束縛、モラハラ、目の前で自殺…「なぜ私と母を傷つけた父に瓜二つの男を愛してしまうのか」
幼い頃、父親の虐待に苦しんだシェリルは、大人になってからも自分に暴力を振るう男性とばかりつき合ってしまう。一方、トロイも酒に溺れてから怒りの衝動を抑えられなくなっていた。家庭内暴力(DV)被害者・加害者の双方が、長年抱えて来た辛い過去を語る。米誌の長編記事の第2話。
シェリル:もうこれ以上の恐怖、罪悪感、屈辱、そして責任を負いたくなかった。だから参加してみようと思ったの。自力でなんとかしようと頑張ってきたけど、負の感情はまだしぶとく残ってる。
シェリルは1950~60年代に少女時代を送った。当時、彼女は米オレゴン州ポートランド市郊外の中流階級地区に建つ家に住んでいた。家からは草原や果樹園が見渡せて、夏になると友人たちと裏庭に寝転んで過ごした。
だが、友人を家のなかに招待するわけにはいかなかった。父親がいつ癇癪を起こすか分からなかったからだ。シェリルが赤ん坊だったころ、母は泣いている娘を抱いて地下室にこもり、父の暴力から守った。少女時代の記憶はあまりない。しかしある晩、父が母に「この銃で子供たちを殺してから自分も死ぬ」と言ったことは覚えている。
彼女の3人のきょうだいは、父親が激昂するとたいてい家を飛び出したが、シェリルはひとり家に残って父と母の間を取り持った。父はシェリルが19歳のときに亡くなった。「すごく嬉しかった」と、彼女は当時を振り返る。その後すぐにシェリル一家は集まってお祝いのパーティーを開いた(シェリルは身元保護のため、記事中ではファーストネームのみの使用を求めた)。
恋人が目の前で銃自殺
父が亡くなり、これで人生も変わるとシェリルは期待していたが、思い描いたようにはならなかった。新しくできた恋人は、酒に酔うと彼女を殴った。その男と別れた後、同僚の紹介で別の男性とつき合いはじめた。ところが、しばらくするとその男は、自分がその場にいなかったときに口をきいた人間を全員教えるようにと言った。また、シェリルは趣味で空手を習っていたが、新しい恋人は別々に過ごすのを嫌がった。
「オレより大事なことって何だ?」とその男に詰問され、シェリルは絶望した。すべてを犠牲にして男の機嫌取りをしなければならない、あの暗い世界へ引き戻される気がしたのだ。シェリルは恋人に電話して、私たちはうまくいかないと思うと伝えた。電話を切ってしばらくすると恋人がやってきて、鼓膜が破れるまで彼女を殴り、首を絞めてきた。
翌日、シェリルから電話を受けた母親が警察に連絡した。母から「すべてお話ししなさい」と言われたシェリルは、刑事にこれまでの顛末を説明した。黙って聞いていた刑事の口から、こう言われたのをいまでも覚えている。
「逮捕は可能ですが、法的拘束力はかなり弱いです。司法の場で彼から受けた被害を話さなければならなくなりますが、向こうはそんなのぜんぶウソだと反撃してくるでしょう。最悪の場合、その男性が逆恨みして、あなたを殺そうとするかもしれません。それでも構いませんか?」
傍目からは、シェリルの人生に何か問題があるとはとても思えなかった。大企業で働く彼女の周囲の人間は皆「きみは仕事もできるし、自信もある」と声をかけてくる。ところがシェリルがつき合う男たちはいずれも父と瓜二つで、すべてを支配しないと気がすまず、彼女に暴力を振るった。
私の人生は行き詰っている。こうなったのはぜんぶ自分のせいなのかもしれない。精神的にあまりにも辛くて、もうこんな人生1日たりとも耐えられないと思う日もあった。シェリルは、自分の命を終わらせることを考えるようになる。
37歳のとき、シェリルはまた別の男性とつき合いはじめた。彼は手を上げなかったが、その予兆はあった。「その服を着ていくのか?」「お前は自分では何も決められない」とよく言われた。行く末を敏感に察知したシェリルは自分に言い聞かせた──同じ手は二度と食うものか。
彼との関係を終わらせるのに1年かかった。別れてから6週間後、彼はシェリルの家へ車でやってきた。そして車から降りると、シェリルの目の前で自分の頭を銃で撃った。
近所の人が彼を病院に運んでいる間、シェリルは家の外で警察が来るのを待っていた。どん底にたたき落とされたシェリルは、こう自問し続けた──「このまま死ぬか、それとももう少し踏ん張ってこれまでと違ったことをするか」。
