診で早期の肺がんが見つかったとします。早期なら手術か放射線でほぼ治ります。その2つの治療法は、肺がんの診療ガイドラインにも書かれていますが、それを杓子定規に説明しがちなのが男性医師で、「つらいですよね」「仕事も心配ですよね」などとショックを受けている患者の立場を考えながら、説明するのが女性医師です。

 今やAI(人工知能)の胃がん診断率は9割。杓子定規な診断や説明ならAIで十分でしょう。そういう時代になりつつあります。しかし、患者に寄り添う説明は、AIにはできません。それができるのが女性医師です。男性医師も患者に寄り添う対応が求められていると思います。

(中川恵一/東大医学部附属病院放射線科准教授)

【日本の名医】脳卒中治療のスーパードクター 上山博康先生


上山博康先生のプロフィール・実績等の紹介

(プロフィール)
1973年北海道大学医学部卒
その後道内の旭川、釧路、美唄などの関連施設で6年間研修
1980年秋田脳血管研究所勤務
1985年北海道大学医学部助手
日本脳神経外科学会
日本脳卒中の外科学会
日本脳卒中学会
日本脳神経外科学会認定医

(実績その他)
脳の病の“最後の砦”と呼ばれる旭川赤十字病院の脳神経外科部長を務めています。
脳卒中を引き起こす脳動脈瘤の手術を得意としています。この分野において「匠(たくみ)の手」として全国的に有名で、その腕を見込んで手術を依頼してくる手紙やメールがひっきりなしに届いているようですが、氏はその全てに目を通し、自ら返事を書いているそうです。

数々のメディアでその活躍ぶりが取り上げられており、、脳腫瘍のスーパードクターと言われる福島孝徳もTVで「もし僕が脳血管の手術を受けるなら上山先生にしてもらう」と話しており、まさにスーパードクターから評価されるスーパードクターという存在となっています。

上山博康氏が脳神経外科部長を務める旭川赤十字病院は、脳血管障害、脳腫瘍、頭部外傷を扱っており、道北の脳疾患治療の拠点として充実した設備、人員、体制を確保し診療を行っています。

同病院には上山氏を含めて脳神経外科学会専門医が10名在籍しており、日本脳神経外科学会の訓練施設(A項)の指定を受けています。年間500例以上の手術を行っていおり、脳動脈瘤手術件数は180件を超えますが、これは全国でもベスト10に入る症例数です。

 また、脳梗塞治療においても急性期治療から慢性期血行再建術に到るまで積極的な外科治療を行っており、日本の脳神経外科をリードする施設の一つとなっています。

(脳卒中治療に関する考え方・ポリシー)
~(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)~
「人生を手術する」モットーに、自分の力が必要と言われれば日本中の病院に足を運び、脳血管手術や脳腫瘍の摘出手術などを手がけています。

脳動脈瘤のクリッピング手術では年間300件・累計20,000近い手術を行い、「脳血管に関わる手術で日本一」「匠の手を持つ脳外科医」と呼ばれる存在となっています。

【日本の名医】蔡内科皮膚科クリニック院長、血を排出して病を改善


東京・新宿駅から京王新線で一駅。初台駅を出てすぐ目の前にある「蔡内科皮膚科クリニック」は、西洋医学でも東洋医学でもない、独自に開発した針きゅう技術などを駆使した治療で、さまざまな病気や不定愁訴の改善を目指す診療所。

 院長の蔡篤俊(さい・とくしゅん)医師は台湾生まれ。故郷で警察キャリアになるが、一念発起して日本に留学し、医学の道に踏み入る。

産婦人科と精神科で診療経験を重ねる中、既存の対症療法では根本的な治癒には結びつかない-との考えを持ち、世界中の論文を読みあさり、一つの真理にたどり着く。

 「すべての病気の源は●(=やまいだれに於の二点がにすい)血(おけつ)です。これを排出することなく、どんなに薬を使っても、手術をしても、根本的な改善は見込めません」(蔡医師)

 ●(=やまいだれに於の二点がにすい)血とは、血管外結合組織内で滞留した血液のこと。

そこで蔡医師は、カッピングという小さなお椀(わん)のような吸い玉と鍼、また鍼を通じて熱を伝えるお灸を使った「NAT鍼療法」という●(=やまいだれに於の二点がにすい)血排出技術を開発。これに体内の悪性物質を排泄(はいせつ)しやすくなるお茶を組み合わせた治療により、難治性の疾患を改善していく。

 アトピーや乾癬(かんせん)などの皮膚疾患を中心とした「●(=やまいだれに於の二点がにすい)血によって起きる疾患群」を「体内渋滞症候群」と呼ぶ蔡医師。血管外結合組織内で血流が“渋滞”することに起因する諸症状に高い効果を示すという。

 「古代中国やメソポタミアで、これと似た療法が行われていたという記録がありますが、現代医学を学んだ医師が、40年の臨床経験で身に付けた技術と経験を生かして、これをシステム化したのがNAT鍼療法です」

