手続き上の問題が続出するマイナンバーだが、個人情報が漏れさえしなければ…という向きもあった。ところがそれは淡い願望に過ぎなかった。前編記事『中国にマイナンバーと年金情報が「大量流出」していた…厚労省が隠蔽し続ける「不祥事」の全容』では、日本年金機構の委託業者から中国のネット上に個人情報が流出した経緯、それを隠そうとする日本年金機構や厚生労働省の対応の顛末を報じた。彼らが隠していることを、本記事でさらに浮き彫りにしよう。
岩瀬達哉(いわせ・たつや)/'55年、和歌山県生まれ。'04年、『年金大崩壊』『年金の悲劇』で講談社ノンフィクションを受賞。著書に『新聞が面白くない理由』『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』『キツネ目 グリコ森永事件全真相』(いずれも講談社刊)ほか多数
理事長のウソ
まさか、国会で堂々と嘘を述べるなど、誰も想像すらできない。個人情報の流出をなかったことにしたかった、機構と年金局のひねり出した「虚構のストーリー」が、この説明だった。
では、なぜ、水島(藤一郎日本年金機構)理事長の説明が虚偽と断言できるのか。
「税額計算プログラム」の作成プロセスを検証すれば、機構と年金局の「虚構のストーリー」を簡単に見抜くことができる。
上の写真の「申告書」には、あらかじめ機構が保有する前年の個人情報が一人ひとり印刷されている。当然、「氏名とフリガナ」も、大きなゴチック体で印刷されているのである。
受け取った年金受給者は、それら印刷内容に誤りや漏れがないかをチェックし、訂正や追加すべき事項があれば、指定の箇所に手書きで補正し、機構に送り返す。
たとえば生年月日が間違っていれば、二重線で消したのち、余白部分に正しい生年月日を記入するのだが、この余白の幅は、わずか5mm程度でしかない。
「記入の具体例」は、次のように記入するよう求めている。
「年金陽子は、身体障害者手帳(平成22年4月1日交付、2級)」
さらに別居している場合は、「年金陽子の住所は、東京都〇〇市△△ 〇丁目×番〇号」と記入するのである。
この「摘要欄」のスペースも「タテ2cm×ヨコ11cm」と限られていて、人によっては、びっしり手書き文字で埋まってしまう。
先の水島理事長の国会答弁は、ゴチック体の活字で大きくきれいに印刷された「氏名とフリガナ」のみが読み取れなかったとするものだ。ということは、わずか5mm程度の余白に訂正した数字や、「摘要欄」に「小さな手書き文字」で書き込まれたさまざまな個人情報は、OCRで正確に読み取れたことになる。
逆ならわかるが、ありえない話である。
百歩譲って、水島理事長が答弁したとおり、OCRでこれら手書きの文字が読み取れていたとしても、それだけではまだプログラムは作成できない。
プログラムの作成には、機構の「入力コード」を使い、厳格に定められた「入力位置」を守らなければならないからだ。
さらなる複雑な入力作業
上の図で示したように、平成30年の「申告書」の場合、プログラムの先頭には、まず「730」と入力することになっている。この数字は、「申告書」には記載されていないため、オペレーターによる手入力が必須となる。
ちなみに「7」は平成をあらわす入力コードで、「730」は平成30年の「申告書」であることを示している。
続けて「基礎年金番号」「年金コード」などの4項目の入力位置が設定されているが、この4項目は「入力不要項目」として、機構で処理することになっている。そのため、オペレーターは、空欄を意味するコンマを4つ打ち込むのである。
さらにこの4つの「入力不要項目」のあとに、「年金証書記号暗号番号」や「生年月日」などを入力するのだが、OCRで読み取っていたとしても、その数字をただ流し込めばいいというわけではない。
たとえば大正10年10月28日生まれの人は、機構の定めた「入力コード」に従い「3101028」と入力しなければならない。先頭の「3」は大正を示す「入力コード」で、昭和生まれは「5」、平成生まれは「7」を、それぞれの生年月日の先頭に配置するのが、プログラム作成のルールである。
