【日本の名医】睡眠中に視力回復治療 眼科領域で最先端の技術を提供★吉野眼科クリニック院長 吉野健一さん(53)
毎年暮れになるとテレビで映し出される東京・上野の“アメヤ横丁”。そのすぐ近く、上野広小路に建つビルの6階にあるのが「吉野眼科クリニック」だ。
院長の吉野健一医師は、およそ20年前、当時の日本ではまだ認知されていなかった「ドライアイ」を米国で学び、その病態を日本に伝えたチームの一人。帰国後に開業してからも大学の研究室に籍を置き、最先端の知識と技術を臨床の場で提供し続けてきた。
現在もドライアイの診断と治療を柱に、白内障やレーシック手術など、眼科領域の中でも特に高い専門性が求められる診療に力を入れる。
吉野医師が今、熱心に取り組んでいるのが「オルソケラトロジー」という治療法。
「睡眠中に専用のコンタクトレンズを装着することで、角膜のカーブを変え、視力を矯正する治療法です。アメリカで開発され、2009年に日本でも厚生労働省の認可が下りました。
海外では、特に小児の近視進行抑制効果が認められていて、日本でも今後、眼科治療の一つの柱になる可能性があります」
レーシックや、このオルソケラトロジーもそうだが、吉野医師には先駆者ならではの悩みもあるという。
「新しい技術が注目されると、不勉強な医師が手を出して事故を起こす。これが一番つらいところ」と苦笑いする。その苦悩があるからこそ、患者がその治療を求めて来ても、適応から外れる時には毅然と断り、その患者にとって最適の治療法を考えていく姿勢だけは絶対に崩さない。
屈託のない笑顔で話す姿は、深い信頼感を醸成する。高い技術力だけでない、人間としての魅力が患者はもちろん、同業者の信頼をも得るのだ。
■吉野健一(よしの・けんいち) 1960年、東京都生まれ。81年、日本医科大学を卒業し、慶應義塾大学眼科学教室に入局。同大関連病院に勤務後、米・マイアミ大学に留学。帰国後の95年、吉野眼科クリニックを開設し院長。現在、東京歯科大学眼科学教室ならびに日本医科大学眼科学教室講師。医学博士。趣味は硬式テニス、海釣り、マラソン。
院長の吉野健一医師は、およそ20年前、当時の日本ではまだ認知されていなかった「ドライアイ」を米国で学び、その病態を日本に伝えたチームの一人。帰国後に開業してからも大学の研究室に籍を置き、最先端の知識と技術を臨床の場で提供し続けてきた。
現在もドライアイの診断と治療を柱に、白内障やレーシック手術など、眼科領域の中でも特に高い専門性が求められる診療に力を入れる。
吉野医師が今、熱心に取り組んでいるのが「オルソケラトロジー」という治療法。
「睡眠中に専用のコンタクトレンズを装着することで、角膜のカーブを変え、視力を矯正する治療法です。アメリカで開発され、2009年に日本でも厚生労働省の認可が下りました。
海外では、特に小児の近視進行抑制効果が認められていて、日本でも今後、眼科治療の一つの柱になる可能性があります」
レーシックや、このオルソケラトロジーもそうだが、吉野医師には先駆者ならではの悩みもあるという。
「新しい技術が注目されると、不勉強な医師が手を出して事故を起こす。これが一番つらいところ」と苦笑いする。その苦悩があるからこそ、患者がその治療を求めて来ても、適応から外れる時には毅然と断り、その患者にとって最適の治療法を考えていく姿勢だけは絶対に崩さない。
屈託のない笑顔で話す姿は、深い信頼感を醸成する。高い技術力だけでない、人間としての魅力が患者はもちろん、同業者の信頼をも得るのだ。
■吉野健一(よしの・けんいち) 1960年、東京都生まれ。81年、日本医科大学を卒業し、慶應義塾大学眼科学教室に入局。同大関連病院に勤務後、米・マイアミ大学に留学。帰国後の95年、吉野眼科クリニックを開設し院長。現在、東京歯科大学眼科学教室ならびに日本医科大学眼科学教室講師。医学博士。趣味は硬式テニス、海釣り、マラソン。
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