 そう語る蔡医師の元には、あらゆる治療を試したものの効果が得られなかった患者が全国から訪れる。

 蔡医師に師事した多くの医師が、国内はもとより、アメリカ、カナダ、台湾、マレーシア、中国など、世界各地で実践している。 「何をやっても治らない」と嘆く患者の“最後の砦”として、その存在感は高まっている。

【日本の名医】高精度の腹腔鏡手術 国内トップクラスの実績★大阪市立総合医療センター 肝胆膵外科副部長 金沢景繁さん(48)


今回紹介する金沢景繁(あきしげ)医師は、肝臓移植と腹腔鏡下肝切除術の分野で知られる消化器外科医。

 「移植医療に興味があり、心臓外科と肝臓外科のどちらに進むかで悩んだ末に肝臓外科へ。心臓外科も肝臓外科も、一般消化器外科と比べて手術時間も長く、いい意味での“ねちっこさ”が求められる分野です」

 この「ねちっこさ」は、もう一つの得意技術である腹腔鏡手術において、特に重要になるという。

 「患者のメリットをつねに考え、腹腔鏡でどこまで安全にできるか-を慎重に判断しながら手術を進めていくことが、新しい医療技術の健全な普及には不可欠です」

 また腹腔鏡手術は多くの最先端の手術機器を使用しながら進められる。

 「大切なのはチームワーク。外科医の他、麻酔科医や看護師、臨床工学士との連携を強めることで、安全で質の高い腹腔鏡手術が実現する」

 「安全性」には強いこだわりがある。腹腔鏡手術の途中で安全面に黄色信号がともった時を想定し、事前に小切開や開腹手術への移行を視野に入れた作戦を立てておく。

 「移植手術も腹腔鏡下手術も、経験と技術同様、慎重さが求められるし、努力しただけ患者の喜びも大きくなる。困難への挑戦が、大きな達成感をもたらしてくれる、やりがいのある仕事です」

 こうした実績と診療姿勢の評価は高く、腹腔鏡下肝切除術を希望する患者が西日本全域から紹介されて来る。同院で行われる年間120例ほどの肝切除術のうち、約7割が完全腹腔鏡下術。国内トップクラスの数字だ。

 腹腔鏡手術に対する強い信念を持ちながら、それを感じさせない柔和な笑顔が、患者に大きな安心感を与える。「安全」と「安心」が、患者と医師の心をつないでいる。 

■金沢景繁(かなざわ・あきしげ) 1991年、大阪市立大学医学部卒業。同大学院修了。第二外科に入局し関連病院に勤務後、京都大学医学部移植外科に6カ月間派遣。2000年、大阪市大に戻り、同大として1例目の生体肝移植を担当する。04年より、大阪市立総合医療センターに移り現職。医学博士。趣味はマラソン。

【日本の名医】前立腺治療に高い実績 手術なしで快適な排尿を★秀クリニック院長 高島秀夫さん(53)


東武東上線の下赤塚駅から徒歩5分、東京メトロ有楽町線地下鉄・赤塚駅からなら3分の住宅地に立つ「秀クリニック」は、泌尿器科、内科、皮膚科を看板とする地域密着型の診療所。

院長の高島秀夫医師は、大学病院や関連病院で多くの手術症例を持つ泌尿器科医だ。

 「患者の半分が内科疾患。残りの5割を泌尿器科と皮膚科の疾患が分け合う感じです」と説明する。その通り、開設から10年で、地域住民には不可欠な存在となった。

 専門の泌尿器科領域での知名度は高く、土曜日などは“シモの悩み”を訴えるサラリーマンが集結する。

 中でも多いのが前立腺肥大症。「頻尿」「勢いがない」といった症状を持つお父さんたちにとって、高島医師の存在は心強い。

 「昔と違って、今は薬物治療で大きな改善が見込める時代。α-1ブロッカーという薬で排尿をスムーズにするだけでも大きな効果が得られるし、デュタステリドという前立腺を小さくする薬もある。

これらの薬を効果的に使っていけば、多くの場合、手術をしなくても快適な排尿を取り戻すことが可能。結果として、医療費節減にもつながりますからね」

 かつては自身の執刀する手術によって、数多くの前立腺肥大症患者を救ってきた高島医師。その言葉からは、現在の治療薬の効果と安全性の高さが伺える。

 もちろんEDや性感染症、女性に多い過活動ぼうこうの治療にも積極的に取り組む。明るい人柄で「患者にとって恥ずかしい悩み」を打ち明けやすい雰囲気を醸し出す。

 「患者さんの表情や顔色を見ながら会話をすることで、相手のことを、より深く知る努力はしています」

 診察室にあふれる心地よい安心感は、そんな高島医師の人柄によるものなのだろう。 (長田昭二)

 ■高島秀夫(たかしま・ひでお) 1960年、東京都生まれ。北海道大学農学部から札幌医科大学に転じ、90年、卒業。同年、順天堂大学医学部泌尿器科入局。同大附属順天堂医院、越谷市立病院、三井記念病院、都立神経病院、同愛記念病院、江東病院などに勤務後、2004年、秀クリニックを開設し院長。趣味は水泳とドライブ。

