【日本の名医】緑内障治療のスーパードクター 北澤克明先
北澤克明先生のプロフィール・実績等の紹介
(プロフィール)
1961年千葉大学医学部卒業
1967年同大学大学院医学研科修了
1968年米国Johns Hopkins大学 Wilmer眼科研究所留学(1年間)
1976年東京大学医学部助教授
1985年岐阜大学医学部教授、平成12年 同大学名誉教授
2000年赤坂北澤眼科院長
国際緑内障学会理事(前会長)
国際視野学会副会長
アジア・オセアニア緑内障学会会長
日本緑内障学会元理事長
(実績その他)
緑内障の権威・名医と言われているドクターです。
北澤克明先生は眼科レーザー治療の先駆者であり、抗がん剤を使用した緑内障手術の開発者として知られています。
抗緑内障薬の開発にも多くの貢献をしましたが、特記すべきは、日本人の緑内障疫学調査を本格的に行い、正常眼圧緑内障が如何に多いかを発見したことです。テレビ東京「主治医が見つかる診療所」2007年6月25日にて紹介され、その名前が一躍全国区となりました。
(治療に関する考え方・ポリシー)
~「緑内障フレンド・ネットワーク 」より抜粋~
緑内障のために失われた視野は、多くの場合、元に戻ることはありません。このため、 「緑内障」という眼の病気の存在に光を当て、早期発見を促すことで、失明に至る患者さんを一人でも多く救いたいというのが、私ども眼科専門医の長らくの切実な願いでした。
緑内障は誰にでも発病する危険性があるにも関わらず、単なる遺伝病であるとの誤った認識も広くあり、正に、異常を感じる前の“転ばぬ先の杖”こそが肝心となるのです。
「40歳を過ぎたら年に一度は検診」を、これまでも広く説いてまいりましたが、その制度化に向けても、今後は行政に働きかけていく必要性を感じております。
また、既に罹患された皆さま、とくに慢性緑内障の患者さんは、自らの病のタイプを知り、それぞれで異なる治療法への理解を深めると共に、心の不安を分かち合う交流の場を通して、病に立ち向かう心を育てられることを願ってやみません。
(プロフィール)
1961年千葉大学医学部卒業
1967年同大学大学院医学研科修了
1968年米国Johns Hopkins大学 Wilmer眼科研究所留学(1年間)
1976年東京大学医学部助教授
1985年岐阜大学医学部教授、平成12年 同大学名誉教授
2000年赤坂北澤眼科院長
国際緑内障学会理事(前会長)
国際視野学会副会長
アジア・オセアニア緑内障学会会長
日本緑内障学会元理事長
(実績その他)
緑内障の権威・名医と言われているドクターです。
北澤克明先生は眼科レーザー治療の先駆者であり、抗がん剤を使用した緑内障手術の開発者として知られています。
抗緑内障薬の開発にも多くの貢献をしましたが、特記すべきは、日本人の緑内障疫学調査を本格的に行い、正常眼圧緑内障が如何に多いかを発見したことです。テレビ東京「主治医が見つかる診療所」2007年6月25日にて紹介され、その名前が一躍全国区となりました。
(治療に関する考え方・ポリシー)
~「緑内障フレンド・ネットワーク 」より抜粋~
緑内障のために失われた視野は、多くの場合、元に戻ることはありません。このため、 「緑内障」という眼の病気の存在に光を当て、早期発見を促すことで、失明に至る患者さんを一人でも多く救いたいというのが、私ども眼科専門医の長らくの切実な願いでした。
緑内障は誰にでも発病する危険性があるにも関わらず、単なる遺伝病であるとの誤った認識も広くあり、正に、異常を感じる前の“転ばぬ先の杖”こそが肝心となるのです。
「40歳を過ぎたら年に一度は検診」を、これまでも広く説いてまいりましたが、その制度化に向けても、今後は行政に働きかけていく必要性を感じております。
また、既に罹患された皆さま、とくに慢性緑内障の患者さんは、自らの病のタイプを知り、それぞれで異なる治療法への理解を深めると共に、心の不安を分かち合う交流の場を通して、病に立ち向かう心を育てられることを願ってやみません。
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