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山田美保子「不妊治療で病院や民間療法を渡り歩き〈薬剤性肝炎〉に。情報に振り回され、影響を与える怖さも知った」


放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。意外にも、小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第6回は、「不妊治療に振り回された日々のこと」です

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不妊に「いい」と言われるものは全部試した

「誰かに効いた薬や治療が、貴女に効くとは限らない」

長引く不妊治療で、誰かに話を聞いてもらうたび、堰を切るように号泣していた頃。あるメンタルクリニックの女性医師が私にかけてくれた言葉です。

40代を迎え、自分自身、さらに焦りを感じると共に、家族や周囲から、よりプレッシャーを感じとっていた私は、一日も早い妊娠と出産を強く望むようになっていました。

同時に、「私は人より、たくさん情報が入ってくるところで仕事をしている」「自由になるお金だってある」とも思っていました。病院で度々顔を合わせ、話をするようになった《不妊友達》の中には、「卵がとれてもとれなくても、体外受精はあと3回と決めている。理由は、お金」という人が居ました。1回40万円前後の費用は、家計に大きくのしかかります。

私は今より、もっと働いていた頃だったので、正直、自由になるお金がありました。お医者様たちもそれを知っていて、毎月のように手術や体外受精を私に勧めていたふしがあります。それでも、チャンスが多いのはいいことだと思っていました。

その一方で、「よりチャンスの場を増やそう」と欲張っていたのも事実。私は産婦人科の病院以外に、西洋、東洋医療にかかわらず、「いい」と言われる薬や治療法に次から次へと通いまくりました。いろいろな方法に「手を出していた」という表現が正しいかもしれません。

「ざくろ」の絵を飾ったことも

足つぼを刺激し、血流を良くするというサンダルを常に履き、台湾式のマッサージにも、鍼灸にも通い、身体を冷やさぬよう夏場でも腹巻をし、厚手の靴下を履いていました。

本で「いい」と読んだ「ざくろ」は、ジュースで飲むだけではなく、絵を部屋のあちこちに貼っていました。そう、おまじないのようなこともしていたのです。

もちろん、漢方薬も飲んでいました。それも、産婦人科で出される有名な漢方ではなく、仙人のような老医師がその場で調合してくれる漢方を毎食前、半年以上、服用していたのです。

その薬の漢方特有な匂いは、飲んでいた量が多かったせいもあるのか、けっこう強烈で…。番組の打ち上げなどで飲食店で食事をするときは、共演のタレントさんたちにギョッとされたものです。

自分でも手の甲に鼻を近づけると、毛穴から強烈な匂いがただよってきたくらい……。それほど真面目に飲み続けていたのです。

その漢方医と漢方を紹介してくれたのは、30代前半、ある出版社を拠点に連日、仕事を共にしていた1歳下の女性ライターでした。企業の取材や人物インタビューに定評があった彼女はリサーチ力に長けており、私とは異なる情報を多数もっていました。いま振り返れば、《妊活》においても彼女は独特でした。

スピリチュアル系の治療も試した

たとえば体調面で彼女が全幅の信頼をおいているスピリチュアルカウンセラーの男性がいました。彼女曰く、「あの人にはいろいろなものが見える」と……。彼女がやって良かったという《手かざし》をしてもらうため、その男性を自宅に招きいれたこともありました。

同時に、例の仙人のような漢方医院に通っていた彼女。20代前半の私と同じく、基礎体温表の低温期と高温期が明確ではなかった彼女が、その漢方を飲み続けた結果、体温が理想的な折れ線を描くようになり、妊娠、出産できたというのです。40歳での初産でした。

私はというと、体外受精を立て続けに失敗し……。当時通っていた病院が決めているスケジュールどおりに、毎日、薬を飲み、注射を打ちに通い、たくさん卵を作っていました。でもいざ採卵日…というとき、私はいつも、その前日に排卵してしまっていたのです。卵を作っているのにうまく採卵できないことが続きました。

それでも翌月のチャレンジは必ず薦められました。お金に余裕があったからに他なりませんが、その際、医師が「もう失敗は許されない」と独り言のように呟き、嘆く声を聞いたのも一度や二度ではありませんでした。

鍼の先生から告げられた甲状腺の腫れ

そして今度は、やはり40代になってから出産を経験したイラストレーターの女性が「いい」と言うマッサージと鍼の先生の施術を受けに行ったときのことです。「お腹を触っても、悪いことは感じられないけれど、甲状腺が少し腫れているような気がする」と。