【日本の名医】最前線の経験初期診療に生かす 急性期疾患や生活習慣病、そして早期発見★メディカルクリニック渋谷院長・岡野雄介さん(38)


JR渋谷駅新南口直結のホテルメッツ渋谷内にある「メディカルクリニック渋谷」。院長を務める岡野雄介医師は、3年前まで大学病院で肝胆膵領域を対象とした外科治療の最前線に立っていた消化器外科医。

外科で培った経験と知識を予防医学に役立てようと、開業医の道に踏み出した。

 「大学病院時代と違って、一人ひとりの患者さんとの関わりが幅広くゆっくり持てる点が楽しい半面、すべての責任が自分にかかってくる重圧も感じます。今はまだ勉強の毎日ですよ」と笑う。

 外来の合間に「検査の時間」を設定し、自ら胃カメラや大腸内視鏡検査を行う。入院や手術が必要と判断した時は、自らが籍を置いた大学病院との太いパイプを利用することもできるが、

それよりは患者の希望や利便性を最大限に優先し、近隣の拠点病院や、患者の居住地から近い基幹病院を探して、丁寧に紹介状を書く。

 かぜや頭痛、腹痛など急性期疾患の診断と治療、そしてさまざまな生活習慣病のコントロールなど、守備範囲は広い。加えて人間ドックによる“早期発見”にも力を入れる。患者の不安を少しでも取り除くための取り組み強化に余念がない。

 「手術に未練はないかと聞かれれば、『まったくない』とは言えません。事実、今でも外科時代の仲間から『手術を手伝いに来ないか』と誘われると、ありがたいな、と思います。

でも、今はプライマリケア医(初期診療医)としての実績を残す時期。今の環境で自分にできる最大限の努力をして、患者さんに還元したいと思います」

 あたたかい笑顔と物腰の柔らかさに人柄が染み出る。何でも気軽に相談できる若き開業医の存在を、特に渋谷近辺のビジネスマンは、頭に入れておいてもらいたい。 (長田昭二)

 ■岡野雄介(おかの・ゆうすけ) 1975年、東京都生まれ。
2002年、福島県立医科大学卒業。東京女子医科大学消化器病センター外科に入局し、肝胆膵外科チームに所属。同大附属病院のほか、関連病院の赤羽中央病院、八王子消化器病院などに勤務後、11年より医療法人社団エヌシー会に移籍し現職。日本外科学会専門医。趣味は自転車。

【日本の名医】頼れる“医療の窓口”に 多忙なサラリーマンの健康をサポート★トルナーレ内科外科院長・松浦裕史さん(40)


埼玉県日高市にある埼玉医科大学国際医療センター。同大教授で、心臓血管外科のトップを務める新浪博士医師は、名実ともに日本を代表する心臓外科医。順天堂大学時代は、天皇陛下の手術をした天野篤医師の下で研鑽(けんさん)を積んだ、国内有数の症例数を誇る心臓外科のスペシャリストだ。

 「子供の頃から手先が器用だったので、“医者になるなら心臓外科”と決めていたんです」

 そう言って笑うが、単に器用なだけでは片付かない、難度の高い手術で数多くの患者の命を救ってきた。

 「心臓の手術なら何でもしますが、好きなのは冠動脈バイパス手術。術者の“器用さ”が最も現れるのがこの手術です」

 患者が自分で見ることのできない、体内での“仕上がりの美しさ”に、強くこだわる。

 人工心肺装置を使わない、つまり心臓を止めずに行う「オフポンプ」と呼ばれる手術を、日本で最も早い時期から実践してきた1人。その卓越した技術を見学しに、国内外から数多くの心臓外科医がやって来る。

 そんな新浪医師が今後力を入れたいと語るのが、心臓移植だ。実は埼玉医大国際医療センターは、国内で9カ所しかない心臓移植認定施設の一つでもある。

 「6年前に完成したこのセンターでは、心臓に関して“ここでできない手術はない”と断言できるだけの高機能を有している。これだけの医療資源を活用しない手はありません」と意欲を見せる。

 近年、循環器内科の技術向上で、外科が担当する症例は総じて難しくなってきている。それでも、赴任時に抱いた「“天野外科”のクオリティーを見せつけてやる」という意気込みは、今も変わらない。

 「生死の境にいた人も、きちんと治せば元気で帰れる。退院時の笑顔を見ると、この仕事はやめられませんよ」

 世界水準の心臓手術が埼玉で行われていることを、まず頭に入れておくべきだろう。

 ■新浪博士(にいなみ・ひろし) 1962年、横浜市生まれ。

87年、群馬大学医学部卒業。91年、東京女子医科大学大学院修了。東京女子医大附属日本心臓血圧研究所に入局し、米ウェインステート大学、豪アルフレッドホスピタル、豪ロイヤルノースショアホスピタルなどに留学。その後、女子医大附属第二病院心臓血管外科助教授、順天堂大学医学部心臓血管外科助教授を経て、2007年より現職。医学博士。趣味はスキューバダイビングと熱帯魚の飼育。

【日本の名医】心臓外科のスペシャリスト 「オフポンプ」を早期に実践★埼玉医科大学 新浪博士教授(51)


