あなたの健康はお金で買えますか・・・? 恋愛やセックスにルールなんてない…大杉栄と伊藤野枝の生き方から
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恋愛やセックスにルールなんてない…大杉栄と伊藤野枝の生き方から

ヨミドクター編集長の岩永直子です。
 今回からお届けするのは、明治・大正時代の代表的アナキスト、大杉栄や伊藤野枝の人物伝を書き、その思想を現代に 甦(よみがえ)らせた政治学者、栗原康さん(37)のインタビューです。

 結婚制度や社会道徳の 欺瞞(ぎまん)に全力で抵抗し、欲望の赴くままに、愛する人ややりたいことに体ごとぶつかっていった二人。彼らの思想にほれ込んだ栗原さんは、「恋愛やセックスにルールなんてないし、大事なのは、互いが本当の意味で素っ裸になること。社会の決まりごとに誰もが人間性を奪い取られ、生きづらさを感じている今こそ、二人の生き方に学ぶことは多いと思います」と私たちをあおります。栗原さんの豊富な恋愛(失恋)体験も飛び出す全4回の連載をご覧になって、ぜひ、足元を揺さぶられてみてください!


◎アナキズム研究を専門とする政治学者・栗原康さん
【略歴】(くりはら・やすし)政治学者(アナキズム研究)、東北芸術工科大学非常勤講師。
 1979年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科・博士後期課程満期退学。『大杉栄伝―永遠のアナキズム』(夜光社)、『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)、『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)、『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)など著書多数。長渕剛の大ファン。

◆◆◆

――まずは二人の男女関係を振り返らせてください。伊藤野枝の最初の結婚は17歳。でも、すぐに逃げ出してしまいましたね。

 「東京の女学校を卒業後、故郷の福岡に帰っておじさんに結婚を決められ、籍も入れられてしまいます。だけど、嫌になってすぐに飛び出し、大好きだった女学校の先生、辻潤(思想家)を頼って、東京の家に転がり込む。当時、女性には夫以外の男とセックスしたら罰せられる『 姦通(かんつう)罪』があり摘発されそうになるのですが、おじさんの取りなしで、籍を抜いて事なきを得ます。その後、辻との間に子どもが2人生まれ、野枝のいとこと浮気して一時関係が悪化した辻と関係をつなぐために、再び籍を入れることになりました」

――その頃、大杉栄と出会うのですね。恋愛や性欲が始まりではなかったそうですね。

 「元々は大杉の方が、野枝の文章に感心したんですね。世界的に有名なアナキスト、エマ・ゴールドマンの『婦人解放の悲劇』を野枝が翻訳して、大杉がそれを読んだのです。実のところ、夫であった辻潤が翻訳したのですが、解説は野枝が書き、それを読んだ大杉が『この子は平塚らいてう(婦人運動家)を超える』と絶賛しました。当時、大杉は売れっ子の文筆家で活動家としても有名でしたから、野枝はすごく喜んだ。最初は恋愛というよりも、同志愛のように、思想家として認め合うところから出発しています。しばらくはきょうだいのようにおしゃべりを楽しんでいたようですが、そのうち大杉の方から好きになったようです」

――大杉栄もその頃、複数、つきあっていた女性がいましたね。

 「もともと大杉は自由恋愛論者だったので、結婚はしていないんですけど、すでに堺利彦(社会主義者)の義理の妹、堀保子と長年 同棲(どうせい)していて、同時に新聞記者の神近市子ともつきあっていました。さらに野枝のことも好きになったのですが、当時、結婚したばかりの野枝は 躊躇(ちゅうちょ)してしまう。でも、公園で大杉が野枝にキスし、うれしくなった大杉が言いふらしてしまう。バカですよね(笑)。野枝も夫にキスされたことを伝えるとボコボコに殴られたので、大杉のもとに走ったのです」