教えてもらった専門病院に予約を入れ、検査をしてもらったところ、肝臓の数値γ‐GPTが正常値の10倍以上になっていることが判明したのです。

当時連載していた雑誌の編集者に話したところ、お父様が肝臓疾患で入院していた専門病院を紹介してくれました。都心からかなり離れていたのですが、行ってみることに。

医師からは、「お酒」「輸血」「献血」など、肝臓の数値に異常をきたす要因になりそうなことについて次々質問を受けました。不妊治療を始めてから、お酒はほとんど口にしていませんでしたし、輸血や献血も全く当てはまりませんでした。そして最後に先生が仰ったのは「何か、薬を飲んでいますか?」と。私は「不妊治療のために漢方薬を毎食前、もう半年以上、飲み続けています」と伝えました。

「それかもしれませんね」「1ヵ月、飲むのを止めてみていただけませんか?」と。

目の前が真っ暗になるという経験は不妊治療を始めて何度も経験していましたが、このときばかりは本当に真っ暗になり、しばらくの間、言葉が出ませんでした。

良かれと思って飲んでいた漢方薬が肝臓疾患の原因

妊娠や出産を望んでいたからこそ、いいと思って飲み続けてきた臭くて不味すぎる漢方薬。私の友人はこれを飲み続けて高齢出産に成功したのに、どうして私はこれから1ヵ月も薬をストップしなければならないの? と、このときはまだ仙人のような老医師に傾倒し、肝臓疾患の名医の言葉を信じたくはない私がいました。

でも、「薬剤性肝炎」という診断に加え、同じような病気をしたテレビマンに聞いたところ、「僕の数値より酷いよ。よく立っていられるね」と言われ、言われたとおり漢方薬を飲むのを止めてみました。

1ヵ月後、肝臓の数値は正常値に戻っていました。医師も「ドラスティック」という言葉を使い、劇的な結果に驚くほどでした。

他の医師に言われたことですが、「山田さん、気づかずに飲み続けていたら、死んでいたかもしれないよ」と。この頃、中国産のダイエットに効く漢方でお亡くなりになった日本人女性についての報道が相次いだこともあってか、私の経験は取材を受け、女性週刊誌の記事になったほどでした。ダイエットではなかったのですが……。

その後、かなり悩んだ末、例の漢方医を紹介してくれた女性ライターに、事の顛末を伝えました。開口一番、彼女が言ったのは「それって医療ミスだよね。訴えたらいいよ」と。

私の身体に漢方が合うか合わないかの検査をせずに大量の薬を処方し、その後、血液検査などもせず、毎食前分の漢方薬を出し続けていたということが、彼女に言わせると「医療ミス」だと……。

とても複雑な気持ちになりました。私の半年以上を返してほしいとも思いました。もちろん、彼女は自分が成功したから勧めてくれたわけで、自分と薬との相性が悪かっただけかもしれない。彼女のせいではなかったのに……。

でも私は、その後、それと同じか、それ以上のことを友人にしてしまうのです。ありとあらゆる病院に通い続けていたお陰で、日本を代表する「名医」と言われる医師や、腹腔鏡手術に強い病院などに詳しくなっていた私には、不妊や婦人科系疾患に悩む知人女性の《駆け込み寺》のようになっていた時期が間違いなくありました。

私の不妊治療は回り道が多かった

ある知人女性は、やはり子どもがなかなかできなかったのですが、「人工授精や体外受精に夫を付き合わせるわけにはいかない」という強い意思をもっていました。「でも、御主人の協力が必要なのよ」という私に対し、彼女は日本中の誰もが知る御主人の名前を挙げて、「私の夫はAですよ。そんなこと、Aにはさせられません」と頑なに譲りませんでした。

それでも彼女は自身の婦人科系疾患だけは治したいと希望。私は腹腔鏡手術の名医を紹介しました。

約半年後、彼女がその手術のせいで、大変な思いをしたことを報道で知りました。彼女との付き合いは今も続いていますが、そのことを彼女が何も言わないので真偽のほどは今もわかりません。

今振り返れば、どんな治療であっても、簡単に医師や薬を紹介してはいけないのだということをこのとき思い知りました。

漢方については、不妊治療では必ずと言っていいほど処方があります。ですが、私は薬剤性肝炎になった経験を新しい医師に診てもらうたびに伝えました。それでも、「みんな、飲んでいる薬だよ」「少量、試してみれば?」と有名薬剤メーカーのタブレット型漢方薬を薦めてくる医師もいました。

《漢方NG》の私の身体がまた妊娠を遠ざけているのかと思うと絶望的な気持ちになったのも確かです。

それにしても、私の不妊治療は回り道が多かった。藁にもすがる思いで訪ねた病院の「不育症」専門の若い医師から「不妊の患者っていうのは、どうしてこんなに転院が好きなんだろうねぇ」と呆れたようにつぶやかれたこともありました。

医療に不信感を募らせる私を支えてくれたのは、15名からなる《不妊友達》でした。(つづく)

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