埼玉県日高市にある埼玉医科大学国際医療センター。同大教授で、心臓血管外科のトップを務める新浪博士医師は、名実ともに日本を代表する心臓外科医。順天堂大学時代は、天皇陛下の手術をした天野篤医師の下で研鑽(けんさん)を積んだ、国内有数の症例数を誇る心臓外科のスペシャリストだ。

 「子供の頃から手先が器用だったので、“医者になるなら心臓外科”と決めていたんです」

 そう言って笑うが、単に器用なだけでは片付かない、難度の高い手術で数多くの患者の命を救ってきた。

 「心臓の手術なら何でもしますが、好きなのは冠動脈バイパス手術。術者の“器用さ”が最も現れるのがこの手術です」

 患者が自分で見ることのできない、体内での“仕上がりの美しさ”に、強くこだわる。

 人工心肺装置を使わない、つまり心臓を止めずに行う「オフポンプ」と呼ばれる手術を、日本で最も早い時期から実践してきた1人。その卓越した技術を見学しに、国内外から数多くの心臓外科医がやって来る。

 そんな新浪医師が今後力を入れたいと語るのが、心臓移植だ。実は埼玉医大国際医療センターは、国内で9カ所しかない心臓移植認定施設の一つでもある。

 「6年前に完成したこのセンターでは、心臓に関して“ここでできない手術はない”と断言できるだけの高機能を有している。これだけの医療資源を活用しない手はありません」と意欲を見せる。

 近年、循環器内科の技術向上で、外科が担当する症例は総じて難しくなってきている。それでも、赴任時に抱いた「“天野外科”のクオリティーを見せつけてやる」という意気込みは、今も変わらない。

 「生死の境にいた人も、きちんと治せば元気で帰れる。退院時の笑顔を見ると、この仕事はやめられませんよ」

 世界水準の心臓手術が埼玉で行われていることを、まず頭に入れておくべきだろう。

 ■新浪博士(にいなみ・ひろし) 1962年、横浜市生まれ。

87年、群馬大学医学部卒業。91年、東京女子医科大学大学院修了。東京女子医大附属日本心臓血圧研究所に入局し、米ウェインステート大学、豪アルフレッドホスピタル、豪ロイヤルノースショアホスピタルなどに留学。その後、女子医大附属第二病院心臓血管外科助教授、順天堂大学医学部心臓血管外科助教授を経て、2007年より現職。医学博士。趣味はスキューバダイビングと熱帯魚の飼育。

【日本の名医】大阪の糖尿病患者から絶大な支持 “テーラーメードの治療”にこだわり★ふくだ内科クリニック(大阪市淀川区)院長福田正博さん(56)


先週に続き、糖尿病治療の第一人者を紹介する。前回は東京の医師だったが、今回は大阪の糖尿病患者から絶大な支持を得る糖尿病専門医だ。

 新大阪駅から徒歩2分のビジネスビルにある「ふくだ内科クリニック」は、糖尿病治療に専門特化した診療所。院長の福田正博医師は、糖尿病治療の世界で知名度の高い内科医。

 「医療には大きく2つのタイプがある。1つは溺れている人=患者を医療者が救う“ライフセイバー型”で、多くの外科系の診療科がこれにあたる。

一方で、“コーチング型”と呼ばれるタイプがあり、川を泳いでいる人=患者に『この先は流れが急だから気を付けて、もっとキックしよう』などと医療者が励まし指示を出していくタイプ。糖尿病診療はまさにこれで、私の性に合っているんです」

 前回も触れたが、近年は自己注射タイプのインスリンを糖尿病の早期段階から使用することで膵臓(すいぞう)を休ませて、合併症を予防することが可能になってきた。

しかし、患者側にある「インスリンは最後の手段」などの誤解から、難色を示すケースも少なくない。

 「そんな時には、まず患者の話に耳を傾ける。その上で丁寧に説明をすれば、納得の上で治療に入れる。最近は24時間効果が持続し、低血糖に陥るリスクの低いインスリン注射薬も開発され、治療に選択の幅が広がった。

医者側から治療を押し付ける時代ではありませんよ」

 糖尿病に画一化した治療はなじまないという福田医師は、“テーラーメードの治療”にこだわる。

 「病気を見るのではなく、病気の背景にある原因を見なければ、効果的な治療はできません。その人を糖尿病に導いた生活習慣を医師が理解して、それに則した治療を組み立てていく。そこが専門医のウデの見せどころですよ(笑)」

 温厚な笑顔と語り口の中に、ほんの一瞬、専門医としての“自信”を垣間見ることができた。

 ■ふくだ・まさひろ 1956年、大阪市生まれ。82年、滋賀医科大学卒業。
大阪大学第四内科入局。88年から2年間、米ハーバード大学留学。96年から現職。日本糖尿病学会専門医。大阪府内科医会会長。近畿大学医学部非常勤講師。医学博士。趣味はオーディオ、パソコン、世界遺産めぐり。

【日本の名医】糖尿病治療の名医 インスリン早期投与の安全性を発信★邦大学医療センター大森病院(東京都大田区)教授 弘世貴久さん(52)


