機長を殺害したハイジャック犯にみる薬の副作用と刑事責任能力
万能薬の「ハッピードラッグ」その思わぬ副作用とあの刺殺事件 から続く
1999年7月、日本を震撼させた全日空機ハイジャック機長刺殺事件が起きた。犯人の精神鑑定を行うにつれて、ある薬の存在が浮かび上がってきた。
裁判を傍聴したジャーナリスト・青沼陽一郎氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)
◆◆◆
そうかと思うと、念願だった航空機の操縦には、機長のアドバイスが必要だと二人きりになったはずなのに、何の前触れもなくその相手に斬り付けている。ハイジャック犯が、ひとりで操縦桿を握って517名を乗せたジャンボ機が墜落の危機に直面したとき、乗り合わせていた別の機長操縦士と追い出されていた副操縦士が操縦室に押し込み、犯人を取り押さえて航空機を奪還。羽田に引き返すことができたのだった。
「用意周到な犯行計画」と「あまりに短絡的な犯行態様」
このあたりの複雑な事件経過やその後の裁判の詳細については、拙著『裁判員Xの悲劇 最後に裁かれるのは誰か』に収録してあるので、詳しく知りたければ、是非そちらをお読みいただきたいが、ここでどうしても合理的に説明ができなかったのが、被告人の中に同居する用意周到な計画的犯行の一面と、あまりに短絡的な犯行態様の相反する部分だった。
このハイジャック犯を犯行直前まで診療していた専門科医は、当時の彼の病状を極度のうつと診断していた。ところが、犯行後に証人として呼び出された法廷の場では、統合失調症であると証言。むしろ、こんな犯行を犯したことで、その病状が証明できたとまで言ってのけたのだ。
かつては「精神分裂病」と称された統合失調症による心神喪失もしくは心神耗弱ともなれば、刑事責任能力が問えなくなり、無罪もしくは減刑の対象となる。
では、そんな状態の人間が、たったひとりでジャンボ機を一機まんまと奪ってしまうことができるだろうか。それも、空港警備の盲点を突いた上での犯行である。
このハイジャック犯については逮捕後、鑑定留置の措置がとられ、簡易鑑定が実施されている。その結果、「人格異常」は認められるものの、「精神疾患」とまでは言えず、刑事責任能力は問える、と判断された。それを受けて起訴され、裁判となった次第だ。
浮かび上がった副作用の存在
だから、この時点でもう診断結果が、真っ二つに分かれていたのだ。
法廷でも、緊張のあまりか、ぎこちない態度と溜息混じりの証言をして見せる被告人。
裁判所では、審理を中断して、精神鑑定を実施した。
ところが、ここでの鑑定においては、また別の診断結果がでたのだ。
アスペルガー症候群──。簡単に言ってしまえば、自閉症と同様の発達障害の一種と診断したのだ。しかも、鑑定主文の被告人の刑事責任能力の有無については、白紙で提出。
「犯罪者のしかるべき精神治療施設の整わない現制度下において、刑事責任能力については言及したくない」
と持論を展開して、ますます法廷を混乱させるばかりだった。
それにしても、自閉症の人間が堂々とハイジャックまで引き起こすものだろうか?
そこで納得のいかない裁判所は、再度、審理を中断させて、鑑定を実施する。
その結果、浮かび上がってきたのが、抗うつ剤SSRIの副作用だった。
犯行直前までハイジャック犯を診療していた医師というのが、実は、複数の自著を持つほどの日本におけるSSRIの信奉者だったのだ。だから、重度のうつ状態と診断していた同医師は、国内未承認だったSSRIを医師の責任における処方によって、このハイジャック犯に服用させていたのである。
この薬を服用していたことによって、「躁とうつの混ざった混合状態」が生じ、「犯行時の精神状態は、事物の理非善悪を弁識する能力が著しく減退していた」と判断されたのだ。
こうした状態によって、いわば副作用的に攻撃性が増したり、自殺念慮が高まるとする報告は、すでにこの時点でアメリカでは相次いでいた。そのことは、既にハイジャック犯の弁護人によって主張され、証拠もいくつか提示されていた。
死刑とクスリ
たとえば、米国同時多発テロを題材にした『華氏911』で世界的に有名となった映画監督マイケル・ムーアが、その前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』で取り上げた、コロラド州リトルトンで発生した高校銃乱射事件(99年)の首謀者がやはりSSRIを服用していたことが、ワシントン・ポストによって報じられている。
それ以前には、94年にはニューヨークで爆弾を仕掛けて48人に重軽傷を負わせた男性もやはり同剤を服用していたことが報告されている。
89年には、SSRIを服用中の47歳の男性が職場で銃を乱射し、8人を殺害した上に自殺した事件が発生していた。
この日本版が、すなわち全日空機ハイジャック機長刺殺事件ということになる。
判決でも、この鑑定結果が採用されて、減刑の対象となった。すなわち、本来ならば死刑であるべきはずのところを、SSRIによって刑事責任能力に欠ける状態にあったとして、無期懲役の判決が言い渡されたのである。