――その過程で、大杉は四角関係となってしまった3人の女性と話し合いをして、自分の主張する「自由恋愛の3条件」を示したわけですね。

1、おたがいに経済上独立すること
2、同棲しないで別居の生活を送ること
3、おたがいの自由(性的すらも)を尊重すること

 「そうです。上から目線で、すこぶる女子には人気がない(笑)。ただ、言っていること自体は間違いではないと思います。人が何人とつきあおうが自由だし、そういう関係をもっと作ってもいいのではないかという主張です。元々彼が言っている『恋愛に尺度はない』ということと同じく、初めからつきあってはいけない人なんていないし、つきあってはいけない関係性なんてないのだ、というところから出発している。しかし結局は、3条件でルールを作っています。恋愛に尺度はないとしながら、契約を作ってしまうのは矛盾していると感じますね。大杉は、恋愛を頭で考えていたのかなと思います」

――野枝は、この3条件を守ろうとしたほかの2人の女性とは違い、約束なんて守りません。大杉の元に転がり込んで同棲してしまいますね。恋愛を頭では考えない。

 「体で恋愛とぶつかっています。実際、17歳で嫁がされても、『どうしても嫌だ』という体の感覚に従って、夜逃げ同然で逃げましたし、辻のところに転がり込むのも同様だった。大杉との関係も同じです。ここでつきあったらどうなるかは目に見えていたと思いますし、大杉は女性好きで有名で、周りからも止められていたのです。でも、好きだという気持ちは抑えられないし、『行くべきだろう』と思ったら、もう全力で突進していく。大杉以上に、頭よりも、体とか情熱が先にあったのが野枝なのかなと思います」

――そのあたりの違いは、男女の違いなのでしょうか?

 「男女の違いというよりも、思想家というのは、そういうところがあるのかもしれませんね。かっこうをつけようとする。大杉も感情が先にあるはずなのですが、まず理論を語ってしまうんですね」

――何が野枝のそのぶっ飛んだ勢いを生み出したのでしょう? 働かないで好きなことばかりしていた、お父さん(注・7人の子どもがいながら、気の向いた時にしか働かず、趣味の生け花と三味線に没頭)の影響もあったのでしょうか?

 「お父さんとの関係もあったでしょうし、子どもの頃から本が読みたいと思ったり、勉強がしたいと思ったりしたら、諦めずにそれをやるのが当たり前なんだと突き進んできたのも大きいでしょうね。野枝は、自分のやりたいことは、ほかの何かと交換可能ではない、だから何一つ諦めずにやっていくんだ、それが本当の意味での人の幸せなんだと信じていました。そのためだったら、周りに何を言われても、バッシングされても上等です。そういう感覚を体で培ってきたのが原動力になっているのだと思います」

――野枝が生きた明治・大正時代は、今より結婚の規範とか、イエ意識は強い頃ですね。

 「まだ強制結婚やお見合い結婚が当たり前の時代ですからね。女性ならではということが言えるとしたら、それは制度上の締め付けが強かった影響もあるのかもしれませんね。結婚制度は男に有利にできていて、元々、野枝も大杉も、『結婚制度の起源は奴隷制だ』と言っています。男が家という一つの単位を作って、その家の財産を蓄積していくのが良いことだとされていました。女性はその財産の一つです。いちど家に入ると、男のために家事や育児、性的処理まで、無償で奉仕させられる。子どもを産むのも、財産を増やす行為だとみなされます。人間が家畜のように、家の財産、モノ、所有物としてあつかわれる。これって奴隷ですよね。だから姦通罪も女性だけに適用されていました。ほかの男と寝たら、主人である男の財産権が侵害されるという発想です。どう考えても得しているのは、男だけですよね。この支配は今でも残っていますが、当時はそれがあからさまにやられていたんですね。だから、コンチクショウと思った女性たちが、猛烈にエネルギーを発揮して、支配を打ち破ろうとしたと言えるかもしれません」

――幼い頃、勉強したいという気持ちをかなえるためにも野枝は闘いました。

 「当時、勉強は男がするもので、女はどうせ家に嫁ぐ身だから必要ないと言われていました。野枝は学校に行った時点で、家制度を突破していたのかもしれません。そういう一つ一つの行動で自分を育てていった。制度によって抑えつけられる力が男よりも強く、締め付けがあまりにも強いからこそ、そこから飛び出していく力も大きくなったのでしょう」

――明治・大正時代より、現代の女性はずっと自由になったはずです。しかし、この「性とパートナーシップ」という欄で書いているセックスレスの体験談では、女性も男性も結婚の枠内で身動きが取れなくなっている人が目立ちます。こういう息苦しさを感じている人が現代もいることについてはどう思いますか?