東邦大学医療センター大森病院の糖尿病・代謝・内分泌科教授を務める弘世貴久医師は、糖尿病治療の世界で全国的な知名度を持つ内科医。最初は大学で研究に没頭していたが、市中病院に移って糖尿病患者のあまりの多さに驚き、その治療にのめり込んでいった。

 当時、血糖をコントロールするためのインスリン投与は、病気がかなり進行してから、入院して徹底した管理下で行うのが一般的だった。しかし、臨床の最前線で弘世医師はそこに疑問を持つ。

 「血糖コントロールは、将来の合併症予防が目的。なのに、当時は合併症が出たり、それが近づいてから治療を始めるのが実情だった。もっと早い段階で血糖コントロールをすべきと考えて、早期での外来インスリン導入の重要性を唱えたんです」

 当初は異端視されたが、日本の糖尿病治療の第一人者である順天堂大学の河盛隆造教授に請われて上京。研究と臨床で積み重ねた理論をまとめ、早期インスリン投与の効果と安全性を世界に向けて発信していく。

 「国内の患者数を考えれば、糖尿病専門医だけを相手にしても仕方がない。多くの開業医にこの治療法を知ってもらい、実践してもらう必要がある」と、医師向けの啓蒙(けいもう)活動に尽力。

結果、早期インスリン投与の普及が飛躍的に進んでいった。

 インスリン投与は患者自身が腹部に打つので、怖がる患者もいる。そんな時、弘世医師は患者の前で自分の腹部に“空打ち”をしてみせる。

 「今の注射針は髪の毛ほどの細さなので痛くない。でも、どんなに口でいうよりもお医者さんが自分の体に打って見せたほうが安心感が違うでしょう」と笑う。

 NHK、朝の人気ドラマだった「梅ちゃん先生」の舞台・大森で、人情に篤い関西弁の先生の診療が始まっている。地域の糖尿病患者には大きな朗報だ。 

 ■弘世貴久(ひろせ・たかひさ) 1960年、神戸市生まれ。
85年、大阪医科大を卒業し、大阪大学第三内科入局。92年から米国立衛生研究所留学。95年より阪大助手、97年、西宮市立中央病院、2004年、順天堂大学医学部代謝内分泌科講師、07年、同准教授を経て、12年より現職。医学博士。趣味は「2人の息子と行く昆虫採集」。

「やぶ医者」は、名医だった!「やぶ医者大賞」を受賞した花戸貴司医師


[ちちんぷいぷい - 毎日放送] 2016年12月26日放送の「Today's VOICE ニュースな人」のコーナーで、「やぶ医者大賞」を受賞した花戸貴司医師が紹介されました。

「やぶ医者大賞」は兵庫県養父市が主催していて、やぶ医者の語源が「養父(やぶ)の名医」との説にちなんで2014年に創設されました。市内外を問わず、過疎地やへき地の医療に尽力した医師を顕彰するもので、今年で3回目となります。

「病気」を診るのではなく「人」を見る

花戸医師は滋賀県東近江市の山間部、三重県との県境に近いところにある永源寺地区で診療されています。この地区は過疎化高齢化が進み、65歳以上が占める割合を表す高齢化率が33.7%と、全国平均の26.7%を上回っています。集落によっては80%以上のところもあるとのことです。

赴任した頃は「診療所の医療レベルを上げたい」との熱い思いをお持ちでしたが、地域の患者さんと接している日々の中で、高度な医療をみんなが望んでいるわけではないことに気がついて、患者さんの声に耳を傾けて地域の人々に寄り添う診療をされています。

今では、地元の薬剤師や介護士の方とともに、行政と医療・福祉関係者との連絡会「チーム永源寺」を結成し、地域の医療を行政に伝えて政策に反映するようにと活動しています。

永源寺地区の10年前の高齢化率が今の全国平均と変わらないことから、「日本の10年先をいっている地域」と考えて、今やっていることが10年後の日本で役立つモデルになればとおっしゃっていました。(ライター:けあるひの)

心臓外科の名医 かつての“3K職場”での経験がいまも生きる


重症の患者や痛みに長年苦しんでいる人を救う外科医。自身の技術を上達させ、患者の負担が少ない低侵襲の手術を実践する名医に、週刊朝日MOOK「『名医』の最新治療」で迫った。その中から、小倉記念病院副院長であり、心臓血管外科主任部長の羽生道弥医師(57)を紹介する。

■どんなに難しい患者でも絶対に諦めない

 ひと口に心臓病と言っても、心筋梗塞、弁膜症、大動脈瘤(りゅう)とさまざまある。心臓病の手術数が全国トップレベルの小倉記念病院(福岡県北九州市)。心臓血管外科主任部長として腕を振るっているのが羽生医師だ。出血の少ない正確な手技は、同じ心臓外科医からも一目置かれている。

 ただ本人は謙虚で少しも偉ぶるところがない。今回の取材を申し込んだときも、「私でいいんですか?」と控えめだった。

「他の著名な心臓外科医と比べて派手さはないし、口下手なので……」

 2017年で医師32年目を迎える。年間の執刀数は約300例、通算では4千例を超え、日本のトップ心臓外科医の一人だ。だが意外にも、大学の医学部生のときは「小児外科」志望だった。