こうした経緯でシェリルは、連邦司法センターの小さな一室でトロイという見知らぬ男性と向き合って座ることになった。初対面のトロイは、恋人に暴力を振るった過去があった。なぜそんなことをしたのか、シェリルはそれを理解しようとした。
「パパがお酒をやめられないのは私のせい」
トロイ:何をするのにも無鉄砲で、後先を考えずに行動してしまう。でも代理対話の話を聞いたときは、「わかった。とっとと終わらせよう」とは思わなかった。「よし、引き受けなくちゃ」と思った。恐らく「自分は正しいことをしている」という安心感のせいだと思う。
トロイはシングルマザー家庭のひとり息子として育った。礼儀正しく、人の注目を集めるのが好きだが、失敗は見られたくないタイプだ。10代で初めてアルコールに手を出したとき、酔っぱらって隣家のソファで気を失った。翌朝、目が覚めたときには、いったいどうやってそのソファにやってきたのか見当もつかなかった。
高校生になってからも何度か泥酔し、そのたびに体調を崩していた。気持ち悪くなるのはまっぴらだと思っていたが、クールなこと、人を笑わせることは大好きだったので、そのためならもっともっと酒をあおりたいと思っていた。
卒業後、トロイは建設業に就職した。1980年代後半のことだ。同僚はみな薬物やアルコールの問題を抱えているように見えた。やがて、必要以上の大金を稼ぐようになったトロイは、誰かが残した薬物を片っ端から試すようになった。
シングルマザーの家庭で育ったから、女性への尊敬の念は強いほうだと思っていた。しかしそれも酒を口にするまで。酒に酔うと、尊敬の念はすっかり消えた。1992年、トロイは結婚し、妻の連れ子の娘を養子に迎えた。ほどなくして2人の間にも娘が生まれる。手を上げるようなことは決してなかったものの、口論は絶えなかった。夫婦ゲンカを口実に家を飛び出しては酒を飲みに行くの繰り返し。娘たちの面倒も見なかったし、妻にお金も渡さなかった。
結婚生活は2001年に破綻し、その後トロイは路上生活を送りはじめる。数年後、新しい恋人ができたが、やはりケンカが絶えなかった。相手はトロイの飲酒癖を嫌っていた。彼女からそのことを問いただされると、トロイは決まってウソをついた。あるとき、いさかいの最中にトロイは彼女の首を絞めはじめた。
「自分はいったい何をしているんだ?」──我に返り、家から飛び出したが、すぐに警察に拘束された。
逮捕されたトロイは、もはや自分が何者なのかわからなくなっていた。自己憐憫に陥り、自分にあてがわれた公選弁護人に司法取引を迫られたことに腹を立てた。
だが、結局トロイはその提案を受け入れ、22ヵ月の懲役刑に服した。9歳の娘から、「パパがお酒をやめられなかったのは私のせい」と書かれた手紙を受け取ったときは、心が張り裂ける思いだった。トロイはアルコール依存症患者の治療を支援する団体「アルコホリクス・アノニマス(AA)」に入会し、出所後もそのまま残った。彼の早期釈放の条件には、薬物およびアルコール依存症の治療があったからだ。
それは12段階からなる矯正プログラムで、第5段階に達したトロイは身元引受人に、「自分の過ちの正体」を打ち明けた。法廷や保護観察官の前で何度も説明をしたおかげで自分がしたことを話すのには慣れていた。「印象を悪くしないよう、何を話さないべきか」を常に考えていたが、目の前にいるのは自分の身元引受人だ。トロイは初めて正直に話そうと思った。
「ひとりきりになりたければ、アルコール依存症になるのが手っ取り早い。そうすれば誰にも自分の問題を悟られずにすむから」──彼は引受人にそう語った。
その身元引受人も、過去に他者を傷つけて更生した経歴の持ち主だった。トロイは「俺だけじゃない、みんな何かしらの適応不全なんだ」と、救われた思いがした。そのときに自分を恥じる気持ちも消えたという。
AAは、アルコール依存克服のための行動の達成を何よりも重視する。トロイはこの目標を真摯に受けとめた。「とにかく何かを続けること。それが俺のアルコール依存症の治療薬になる」と思った。