もっとも、検察側も躁鬱の入り交じった状態であったことを認めて、最初から死刑の求刑を避けていた。
従って、死刑相当事犯であることを認めながらも、薬の副作用を認めて減刑対象とした判決は、弁護側、検察側の双方がまるくおさまる結果となった。
法廷でも、大袈裟な芝居をしているようにしか見えない緊張状態にあった──もっと端的にいえば、普通の人の言動からはかけ離れたところのあった被告人にとっても、治療に専念できる機会を与えられたことになる。
この判決が、SSRIと犯罪の因果関係を認めた最初であり、死刑の回避の理由となっている。
その当時、ぼくは週刊誌上でこの判決が下った意味の大きさについて触れていた。クスリのいわば副作用で、人を傷つける大事件を起こす事例を司法が判断しているのだ。その服用者の数からして、隣を歩いていた人間が、いつなんどき、通行中の人間を襲うような通り魔に変質することだって、考えられる事態だったのだ。
それが、今ごろになってお役所が騒ぎだすところが、不思議でならない。
死刑が回避されるほどの重大事件を、個人の刑事責任が問えなくなるほどの事例を、みすみす見逃してきている。
それだけ司法の死刑判断と、国民の健康維持や生活安全とは、別世界のことだったのだ。
どの鑑定を採用するのか
このハイジャック犯の死刑回避判決の要となったように、いくとおりもの鑑定結果がでてきて、どれを判決に採用するのか、しないのか、の判断もすべて一般素人の裁判員に任せられることになる。
裁判員の対象事件となる刑事被告人の多くがSSRIの服用歴があったところで、これを裁く裁判員にだって同剤の服用者がいることもあり得る。そんな裁判員が、自分の常用薬の副作用を理由に死刑回避を認められるものだろうか。
まして、大阪池田小学校児童殺傷事件の宅間守死刑囚にも服用が認められたところで、彼には既に死刑が執行されている。
死刑と鑑定、それに精神衛生と無差別殺人の話がでてきたところで、ぼくの見たもうひとりの死刑判決者について触れておきたい。
(青沼 陽一郎/文春新書)
1999年7月、日本を震撼させた全日空機ハイジャック機長刺殺事件が起きた。犯人の精神鑑定を行うにつれて、ある薬の存在が浮かび上がってきた。
裁判を傍聴したジャーナリスト・青沼陽一郎氏の著書『 私が見た21の死刑判決 』(文春新書)から一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)
◆◆◆
そうかと思うと、念願だった航空機の操縦には、機長のアドバイスが必要だと二人きりになったはずなのに、何の前触れもなくその相手に斬り付けている。ハイジャック犯が、ひとりで操縦桿を握って517名を乗せたジャンボ機が墜落の危機に直面したとき、乗り合わせていた別の機長操縦士と追い出されていた副操縦士が操縦室に押し込み、犯人を取り押さえて航空機を奪還。羽田に引き返すことができたのだった。
「用意周到な犯行計画」と「あまりに短絡的な犯行態様」
このあたりの複雑な事件経過やその後の裁判の詳細については、拙著『裁判員Xの悲劇 最後に裁かれるのは誰か』に収録してあるので、詳しく知りたければ、是非そちらをお読みいただきたいが、ここでどうしても合理的に説明ができなかったのが、被告人の中に同居する用意周到な計画的犯行の一面と、あまりに短絡的な犯行態様の相反する部分だった。
このハイジャック犯を犯行直前まで診療していた専門科医は、当時の彼の病状を極度のうつと診断していた。ところが、犯行後に証人として呼び出された法廷の場では、統合失調症であると証言。むしろ、こんな犯行を犯したことで、その病状が証明できたとまで言ってのけたのだ。
かつては「精神分裂病」と称された統合失調症による心神喪失もしくは心神耗弱ともなれば、刑事責任能力が問えなくなり、無罪もしくは減刑の対象となる。
では、そんな状態の人間が、たったひとりでジャンボ機を一機まんまと奪ってしまうことができるだろうか。それも、空港警備の盲点を突いた上での犯行である。
このハイジャック犯については逮捕後、鑑定留置の措置がとられ、簡易鑑定が実施されている。その結果、「人格異常」は認められるものの、「精神疾患」とまでは言えず、刑事責任能力は問える、と判断された。それを受けて起訴され、裁判となった次第だ。
浮かび上がった副作用の存在
だから、この時点でもう診断結果が、真っ二つに分かれていたのだ。
法廷でも、緊張のあまりか、ぎこちない態度と溜息混じりの証言をして見せる被告人。
裁判所では、審理を中断して、精神鑑定を実施した。
ところが、ここでの鑑定においては、また別の診断結果がでたのだ。
アスペルガー症候群──。簡単に言ってしまえば、自閉症と同様の発達障害の一種と診断したのだ。しかも、鑑定主文の被告人の刑事責任能力の有無については、白紙で提出。
「犯罪者のしかるべき精神治療施設の整わない現制度下において、刑事責任能力については言及したくない」
と持論を展開して、ますます法廷を混乱させるばかりだった。
それにしても、自閉症の人間が堂々とハイジャックまで引き起こすものだろうか?