「乳幼児の生命力の強さに惹かれました。大人と違って『どこが痛い』と言えなくても原因を探りあて、治してあげたいと思ったんです」

 ところが大学6回生のとき、研修先の京都大学病院で考えが変わる。小児外科と同じ病棟内に心臓血管外科があり、重症患者にチームワークで挑む先輩たちを見て、「心臓は生命により深く関わる分野。自分も力になりたい」との気持ちが強くなった。

 1986年、医学部を卒業して心臓血管外科医に。病院の手術室で先輩から技術を学び、手術後は病院に泊まり込んで患者の容体を細かくチェックする毎日だった。

「当時の心臓血管外科は“3K職場”でしたよ(笑)。でも泊まり込んで、術後の患者さんの様子を細かく診られたことは大きな経験でした。当時の心臓手術は術後の合併症が多かったのですが、どんな状態が続くと合併症が現れるのか。それを未然に防ぐには、どんな手を打てばよいのか。いろいろ学ぶことができました。命もかなり救いましたよ。経験は今も生かされています」

 続いて移った土谷総合病院(広島市)では成人に加えて、新生児や小児の心臓手術を数多く担当した。ここでも麻酔科医と泊まり込み、手術と術後のケアを繰り返し学んだ。

■日本を代表する3人の医師から学ぶ

 その羽生医師には“3人の恩師”がいるという。はじめの京都大学病院では伴敏彦教授(当時)、土谷総合病院では望月高明医師、小倉記念病院では岡林均医師の指導を受けた。いずれも日本を代表する心臓血管外科医だ。

「3人の先生からは技術や治療方針の立てかたはもちろん、『絶対に諦めない』という姿勢を学びました。他では手術を断られた重症の患者さんも、思いをくみ取り、何とか手術できないかと必死に策を考える。手術中に容体が急変しても、『必ず立て直す』と諦めない。その姿勢と、ここぞというときの『引き出しの中身』を間近で学べたことは大きかったです」

 今働いている小倉記念病院には、九州全域や広島県、遠くは関東からも患者が集まる。16年春、弓部大動脈瘤の患者が来院した。かつて別の病院で手術を受けた際に冠動脈につないだバイパス(内胸動脈)2本が、弓部大動脈瘤に巻き込まれていて、しかも瘤が胸骨に密着しているという深刻な状態。普通に手術をすれば瘤が大破裂することは必至だった。

 しかし羽生医師は絶対に諦めないという姿勢で、大動脈弁狭窄(きょうさく)症の治療に用いる「経カテーテル術(TAVI)」も取り入れ、弓部大動脈を人工血管に置き換える手術を行った。時間はかかったものの無事に成功し、患者は元気さを取り戻した。

 そんな羽生医師の得意な手術の一つが、人工心肺装置を使わずに行う「心拍動下冠動脈バイパス手術(オフポンプ)」だ。狭心症で心臓の冠動脈の血流が悪くなった場合、別の血管を迂回路(バイパス)としてつなぎ、血流を回復させる。

 90年代までは心臓の動きをいったん止め、代わりに人工心肺装置で全身に血液を送りながらのバイパス手術(オンポンプ)が大半だった。しかし患者の負担が大きいこともあり、今では人工心肺装置を使わず、心臓を動かしたまま血管をつなぐオフポンプ手術が主流になっている。

 ただそのぶん、執刀医には高い技術が要求される。冠動脈は直径1.5~2ミリほどで、手術時の心臓は動いたまま。その状況下で、迂回路となる血管を素早くつないでいく。しかも通常は3~4カ所の冠動脈にバイパスをすることが多い。

「手術では出血させないことが重要です。出血すると処置が必要で、時間もかかってしまう。迂回路となる血管をつなぐときは、心臓の拍動に合わせて一発で決める。バイパス手術の基本は『確実に着実に』です」

 同手術は全身麻酔で行われることもあり、患者への負担はカテーテル治療より大きい。ただし1回で数カ所まとめて手術して、問題を解決する。術後、胸痛や息切れなどのつらい症状は消え、多くは見違えるように元気になる。

「7年前に狭心症でカテーテル治療を繰り返していた若い患者さんがいました。3カ月ごとに会社を休んで入院、検査に治療。職場ではかなり肩身が狭かったようです。内科医の勧めもあって、冠動脈バイパス手術をしました。2週間入院しましたが、その後は再発することなく元気に仕事に打ち込まれています。こうした再発率の低さもバイパス手術の大きなメリットです」

■万全の準備をして最高の状態で臨む

 06年に小倉記念病院の心臓血管外科主任部長になってから10年が経つ。もう熟練の域に達していると思われる羽生医師だが、「まだまだです。それに完成したと思ったら医療の進歩はありません」とあくまで探究心を忘れない。連日、重症例の心臓手術に取り組み、24時間365日態勢で緊急患者も受け入れる。