 「おそらく、抱えている問題は当時と同じだと思います。確かに、今の方が形式上、自由にはなっていると思います。『近代的な家族を作ろう。男女は対等だ』と言われるんですけれども、結局、結婚で何をやるかと言えば、男女で契約を結んで、一つの家を作るという発想なんですよね。同じことをやっている。もちろん男女の差別も残っています。男性と女性で家族を作るという契約を結ぶと、お互いの役割が設定されて、女性は男をサポートすること、男は女性を養うために外で金を稼ぐことが課せられる。どちらも浮気してはいけないというルールもありますね。ただ、そのルールについては男が破っても、そんなにたたかれない。バリバリ働いている男性が不倫をすると、それが「デキる男」みたいに言われることがありますよね。でも、同じことを女性がやると 淫乱(いんらん)女と言われてしまいます。それは今でも、女性は男の所有物だという感覚が残っているからではないでしょうか」

 「とはいえ、男女が完全に平等だと仮定したとしても、息苦しさは残ります。結婚という制度の中で、誰でも交換可能な役割が男女それぞれに設定されて、そうしなければならないと思わされることが縛りになっているからです。女はきれいにしていなければならない、家事ができるようにしなくちゃいけない。男のほうもお金を稼がなくちゃならないし、現代であれば、女性にも子どもにも優しくできる、いわゆる『女子力』を男性も持つことが求められる。それがルールになってくると、自分自身でも『そうであらねばならない。できないやつは自立していないろくでなし』と思いこむようになる」

――なぜそう思いこむのでしょうね。

 「本当のところ、誰に言われているわけではないと思うのですが、自分でそうしなくちゃいけないと思いこまされてしまう。野枝の場合、『周りの視線を気にして、それに従って生かされてしまうこと自体が奴隷根性なのだ。それを引っこ抜け』と言っていました。今の時代も同じことです。ひとたび結婚してしまったら、みんな気づかないうちに奴隷根性を背負わされてしまう。しかも怖いのは、既に恋愛の時点から、『こうしなければ、生きていけない』という奴隷根性が植えつけられてしまっていることだと思います。より良い結婚をするためには、恋人がいない時から、男を口説けるように、女性は化粧や衣服できれいに着飾らないといけない。バブルの頃までは明確にブランド品を持てば良かったのでしょうけれども、それ以降はみんな貧乏になっていますから、創意工夫で女子力をアップしないといけない。そういうことをずっと自助努力でやらされている。たえまなくセルフマネジメントをさせられているんですね。結婚前の10代の頃から、自分を管理させられ、息苦しさを背負わされている。そして、そういうことに興味がなくて、無頓着な子はバカにされてしまいます。それも圧力だと思います」

――若い頃からのそうした感覚は、何によって育てられているのでしょう?

 「一つはメディアの力でしょうね。広告やテレビのCM、芸能人を見たりして影響を受ける。AKBとかを小学生ぐらいからまねして、おしゃれしていますものね」

――男の子はどうでしょう。そういう役割は子どもの頃から刷り込まれていますか?

 「お金を稼がなくてはいけない、ということは刷り込まれているでしょう。中学、高校ぐらいから『いい高校に行け、いい大学に行け』と言われるのは、ある意味、就職活動みたいなものかもしれない。いい高校に行って、いい大学に入って、いい企業に勤めろということは中学時代から言われ続けていることですし、今、経済的に余裕のある家庭だと、幼稚園あたりからそれを教え込みますよね」

――野枝と大杉の関係に戻ります。二人は晩年6年間一緒に暮らして、5人の子どもが生まれますが、「自由恋愛」を掲げた大杉は野枝以外の女性とも交際していました。二人の間にパートナーシップはあったのでしょうか?

