あなたの健康はお金で買えますか・・・? 乳がん“ステージ4”の妻を支える家族の絆。不安を払拭するために夫が率先してやったこととは…
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乳がん“ステージ4”の妻を支える家族の絆。不安を払拭するために夫が率先してやったこととは…

妊娠中に乳がん発覚。生まれた息子はダウン症

今年で結婚11年目を迎えた夫婦がいる。
結婚11年目は「鋼鉄婚式」。
ということで、毎年恒例の夫からのプレゼントは、ペアのステンレス製のタンブラーとアイスキューブだった。

妻は3年前に最初の乳がんを患った。
「pumiy」と名乗るブログで、日々の闘病生活を赤裸々に発信する「アメーバブログ」の人気ブロガーの一人。pumiyさんは、1976年生まれの2児の母。2014年に長女を出産後、1回目の乳がんが発覚し左右両胸を全摘、再建手術を行った。

その後は順調に回復し、待望の第2子を妊娠、仕事にも復帰した。

しかし、全摘手術からわずか1年半後の2017年8月、再び胸骨にシコリを発見。検査の結果、新たな乳がんが見付かり、さらに肝臓にも転移。まさかの乳がんステージ4の宣告を受けた。

すでに妊娠8か月。
胎児に影響が及ばない抗がん剤治療をすぐに開始した。そして、10月には無事長男を出産したが、生後間もなくダウン症とわかった。ちょうど小林麻央さんのこともあったし…涙が溢れた

最初のがんが発覚してから丸3年…
pumiyさんのブログにたびたび登場する、前向きに妻と家族をサポートする『夫ちゃん』に話を聞いた。「去年の夏ごろかな、口に出しては言わなかったけど、死んじゃう可能性もあるのかなと漠然と思って、一人で道歩いていて気付いたら涙が溢れてきた。ちょうど小林麻央さんのこともあったし…」


pumiyさんが乳がんを再発し、闘病生活が始まってからは、何かと理由をつくって早くに帰宅、今年3月からは時短勤務で娘の保育園の送り迎えをほとんど担当しているという夫ちゃん。

「会社で憔悴していたつもりはないけれど、ぼーっとしていたのかな。本当に会社にも迷惑をかけました。時短はそれを見かねた会社からの提案でした。時短で給料は減ったけど、少しでも妻の助けになりたい、一緒にいたい、そんな気持ちでした」

その結果、毎日家族全員で晩ご飯を食べ、子供が保育園での出来事などたわいもない話をしてくれることで、病気を忘れさせてくれたこともあったという。子供を寝かしつけた後に持ち帰った仕事をすることも多かったが、起きている間はずっと子供と一緒。妻へのサポートとは別に、幼少期の子供と毎日向き合えるという特別な時間となった。病気のおかげというと大げさですが、家族一緒の時間が増えたのは『キャンサーズギフトだね』と妻とは話していました」

こう語る夫にpumiyさんは、
「時短にしてくれて気持ちも家族もハッピーになった。変化に対応できる人で良かった」と話す。さらに、pumiyさんを勇気づけてくれたことがあった。

抗がん剤治療を始めれば、髪が抜ける。
母親の変化に娘はどう反応するか…
心配するpumiyさんの様子を見て夫ちゃんはある日、先手を打った。

僕が先行して坊主に

「先に僕が坊主にしちゃおうかと思った。娘のことを心配していたので、僕が先行して切ってしまえば3歳児はそう言うものだと思うのかなと思って」

pumiyさんは当時のブログでこう綴っている。

『8月の再発確認から毛がなくなる前に、ある日突然夫ちゃんが坊主にして美容院から帰ってきました。私の髪の毛がなくなる前に、坊主に慣れさせるために、夫ちゃんが先に坊主になってくれたのです。涙娘は始め「パパ怖ーい」と言っていましたが、いつのまにか慣れた頃に、私も坊主に。それもあったからか、私の坊主を怖いと思わなかったのかもしれません。ほんとに感謝です。』
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すべての縁がつながって今この状態なのでは