このあとに続く、電話番号や申告書コードも「入力不要項目」として、コンマのみの入力となる。上の図で見ると、「申告書」の該当年である「730」(1)から10項目めに、はじめて配偶者のフリガナと漢字氏名を入力するのだが、前者は「半角文字」、後者は「全角文字」で打ち分けなければならない。
まして「摘要欄」に手書きで記入された住所と他の情報は、分離したうえ、住所は「住所欄」に、その他の情報は「扶養親族摘要欄」に別々に流し込まなければならない。
このような複雑な作業は、オペレーターが「申告書」の内容をひとつひとつ視認しながら入力しないことにはできないのである。
「ソフトは廃棄された」
それでもなお、OCRでこの複雑な作業をこなしていたとするなら、少なくともOCRで読み込んだ数字を「入力コード」に転換するソフトや、入力不要項目をコンマに置き換えたり、その他の個人情報をプログラムの指定位置に正確に流し込める、複数のソフトが開発されていなければならない。
「税額計算プログラム」の担当部署である給付業務調整室の給付企画グループは、そんなソフトは確認していないと述べたあと、口を滑らしたことに気づいてか、慌ててこう弁解した。
「OCRで読み取らせていたとすれば、僕らが理解してないだけで、そういうプログラムを作ったんじゃないかと思います」
また、年金局の事業企画課の担当者は、SAY企画に特別監査で入った時には、すでにソフトは廃棄されていて、どのようなソフトだったかわからないと述べた。そして、下を向いたまま押し黙ってしまった。
存在しないソフトの確認などできない以上、苦し紛れに、こう語るしかなかったのだろう。
すべてのデータが流出
では、SAY企画は、何を中国に再委託していたのか。
「氏名とフリガナ」を切り出すソフトの存在すら示すことができないうえ、OCRで読み取ったとする多種多様な個人情報やマイナンバーを、プログラムの指定された位置に正確に流し込むことが不可能な以上、行きつく合理的結論はひとつしかない。
SAY企画は、「申告書」をスキャナーで画像データ化したのち、それをそっくりそのまま中国に丸投げしていたことになる。
この恐ろしい事実を隠蔽するため、「氏名とフリガナ」だけを切り出し、中国に送っていたという「虚構のストーリー」を捻り出していたわけだ。
国会での集中審議が一段落したあと、機構の理事長室を訪ねたわたしに、水島理事長はこう零していた。
「今回の件は、厚労省から機構に出向で来ているキャリアが悪い。彼らは、実務を知らないのでまともな判断ができない。機構のプロパー職員で、この業務の責任者であった福井隆昭(給付業務調整室長)の違反行為を、彼らは誰ひとりチェックできていない。
それをいいことに福井は、SAY企画の契約違反を承知で、業務開始のOKを出した。これは犯罪行為だ。福井には厳しく対応する。降格させる」
このあと、わたしは年金局の事業企画課に、福井室長へのヒアリングをセットするよう何度も要請したが実現しなかった。福井室長はまだ定年という年齢ではなかったが、'18年7月31日付で退職してしまったからだ。
果たすべき理事長の責務
先の理事長室での会話から約1週間後、水島理事長はわたしの携帯に電話をかけてきて、こう言った。
「昨日までは、まったく動けなかったが、今日は家で仮眠し、これから出かけるところだ。うしろから銃で撃たれてはたまらない。しかし冥土のみやげのつもりで頑張る」
いまにして思えば、国会で嘘をつき続けるという宣言であったのだろう。ある意味、気の毒な役回りを押し付けられていたわけだが、それを引き受けたということは、コンプライアンス意識を捨て去ったということでもある。
日本年金機構のトップの務めは、事案を正確に公表し、国民への注意喚起をはかり、制度への信頼性を高めるものでなければならない。
その義務を果たすことなく、年金官僚たちの保身と小心の手助けをしたことの罪は重い。まさに犯罪行為そのものだろう。
水島理事長は、このまま知らん顔を決め込み、頬かむりを続けるつもりなのか。
自宅を訪ね、何か言い分があれば伺うと伝えたものの、過去の虚偽答弁を繰り返すだけだった。
(機構職員や年金局の官僚たちの役職は当時のままとした)
「週刊現代」2023年7月1・8日合併号より