 「パートナーシップがどういうものかにもよります。もしかして、パートナーシップというのはいわゆる夫婦と変わらないものを想定していませんか? 籍は入れなくても、その関係にも性別役割分業が残っているとしたら夫婦と同じです。野枝と大杉の間にはそういうパートナーシップはないかもしれません。お互いに同志や友達という感覚でつきあっていこうという気持ちが大きかった」

――この連載では、「互いにかけがえのない存在と感じている相手との関係」をパートナーシップと位置づけています。例えば、婚外恋愛している相手であっても、その人こそがパートナーと思えば、そこにパートナーシップが成立しているという考えで使っています。

 「そういう定義なら、二人はパートナー。お互いにかけがえのない存在でした」

――ただ、それが相手を縛るという意味ではない。

 「そうですね。大杉と野枝は、『人というのは絶対にひとつにはなれないんだ』という発想を持っていました。結婚生活は一つの集団を作るという発想でできていますが、初めめから家の財産を守り、増やすという目的が設定されてしまうと、そこに交換可能な役割が出てきてしまう。セックスについても『ひとつになる』という言われ方が多いですが、野枝は『それは絶対に違う』と書いています。野枝を女性解放をうたう雑誌『 青鞜(せいとう) 』の編集に引き込んだ平塚らいてうは、『セックスをすることで男女は合一化できる』という発想があった人です。いわく、『絶対的な快楽を味わうことで男女はひとつに解け合っていく。そのひとつになるというイメージを持ちながら、理想的な近代家族を作っていきましょう』と。しかし、野枝は『自分の実体験からしても、そんなことはないぞ』と言い切ります。セックスについてはそれほど具体的に言及していないのですが、『男女関係のベースにあるのはむしろ友情で、まったく別々の個人が個人のままでつきあっていくことが大事なんだ』と言っています。おそらくセックスについても同じように考えていたと思うんですよね」

――栗原さんは、後世のフェミニストの言葉を援用しながら解釈されていますね。

 「田中美津さんというフェミニストが言っていたことで、僕も実感としてそうだと思うのですが、『セックスというのは優しさの肉体的な表現である。むしろ体をいくらつきあわせて一つになろうとしても、絶対に一つにはなれないということを確認する作業がセックスなのだ』と。要するに、セックスする相手はもちろん心も体も別人ですから、一つにはなれない。こういうことを言うとすごくつれないことを言っているように思えるのですが、この考えは逆に、真の友情や愛情を紡ぎ合うことにもつながるのではないかと思うんです。まったく別の人間であるからこそ、お互いが何を求めているかなんて、初めからわかるはずがない。それを心身とも素っ裸になりながら、お互い肌と肌をつきあわせて、相手がどこに快楽を求めているのか、どこが嫌なのかをその都度確認し合う。ここに快楽を覚えているとわかったら、そこに優しさをもっともっと振る舞っていこうというのがセックスなのではないかと思うのです。おそらくそれは、人によっても違うし、同じ人でも体調によっても違えば、年齢によっても違う。そういうことを1回、1回、ゼロになり、素っ裸になりながら確認し合っていくのがセックスだと思います」

 「そういう快楽って、一人では絶対に味わえないですよね。まったく別の人間が一緒にいるからこそ、肌をつきあわせて、この人と一緒にいるとこんな快楽も存在していたのかということに気づかされる。もちろん逆に、ああ、人にはこういう苦しいこともあるのかと気づかされることもあるかもしれません。例えば、人によっては、性的な快楽をそんなに求めていない人もいますよね。そういう人に優しさを振る舞うならば、こうした方がいいと自分の行動や考え方を変えなければならないこともあるでしょう。最初は苦しいと思うかもしれません。でも、やっていくうちに『こうしたら相手が喜ぶ』とわかってきて、案外それも楽しいと思うようになります。一人では知らなかった喜びを、二人で肌をつきあわせることによって知ることができ、それをもっともっと膨らませていきたくなる。大杉栄は、そうやって自分の可能性を広げていくことを『生の拡充』と呼びました。そして、どうでしょう。これって、ふだん友人と一緒にいるときにもやっていることじゃないでしょうか。セックスの根っこにあるのは、友情を紡ぐということであり、生の拡充である。そういうのをパートナーシップと呼んでもいいのかもしれません」

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