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高橋メアリージュンさん 「安心買う」と受けた検査で子宮頸がん…克服し、検診呼びかけ「女性の夢守りたい」


病息災

 「高橋さん、もうすぐ29歳になられるんですね。子宮頸(けい)がん検診を受けたことはありますか」  2016年の秋、かゆみの治療のために通院していた産婦人科の医師に勧められ、軽い気持ちで検診を受けた。子宮頸がん検診は、20歳以上での受診が推奨されている。  

ファッション誌の専属モデルなどを務めた後、女優としてデビューし、ドラマに映画にと多忙な毎日を送っていた。ジムで体を鍛えるなど健康には人一倍気を使っていた自信もあり、「安心を買う」くらいのつもりだった。 ところが、予定の1週間後よりも早く、「病院に来てほしい」との電話。駆けつけると、「ちょっと結果が良くなかったので、大きな病院に行ってほしい」と言われた。  

その時点でも、まだ気持ちには余裕があった。周囲に、再検査を受けたが「結局は大丈夫だった」という友人が多かったためだ。数年前に、子宮頸がんワクチンの予防接種を受けていたのも理由だった。  

精密検査の結果は、「高度異形成」。がんではないものの、一歩手前の状態で、ほうっておくと、がんに進む可能性がある。  「がんになるのは嫌なので、手術を受けたいです」。子宮頸部をレーザーで切除する円錐(えんすい)切除を受けた。だが、心配はそれでは終わらなかった。

がん告知、驚きで涙も出ず

 切除した組織を検査したところ、がん細胞が見つかったと告げられた。  「えっ、がん? マジか」。まるで人ごとのようで、実感がわかなかった。  

「涙も出ず、『がんの告知って、こんなふうなんだ』と、第三者のような感じで聞いていました。驚きが大きすぎて、現実のものとして受け入れられなかったんですね」  リンパ節転移の可能性もあり、さらに詳しい検査を行うと説明された。結果によっては、抗がん剤治療や子宮の全摘出手術が必要になるかもしれないという。  

「一生、子どもを産めなくなるかもしれない」。円錐切除の手術を受ける前は、産婦人科で目にする小さな子どもたちの姿に、勇気をもらっていた。それが、がんの告知を受けた後は、子どもを見るのがつらくて仕方なくなった。  

4人きょうだいの一番上。父の事業の失敗で貧しい生活を送りながらも、家族仲良く暮らしていた。自分もいずれは、にぎやかな家庭を持ちたいとの思いは強かった。  詳しい検査結果が告げられたのは約1か月後。リンパ節転移はなく、追加の治療は必要ないと知らされた。張り詰めていた気持ちが、ほっと緩んだ。

「検診広めたい」

 子宮頸(けい)がんを公表したのは、手術から1年余りたった2018年。初の著書「わたしの『不幸』がひとつ欠けたとして」(今年5月に文庫化)の中で告白した。  

公表するまでには、葛藤があった。  親しい女性の友だちには、治療を終えた早い時期から、子宮頸がんになったことを打ち明けていた。自分はたまたま検診を受けたおかげで、早期発見でき、助かることができた。だから、友だちにも、ぜひ検診を受けてほしいとの思いからだった。  

ただし、女優やモデルとしての仕事への影響を考えると、簡単には公にできない事情もあった。13年には、難病の潰瘍性大腸炎を患っていることを公表していた。今では良くなって薬も飲んでいないが、再び病気を告白するとなれば、「病気がち」のイメージがついてしまいかねない。  

子宮頸がんを公表した後には「病気をウリにしているのでは」という心ない言葉を耳にしたこともある。「病気になりたくて、なっているわけではないんですけど」と、心の中で言い返した。  

それでも、子宮頸がんを公表したことに後悔は全くない。  「検診の大切さを伝えることで、子宮を失わずに済む人や、助かる命が絶対にあると思うので。自分はどう思われてもいいから、言おうと。女性の夢が守られるのなら、その方が大事だと思いました」

繰り返し検診呼びかけ

 「子宮頸がん検診に行ってきました。早期発見で守られる命がたくさんあります。実際私は偶然、検診に行けた事で守られた一人です。 そして、今どこも悪いところがなく、健康です。検診、行って下さいね! 守れる命を守りましょう。    

#子宮頸がん検診」  今年のある日のツイッターでのつぶやき。2016年11月に手術した子宮頸がんは、再発もなく経過は順調だ。定期検診に行くたびに、ツイッターやインスタグラムで、子宮頸がん検診の受診を呼びかけている。  

「繰り返し伝えることが、大切だと思っています」  健康を取り戻し、ドラマの撮影などに多忙な日々を送っていたが、今年の4、5月は新型コロナウイルスの感染拡大のせいで、撮影もことごとく中止になり、自粛生活を強いられた。オンラインでピラティスのレッスンを受けるなどして、体調の維持に努めたという。  

自粛期間を利用して取り組んだのが、オンラインでの英語の集中授業。母親がフィリピン人のため、見た目で誤解されがちだが、実は英語を話せないのが、コンプレックスだった。  「英語をもっと勉強して、海外の作品にも出たい。夢はレッドカーペットを歩くことです」(文・田村良彦)
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