病気と闘う妻をどう支えるか。

「妻はがんの再発がわかったとき自分自身をとても責めた。ちょっとしたシコリがあることに気づいたときに、僕はすぐに診てもらいなさいと言ったけど、定期検診が2~3か月後にあるからと行かなかった。それを悔やんでいた。僕は、なってしまったものの要因を探しても意味がないと思っていて、なってしまった以上これから何ができるかを考えよう。あの時すぐに検査に行ったとしてもわからなかったかもしれないし、逆にわかっていたらお腹にいた長男を諦めようという結論に至ってしまったかもしれない。

わかったときは妊娠後期だったので子供も生む。並行してできる治療もやるという状況だった。すべての縁がつながって今この状態なのではないかと思う」
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長男はダウン症…生まれて3日後ぐらいに示唆された

治療開始から2か月弱が経ち、長男が生まれた。
体が小さく、筋肉も柔らかく、検査の結果、ダウン症候群とわかった。

「僕がまず示唆された。生まれて3日後ぐらいに検査受けませんか?と先生から言われた。
僕はダウンちゃんのことはあまり分かってなくて、治るものなんですか?と聞いて、『いいえ治りません』と言われた。

『抗がん剤が影響したことは当然ありません』という話だったが、万が一、妻がそれを気にしたら本当につらいなと思った。

ちょうど友達が病室に来てお祝いしてもらっている最中だったので、この話はしばらくできないと思い、検査を受ける予定日のギリギリまで待って『可能性があるから検査を受けなくちゃいけない』と伝えた」

お腹の中にいる胎児が病気をもっているかどうかを詳しく予測、もしくは診断する「出生前診断」については、長女妊娠の際に夫婦で話し合ったという。

「今回はバタバタしていて記憶にないが、長女の時はそう言う話があった。
初めて意見の食い違いがあって『検査を受けない』と決めた。

検査を受ける受けないという争点よりも、『分かったときどうする?』という話で、彼女は分かっても生みたい、僕は検査受けて分かったのなら諦めようと言った。彼女は僕の反応が意外だったようだ。ハンディを持って生まれてきて順番的に僕たちのほうが先に死んだとして、その子供はどうなる。それを考えると出産前であれば諦めざるを得ないという考えだった。人それぞれの考えがあると思うが。

だから逆にわからないで良い、もしそうだったら全力で育てようと思った。だから検査も受けなかった」

4人家族が僕らの家族。誰一人ピースとして欠けてはいけない

「長男がいてくれているおかげで妻も生かされていると思うし、家族が成り立っていると思う。今の4人家族が僕らの家族なんだなと。誰一人ピースとして欠けてはいけない。娘は太陽のような明るい子。妻は病気に負けていないし、息子は少し個性のある子だけど最強です!」

4人で挑んだがんとの闘い。
願いは叶い、肝臓への転移は消え、12月14日に原発のがんを無事摘出した。

「ステージ4と聞いたときは、子供をどう育てようという発想よりも、妻の居ない寂しさ、妻の居ない僕の人生ってつまらないなと思った。常に空がどんよりしていた。ここ1年半ぐらいは常に怖さとの表裏一体だったけど、どこかで大丈夫という気持ちもあって、自分に言い聞かせていたのかもしれない。

医学的には『根治、完治』という言葉は使わないと先生から言われたけど、我が家では一旦『完治』で良いんじゃないかな。油断しちゃいけないけど、お疲れ様、おめでとう、乾杯!でいいんじゃないかと、妻には伝えたい」

今後はホルモン治療を続けるというpumiyさん。
ブログに綴ることで多くの人から応援メッセージを受け取り、それが心の支えとなり、家族は勇気付けられたという。これからもその感謝の気持ちを込めて、育児に奮闘する様子などを発信し続け、『夫ちゃん』との結婚記念日をたくさん重ねていきたい、と笑顔で語った。
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