【日本の名医】王貞治氏の主治医… 「ミスター外科医・北島政樹」が求める“優しき医療”とは?
プロ野球のスーパースター、王貞治氏の主治医としても知られる北島政樹氏は消化器外科の名医だ。「ミスター外科医」とも称されるその輝かしい経歴は、内視鏡手術をはじめ最先端医療へのチャレンジの連続でもあった。
現在も漢方薬の科学的解明に取り組むなど、新たな挑戦への熱意はとどまるところを知らない。何が北島氏を駆り立てるのか。遠く見つめる「医療の未来」を聞いた。
--医療の革新的な技術に、いつも先陣を切ってこられました
北島 患者さんには「優しい医療」を受ける権利があります。開腹手術では体調回復は悪い。そこでもっと患者さんの負担を小さくしようと考えました。一人一人に合った侵襲(体への影響や負担)が少ない治療です。内視鏡手術なら、痛みは少なく回復も早いですからね。
--チャレンジ精神は、どう培われるのですか
北島 慶応大学医学部の伝統の一つですが、初代医学部長の北里柴三郎先生は、慶応には基礎医学と臨床医学を融合して一家族のような医学部を創りたいと語っています。私はその言葉が非常に素晴らしいと思うのですが、その理念ですね。私自身も米国留学時に、恩師から「外科医は技術を切磋琢磨し上手になろうとするが、サイエンスに支えられた技術でないとだめだ」と言われました。
--こうした教えを実践されたということですね
北島 そうです。慶応に戻り、医学部と理工学部の連携を率先しました。「医工連携」で誕生したのが、ロボット手術とか内視鏡手術です。驚くことに、1881年に福沢諭吉先生は、論説「医術の進歩」で、「将来、視学の器械が進歩するに従って、あたかも口の中を見るがごとく子宮、直腸、胃の裏まで見ることができる」と予見しているのです。「医術は外科より進歩するものなり」とも言われていた。私も若い人に「君たち、まさしく福沢先生は内視鏡外科のことをおっしゃっているんだぞ」と常々言ってきました。
--昔は「外科医は大規模な切開手術ができて一人前」という雰囲気もあったと聞きますが
北島 ありましたね。私自身そういう時代に育ちました。胸やおなかを開けて、「リンパ腺を90個取ったけど、転移がなくてよかった」という時代でした。1987年にフランスのモーレ先生が初めて腹腔鏡で内視鏡下胆嚢摘出手術をしましたが、当時は私も「外科医のやることではない」と思いました。しかし、患者さんの体調回復が全然違うんですよ。「これはやらなければならない」と考え、慶応で若い医局員と始めたのです。しかし、内視鏡手術は外科医にとっては大変なんですよ。
--技術的に難しいのですか
北島 開腹すれば触った感じが分かります。しかし内視鏡手術は画面を見ながらだから立体感がない。企業や理工学部と一緒に、堅いとか柔らかいという触覚を持った鉗子を作ったのです。その触覚を20キロも離れた場所に転送することにも成功しました。精密にすれば遠隔手術も可能ということで腹腔鏡ロボットで手術の実験もしましたね。イソップ2000というロボットは英語しか通じないんですよ。「ターン・トゥ・ザ・ライト」と言うと内視鏡がピュッと右に動くんです。
--漢方薬の科学的解明に取り組まれていますが、漢方薬に関心を持たれたのはなぜですか
北島 1999年、生イカを食べて私自身が腸閉塞になり入院しました。その時、大建中湯という漢方薬に出合ったのです。西洋薬の効果は極端で、うまくおなかのコントロールができなかったのが、漢方では非常に穏やかな状態となったのです。
■北島政樹(きたじま・まさき) 昭和16(1941)年、神奈川県生まれ。71歳。慶応大学医学部卒。米マサチューセッツ総合病院外科フェローや杏林大学第一外科教授などを経て、1991年慶応大学医学部外科教授。同大病院長、同大医学部長などを歴任。万国外科学会会長、日本癌治療学会理事長、日本コンピュータ外科学会理事長、日本内視鏡外科学会理事長、国際消化器外科学会会長のほか、世界最高峰の医学雑誌「New England Journal of Medicine」の編集委員を務める。