治療プログラムのファシリテーターに、何か社会に貢献できる方法はないかと訊ねると、「DVセーフダイアログ(DVSD)」という団体の電話番号を教えられた。「修復的正義」と呼ばれている手法を最初に知ったとき、どこか虫のいい話のようにも思えた。とはいえトロイの望みはとにかく「酒を断つこと」であり、そのためならなんだって試してやろうと腹を決めた。(続く)
シェリル:もうこれ以上の恐怖、罪悪感、屈辱、そして責任を負いたくなかった。だから参加してみようと思ったの。自力でなんとかしようと頑張ってきたけど、負の感情はまだしぶとく残ってる。
シェリルは1950~60年代に少女時代を送った。当時、彼女は米オレゴン州ポートランド市郊外の中流階級地区に建つ家に住んでいた。家からは草原や果樹園が見渡せて、夏になると友人たちと裏庭に寝転んで過ごした。
だが、友人を家のなかに招待するわけにはいかなかった。父親がいつ癇癪を起こすか分からなかったからだ。シェリルが赤ん坊だったころ、母は泣いている娘を抱いて地下室にこもり、父の暴力から守った。少女時代の記憶はあまりない。しかしある晩、父が母に「この銃で子供たちを殺してから自分も死ぬ」と言ったことは覚えている。
彼女の3人のきょうだいは、父親が激昂するとたいてい家を飛び出したが、シェリルはひとり家に残って父と母の間を取り持った。父はシェリルが19歳のときに亡くなった。「すごく嬉しかった」と、彼女は当時を振り返る。その後すぐにシェリル一家は集まってお祝いのパーティーを開いた(シェリルは身元保護のため、記事中ではファーストネームのみの使用を求めた)。
恋人が目の前で銃自殺
父が亡くなり、これで人生も変わるとシェリルは期待していたが、思い描いたようにはならなかった。新しくできた恋人は、酒に酔うと彼女を殴った。その男と別れた後、同僚の紹介で別の男性とつき合いはじめた。ところが、しばらくするとその男は、自分がその場にいなかったときに口をきいた人間を全員教えるようにと言った。また、シェリルは趣味で空手を習っていたが、新しい恋人は別々に過ごすのを嫌がった。
「オレより大事なことって何だ?」とその男に詰問され、シェリルは絶望した。すべてを犠牲にして男の機嫌取りをしなければならない、あの暗い世界へ引き戻される気がしたのだ。シェリルは恋人に電話して、私たちはうまくいかないと思うと伝えた。電話を切ってしばらくすると恋人がやってきて、鼓膜が破れるまで彼女を殴り、首を絞めてきた。
翌日、シェリルから電話を受けた母親が警察に連絡した。母から「すべてお話ししなさい」と言われたシェリルは、刑事にこれまでの顛末を説明した。黙って聞いていた刑事の口から、こう言われたのをいまでも覚えている。
「逮捕は可能ですが、法的拘束力はかなり弱いです。司法の場で彼から受けた被害を話さなければならなくなりますが、向こうはそんなのぜんぶウソだと反撃してくるでしょう。最悪の場合、その男性が逆恨みして、あなたを殺そうとするかもしれません。それでも構いませんか?」
傍目からは、シェリルの人生に何か問題があるとはとても思えなかった。大企業で働く彼女の周囲の人間は皆「きみは仕事もできるし、自信もある」と声をかけてくる。ところがシェリルがつき合う男たちはいずれも父と瓜二つで、すべてを支配しないと気がすまず、彼女に暴力を振るった。
私の人生は行き詰っている。こうなったのはぜんぶ自分のせいなのかもしれない。精神的にあまりにも辛くて、もうこんな人生1日たりとも耐えられないと思う日もあった。シェリルは、自分の命を終わらせることを考えるようになる。
37歳のとき、シェリルはまた別の男性とつき合いはじめた。彼は手を上げなかったが、その予兆はあった。「その服を着ていくのか?」「お前は自分では何も決められない」とよく言われた。行く末を敏感に察知したシェリルは自分に言い聞かせた──同じ手は二度と食うものか。
彼との関係を終わらせるのに1年かかった。別れてから6週間後、彼はシェリルの家へ車でやってきた。そして車から降りると、シェリルの目の前で自分の頭を銃で撃った。
近所の人が彼を病院に運んでいる間、シェリルは家の外で警察が来るのを待っていた。どん底にたたき落とされたシェリルは、こう自問し続けた──「このまま死ぬか、それとももう少し踏ん張ってこれまでと違ったことをするか」。
こうした経緯でシェリルは、連邦司法センターの小さな一室でトロイという見知らぬ男性と向き合って座ることになった。初対面のトロイは、恋人に暴力を振るった過去があった。なぜそんなことをしたのか、シェリルはそれを理解しようとした。