 手術が終わり、翌朝に合併症もなくホッとしていたら、次の患者が来るという繰り返しだ。

「通常の手術では準備万端整えて、最良のコンディションで臨むようにしています。患者さんもいい状態にして、麻酔科医や看護師、臨床工学士のスタッフも最高の実力を発揮する。手術時は一つひとつ確認作業を怠らない。鉄道の運転士が細かく指さしして、安全確認をしながら列車を動かすように、手術でも何百という確認作業があります。それを一つずつクリアしながら進めていく。一方、緊急の患者さんが搬送されてきたときは、王道が通じないことも多い。『どんな方法だったらうまくいくのか?』を即座に考え、決断し、チームで実行していきます。今後も最高の治療を提供していきたいですね」

小倉記念病院 副院長 心臓血管外科主任部長 羽生道弥
1986年、京都大学医学部卒。同大学病院、土谷総合病院を経て、2001年から小倉記念病院。06年に主任部長、13年副院長。
<実績> 合計手術数 約4000例(冠動脈バイパス手術2000例、心臓弁膜症の手術2300例、胸部大動脈瘤の手術600例など。合併手術のため重複あり)

•【日本の名医】高橋由伸も現役時代に治療を受け完全復活!“神の手”を持つ整形外科医とは


重症の患者や痛みに長年苦しんでいる人を救う外科医。自身の技術を上達させ、患者の負担が少ない低侵襲の手術を実践する名医に、週刊朝日MOOK「『名医』の最新治療」で迫った。その中から、出沢明PEDクリニック院長で、帝京大学溝口病院客員教授でもある、出沢明医師(64)を紹介する。

■虫の目と鳥の目で、手術する

「この綿みたいなのが、ヘルニアの原因の髄核です。鉗子でつまんで、取り出していきます」

 2016年10月上旬、東京・二子玉川駅前にある出沢明PEDクリニック。広さ8畳ほどの手術室には、心地よいクラシック音楽がかかっている。この日手術を受けるのは長野県から来た男性(70代)だ。長年患っていた腰椎椎間板ヘルニア(以下ヘルニア)が悪化し、歩行が困難になった。

 ヘルニアとは背骨を形成する腰椎と腰椎の間にある組織(髄核)が飛び出し、神経を圧迫する病気。日本人の約120万人がヘルニアと言われている。出沢医師は自ら開発した特別な内視鏡を使い、手際よく痛みの原因である髄核を取っていく。

「少しだけチクッとしますよ」

 部分麻酔のため患者と会話もできる。この日の手術はわずか1時間で終了した。

「もう大丈夫です。2、3時間もすれば歩けるし、明日には退院できるはずです」

 医師の言葉に、信じられないという表情の男性。ベッドから丁重にお礼を述べた。

 この出沢医師の手術は「PED法(経皮的内視鏡下椎間板ヘルニア摘出術)」と呼ばれる。患者の負担の少ない超低侵襲治療で、2003年に出沢医師が日本で初めて取り入れた。

「ヘルニアの手術方法はいくつかあり、背中側を3~4センチ切って、神経の束を器具でよけながら髄核を取るのが一般的です。また2センチほどの切り口から内視鏡を入れて手術する方法もあります。いずれも全身麻酔下で行われ、1週間~10日ほどの入院が必要です。患者さんからは『もっと早く復帰したい』との声が多くあり、医療機器メーカーにアイデアを出しながらPEDを完成させました」

■手術後2時間で歩くことも可能に

 PED法ではまず患者に部分麻酔をかけ、先端に超小型カメラがついた直径8ミリほどの管を背中に入れる。モニターに映し出される映像で患部の状態を確認しながら、管に鉗子を入れる。鉗子を右手で動かし、神経を圧迫している髄核にたどり着いたら、慎重に取り出していく。

 管の先端からは生理食塩水が出るため、視界不良が起こりにくい。また局所麻酔なので患者と会話ができ、神経症状の有無を確認しながら進められる。

 手術はおおむね1時間~1時間半で終わる。個人差はあるが、術後2~3時間で歩くことができ、翌日には退院できる。日帰り手術も可能で、保険も適用される。ヘルニアで車椅子を利用していた人が、1週間後にはゴルフを再開したというケースも珍しくない。

 読売巨人軍の高橋由伸監督が現役だった09年、ヘルニアに苦しみ、出沢医師のPED手術を受けた。翌年、見事に復活を果たし、打席に立ち続けた。

「サッカーJリーグの選手もみえます。トップアスリートは手術で日常生活ができるようになるだけではだめで、95%以上回復させなければいけない。だから余計に緊張します。術後のリハビリを経て、復帰されたときは感慨深いです」
 PEDは術後の再発率が低いのも大きな特徴だ。ヘルニアは手術後、5~10%は再発すると言われている。椎間板には再生する力がなく、手術をした痕はふさがらない。穴が開いている状態なので、いずれ髄核が再び飛び出してくる。しかしPEDなら、穴は8ミリほどと小さいので、再発率も当然低い。「3%ほど」(出沢医師)だという。