そこで納得のいかない裁判所は、再度、審理を中断させて、鑑定を実施する。
その結果、浮かび上がってきたのが、抗うつ剤SSRIの副作用だった。
犯行直前までハイジャック犯を診療していた医師というのが、実は、複数の自著を持つほどの日本におけるSSRIの信奉者だったのだ。だから、重度のうつ状態と診断していた同医師は、国内未承認だったSSRIを医師の責任における処方によって、このハイジャック犯に服用させていたのである。
この薬を服用していたことによって、「躁とうつの混ざった混合状態」が生じ、「犯行時の精神状態は、事物の理非善悪を弁識する能力が著しく減退していた」と判断されたのだ。
こうした状態によって、いわば副作用的に攻撃性が増したり、自殺念慮が高まるとする報告は、すでにこの時点でアメリカでは相次いでいた。そのことは、既にハイジャック犯の弁護人によって主張され、証拠もいくつか提示されていた。
死刑とクスリ
たとえば、米国同時多発テロを題材にした『華氏911』で世界的に有名となった映画監督マイケル・ムーアが、その前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』で取り上げた、コロラド州リトルトンで発生した高校銃乱射事件(99年)の首謀者がやはりSSRIを服用していたことが、ワシントン・ポストによって報じられている。
それ以前には、94年にはニューヨークで爆弾を仕掛けて48人に重軽傷を負わせた男性もやはり同剤を服用していたことが報告されている。
89年には、SSRIを服用中の47歳の男性が職場で銃を乱射し、8人を殺害した上に自殺した事件が発生していた。
この日本版が、すなわち全日空機ハイジャック機長刺殺事件ということになる。
判決でも、この鑑定結果が採用されて、減刑の対象となった。すなわち、本来ならば死刑であるべきはずのところを、SSRIによって刑事責任能力に欠ける状態にあったとして、無期懲役の判決が言い渡されたのである。
もっとも、検察側も躁鬱の入り交じった状態であったことを認めて、最初から死刑の求刑を避けていた。
従って、死刑相当事犯であることを認めながらも、薬の副作用を認めて減刑対象とした判決は、弁護側、検察側の双方がまるくおさまる結果となった。
法廷でも、大袈裟な芝居をしているようにしか見えない緊張状態にあった──もっと端的にいえば、普通の人の言動からはかけ離れたところのあった被告人にとっても、治療に専念できる機会を与えられたことになる。
この判決が、SSRIと犯罪の因果関係を認めた最初であり、死刑の回避の理由となっている。
その当時、ぼくは週刊誌上でこの判決が下った意味の大きさについて触れていた。クスリのいわば副作用で、人を傷つける大事件を起こす事例を司法が判断しているのだ。その服用者の数からして、隣を歩いていた人間が、いつなんどき、通行中の人間を襲うような通り魔に変質することだって、考えられる事態だったのだ。
それが、今ごろになってお役所が騒ぎだすところが、不思議でならない。
死刑が回避されるほどの重大事件を、個人の刑事責任が問えなくなるほどの事例を、みすみす見逃してきている。
それだけ司法の死刑判断と、国民の健康維持や生活安全とは、別世界のことだったのだ。
どの鑑定を採用するのか
このハイジャック犯の死刑回避判決の要となったように、いくとおりもの鑑定結果がでてきて、どれを判決に採用するのか、しないのか、の判断もすべて一般素人の裁判員に任せられることになる。
裁判員の対象事件となる刑事被告人の多くがSSRIの服用歴があったところで、これを裁く裁判員にだって同剤の服用者がいることもあり得る。そんな裁判員が、自分の常用薬の副作用を理由に死刑回避を認められるものだろうか。
まして、大阪池田小学校児童殺傷事件の宅間守死刑囚にも服用が認められたところで、彼には既に死刑が執行されている。
死刑と鑑定、それに精神衛生と無差別殺人の話がでてきたところで、ぼくの見たもうひとりの死刑判決者について触れておきたい。
(青沼 陽一郎/文春新書)