「パパがお酒をやめられないのは私のせい」
トロイ:何をするのにも無鉄砲で、後先を考えずに行動してしまう。でも代理対話の話を聞いたときは、「わかった。とっとと終わらせよう」とは思わなかった。「よし、引き受けなくちゃ」と思った。恐らく「自分は正しいことをしている」という安心感のせいだと思う。
トロイはシングルマザー家庭のひとり息子として育った。礼儀正しく、人の注目を集めるのが好きだが、失敗は見られたくないタイプだ。10代で初めてアルコールに手を出したとき、酔っぱらって隣家のソファで気を失った。翌朝、目が覚めたときには、いったいどうやってそのソファにやってきたのか見当もつかなかった。
高校生になってからも何度か泥酔し、そのたびに体調を崩していた。気持ち悪くなるのはまっぴらだと思っていたが、クールなこと、人を笑わせることは大好きだったので、そのためならもっともっと酒をあおりたいと思っていた。
卒業後、トロイは建設業に就職した。1980年代後半のことだ。同僚はみな薬物やアルコールの問題を抱えているように見えた。やがて、必要以上の大金を稼ぐようになったトロイは、誰かが残した薬物を片っ端から試すようになった。
シングルマザーの家庭で育ったから、女性への尊敬の念は強いほうだと思っていた。しかしそれも酒を口にするまで。酒に酔うと、尊敬の念はすっかり消えた。1992年、トロイは結婚し、妻の連れ子の娘を養子に迎えた。ほどなくして2人の間にも娘が生まれる。手を上げるようなことは決してなかったものの、口論は絶えなかった。夫婦ゲンカを口実に家を飛び出しては酒を飲みに行くの繰り返し。娘たちの面倒も見なかったし、妻にお金も渡さなかった。
結婚生活は2001年に破綻し、その後トロイは路上生活を送りはじめる。数年後、新しい恋人ができたが、やはりケンカが絶えなかった。相手はトロイの飲酒癖を嫌っていた。彼女からそのことを問いただされると、トロイは決まってウソをついた。あるとき、いさかいの最中にトロイは彼女の首を絞めはじめた。
「自分はいったい何をしているんだ?」──我に返り、家から飛び出したが、すぐに警察に拘束された。
逮捕されたトロイは、もはや自分が何者なのかわからなくなっていた。自己憐憫に陥り、自分にあてがわれた公選弁護人に司法取引を迫られたことに腹を立てた。
だが、結局トロイはその提案を受け入れ、22ヵ月の懲役刑に服した。9歳の娘から、「パパがお酒をやめられなかったのは私のせい」と書かれた手紙を受け取ったときは、心が張り裂ける思いだった。トロイはアルコール依存症患者の治療を支援する団体「アルコホリクス・アノニマス(AA)」に入会し、出所後もそのまま残った。彼の早期釈放の条件には、薬物およびアルコール依存症の治療があったからだ。
それは12段階からなる矯正プログラムで、第5段階に達したトロイは身元引受人に、「自分の過ちの正体」を打ち明けた。法廷や保護観察官の前で何度も説明をしたおかげで自分がしたことを話すのには慣れていた。「印象を悪くしないよう、何を話さないべきか」を常に考えていたが、目の前にいるのは自分の身元引受人だ。トロイは初めて正直に話そうと思った。
「ひとりきりになりたければ、アルコール依存症になるのが手っ取り早い。そうすれば誰にも自分の問題を悟られずにすむから」──彼は引受人にそう語った。
その身元引受人も、過去に他者を傷つけて更生した経歴の持ち主だった。トロイは「俺だけじゃない、みんな何かしらの適応不全なんだ」と、救われた思いがした。そのときに自分を恥じる気持ちも消えたという。
AAは、アルコール依存克服のための行動の達成を何よりも重視する。トロイはこの目標を真摯に受けとめた。「とにかく何かを続けること。それが俺のアルコール依存症の治療薬になる」と思った。
治療プログラムのファシリテーターに、何か社会に貢献できる方法はないかと訊ねると、「DVセーフダイアログ(DVSD)」という団体の電話番号を教えられた。「修復的正義」と呼ばれている手法を最初に知ったとき、どこか虫のいい話のようにも思えた。とはいえトロイの望みはとにかく「酒を断つこと」であり、そのためならなんだって試してやろうと腹を決めた。(続く)