 手術は多いときで1日4件。これまでの手術数は2600例を超えた。

「PEDの超小型カメラはまるで虫の目です。体内の様子が大きくアップで映しだされる。一方、その映像を元に病態全体をイメージし、手術を進めていきます。患者さんを俯瞰(ふかん)している感じなので、こちらは鳥の目といえるでしょう。手術では両方の目を駆使しています。全神経を集中させているので、終わった後はぐったりです(苦笑)」

 従来のヘルニア治療に画期的な進歩をもたらしたPED。難点は高度な技術を要することだ。ミリ単位の手先の動きが要求されるため、できる医師は全国でも約25人と少ない。出沢医師は専門の学会を発足させて勉強会を開くなど、技術の伝達にも力を入れている。

■脊柱管狭窄症も1時間で治す

 その一方、PEDの応用や適応拡大にも余念がない。PEDと同じ内視鏡と特別なドリルを組み合わせ、腰部脊柱管狭窄症の手術も近年は進めている。

 背骨には神経(脊髄)が通る脊柱管というトンネルがあり、骨の圧力や椎間板の突出などで脊柱管が狭くなるのが脊柱管狭窄症だ。手術では圧迫している骨などを削り、狭くなった脊柱管を広げていく。

 出沢医師はPEDで使う内視鏡の管に、1分間で8万回転する細いドリルを入れて骨を削り取っていく方法を編み出した。これは「PEL(経皮的椎弓切除術)」と呼ばれ、世界最小の侵襲手術として注目されている。こちらも傷口は小さく、手術は1時間~1時間半で終わる。患者のほとんどが数時間後には歩くことができるという。

「整形外科の疾患は命に直結するわけではないですが、QOL(生活の質)やADL(日常生活動作)が大きく低下します。旅行やスポーツが趣味だった人が、寝たきりになることも少なくありません。ただし、整形外科の疾患は手術で完治するものがほとんど。負担の少ない手術法で、一人でも多くの人を治し、楽しみを増やしてあげたいです」 

 そんな出沢医師の健康法は水泳だ。もともとはジョギングが趣味でフルマラソンも6回完走しているが、11年に首が痛くなり水泳に切り替えた。

「毎夜、自宅近くのプールで1時間ほど泳いでいます。全身の筋肉がバランスよく鍛えられ、血流も良くなるので体調はずっといいですね。あとはストレッチです。朝起きたときに『波止場のポーズ』をやっています。ふくらはぎがしっかり伸び、腰痛予防にもなります。オススメです」そう笑顔で話す出沢医師。目標は80歳まで整形外科医を続けることだ。

出沢明PEDクリニック院長 帝京大学溝口病院客員教授 出沢明医師 1980年、千葉大学医学部卒。横浜東病院整形外科医長、帝京大学溝口病院整形外科教授、副院長補佐などを経て、2014年にPEDクリニック開業
<実績> 合計手術数 約2600例(椎間板ヘルニア1800例、腰部脊柱管狭窄症800例)

【日本の名医】生活習慣病の初期治療に実績!医師のネットワーク作りに注力★厚生連クリニック院長佐藤秀昭さん(64)


JA東京厚生連が運営する医療機関が東京・立川市にある。JR立川駅南口から徒歩2分。「厚生連クリニック」の院長を務めるのが、今回紹介する佐藤秀昭医師だ。

 山形県酒田市の開業医の次男として生まれた。

 「子供の頃は、よく父のカバン持ちで往診に付いて行っていました。そのせいか、かなり早い段階で『将来は医師』と決めてましたね」と笑う。

 「全身を診る」のと「家族も見る」ことが目的で医師になったので、迷うことなく内科を専攻。循環器疾患や糖尿病など、生活習慣病の初期治療を中心に実績を重ねていく。

 現在は、JAの組合員や地域で契約する企業の職員らを対象とした健診事業を柱に、自身が得意とするプライマリケア(初期診療)に特化した医療を展開する。

 「高血圧にしても糖尿病にしても、早期で症状が出ることはありません。

しかし、早期できちんと対処しておけば、その後に控える重篤な状態を回避することが可能。将来にリスクのある人を確実に洗い出し、必要な医療を提供していくのが私の役目。名医でも何でもないんですよ」

 そう謙遜するが、“最初に診る医師”の技量が、その後に受ける医療の質を大きく左右するのは紛れもない事実だ。

 そんな佐藤医師が、今、最も力を入れているのが、ネットワーク作りだ。

 「ここで病気が見つかった患者さんを、それぞれの分野で最も信頼できる名医に紹介したいので」と、多忙の中を各地で開催される学会に出かけて行き、「これは!」と思う医師に声をかけ、自身のクリニックに招聘したり、

医療連携での関係づくりにつなげていく。結果として「名医が認めた名医」によるネットワークができあがっていく。

 患者の知らないところで、こうした努力を怠らない医師がいることを、医療消費者として知っておくことが重要なのだ。

 ■佐藤秀昭(さとう・ひであき) 1948年山形県酒田市生まれ。
77年杏林大学医学部を卒業後、同大第二内科入局。埼玉社会保険病院、杏林大学高齢医学教室、同総合診療科、国家公務員共済組合連合会立川病院などを経て、2008年より現職。人間ドック健診専門医、日本医師会認定産業医他。医学博士。趣味はスキー。
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